2023年5月4日木曜日

ユーラシア大陸横断

 今年は2017年ぶりにデンマークで、ショートツアーだった。




私は荷物が重たいのでエメレーツ航空しか選べない。

他の航空会社は預入荷物が23kgだが、エメレーツ航空は35kgmまでイケる。

問題は『ロストバゲージが多い』と言う事と、最高のサービスと言いながらも飯は不味い、と言う事である。


まぁ、機内食が不味いなんて『ハンニバル』のレクター博士も「機内食は食えたもんじゃないからね」と言っているので、期待する方が間違っているんだろうが。



しかし、2017年ぶりだ。


3年前に渡航する予定だったが、コロナで流れた。


それに、此処3年間、パブリックな場所で演奏していない、と言うのも緊張する。

江古田フライングティーポットとかでsoloとかはやっていたけど、その程度である。

私は人格に問題があるらしく、ライブのオファーは滅多にない。

年間のライブのオファー数は『ネス湖のネッシーの個体数と同じか、それより少し多い』程度である。


成田空港についから急に腰が痛くなる。


緊張しているんだろう。



空港には4時間前に到着したので、食事をする。


で、チェックインするのだが、流石に4時間前は早すぎた為か、ヤルことがない。

延々と喫煙室で煙草を吸うしか無い。







禁煙運動華やかしり今日この頃だが、喫煙所には人が多い。

日本を観光して帰る人も喫煙所で延々と煙草を吸っている。

で、何とか時間になったので飛行機に乗る。


すると急激に腰が痛くなってきた。


やっぱり緊張しているんだろう。


飛行時間はトランジェントの時間も含めて20時間である。


まずは、ドバイ国際空港まで11時間かけて行き、3時間のトランジェントを得て、6時間でデンマークである。


3回のライブの為に20時間かけてユーラシア大陸を超える。


不条理なようで、音楽活動というモノは、こう言うモノである。





飛行機に搭乗して、自分のシートに行くと、見知らぬオッサンが座っている。


「これは私のシートですが」


と言うと、


「カモン!ボーイ!チェンジィー!チェンジィー!」


と言う。


ってか、あんた、誰?。


「ダメだ。これは私のシートだ」


と言うがシツコく


「チェンジィー!」


この「チェンジィー!」のイントネーションを文字で表すのは難しいのだが、英語圏の人ではないし、英語は通じないだろうな、と言うか「田舎者」と思わせてくれるイントネーションだ。


「カモン!ボーイ!チェンジィー!チェンジィー!」


を繰り返す。


「駄目だ。私は飛行機の中でビールを沢山呑むからトイレに沢山行く。だから、この席なんだよ」


と言うと


「me too!!! チェンジィー!」


と言う。


CAが来て「駄目ですよ。席の変更は認められていません。」と言うと大人しく自分の席に付いたので、私も座る。


すると、今度は拝むようかのように「チェンジィー・・・?チェンジィー・・・?」とウルサイ。


普通は「Please change your seat.」なんだろうが、このオッサンは「チェンジィー・・・・!?チェンジィー・・・?」とサルのように繰り返すだけである。


