2016年7月28日木曜日

山羊に殴られる

何故か実家の近くに『山羊牧場』がある。






『牧場』と言っても山羊なんて


  1. 食う
  2. ヤギ乳と乳加工品
  3. 革製品
  4. 悪魔を呼ぶ際の儀式用生贄



位しか用途がない。

だが、この山羊牧場の山羊は


『単に飼われているだけ』


で、何の生産性もない。『阿蘇クマ牧場』ですら『入場料を取る』と言う経済があるのだが、近所の山羊牧場は全く生産性も経済性もない。




元々、建築会社の社長が『大の山羊好き』で、いつも「嗚呼、山羊を飼いたい!山羊が欲しい!」と悶々としていた。
夢を叶える為にせっせと県から慰めのような公共事業等の仕事をして、仕事が軌道に乗り、会長職となり、時間と金が出来て漸く念願だった


『山羊を飼う』


が出来た。
最初は一匹だったのだが
「一匹じゃ寂しやろうねぇ」
と言う事で2匹となり、
「2匹じゃ寂しいやろうねぇ」
と3匹となり、
「こうなりゃ多けりゃ多い方が良いだろう」
となり、ガンガンと増やした。

時折、幼稚園や保育園、小学校から「山羊を譲ってくれませんか?」と言われる事があるので、そう言う場合は無料で山羊を譲渡する。

実家の介護事業所も山羊を譲って貰ったが
「世話が大変で、しかもメーメーと五月蠅い」
と言う理由で返却された。


単に山羊を飼っているだけでは『アレ』なんじゃないか?と建設会社の会長も思うのか、


『雑草駆除』


に山羊を駆り出してみる。
しかし、山羊にも山羊なりの『旨い/不味い』があるわけで、雑草なら何でも食べるわけではない。
しかも草の上と言うか柔らかい部分しか食べないので全く効果が上がらない。



「へー」と思い(山羊を近くで見る機会なんて余りないもんだし)、山羊を見ていたら山羊が近づいてきたので撫でた。

撫でられて山羊も御満悦な表情。


すると、雄の山羊が突然、私の腕目がけて頭突きをしてきた。
何とか腕を外すと今度は手目がけて頭突き。
此れが可也、強烈である。
金網がクッションとなったから良かったが、何もなかったらヒビ位は入ったかも?って位。


聴くと山羊と言う生き物は意外と

『嫉妬深い』
『凶暴』


らしい。

「めぇぇぇぇぇー!」
と中々、五月蠅い。
こんな生き物を統率出来るのは矢張り建設会社の社長しかいないんだろうなぁ。



山羊を撮影していると日傘を指した女性から

「凄いですね~」


と話しかけられる。


「凄いですよね」
「飼われてんです」



なんで俺が山羊を飼わなあかんねねん!

「いや、僕じゃなくて、あそこに山羊牧場があるんですよ」
「あ、そーなんですかぁ!」


と会話終了。


『山羊を勝手そうな顔』



なんだろうか。
山羊が必死にバトルをしている。山羊の頭突きは体感したが、可也の力。

①走って頭突き
②横から頭突き
③飛び上がって『ジャンピング頭突き』







等をやっている。
-
そう言えば人間社会に嫌気がさして、山羊として生きようと思った男性がいた。
何とかして山羊社会に入ることが出来たが

「人間も大変だけど、山羊も大変だ」


と言う事を実感して人間社会に戻ってきたのを思い出した。

しかし、『非営利/非生産的山羊牧場』ねぇ。

九州地方と言うのは時折、こう言う『異端』が居たりする。奇妙な土地だ。


2016年7月25日月曜日

長男の代紋

老人介護施設への慰問公演が終わってからヘトヘトになった。 


思えば風邪だったのだが。 


で、その夜は遂に 




『姉の夫に会う』 



である。姉の夫とは会った事がなく、しかし『事後報告』と言う代々続く、名家:KO.DO.NA』にはあってはならない事なのである!!! 






祖父は職業軍人として大陸を走り回り、尋常小学校卒(今で言えば中学卒業)なのに軍曹にまで上り詰めた人。 

ついでに言えば祖母の父は西南戦争で走り回った有志である!!!

