2016年12月24日土曜日

FM川崎:カフェボン!


私が所属するHAIGANに、こう言うメールが来た。

所属と言ってもメンバーは流動的で、演奏開始3分前にメンバーになった人もいれば当初からのメンバーもいるし、一回しか参加していないメンバーもいるし、色々である。

HAIGANの面白い点は『グラインドコア』と言うジャンルに属するはずが、メンバー誰一人として『グラインドコア』をメインでやっている人がいない、と言う処である。一応、グラインドコアは教養としてハードコア・パンクと同じように通過はしているが、メインではやってない、と言うか。
私の『KO.DO.NA』も基本はソロ演奏で、グラインドコアではないし。

其のへんが、面白いユニットである。




其処へ、FM川崎からメールが来た。

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お世話になります。
FM川崎のインディーズ音楽番組を制作する
カフェボン!の松下と申します。

この度ご連絡を差し上げたのは、
私共が作る番組内で音楽アーティストがレギュラーを持つ
『インディーズアーティストコーナー』
の参加の募集に関してでございます。
http://caffebom.com/radioart

現在も赤坂ブリッツでワンマンを行うアーティストや
メジャーで活躍が決定しているアーティストなど数10組以上の
アーティストに参画していただいております。

※コーナー例(音量にお気をつけください)
■ALLaNHiLLZ
http://caffebom.com/guest2/allan7.mp3

■TokyoNoel
http://caffebom.com/guest2/noel7.mp3
※個性が強いので心臓の弱い方は
お気をつけください。

当番組の特徴はそれぞれのアーティストが

【自由に企画し自由にコーナーを制作できる】

バンドの個性や、想いを思う存分、
リスナーに届けることができます。
そしてプロモーションができます。

※過去参加アーティストの中では
ラジオ開始からきっかけが広がり
ポエムリーディングのお仕事・メジャーへの
活動発展などの幅を広げた方もいます。

■■■■募集要項■■■■
http://caffebom.com/radiobosyuu
■■■■■■■■■■■■■

もし一生懸命音楽活動されていて、

○もっと活動の幅を広げたい
○メディアを使って継続的な宣伝がしたい
○バンドの個性を自由に電波で届けたい

という思いがある方は是非返信お待ちしております。

※2~4月開始の3組募集でございます。

それではご不明点等ございましたら
お気軽にご質問くださいませ。

確認の程よろしくお願い致します。

FM川崎音楽番組レギュラーコーナー担当アーティスト募集
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ラジオ番組を持つってのは面白いかも知れないな、と思ったのだが「インディーズ」と言うのが抽象的過ぎる。HAIGANはCDを出しているワケでもないし、何処かのレーベルに所属しているわけでもない。

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メッセージ有り難うございます。
HAIGANはメンバー不定形のグラインドコア・ユニットですが(半ば固定メンバーは存在しますが)、インディーズと言うのは、どう言う括りでしょうか。
私達はまだ音源などを発表していません(音源→プレスされ、流通しているCD等)。
興味深い内容ではありますが、如何でしょうか?
YOUTUBEに(HAIGANのページにも)音や映像はあります。
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と返信。


すると、2日間ほどしてから返信が来た。

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ご連絡ありがとうございます。
カフェボン!松下です。

頂きましたご質問でございますが、

>インディーズと言うのは、どう言う括りでしょうか。
→「現在も音楽を継続されていて音楽で自分達で発信している」
抽象的ではありますが、そのような括りになります。

>グラインドコア・ユニットですが(半ば固定メンバーは存在しますが)、
→固定メンバーがいれば大丈夫です。

>私達はまだ音源などを発表していません
→音源が無くても大丈夫です。

>興味深い内容ではありますが、如何でしょうか?
→YOUTUBE等々拝見させて頂き、HAIGANさんにとても個性を感じました。
私共も興味をもっております。

その他ご不明点ございましたら、
お気軽にご質問くださいませ。

確認の程よろしくお願い致します。
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なんじゃい?こりゃ。って言う内容である。

『→現在も音楽を継続されていて音楽で自分達で発信している』
『→音源が無くても大丈夫です。』

って、ほな、うちじゃなくてもエエやんけ、って言う。胡散臭い事この上ない。思い出したのが『不要品回収のトラック』である。または竿竹屋。

不要品回収と言う事で呼ぶと、

「えーっと、パソコンだと5千円ですね」

と言ってくる、アレだ。何処か詐欺臭い。

で、FM川崎のインディーズ音楽カフェボン!のページをよく読むと、何故かノルマがある。

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①ショート(4ヶ月間)
・ラジオを準レギュラーとして4ヶ月間放送(月1回放送の4回)
●条件→約2ヶ月に1回ライブ出演ペース (半年間で計3本)