この「自分の席に、他人が座っている」と言うのはエメレーツ航空あるある、である。

2017年に渡航した際も、如何にもイスラム教徒と言う感じの女の子が、私の席に威風堂々と座っており

「お母さんと近い席にしたのー!」

と屈託げもなく言う。


で、まぁ、オッサンが「チェンジィー???チェンジィー????」とシツコイので、私も諦めて


「じゃあ、トイレに行くときはどいてくれる?それだけは頼むよ」


と言って席を交換した。


どうせ、飛行機の中では寝ているだけだ。


外の夜景とか、もう見飽きた。



と思ったのだが、このオッサンが彼此と話しかけてくる。


飛行機の中では出来るだけ、一人になりたいのだが、私が日本人だ、と知ると彼は奥さん、息子と日本(東京)を観光したらしい。


それでfacebookの写真を見せながら


「do you know?」


「sinjiku! ラーメン!シン、ジュック!ラーァメン!!!you know?」


「シン、ジュック!ラァァ−メン!!!シン、ジュック!ラァァァァアメン!!!」


私が知っているラーメン屋も出てきた。


「うん、知っているよ」


「OK! シン、ジュック!ラァァァメン!シン、ジュック!ラァァァァメン!」


と自分と家族が行ったラーメン屋を紹介してくる。



「ラーメン食いに来たのかよ?」


と思うが、どうも、そう言う外国人は多いらしい。

デンマークでもラーメン屋があったし、コペンハーゲン国際空港でもラーメン屋があった。

世界はラーメン・ブームなんだろうか。


このオッサンの英語の訛りが酷いうえに、ウザいので「どこ出身ですか?」と聞くと「イスラエル」と言う。


イスラエルと言えばガザ地区を空爆している国・・・と思う。


で、何故か私を「BOY」と呼ぶ。


45歳のオッサンやねん!って言う。


エメレーツ航空は小さい子供が乗っていると、チェキみたいなインスタントカメラで記念撮影をしてくれるのだが、それを見たイスラエルのオッサンは


「BOY!Picture!」


と言う。


この辺でチョット(チョットじゃないが)イライラしてきて


「俺は45歳の大人だぞ。BOYじゃねーよ!」


と言う。


すると、このオッサンは不思議そうな顔をする。

英語力がクソすぎて通じていないのか、どう見てもBOYが45歳を名乗っている、とかなんだろうか。

ってか、BOYはビールを呑まないだろ。






過去の経験で言うと基本的に中東の連中はマナーが悪い。

旅行で「中国人のマナーが悪い!」と言う人もいるのだが、個人的には中東の奴らの方がマナーは・・・少なくとも飛行機の中では・・・悪い。


で、イヤフォンを付けて黙る。


ビールが来たので、2本開ける。

オッサンも2本開ける。


帰国後に思ったのだが、このオッサンは正直、デブである。

だから、通路側にしたかったんだろうが、ケチなのかアホなのか、予約の段階で、席を指定していなかったのだろう。


ビールを呑んで寝る。


で、食事が来る。


機内食って不思議で、こっちは動いていないのに詰め込まれる、フォアグラ状態と言う気がする。

量も多いしな。


断りたいのだが、寝ている私をイスラエルのオッサンは起こして、「飯だぜ!」と言う。


嗚呼、ウザい。


デブなオヤジなので彼が足を組むと、私の太ももに当たるし。

最後らへんは貧乏ゆすりである。


これが11時間である!!!!。


こんな11時間があるか?。


地獄だろ。



だが、このオッサンが最終的に憎めないのは寝ている私のビールの空き缶とか、弁当ガラとかを捨ててくるんだよな。

面倒見が良い、と言うか。


ただ、基本的に面倒見が良い人はウザい、と言うのが世の常だ。


11時間後。


飛行機はドバイ国際空港についた。


オッサンと私は親指を立てて「イエーイ」と言った。

2023年4月7日金曜日

Cherry Music Festival 2023

 2017年以来、久し振りにデンマークに行ってきます。




Cherry Music Festival 2023 - Noise og ambient direkte fra Tokyo

https://www.facebook.com/events/187180650764828/?ref=newsfeed

19:00 Døre åbner.
19:30 Velkomst med japanske smagsprøver fra Waku Waku (inkluderet i billet).
20:00 Izumi Kawasaki - Tokyo, Japan.
21:30 KO.DO.NA. - Tokyo, Japan.
22:15 Li 李/Motorsaw - DK
Izumi Kawasaki
A newcomer to the excellent Gerpfast Records label, a veritable mine of harsh nuggets and power electronics from Asia, the Japanese Izumi Kawasaki gives fans of radical abstraction no respite on this mini-album where Buddhist percussion, samples of mystical chants filtered and other metallic rhythms intersect the larsenizing impulses and saturated with pure cathartic noise which constitute the essence of these three uncompromising tracks. To follow closely if you like Merzbow, Puce Mary, Uboa and other providers of storms (under a skull) of analog splinters, white noise and rusty nails. - indie rock mag July 2019.