父は企業家。 

母は介護事業経営者(九州と言う封建的な土地で女性経営者は数少ない) 

姉は名門西南女学院(1922年設立) 

私は私立豊国学園高等学校(1912年設立) 

妹は中卒。 


例え私の高校の偏差値が30台だったとしても、田川市の泥に塗れた血を入れるワケには・・・俺の目が黒いうちに許す事ば、出来んでごわす!!! 


しかし母親が 

「一度、挨拶はしなきゃならないでしょ?」 

としつこく言う。 



玄界灘の荒波を受けて育った九州男児だぞ? 

田川市なんて地図で見ても陸地じゃないか! 




海の男の恐ろしさを思い知らせてやる!!! 


そんなワケでシャツにアイロンをかけ、ループ・タイを装着し、髪を整え、顔を洗い、料亭に向かう。 



(厳しい顔の私) 






(料亭)

(料亭)




料亭に到着したら姉夫婦が同じくらいに到着していた。一緒に行ったのでは意味がないので、遅れていく。 

母と行くのだが「早くしなさい!」と言われるので取りあえず煙草を一服。 

中々、私が来ないので母親が迎えに来て再度、一服。 

で、部屋を案内されて場所は分かったのでトイレへ。 



そんなワケで15分くらい遅れて部屋へ。 



大御所っつーのは遅れていくものである。私が好きだった裸のラリーズも遅かったらしいし。 



で、 

「どうも」 

「あ・・・はい・・・」 

「カー君、ちゃんと挨拶しなさい!」 

「どーも」 

其処へ姉が 

「えーっと、姉ちゃんの旦那さんのT君でーす」 


と言う。なんで本人が自己紹介しねぇんだよ。糞田舎者がぁ!お前は市民かもしれないが俺は『都民』だぞ?! 


「あ、Tと申します・・・!」 

「・・・黒木一隆です」 

「初めまして・・・」 

「っふん!」 

と黒木家の威光を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なのか? 


しかし、段々と「頑固な私」を演じるのが面白くなってきて、自分で自分に笑う。 

少し話す。 


「音楽はどんなのを聴くんですか?私も姉も音楽家なので。」 


「あ!はい!音楽は・・・サザンオールスターズとかですね!」 

此れは練習してきたらしい。 

「サザンですか。あとは?」 

「あとは尾崎豊とかです」 

「ふーん」 

「ですけん、『J‐POP』とかですね」 

「・・・サザンと尾崎で『J-POP』ですか。」 

「はい」 

此処で「未だ!」と思った。KO.DO.NA一族の威光を示さなくては!!!!

「あのですね。『J-POP』と言うのは90年代中頃からのミスターチルドレン以降の音楽を指すんですよ。ですからサザンオールスターズも尾崎豊も『日本のロック』、または『歌謡曲』です。最大の違いは音作りです。ミックスダウンからマスタリングまで全く違うし、コードワークも違いますので。」 

「・・・あ、あ、はい・・・」 


と威圧していたのだが、此処でまた『甥』である。 


これまた可愛くて仕方がない。此ればかりは、どーしよーもない。 


甥っこ(9カ月)がウニャウニュと言うので母親(彼にすれば祖母だ)のもとへ。 










私の母親は典型的な毒親だったが、孫は矢張り可愛い。 


暫く母親のひざ元に居たが今度は私。可愛い。 












眠たいらしく、良く泣く。歌うと少し泣き止む。 

私のループタイを噛んだり、ヨダレを擦り付けたり。アイスクリームを少し貰って美味しそうに食べたり。 


食べる→泣く→母乳→食べる→泣く→あやす→食べる→泣く→母乳→あやす→脱糞か失禁 


「お前は究極の消費者だねぇ」 

とマルクス主義の私は言う。 



子供の前では大人は無力だ。 










「いやー、でも『尾崎豊』と言って否定しないから楽です。理恵さん(姉)は『尾崎とか好かん!!』と一刀両断ですから」 
「鼻歌を歌っていても駄目だしがあるんですよ・・・。音程が違うとか」 
「ですけん、最近は理恵さんが作った曲を歌わされとるんですよ」 