②スタンダード(6ヶ月間)
・ラジオをレギュラーとして6ヶ月間放送(月1回放送の6回)
・当番組サイトでもバックアップ (バックナンバー等々)
●条件→約2ヶ月に1回ライブ出演ペース (8ヶ月で計4本)

③がっちり(8ヶ月間)
・ラジオをレギュラーとして8ヶ月間放送(月1回放送の8回)
・当番組サイトでもバックアップ(バックナンバー等々)
・継続希望の場合優先的に継続
●条件→約2ヶ月に1回ライブ出演ペース (約9ヶ月で計5本)
※ソロアーティスト5分・ユニット7分・バンド8分放送(すべて)

イベントは以下のような条件になります。
※2017年度より平日夜のイベントも開催予定

■ソロ
2,000円×12枚(以降100%チャージバック)
機材費:一律2000円
持ち時間:25分(転換別10分)
※土日祝のDAYイベントになります

■ユニット
2,000円×14枚(以降100%チャージバック)
機材費:一律2000円
持ち時間:25分(転換別10分)
※土日祝のDAYイベントになります

■バンド
2,000円×16枚(以降100%チャージバック)
機材費:一律2000円
持ち時間:25分(転換別10分)
※土日祝のDAYイベントになります

以上を満たせる方であればOK!
お気軽にお問い合わせください

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何故かノルマがある。ノルマと言うか、ショートだとしても三回のライブがあるので、ノルマとしては『2000円☓16枚』である。しかも機材費が2000円。

何故か頭に来た。


私はHAIGANのリーダーではないし、勝手に広報担当をしているだけだが、可也、頭に来た。


そもそも、ライブハウスのシステムって90年代から『ノルマ制度』によって成り立っている。だが、00年代頃にライブハウスの『ノルマ制度』に異議を唱えてカフェでのライブだとか、ライブハウスではない場所でライブをやったり。

で、ライブハウスのノルマ制度、それと観客への過度な金額の請求(水で薄めたビールを700〜800円とか)で最近のライブハウスは閑古鳥だ。そう言うノルマ制度と観客への過度な金額請求での音楽は成り立たなくなって来ている。

音楽を最も消費する年齢層が貧乏って言うのもあるし、バンド側もそう言ったノルマ制度に疑問を持っているし。

吉祥寺の『曼荼羅』って(曼荼羅2は知らないが)4〜5個の出演者だとして2500円のチケット・ノルマで25枚と言う。これは曼荼羅のスタッフから聞いたので間違いない。
ただ、このノルマ制度を4つの出演者がノルマをクリアした場合、観客の大半が『店に入れない』と言うことになる。
オーナーが確か創価学会なんだが、創価学会的にこれはOKなんだろうか。

実際に渋谷屋根裏でノルマを達成したどころか、バックが出る程の集客を果たしてしまったバンドは「観客が入れない」と言う事態になり、店側が観客を帰らせた事がある。

だから、ノルマ制度は現実を度外視した数字となる。


HAIGANはスタジオに入ったことは無いが、このFM川崎の松下貴紀氏はスパム・メールの如く同様のメールを送っている。

HAIGANで普段はアイリッシュ音楽をやっている人の元にも来たんだとか。

「youtubeを拝見しています」

とあるが、観ているはずがない。


脳裏に『搾取』と言う言葉が浮かんだ。



音楽、バンド、ロック、メジャー、インディーズ、その他諸々。


この辺って、ホンっと金にガメつい連中が巣食っている。やっている本人ではなく、近づいてくる連中である。

上記のようにライブハウスは閑古鳥なので、ライブハウス側が殿様商売出来る時代は終わったけども(渋谷屋根裏部屋も潰れたし)、「ライブハウスで頑張ればメジャーデビューして、音楽で食っていける」と夢見る少年少女が未だに・・・私の想像を遥かに超える人数が居る。