KO.DO.NA. (Kazutaka Kuroki)
Kazutaka Kuroki was born in Fukuoka 1977 and moved to Tokyo in 1998.
He joined Theater Company Karagumi after working as a club DJ, improvisational performer, and contemporary music. he works as an actor.
After leaving the company, he started composing music for the play and working as a trumpet soloist.
He has held and continued independent projects at "BULLET'S" in Nishi-Azabu and "SuperDeluxe" in Roppongi.
He has participated in a total of 5 omnibus recordings in Japan and overseas.
In 2011, participated in "John Cage "Musicircus"" at Asahi Art Square (sponsored by Tomomi Adachi).
From 2013 to 2015, a short tour will be held in NY and South Korea.
In 2014, he was the first Japanese musician to perform at the Sakura Sound Festival.
In 2015, KO.DO.NA. released "Riunione Dell'uccello" from the label "HIPSTER record".
He is also active in a wide range of fields, including stage music, improvisation, dance performances, and musical performances.

Li李/Motorsaw
Li李/Motorsaw har skabt de audio/visuelle rammer for Cherry Music Festival årligt siden 2014 og er de kunstneriske værter der med interludes og backdrop sætter scenen for de inviterede japanske kunstnere.
Motorsaw er Bl.a kendt for videokunst på Roskilde Festival og Li李’s ambient lydunivers kan høres på adskillige værker og produktioner med navne som bl.a Palle Mikkelborg og Martin Hall.
Biletter 60kr. købes i døren.



Cherry Music Festival 2023 - Noise og ambient direkte fra Tokyo
Stærke musiknavne fra Tokyos undergrund indtager Borgernes Hus når festival med grænsesøgende japansk musik og lydkunst skydes i luften på Odense Musikbibliotek
Navnet "Cherry Music Sakura Festival" er en reference til de smukke japanske kirsebærtræer som i denne tid står i flor, men paradoksalt nok, viser festivalen det stik modsatte: Nemlig at japansk kultur kan være grænsesøgende og ekstrem.
Koncerterne denne aften vil bevæge sig i grænselandet mellem power electronics, drone ambient, lydkunst og harsh noise.
I løbet af aftenen vil publikum få lejlighed til at smage en flydende delikatesse fra japanske kultur. Inkluderet i festivalbilletten, som koster 60 kr er et glas af den japanske risvin Sake.
Følgende navne vil kunne opleves under Cherry Music Sakura:
* Izumi Kawasaki (harsh noise, power electronics, lydkunst)
* KO.DO.NA (Kazutaka Kuroki) (impro, experimental)
* Li 李/Motorsaw (Audio/visuel refleksion)

Pris: 60 kr inkl. et glas køligt japansk risvin Sake
FESTIVALEN ER STØTTE AF:
Toyota
Odense Kommune - Odense Musikudvalg Statens Kunstfond - Projektstøtteudvalget for Musik"


2021年2月14日日曜日

ELPA ラジオ ER-C54T

 短波ラジオを買った。野外に簡易アンテナを付けたが、あまり受信出来ない。

世田谷区で短波を受信するのは難しいのだろうか。
2000円弱の短波ラジオでは『根本的に無理』なのか、世田谷区の住宅街のど真ん中と言う立地条件なのか。

だが、高額な短波ラジオを買う余裕はない。
時間帯を変えて再度、やってみようと思う。
だが、短波ラジオのノイズは美しい。

I bought a shortwave radio. I attached a simple antenna to the outdoors, but I couldn't receive much.
Is it difficult to receive shortwaves in Setagaya Ward?

Is it "fundamentally impossible" for shortwave radio for less than 2000 yen, or is it a location condition
in the middle of a residential area in Setagaya Ward?

But I can't afford to buy an expensive shortwave radio.
I will change the time zone and try again.

However, the noise of shortwave radio is beautiful.