と中々、大変らしい。 

あとで聴くと『酵素玄米』なんぞを食べさせられているらしい。 


母曰く 

「姉色に染められている」 

だそうで。 


夫と同席している姉を見ると、姉は夫には厳しい態度。思えば姉は交際する男性には常に厳しい態度である。 

交際するまでは声を半音上げる、と言う乙女なのだが一発やると厳くなる。 


『釣った魚にはエサはやらん!』 


と言う事なんだろうか。だが、子供は可愛い、可愛いと言う。 

「可愛いぃ〜。天才やと思うわ」 

と言う。だが、妹も子供がいるが 

「チカの子供の方が遥かに可愛いし、天才」 

と言う。聴くと母親も幼い頃の私を 

「天才」 

と言っていたらしい。 


母親と言う生き物はそう言うモノらしい。 


夫とはあまり話さなかったが、子供は抱っこしっ放し。駄目叔父。 


大人は常に無力だ。



2016年7月24日日曜日

長男ブルース

今日の仕事は辛かった・・・




と言う出だしで始まる曲が『山谷ブルース』である。曲を聴くと「何処がブルースやねん」と言いたくなるような

『自作自演演歌』

でしかないのだが、ブルースらしい。

1968年リリースだからアメリカのブルースは紹介されていたはずだが(SP時代ですら既に日本に入ってきてる)、岡林信康は「ブルースだ」と主張する。

思えばロック界最大の極右だった『中村とうよう』も山谷を訪れた際に「この地から日本のブルースは誕生する!」と豪語していた。




日本人にとってのブルースは「辛い事」なのであれば、帰省している私なんてジョン・リー・フッカーも裸足で逃げ出す程、ブルースだ。



2年前。


デンマーク・ツアーから帰国して何故か音楽的に完全に燃え尽きてしまい、精神的にも燃え尽きてしまい、仕事もグチャグチャで、何故か帰省した。


上京以来、初めて三カ月もの帰省期間だった。


で、だ。


帰省した処で郷里の友人がいるワケでもないし、学友達は恐らく99%は結婚しているか、離婚しているか、子沢山か、親の家業を継いでいるか、はたまたヤクザになっているか。

九州なんぞ、そんなもんである。

高校時代に

「ロックで東京進出!」

とか

「プロレスラーになる!」

とか

「漫画家になる!」

とか

と連日のように豪語していた学友達が上京した、と言う話は聞いたことがない。プロレスラーになる!と豪語していた門司区の番長は親の家業(電気屋)を継いだ。


九州に限らず全国の地方と言うのは、そんなもんだろう。


多分。



岡林信康も言っている。

『姉は淫売。妹は芸者。末のちょろまつ博打うち。兄貴は卒塔婆の骨拾い。おいら上野でモク広い。こんな一家にだれがした?」


で、だ。


今日は可也、辛かった。



2年前に帰省していた頃に母親の介護施設で2か月程働いていたのだが、最後にちょっとしたレクレーションと言うか、プレゼントでトランペットを吹いた。

80歳以上のボケ老人ばかりで、JAZZとは縁遠い人達である。

終戦直後にラジオからJAZZは流れていたかもしれないが、メインはキャバレーであり、夜の音楽である。

バップとなると、其れこそマニアックな音楽だったはず(北九州はJAZZの街だった。仕事が終わったJAZZマン達が『クロンボ』と言う店でミントン・プレイハウス的にジャム・セッションをやっていた。当時としては先駆的にフリージャズ等もやっていたらしい)。

一人、スナックのママをやっていた、と言う女性がいて、その人がJAZZが好きだっつーので、吹いただけである。

処が私が勤務の日にいなかったので、その老婆がいる入居型施設に行って吹いた。

泣きながら喜んでくれた。



で、今回。


そんな感じでテキトーに言って、働いていた頃の人とか通所の老人と話そうかと思った。で、ツマミ的に演奏、と。


だから、ラフに・・・と言うか。


曲は数曲程度で、まぁNさん(JAZZが好きな人)が喜んでくれれば良いか、と言う程度で。
だから時間も遅れて行った。

然し、何故か家族からの催促が凄い。

起きて渋々と行く。

「遊びみたいなもんなんだから、テキトーで良いだろ」


と!こ!ろ!が!



