2012年2月12日日曜日

KO.DO.NAの気持ち: ブレッツに帰ってきたゾうさぎべや

KO.DO.NAの気持ち: ブレッツに帰ってきたゾうさぎべや: 『KO.DO.NA&ニコ』で久し振りに出演。 で、今回の『KO.DO.NA&ニコ』は私が自発的に「やろう」と思ったユニットだった。元々は七雪ニコさんの「 ストリッパー3周年記念ライブ 」に私が呼ばれて演奏したのが切欠だった。 場所は六本木のアマンドの裏手辺りにある『鍵』と...

ブレッツに帰ってきたゾうさぎべや

『KO.DO.NA&ニコ』で久し振りに出演。



で、今回の『KO.DO.NA&ニコ』は私が自発的に「やろう」と思ったユニットだった。元々は七雪ニコさんの「ストリッパー3周年記念ライブ」に私が呼ばれて演奏したのが切欠だった。

場所は六本木のアマンドの裏手辺りにある『鍵』と言うハプニング・バーと言うか、そう言う店だった。店には拘束着だとかSM~大人な道具がゴロゴロとあり、オーナー女性も元ストリッパーだったらしく恐らく40代だったと思うが巨乳で、スタイルも良く、凄い美人だった。

其処へアンプとtpを持った私。

可也、「場違い」なイメージをもたれた。店ではビートルズが延々と流れていてバーテンをしている男性とビートルズの話をしながらビールを飲む。

で、演奏。

「場違いな奴」と言う感じだったが演奏が終わったらオーナーから「面白いから月1で演奏しないか?ギャラは出す」と言われて1ヶ月間迷って断った。

思えば「あの時、引き受けていればなぁ」と思ったのだが、その後、店は


警察の摘発により潰れていた!


ニコさんに

「あの時、引き受けていたら、どーなっていたのかなぁと思うんですよね」

と言うと

「逮捕されてたんじゃないですかね」

と言う。私の親父も警察にはよく世話になっていたし知らぬ間に留置所にいたりしていたが親子二代で留置所は嫌だ。



その後



『鶯谷ワッツアップ』と言う鶯谷唯一のライブ・バーで『KO.DO.NA+1』と言うユニットを始めた。以前は『アキヒロノミヤ・スクリーミング・キス・ハー・キス・ハー』と言う馬鹿げた

ノイズ・ユニット

をやっていた。最大15名による時間以外は全て無制限のバンドだったが飽きたので「ちゃんとやろう」と思い私と『もう一人』と言うディオ形式にした。
最初のゲストが『七雪ニコ』さんだった。ダンスの人とやりたかった、と言うのもあるしダンサーとして信用出来る人だったし。

結果は凄く良かった。

そのまま新井薬師寺スペシャルカラーズと言うイベントスペースに出演した際にまたやってみた。面白かった。個人的に凄く気に入った公演だった。




次は千駄ヶ谷ループラインカフェだった。音響系のメッカと言うかTOPの店でダンスってのが意外性がって良いかなぁと思った。千駄ヶ谷ループラインの出演者やお客さんは何故か

『眼鏡率』

が高かった。私もループラインに行くときは『伊達眼鏡』をしていたし、他の人もそうだった。

「頭が良さそう」
「論理的思考の持ち主」

と言うルックスがベターと言うか、そんな感じがした。


其処へ当日の朝まで呑み続けていてボロボロな感じで、服装も『ヤンキー』風と言うか『部屋着』みたいな格好をしたニコさんが来た時点で「今日のライブは貰った」と思った。
ステージになるとシッカリしてくれるので良いライブだった。

思えばループラインでダンス系の人が出演した、という話は聞かない。あのときが最初で最後だったのかも(分らないけど)