2020年10月18日日曜日

近藤等則が死んだ

 近藤等則が死んだらしい。


71歳だった。


この御時世だと若い部類に入る。死因は分からない。

訃報は家族が(彼の二人の子供)がUPしていたが死因は書いていない。


ただ、年齢を余り感じさせない風貌と奏法だったので『71歳』と知ったときはチョットだけ驚いた。


近藤等則は正直、好きではなかった。

理由は無い。


好き、嫌いでしか言いようがない。


ただ、演奏テクニックも素晴らしかったし、エレクトリック・トランペットと言う『ジャンル』を作った人でもある・・・と思う。


その前にランディー・ブレッカーやマイルス・デイビスと言った人達もいるけども、近藤等則ほどエレクトリック・トランペットに邁進した人は居ないと思う。


演奏自体は現代的なのに、youtubeなどで聞く氏の言葉は「嗚呼、団塊」と言う感じのオッサン臭いモノなのが不思議だった。

あれだけ大量のエフェクターを使うのに、本音としては肉体信者と言うのも変な感じがした。


年間100回、世界中でライブをしていた位だから精力的な人だったんだろうなぁと思う。


ただ、やっぱり、今更ながら言えば


『ものすごく変な人だった』


と思う。



何しろ奏法が古かった。

エレクトリックとは言え、奏法自体は1930年代の奏法だった。

それはルイ・アームストロングなんだけど。


サッチモとエレクトリックと言うの組み合わせを考えつくなんて、とてもヘンテコだ。


エレクトリックを多用する割には空手や肉体論信者だったりもするし。




あまり好きではなかったが私もエレクトリック・トランペットを吹くので研究はした。

私はLO-FIなエフェクターを多用するのに対して近藤等則はHI-FIなエフェクターを多用していた。

ようするに『高価なエフェクター』と言うか。


研究はしたけど、余り役には立たなかった。

近藤等則氏がエレクトリックに走ったのはマイルス・デイビスやランディー・ブレッカーの影響でも何でも無くて


「当時、組んでいたバンドが余りにも大音量で、trumpetでも音が聴こえないから音量増加の為」


と言う理由が良い気がする。


然し、エレクトリック・トランペットと言うジャンルを作った人ではあるが、其れが普及する前に亡くなった、と言う気がする。


普及も何も、本人がシステムを公開していなかったので普及するワケがなかったのだが(何しろtrumpetのマウスピースに穴を開ける、と言うトランペッターとしては可也、勇気がいる行為が前提だった)。