『グループホームげんきさん』


に到着したら愕然とした。椅子や机が整理整頓されており、ステージとなる場所があるのである。




皆、ステージを前にボンヤリと待っていたらしい。



「は・・・?は・・・?」


と言う感じ。完全に慰問公演だったら1週間前から練習していたし、博多区へセッションに行っている場合じゃなかったんだが。


愕然として、出るはずもない汗がタラリタラリと出る。


言語能力が桁外れに劣る叔父が(色々とあり介護従事者として最低の出来の叔父が管理者)

「へぇーっと。ニューヨークとソウルと・・・どこやったかね?」

「え?え?え?」

「どこやったかね?」

「で・・・デンマーク」

「デンマークでも活躍する、世界で活躍するクロキカズタカ君でーす!」

と紹介される。





もう、死にたい。



で、やった曲は確か


①上を向いて歩こう(JAZZアレンジ)


②オー・シャンゼリゼ


③聖者の行進


④オーバー・ザ・レインボウ


⑥アイ・ガッタ・リズム


⑦モ・ベター・ブルース


で、終わって「やれやれ・・・」と思っていたらテンションが高い介護職員が

「クロキさんは普段はバンドで彼方此方回っているんですか?!」

と言う。

「いや、一人の場合が多いです」

「普段はどういう音楽をやっているんですか?」



普段、どういう音楽って・・・。俺だって知りたいよ。
何らかのジャンル・・・強いて言えばノイズ~アンビエントなんだろうが。

だが、『アンビエント・ミュージック』『ノイズ・ミュージック』と言う言葉が通じるとは到底、思えない。

何故かコンサートになっている事に愕然としている事に動揺が収まらない。


「えーっと・・・現代音楽とかフリージャズとかですかねぇ」

「ではぁ!!!その『現代音楽』と言うモノをやっていただけないですか?!」


と言う。

「はぁ????」


現代音楽って・・・『4分33秒』とかラ・モンテ・ヤングとかトニー・コントラッドとかやるのか?
またはアクセル・ドゥナー的な奏法とか?

どう考えても老人介護施設で演奏される演目ではない。

「いや、現代音楽は無理ですよ!」

「じゃあ、フリージャズ・・・で良いんでしたっけ?」


「では、黒木さんに『フリージャズ』を演奏していただきますー!」


と音楽的な教養が無知と言うか、教養以前にアホが叫ぶ。


「ええええええええ???」

「じゃ、カー君。3分で終わって」


「いや、終わるけどさ・・・」



仕方がないので

「えーっと・・・普通、JAZZってテーマがあって、アドリブがあって、テーマに戻るって言うものなんですね(少し吹く)。で、そう言うモノが全くない、っていうJAZZが60年代にありして・・・ちょっと、それを・・・ですね。まあ、騒音かも?です」