で、今回は『BULLETS』と言う西麻布のクラブ。最初は『蓄音機DJ』として呼ばれたのだが、この『蓄音機DJ』は非常に危険なのである。何しろ



『蓄音機DJをメインの活動としている人』



と思われる事が毎回、確実だからである。之が困るのである。確かに蓄音機は好きだけども、之をメインの活動って、どんだけ暇人やねん、って言う。

「普段からパイプ吸って、もうCDとか今の音楽とか絶対に聴かないって感じなんですよね?!」

と何度、言われたか。

今回も蓄音機DJはやるんだがライブもやる事に。



この『BULLETS』だが因縁の場所である。

初めてライブハウス以外の場所でライブをやったのがbulletsだった。その時の事は未だに忘れられない。
思えば2005年の事。

当時、bulletsでは毎月だったか2ヶ月に一度だったか「出演フリー」なイベントがあった。
『COEXIST』
と言うイベントだったのだが、他の出演者はKONNOだとかshiba with rAw and more.. とか大御所がいて、カセットテープや安物のエフェクターを使っている奴は私だけだった。

で、コテンパンに他の出演者にやられた。

「俺は井の中の蛙どころかオタマジャクシだったのか」「スタート地点に居る、と思ったらスタート地点にすらいなかったのか」
と思った。

確か数ヶ月間は落ち込みっぱなしだった気がする。


その後、『雨の海』と言うバンドのボーカルとディオで出演する話があったが何故か流れた。

次に出演したのは『うさぎべや』と言う変なドレスさんが主催するイベントだった。変なドレスさんとの初対面の時は『変なドレス』と言う名前じゃなくて普通に『本名』だったのだが気がつけば名前が変わっていた。

最初は『KO.DO.NA』で出演。当日、『トーン・ブルース』と言うバンドに飛び入り参加した覚えがある。
次は『蓄音機DJ』。この時は十二指腸潰瘍で入院中だったのだが病院を抜け出して参加。貧血と絶食中でフラフラになりながらやった覚えが(思えば蓄音機DJってこの時が初めてだった)。

今回はベストコンディション!

相方の『七雪ニコ』さんも調子が良いし、私もこの日に備えて3ヶ月前から高野山へ出家し、毎日、滝に打たれ、尚且つ近所へ托鉢と言う名の物乞いを行い、座禅を組み、雑念が多すぎる為、他の坊主から金属バットでフルボッコを食らう事108回!

スタジオに入ったら曲が出来た。

七雪ニコさんと「どんな風にしましょうか?」と相談したら

「震災後と、雨と、バレンタインとアラベスク」

と言う。凄まじいテーマである。『震災後』『雨』は分るとしても、ここで突然『バレンタイン』が入るのである。

「・・・では、そう言う気分で・・・」

と言う事で彼是とやったら曲が出来た。


素晴らしい時間をお届けしましょう・・・。

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2012/2/13(MON)

ブレッツに帰ってきたゾうさぎべや

19:00~23:00
★★★エントランスフリー★★★

LIVE>
Gola(from ITALY)
KO.DO.NA.+
http://youtu.be/2W0dBt9XwMU,
七雪ニコ(ダンス)
ミカルエレクトロニクス(CDR+RGB)
人間ドッグ・バンド+変ガキドレス朗(板垣雄一朗+変なドレス)

中継or録画出演>トーマス

β-DJ>
henna dress(変なドレス)
蓄音機DJ>KO.DO.NA

http://labbitroom.web.fc2.com/
(主催の変なドレスさんが寿命を削りながら作った当時のフライヤー券HP)


(これって、もう2~3年前なのか。時間が建つのは早い)

KO.DO.NAの気持ち: 烏賀陽弘道氏の取材。

KO.DO.NAの気持ち: 烏賀陽弘道氏の取材。: 完全にホラーだ。 烏賀陽弘道氏の取材。 https://twitter.com/#!/hirougaya @hirougaya (福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 5)「胸から下、すね毛まで毛が抜けてつるつるになった」「銭湯で隣に座ったじいさんが『おい、女みたいにす...