然し、まぁ、何と言うか。



同じくエレクトリック・トランペットを吹いている身としては唐紙に穴が空いたような寂しさを感じる。


管楽器にエフェクターと言うのは今でも少数派(中国におけるウイグル族のような)であり、金管楽器屋でエフェクターなんて言う話は御法度である。


そんな中、近藤等則と言う人は『管楽器にエフェクター』と言う人にとっては一筋の光でもあった。



・・・と言うことまで書いて、久し振りにDj Krushと近藤等則のアルバムを聴いてみた。





久し振りに聴いてみたら、


「全く影響はウケていない」

「好きでもない」


と言いながらも奏法には可也、影響を受けている事に驚いた。


音の入り方とか、フレーズ、音の使い方など結構、影響を受けている。


全くの他人ではなく、何かしら勉強させてもらった人なんだな、と思う。

そう考えると、やはり唐紙に穴が空いたような喪失感を感じる。

ご冥福を祈ります。


2020年8月27日木曜日

沖至が死んだ

 生きる伝説だった『沖至』が死んだ。









死因は分からない。他殺ではないし、自殺でもないと思う。

思えば高齢だったワケだし。



trumpetを演奏する私としては何処か、沖至の訃報に接して、ただ、ただ呆然としている気がする。


何か大きなモノ、大きな存在を失った気がする。


もはや「人物」ではないスケールの何かを失った気がする。




trumpetと言う楽器は『演奏』と言う事に特化し過ぎた楽器である。

そのため、演奏方法は『音が出せる』と言う基本的なところに行くまで長い年月が掛かる。

古今東西、多くの楽器は何かしらのアクションを起こせば音は出る。


だが、trumpetはそうはならない。


単純なドレミファソラシドを吹けるのに何ヶ月も掛かる事もある。更にオクターブ上のドレミファソラシドになると、もっと時間がかかるし

『ハイトーン』

と呼ばれる高音域に関しては数年掛かる。


楽器としての完成度が低い、と言う構造上の欠点もある。


その『構造上の欠点』を覆う為に、演奏者は途方もない(無駄とも思える)努力を強いられる。




楽器は特殊技能である。


ロックのように『パワーコードで何とかなる!』と言うジャンルがtrumpetには存在しない。

余り、逃げ場がない楽器である。

その意味で、trumpetの技能には『逃げ道』を確保する、と言うのもある。


長時間の演奏が不可能な楽器でもある。


サクソフォンのようにリードを変えれば何時間でも吹ける、と言う楽器ではない。


長時間の演奏が不可能である為、どう逃げ切るか?と言うのが大きなテーマになる。

短時間で強い印象を残しながらも、疲れない演奏方法。


サボる、と言えば聞こえは悪いがtrumpetと言う楽器に関しては特殊技能の一つである。




沖至さんの演奏は、正直に言えばテクニシャンとは程遠い場所にいた。



trumpetでプロ奏者だとテクニシャンが多い。面白みはないがテクニックは凄い、と言うか。

と言うか、超絶技巧と言うだけで食えるジャンルはヘヴィ・メタルと、trumpet業界だけではないか?と思う。



初めて聴いた時に驚いたのは


「音が濁っている」

「ピッチも不安定」

「ハイトーンは苦手っぽい」

「全体的に演奏は不安定」


と、プロフェッショナルな演奏とは全く違うのに驚いた。


後年、ライブを観たときも其れは同じだった。


ようするに沖至の演奏は『ヘタウマ』だった。


後に荻窪グッドマン(高円寺グッドマン)のマスター:鎌田さんに同じことを話すと


「沖やんのtrumpetは昔から『鳴って』なかったよーwっw!」


と言っていた(実はグッドマンの鎌田さんはトランペッター志望の人だった。沖至さんについて、こんな事を言えるのは鎌田さんだけである)。


実際、trumpetはビンテージなモノを吹いていたが、金属のパイプが響く、と言うよりは唇の音が、そのまま出てきているようなモンだった。


普通、trumpetって身体と金属の響きにより音を作るのだが、沖至さんは極端に「身体の音」しかしていなかった。


これはtrumpetの演奏方法としては『駄目』と言うカテゴリーになる。



ただ、沖至さんの『音』は、聴いていると飛びついて抱きしめたくなるようなファニーさ、愛狂いモノがあった。


もう、それだけが『沖至』と言う人だった。


trumpet奏者と言うよりも『沖至』と言う楽器を演奏する人だった。




『ヘタウマ』と書いたけど実際、元祖『ヘタウマ』だったと思う。

ハッキリ言えば、同世代のヒノテルや、他のミュージシャンよりは遥かにテクニックは劣っていたと思う。


特殊な奏法(エフェクターを多用したり、水中にtrumpetを沈めたり)を考案したのはレコードで聴いた演奏方法ではなく、その『ヘタウマ』の部分を何かしらでカバーする必要性があったからではないか?と思う。


沖至さんは一時期、ディレイとワウペダルを使っている。


ワウペダルはマイルス・デイビスやランディー・ブレッカーはワウペダルを多用したが、ディレイは使っていない。


ってか、当時のディレイって高いんだよな。


サラリーマンの月収が吹っ飛ぶ金額だった。

スタジオや録音機材であり、ライブで使ったのは沖至さんが日本では初めてだったのではないか。


JAZZと言うジャンルには未だに電子楽器(エフェクター)を使うことを良しとしない人も多い。

70年代前後は更に多かったのではないか。


当時はPAも貧弱なモノしかなかっただろうし(PAがある程度、使えるようになったのは2此処20年である)、ギターアンプとかでやっていたのかも知れないが、移動は大変だっただろう。




だから、アイデアや音色だけで勝負してきた人・・・と思う。


勝負師のような鋭い音もライブでは垣間見える。

自分の音(響かない音)を、どう響かせるか?。


沖至さんは演奏中、何を考えながら演奏していたのか分からない。


ただ、私も下手だし、其れを何とかするために色々と下らない事を考えては実行して、自爆する。


私だけではなく、アイデアや実験精神、音楽と言う怪物に挑み続ける人は皆、同じだと思う。


『物凄い速弾き』


『物凄いハイトーン』


『難しい曲を演奏する』


と言う事ではなく・・・それは音楽ではない。


音の一つ、一つを丸く、まぁるく、まぁ~るく、まるでビー玉のように磨いていく事が音楽であり、そのビー玉を潰して『おはじき』にして、更にステンドグラスにしてしまう行為こそが沖至さんの音だったと思う。