で、そう言う夢見る少年少女なり、中年達を食い物にしよう、って人は多数居る。


その様子は『開発』の名の元に発展途上国に進出し、その国やその地域の人達を食い物にするグローバル企業と大差がない。大差がない、と言うよりは構造としては全く同じだ。


よしんば、このラジオに出演してノルマを払い、ライブハウスでもノルマを払い、練習スタジオでも多額の費用を払い、機材を揃え、CDをプレスし・・・と音楽を演奏する人達が最終的に音楽を演奏出来なるのは、このような経済的な出費が大きい。

勿論、メンバー同士の仲違いや、結婚、出産、就職と言ったモノもあるが、言ってしまえば『結婚、出産、就職』したら音楽は出来ないんですか?って思える。しかし、「出来ないんですよ」と言ってくる連中が如何に多いことか。

「続けたいなら金払え」

って言う。


このメールを送ってきたFM川崎、カフェボン!の松下貴紀氏もバンドをやっているらしい。


彼は周辺から搾取するために音楽をやっているんだろうか。

ギターを買って、アンプに接続して、スイッチを押した時に感じた感動は「これで売れてない奴等から金を吸い上げる事が出来る」だったんだろうか。

彼はピラミッド構造のTOPグループに入るためにバンドを続けているんだろうか。



音楽は技術職だ。演奏、作曲は金銭と等価でもある。


だが、技術職と言うだけなら町の豆腐屋と変わらない。技術職としての音楽家も居れば、そうではない音楽家も多い。スタジオ・ミュージシャンも青色吐息だが、彼等は好きな演奏をしているから金銭が発生しているワケではない。要求された演奏を、その要求通りに演奏するから金銭が発生するだけである。


『好きを仕事に』

と言う派遣会社のキャッチフレーズがあったが、派遣会社が社員の給与からピンハネすることで成り立っているように、FM川崎のカフェボン!も『売れてない』『夢見る』連中からピンハネと言うか。

最初のメールでノルマの話をしないのは、上手くやっているよな、と思う。これで勘違いするバンドマンや音楽、パフォーマンスが好きな子は大勢居るだろう。

だが、である。


「メジャーデビュー」と言っても、これが『バンドすごろく』の上がりではない。メジャーデビューした処で、数年間を音楽で食えるワケではなくエイベックスグループが『アルバム単位』での契約なので、アルバムが〜枚売れなきゃ、契約更新はないですよ、って言うパターンが今の状況だ。

だからメジャーデビューってのと、インディーズのどちらが良いか?って言えばインディーズのバンドがライブハウスで手売りでCDを売るほうが取っ払いだから実入りは良い事になる。



そう言う内容を返信した
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残念ですが、上記の内容では此方は御社のラジオに出演は出来ません。
そもそもライブハウスでもノルマを払い、スタジオでもノルマを払い、ラジオでもノルマを払い、そして御社のラジオにもノルマを払い、って言うのは如何なモノでしょうか。
『搾取』と言う言葉が適切かと思います。
松下様も音楽をやられているのであれば、同じだと思うのですが「音楽を仕事」にする姿勢は間違っていないと思います。演奏家、音楽家と言うのは職業ですから。
しかし、音楽家、演奏家が『若手』や『売れてない』モノ達から搾取する構造と言うものに松下様が違和感を感じていない、と言うのも如何なモノか?と思います。
インディーズ・アーティストを支援する、と言う名目で搾取、と言うのは発展途上国を開発と言う名のもとに搾取する大企業のような構造と全く同じです。
ハードコア・パンク、ノー・ウェーブ、グラインドコア、様々な音楽がありますが、どうしても国内ではファッションと言うか、スタイルには至たらない人達も大勢います。
しかし、私達は其のような『バンド〜アーティストの搾取構造』に激しくNOと言う姿勢です。
松下様は仕事として、このようなメールをアチコチに送っているのでしょう(同じメールを受け取ったメンバーもいましたから)。
松下様がエレキ・ギターを手にしたのは、ピラミッド構造の中で搾取するために手にしたのでしょうか?。
自分も搾取されたのだから、他の人達も搾取されるのが当然だ、と言う事なのでしょうか。
少なくとも私達は誰かから搾取する為に音を出しているワケではないのです。
ご理解ください。
ご連絡有り難うございました。

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で、今日、確認したら松下って奴からアクセスブロックになっていた。なっていた、ってかバンドのコミニティなのでアクセスブロックって可能なのか?って気もするのだが。


「山師みたいな奴だったな」

と思った。

2016年12月17日土曜日

この世の片隅に


今日は5年ぶりに映画館に行った。



友人が劇団の公演が近い事もあり、ストレスが溜まっているので、其れで映画はどお?って言う。

観に行ったのはコレだ。








          
                 【この世の片隅に】



もう、傑作中の傑作。

実は連載中に原作をある程度、読んでいたのだが劇場版も文句なしドコロか100点満点中、120点!!!

