ワタミも当選と糞と味噌がついたが。
個人的には『自民党圧勝』は予想出来ていたし、日本の政治システムと言うのが『自民党専用』であるわけで(つまり霞ヶ関ってのは『エヴァンゲリオン』で、それに乗れるのは腹黒い中年男子だけ、みたいな。シンクロ率が400%を超えるとスキャンダルで降ろされる)、此れは仕方がない。
戦前は軍部が暴走して戦争だったが、自民党も戦前の軍部も変わりはしない。全ては
『民意』
である。『民の声は神の声』だ。
とは言え山本太郎が受かったのは嬉しかった。興奮して選挙事務所に遊びに行ったモンなぁ。近所だったし。
(モヒカンのボランティア)
(気の良い青年:学生らしい)
(TV局のアナウンサー)
(山本太郎氏)
(外も人が沢山)
選挙事務所は盛り上がっていた。私も盛り上がってしまう。
で
選挙事務所に居た女性とナンダカンダと話す。お互い自己紹介をすると実は
『飯塚澄子』さん
だった。この人の現役時代の写真はWEBにはないのだが実は『劇団唐組』のヒロインと言うか
『女帝』
『女王』
だった人である。
(飯塚澄子)
(「撮らなくて良いよ~」との飯塚さん)
唐組の女王だっただけに面倒な人なんだけども、在団中、私は大好きだった。
「僕、飯塚さんが好きです!」
と言ったら
「私の汚いところ、知らないからよ」
と言われたのを思い出す。其れも15年前だ。
「あ~!思い出した!」
と飯塚さん。
「何か全然、変わらないよね。あの頃も『可愛いキャラ』で可愛がられててさぁ。ズルいーって思ってた」
「可愛がられていたんですかね・・・。鳥居さんとか、久保井さんには可也、苛められましたよ」
「うそー!だって、可愛い系だったじゃん」
「鳥居さんから『黒木!あの救急車のサイレンを止めて来い!』とか言われて」
「あー!判るー!」
「今は、芝居はやっているんですか?」
「一度だ『劇団桟敷童子』に出演したけど(桟敷童子の座長は元唐組の看板役者)」
「他には」
「もう、やってない」
「で、今は主婦・・・みたいな?」
「違うけど」
「今は?」
「別に良いじゃない」
「まぁ、そうですね」
「今回は?」
「この事務所にボランティアに来てたの」
らしい。
お互い積もる話・・・はないのだけども。今はどうかは知らないが唐組は完全ピラミッド型の徹底した上下関係があり、殆どヤクザ並み。
だから入団一年目の私が飯塚さんと話す、と言うことは殆どなかった(タブーだった)。
勝手に私が「素敵!」と憧れていてただけである。
15年前・・・当時、劇団内で携帯電話を持っている人は一人しかいなかった。その一人も滅多に電源を入れなかった。
PCはウィンドウズ98かマッキントッシュだけ。インターネットって何だ?と言う状態。
唐さんも『ブルセラ』と言う言葉の意味を『青いセーラー服を着た女学生』(ブルーのセーラー服=ブルセラ)と思い込んでいたり。
今はどうか知らないが唐組の劇中音楽は全て『オープンテープ』で行っていた。既に絶滅寸前だった『オープンリールデッキ』2台使ってやるのである。
既にパイオニアからCDJがリリースされていたが、妙なところで保守的な劇団だったし、デジタル機器は旅公演の際に故障した際が怖い。アナログ機器は何とか治せるが、デジタルは難しいところがあった。
と言うか『唐組』と言う劇団はコップの種類から公演で使う機材に至るまで座長の美学が徹底されていた。
鉄管と言うか『イントレ』を使えば良いのに、唐さんが『鉄』と言う素材が嫌い、と言う理由で未だにテントの支柱以外は木製。
テクノや渋谷系が流行していても戦後の歌謡曲。
CDが普及してもオープンテープ。
劇中歌も歌謡曲調。
単純に唐さんが若かった頃の美学に変更がない、と言う事なんだけども。多分、その美学に真っ向から立ち向かったのは『飴屋法水』氏だけだった。飴屋法水氏は『状況劇場』の頃だから私は会った事がないが、当時、唐組の劇中音楽にNW~インダストリアル等を持ち込んで唐十郎と可也、対立したらしい。
それで飴屋氏は退団して『東京グランギニョル』を旗揚げするのだが。
対立はしたが、今でも飴屋氏が持ち込んだ音響素材は使われている。唐十郎が登場する際の音は飴屋氏が持ち込んだ『トム・ウェイッツ』である。
「私は唐っ子だね」
「え?」
「唐さんしか認められないし、唐さんが最高だって今でも思ってる」
「そうですね。私は今は音楽ですけど唐さんの影響は大きすぎますし」
帰り道。15年前だとこう言う風に飯塚さんに話す事は『有り得なかった』状態。
山本太郎の選挙事務所に遊びに行ったのは、私自身が始めて参加した『政治運動』である『脱原発デモ』の何らかの成果を見たかったから。
しかし、只、当選しただけで『成果』ではないのだけども。
「飯塚さんはフェイスブックとかツイッターとかやってないんですか?」
「ううん。でも、また会えるわよ」
「そうですかね・・・」
と飯塚さんは帰宅。唐組時代通りに最後まで見送る私。
何だか去り方が「やっぱり飯塚さんだなぁ」と思った。『唐組の女王』は舞台から退いても健在である。