幻想的な演奏だった。


それは、幼い頃、ビー玉やオハジキに夢中になった嘗ての自分と、その気持ちを沖至さんの音には、確かに『あった』。


夏至の帰り道に飲む三ツ矢サイダー、その瓶に入っているビー玉。


滴る水滴、瓶から出せないビー玉と、その美しさと儚さ。


夏至の三ツ矢サイダーをあと何回、飲めるんだろうか。


それは人生の一瞬の出来事であり、一瞬にこそ鬼が住み、蛇が蜷局を巻き、そして儚くも美しい時間がある。

瞬きの時間と同じ時間に。



沖至さんの演奏は、そう言うモノだった。



沖至さんの演奏を聴いたのは、そんなに前じゃない。沖至さんの情報は余りネットに乗らなかった。

何しろ、全盛期の音源の殆ど廃盤。

フランスに渡航してからリリースした音源は殆ど売れなかった(軽音楽のような音だった)。


だから念願叶って観たときは感激したモノである。


沖至さんの演奏はリラックスしており、緩やかだった。


「俺には・・・こう言う演奏をするには若すぎる・・・」


と自分の年齢を悔やんだ。あの年齢で苦渋も喜びも噛み締めてきた人にだけ出せるブレス音だった。



俺は、こうなりたい、と思った。



テクニックや煌めくような音ではなく、沖至のような音が欲しい!と思った。

そして、それは今も思っている。


京都の石庭に置かれいる石のように、ポツン、ポツンとしていながらも存在出来る音。


それは目標だったし、何故か『沖至がいるから大丈夫』と言う意味不明な事も思っていた。

それは、もしかするとパンク・ロッカーにとっての『ジョン・ライドン』かもしれないし、90年代までの現代音楽家にとっての『ジョン・ケージ』かもしれないし、フリージャズ派にとってのオーネット・コールマンかも知れない。


誰にとっての『誰』か分からない。


少なくとも私にとって、沖至さんはマイルストーンだった。


沖至さんがいるのだから大丈夫、と言う意味不明な事も思っていた。下手でも良いじゃん、面白い演奏をすれば良いんだ、って言うか。



俺は途方にくれている。



もしも、輪廻転生と言うモノがあるならば沖至さんには鳥となって欲しい。

そうすればtrumpetを手にせずとも、心置きなく歌えるから。


ご冥福をお祈り致します。

2020年7月13日月曜日

白石民夫

先日、白石民夫さんの路上パフォーマンスを聴いた。





白石民夫さんの演奏は20年くらい聴いている。

最初は月本正さんから教えてもらった。
「面白いと思うから行ったら?」と言う感じである。

どんな人か分からなかったし(当時、インタネットは黎明期だった)、フリージャズの人なのかなぁと思いながら新宿に行った。


初めて聴く白石民夫さんの音にビックリした。
凄く感銘を受けた。

感銘を受けた、と言うか当時

「高音には神が宿るのではないか?」

と思っており只管、trumpetで高音の練習をしていた。
中音域や低音ではなく、超高音には何かが宿る・・・と思っていた。

まだ、trumpetは上手くなくて高い音と言っても3分も出れば良い方だった。
でも、高音域には何かが宿る・・・のではないか?と志は熱かった、と思う。
それが現状、実現不可能だとしても。



そんな自分が考えていた音楽の在り方を白石民夫さんは既に実現していた。

其処に感銘を受けた。

自分の考えている(まだ実現できない音)音は間違っていないんだ!と言うか。

白石民夫さんは当時、私のマイルストーンだった。




今はKO.DO.NAと言うスタイルで音楽をやっているけど、オクターバーを多用するので超高音とは言い難い。
それに高い音はtrumpetよりサックスの方が出やすい。trumpetだとプロでも20分が限界だ。
高音域だけに神が宿るのではなく、音楽や美に宿るのだ、と今は思う。


演奏時間は10分程度だから遅刻はしたくない。
2年前に引っ越したばかりなので、少し早めに家を出た。

そうすると30分も早く着いてしまった。

白石さんは既にセッティングと言うかボンヤリと立っていた。


仕方がないので何処かで時間を潰して再度、向かう。




白石民夫さんの演奏は時間になっても中々、始まらない。
白石さんがカリヨン橋に立つと風が強くなる。
いつもだ。

新宿駅前の音だけが耳に入ってくる。

新宿は音が良い、と思った。

新宿は好きな街なんだけど、その理由としては『音の良さ』なのかもなぁと思った。
『音楽』に聞こえる。
それに対して渋谷、原宿、下北沢は音が悪い。音楽的とは言い難い。
歩いていて、苦痛だもんな。