と言って、ジョン・コルトレーンの『アフロ・ブルー』を吹いた。






でも、この曲って当時のコルトレーン・カルテッドだから成立した曲なんだよな。ソロ曲じゃないし。

とは言えテーマを吹いて、後は「ビー!バー!ぎゅらぎゅらラララ!ビー!ピー!」とやる。


皆、「????」とポカンとしている。



私としてはNさんと言う人の為に吹きに来たのであって、なんか慰問公演みたいなモノではないと思っていたので唖然である。


ってかNさんは2年前に帰る際に「また来年来ますね~」と言った。大体、老人なので2年ももつまい、と思っていたし、そう言う文句が老人は喜ぶ。

だが、帰ってこないので

「あの人は帰ってくるって言っていた!あの人のトランペットを聴きたい!あの人は帰ってくる、と言ったのに帰ってこない!」

と言っていたらしい。もう、私が現れただけで号泣。吹いたら号泣。


で、Nさんが「隣にも聴かせたい」と言う。隣ってのが『おたがいさま』と言う鉄板ボケ老人(自分の名前すら言えるかどうか怪しいレベル)専用の施設へ連れていかれた。

で、其処で3曲・・・って言うかボケが酷いのか、ボケ老人に出される精神薬が効き過ぎているのか、皆、フジツボの如く

「・・・・」

となっている。ある意味、置物のようである。

其処で3曲。


スタッフが「なんか古い曲とか出来んとですかね?『ウサギ追いし』とか『海ゆかば』とか」とか言いやがる。

「出来ません」

と言って三曲ほど吹いた。



で、次は母親が直接、催促に来たほど。


『げんきさんⅡ』


と言う通所型施設でも演奏なければならない。


暑かった、と言っても九州の暑さは心地良い暑さなので問題はないが個人的に

『突然の出来事』

なので、既にスタミナ切れ(実は『げんきさん』でハイトーンを出し捲った)。


行くと

「もう、皆、待っちょうって(皆、待っています)」

とせかす。


で、『アメイジング・グレース』を吹きながら登場(サービス精神)。


見ると矢張り、こう言う感じに作られている。






愕然とする。で、相手はJAZZの『じ』の字も知らない老人達である。意外と老人達の半生は激動の時代なので面白いのだが(戦前~戦中~戦後史に詳しければ凄く面白い)、そういう感じじゃない。