烏賀陽弘道氏の取材。

完全にホラーだ。


烏賀陽弘道氏の取材。
https://twitter.com/#!/hirougaya


@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 5)「胸から下、すね毛まで毛が抜けてつるつるになった」「銭湯で隣に座ったじいさんが『おい、女みたいにすべすべになっているぞ』というので気づいた」「陰毛だけは大丈夫だった」「体毛がないと肌着がくっついて気持ちが悪い」

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 4)「ずっと鼻血がとまらない。鼻をかむと今でも血が出る。たらたら垂れることもある。もう乾燥しているんだかなんだかわからない」

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話13)そうした「福島第1原発からのチリ」を浴びた町長に「それは危険なものだという認識はあったのですか」と問うと「今でも『もう終わった』と思っている」と応えた。「それはどういう意味ですか」と問い返すと「鼻血がとまらない」と言った。

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話12)福島第1原発から断熱材(?)が雪のように降り注ぐ光景を、町長は「それはそれは不思議な光景だった」と振り返る。「そういう映画にでも出てきそうな光景だった」。なすすべもなく、服についた「チリ」を手で払い落とすしかなかった。

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話11) 双葉厚生病院は福島第1原発から2キロしか離れていない。雪のように断熱材(?)の破片が降るのを、300人くらいの町職員や医師、看護師らが呆然と見つめた。町長は「これでもう終わった」と思った。

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話10) 12日「ズン」という鈍い音がした。「ああ、とうとう起きてしまった」と町長は思った。数分して、断熱材(グラスファイバー)のような破片がぼたん雪のように降ってきた。「大きなものはこれぐらいあった」と町長は親指と人差し指でマルをつくった。
@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話9) 12日、町民が脱出するなか、双葉厚生病院の前で入院者や近くの老人ホームのお年寄りをバスに乗せる誘導をしていたら、最初の水素爆発が起きた。「ズン」という鈍い音がした。

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話8) 町民はやむなくバラバラにマイカーで逃げるしかなかった。福島県川俣町が避難を受け入れることを決めたので、防災無線で「とにかく川俣町へ」と必死で呼びかけた。

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話7) それまでの毎年の避難訓練は「電源が失われたが、3時間くらいで復旧、冷却装置が作動」というシナリオだったので、まったく役に立たなかった。

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話6)「どの方向似」「何で避難する」避難指示が国や県からなかったので、役場の前の旗を見て風向きを見て逃げる方向を判断せざるをえなかった。

@hirougaya
(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話4)「町民は、過去の歴史だけでなく、将来をも奪われてしまった。これはどんな価値よりも大切なものを奪われたということです。それは東京電力の補償など絶対に追いつかない」



「これで、もう終わった」
と言うコメントが壮絶だ。終わったのは福島県双葉町だけじゃなくて、実は『全て』なんだよな。


今、ふと思ったのだけども『脱原発デモ』って可也、陽気なんだよな。非常に楽しい。
で、思い出すのは私の『初デモ体験』ってのが

イラク日本人拉致事件デモ

だったんだよな。で、キャンドルを持って日比谷野音からテクテクと歩いたんだが、可也、静かなモンで、一人だけ拡声器を持って叫んでいる子がいたけども、そう言う子は彼だけ。後方にアフリカのマリンバを抱えて鳴らしている人がいたけども


荘厳


と言うか。

『THE!政治運動!』
『これぞ市民運動!』

という感じで正直、引いた。「俺、何やってんだろ?」と思ったもんなぁ。



思うんだが『イラク問題』とか『イラク人質拉致事件』って言ってしまえば大半の人にとって

『他人事』

だったと思うんだよな。イラクって何処よ?みたいな。21世紀って911から始まったけども911以降の世界を決定付けたのはイラク侵攻だったと思う。で、あの戦争には日本も参戦していたのだけども、やっぱり

『他人事』

と言うか。だから荘厳に出来たし、綺麗(キャンドル・デモとか)に出来たって気がする。違うかも知れないけど。


で、脱原発デモに感しては個人的に「楽しく」と言うよりは、もう『恐怖』なんだよな。リアルに恐怖と言うか。『恐怖』と言う感情が持つ爆発力と言うか対極の姿勢と言うか。

例えば『在日特権を許さない会』などのカルト・グループがやるデモって、どうしても『絵的』と言うか漫画っぽい。荘厳とか綺麗、とか。
言ってしまえば、あの集団が問題とするテーマ自体が彼等・彼女達にとっても『ファンタジー』であり『他人事』なんだと思う。


原発は他人事じゃないんだよな。私の問題であり、アナタの問題である。『ある特定の人々』の問題では『ない』。