皆、あんなに音が悪い場所によく行けるモンだ。




暫くして、白石民夫さんがサックスを吹き始めた。


景色がガラリと変わる。

その瞬間、



「嗚呼、音楽って神聖なんだな」



と思った。何を今更、言っているんだ?って感じだけど『音楽は神聖』と言うのは演奏者ですら時折、忘れてしまう。

音楽に携わっていると、音楽は日常に近くなるので判らなくなって来てしまうのである。
とくに私みたいな自主企画もやって、自分も演奏もして・・・だと忘れがちだ。

『美』は神聖なモノだ。



以前、知人と舞踏家の公演を観た。その時の公演は酷かったのだけど、知人女性が
「今日のNさんの公演は酷かった。だけど、舞台はやっぱり神聖なんだな、と思った」
と言っていたのを思い出す。

舞台は神聖なモノだし、美は神聖だ。



でも、時折、忘れがちになる。

『美』に対しての畏怖、畏敬を。

その畏怖や畏敬はキリスト教や仏教のように『戒め』『ルール』があるワケじゃないから、忘れたとしても問題はない。
しかし、忘れてはならない事なのである。



だけど、今日の白石民夫さんの演奏は『神聖』だった。何かが降りてくる、と言うか。

白石民夫さんはいつも通りの演奏なんだけど、私はそう思った。


00年代初頭に観はじめたのだけど、その頃は音を叩きつけるような演奏だった。

真冬で、しかも雨の日に演奏していたのだけど、40分以上延々と演奏し、聴いているのは私と、当時のカノジョだけだったのだけど

「いつ、終わるんだろう?」

と思う程、長丁場だった。あの日は特に寒かった。
白石民夫さんだけが寒さなんぞ気にならない、と言った感じだった。

「すっげー!」

と思って演奏後に話しかけたら「サックスを預かってくれないか?」と言われて何故か白石民夫さんのサックスを数か月ほど預かった事があった。

返す際に新宿のファーストフード店でお茶をした。

白石民夫さんは口数が少なく、あまり会話らしい会話にならなかった気がする。その時、私は

「白石さんはサックスはやっぱり超絶技巧なんですか?」

と聞いたことがあった。思えば馬鹿な質問だが「こう言う演奏は超絶技巧の果てにあるのでは?」と思ったからである。

「いや・・・3曲くらい吹けるけど、サマータイムとか簡単な曲しか吹けない」

「練習はやっぱり物凄くやっているんですか?」

「いや・・・部屋で吹いていたら同居人が『うるさい』って言ってきて・・・。確かに自分でもウルサイなぁ、って思うし」

と、20代前半の私は思えば失礼な事を聴いたもんだ。多分、自分が興味がある事しか話さなかったからだと思うけど。


私は白石民夫さんの過去には余り興味がない。
不失者のメンバーだったとか、吉祥寺マイナーとか、私はあまり興味がない。
だから、聞くこともない。



2回目に預かったときは、私が携帯電話を止められており白石民夫さんの着信に気が付いたのは路上演奏の前日だった。
当時は3千円程度の電話料金すら払えない程、貧乏だった。
以来、私にサックスを預けてこなくなった。

そんな事がありながらも、聴き続けていた。

真冬だろうと、真夏だろうと、白石民夫さんは「世界の淵」「この世の果て」のような風体で演奏していた。
観客がいようと、いるまいと、そうだった。
まるで、何かの罪の贖罪のような後ろ姿だった。

20年前は演奏時間は1時間程だった。


それから20年経過して演奏時間は10分になった。

年々、短くなった。

だが、音は、さらに鋭い・・・何というか長い間、ずっと溜めていた音のような熟成と言うか、何というか。

鳥の声、または鳥類の求愛の歌のようだ。

どうしても『感動』と言うのを言葉に変換するのは難しい。言葉に出来ない事柄こそが「感動」なんだもの。


音楽は神聖なんだ、と言う事を再確認した。


それは、とっても大事な事なんだと思う。