で、頑張って演奏。

①上を向いて歩こう

②聖者の行進

③オー・シャンゼリゼ

③オーバー・ザ・レインボウ

④モ・ベター・ブルース

⑤マイルストーン

⑥サマータイム

とか演奏した気がする。


『オー・シャンゼリゼ』を演奏したら、通所者がオイオイと泣く。話を総合すると

「終戦直後、シャンソンが流行った。管楽器をやりたかったが高くて買えなかったからギターを弾いていた。管楽器は良い・・・!『オー・シャンゼリゼ』も良い」

だそうで。

確か戦前の金管楽器って『日本管楽器』と『トーカイ』がメインなのだが、今の経済価値にすると30~40万円。
後にヤマハが名器を作りまくるが、其れでも20万とか。

ギターが流行った理由ってのは「安いから」だったのかもしれない。


その泣いていた老人は常に気難しく、五月蠅く、扱いにくい人だったらしい。


介護スタッフが

「あら!かつきさん!涙流して感動やねー!!!」

と言うと

「これはヨダレ」

と言っていたが(実際に感動して泣いていたらしく『ヨダレ』は照れ隠しだったんだとか)。



正直、ミスが多く・・・処の騒ぎじゃなくて、何て言うかカラオケボックスに行ったらアリーナで満員御礼のステージで歌わなきゃならない、みたいな。

焦るよ。やっぱり。



姉(施設長)は「いや、フランクにやるだけなんで・・・」と言ったらしいがスタッフが「いや!ちゃんとします!」みたいな。

私が施設長の弟で、オーナーの一人息子ってのもあったんだろうが。


あと、手拍子が凄く邪魔だった。


此方は曲名も言わずにつま先で「1、2」とやってんのに、勝手に適当な拍子で手拍子をやられる。

曲に集中出来ないし、邪魔なんである。


だが介護職ってのは『盛り上げてナンボ』である。


可也、疲れた。


喜ばれた事は事実だが、あんな演奏で喜ばれるのは気持ち的に複雑である。

母親が

「終わった?手当を出さなきゃねぇ」

と言うので

「俺は正月は帰れないだろ。だから姪と甥の御年玉に使って。で、姉はさて置き妹は何か使いそうだから貯金させろ」

と言っておいた。


BGMは岡林信康。

この曲は結構、ブルースしている気がする。




2016年7月23日土曜日

北九州市と福岡市

今日は車を飛ばして博多区まで。





福岡県と言っても広いもんで北九州市と福岡市までは高速道路を使って1時間半かかる。

新幹線だと20分だが、地方都市の悲しさか、終電が早いので車の方が楽だ。もっと言えば車の方がコストパフォーマンスが良い。



車の運転は嫌いだが。



都内に慣れてしまうと


『移動するのに此方が何らかの操作をしなければならない』


と言うのが煩わしい。地下鉄やJR、私鉄だと此方はボンヤリしていれば良いが田舎は違う。



博多区まで行ったのは、私が嘗て所属していた『大耳ネットワーク』と言うグループのセッションに参加するためである。


久し振りの高速道路。


で、サービスエリアで友人が「かるかん(宮崎だか鹿児島の名物)が欲しい」と言うので買った。

29日が賞味期限。

で、車を借りているので母親にお土産。



再度、博多区へ車を飛ばす。




軽自動車なのでナビが付いてない。iponeは本当に役に立たない。あとは土地勘だけだが、博多区に3年住んでいたが、20年も経てば風景は様変わりだ。



思えば20年前。



私は女性経験は1人か2人。
オナニーは毎日。
体重は45kg(現在60kg)。
主な交通手段は自転車。
メイン楽器はシンセサイザーとトランペットとディジリドゥ。
趣味はレコード漁り。
トランペットの演奏は酷いなんてもんじゃなかった、
芝居も下手だった。


で、音楽をやりながらも主催者が『劇団仮面工房』と言う劇団の主催者だったので(当時で既に過去形だが)3人or4人の小規模な公演をやったり(その経験を得て別役実や不条理演劇を学んだ)。

この主催者は私の師匠に当たる人で、この人から学んだ事は国会図書館よりも多い。

あとは唐さんか。


音楽畑にいる分際で師匠が演劇畑ってのが変だが。



だから、顔を見に行くと言うか。そんなニュアンス。



姉がブラジルの『スルド』と言う太鼓(ドラムセットのベースタムに近いが倍音が多い)を実家に放置しているので、其れとトランペット。


最初のセットはipad2とパーカッション。私もスルドを叩いた。慣れない打楽器なので難儀したが。

次のセットではTPを吹こうかと思ったが、やはりスルド。バイオリンが居たこともあるし、他のメンツがプログレ的なアプローチをしていたから。

この『大耳ネットワーク』は福岡市内で殆ど唯一と言っても良いほどの『プログレ系』である。




ブルース~ファンクと言った黒人音楽がメインの西日本では珍しい場所でもある。



だから2set目はプログレ感だった。



最後のセットでTPを吹いた。まぁ、吹いたと言ってもアクセントに近いが。トランペットと言う楽器は事情がない限り、



吹かなければ吹かない程、良い楽器



である。



ちょっと頭がおかしい(精神病院入院歴あり)、テラダと言う若いギタリストが来ていたが、傍目に頭がおかしい。

だが、ギターを持つとこれまた芳醇な音を出す。

なんと言うか惹きつける音を出す。

ニュアンスとしては『チャーリー・クリスチャン』に近い。



アタックや使っているモードはバップ直系。


だが、後で話してみたら「ソフトマシーンみたいなモーダルな音楽をやりたい」と言う。
しかし、ギターはホンっと素晴らしく、此方は完敗ですよ。東京に連れて帰りたいほど。


私はTPを控えめに・・・と思うのだが、此ればかりは当人では分からない。少なくともミスは4回あった。






終わってから皆でガヤガヤと話し、帰宅。





福岡市はやっぱり良いなぁと思う。

だけども再度、住みたい場所じゃないな、って言うか。


で、車で帰る。


福岡市は栄えており、ニュアンスとしては、こんな感じ。








福岡市はやっぱり良いなぁと思う。 

だけども再度、住みたい場所じゃないな、って言うか。 


で、車で帰る。 


福岡市は栄えており、ニュアンスとしては、こんな感じ。 

















こんなに栄えており、ブスとブサイクしか居ないとは言え栄えている。 


で、高速道路を降りて北九州市となると、この有様だ。 










もう、葬儀屋と介護施設しかない。全体的に『老いた街』である。 


じゃあ、この老いた街をどうにかするか?と言えば、正直、機を逃したと言うか。ヤクザ絡みで商業都市に移行出来なかった為、ヲタの街になった。 


①覚醒剤 


②アニヲタ 


③ヲタ 


④殺人 


⑤老人 


⑥助さんうどん 


此れが北九州市と言うものである。 



『墓場』の存在意義が未だに理解出来ないのだが、墓場は団地状態で作られている。 


葬儀場は連日、フル稼働。 




「こりゃ、誰もが出ていくわけだ」 



と思う。 



自然と言うか昭和的な自然が残っていて美しい街なんだが。 



難しいねぇ・・・・