100点は原作の良さとリサーチと映画としての完成度、当時の生活や行動、振る舞い等の入念なリサーチ。
残り20点は主人公が原作者である「こうの史代」さんがモデルになっている処(長谷川町子のエピソードも入っているが)。

原作者の視点で書いているので、其れが現代的になっている。


これは役者を使ったら出来なかった映画だ。アニメーションだからこそ、である。

私自身が『こうの史代』のファンってのも大きい。

まぁ、ストーリーを書いても仕方がない。


眠たいから続きは後にするとして、映画のテーマ・ソングが『コトリンゴ』と言う人の



『悲しくてやりきれない』









である。原曲はフォーククルセイダーズだが、私が好きな曲。だが、これまで勘違いしていた。

「ったく、悲しくてやりきれないよ・・・嗚呼、死にたい」

と言う絶望的な曲だと思っていたのだが、実は悲しみと喜びは表裏一体なんだよな。


悲しめるって事は、悲しめるほどの精神的な余裕があるんだよな。

悲しいから、次に行けるんだよな。
やりきれないから、やれるんだよな。


だから、あの曲は戦前ブルースに限りなく近い。戦前ブルースも

「俺の女が出て行った。でも、俺にはブルースがあるさ。なんとかなるさ」

って言う。自分の境遇や馬鹿さ加減を笑い飛ばすって言う。


感情は常に表裏一体。

美しいって事と、恐怖は同じ。
怒りは喜びだし。
楽しい事は悲しい。
悲しい事は楽しい。
恋は憎悪。
愛は憎しみ。
優しさは殺意。

SFとかで「コンピュータが感情をもってしまい」って言う設定があるのだが多分、量子コンピュータが実現しても、人間がもつ、この奇妙な感情は作れないと思う。



この映画をヒトコトで言えば「生きる」なんだよな。だが、『風立ちぬ』が「生きねば」だけども、其れはテーマでしかなく、例えば『ブラック・サバス』のテーマが「恐怖とロック(ブルース・ロック)」だけども、それは大雑把なテーマでしなく、曲はポリリズムを多用した超絶技巧と理論的な構築で、恐怖ってワケじゃないように。


『曲馬館』と言う劇団があって、70年代後半の劇団なんだが新左翼華やかしり頃の劇団で、それを観た人曰く、「どう言う劇団だったか?と問われれば『ヒロヒトを殺せ!』です」と言っているのと同じだ。


『風立ちぬ』

『この世の片隅に』


と此処数年だけで2本もアニメーションと言う手法で「生きる」「生き続ける」と言う事がテーマになっている。

日本人にとって、生きる理由は見当たらないが『死ぬ』理由は沢山転がっている。だから皆、死にたがる。
年間自殺者が3万人を切った、と言うが警視庁が「自殺」と判定するのは遺書があるとか、露骨に自殺だけで、あとは「不明」だから、やっぱり3万人なんだよな。電車に飛び込むのも「事故の可能性」って事で自殺にはしないんだから。



生き続けるしかないんだと思う。



私は何度も自殺を考えた事があるし(考えたことがない人はいないと思うが)、自分が生きる意味ってなんだよ?って思う。

其れは音楽の為であり、自分の音楽を行うために生きている。

食えもしない音楽の為に。

たかが、音楽だが、それだけの為に生きざるを得ない。子供がいれば別かも知れないが、現状はそんな感じ。
もしかしたら子供がいても、そうかもしれない。


仏陀が死ぬ間際に弟子のアーナンダに

「この世は闇だ。仏法は、それと照らす松明だ」

と言ったらしい。闇を払拭するワケではなく、足元を少し明るくする程度だ。


音楽ってなんだろう?って思う。

音楽をやる、ってなんだろう?って思う。

仏陀が言う『闇』の中を松明も持たずに突っ走る事だと思う。

生きるって何だろう。

美しいモノ、そして其れに伴う恐怖と戯れる事・・・なのかも知れない。

生きるって難しい。


だけども夜空を見上げれば星は光っている。落ち葉が街を彩る。
星空の中に飛行機がキラ・・・キラ・・・と輝きながら消えていく。
トランペットを吹けば寒空の空に向かって、月の裏側まで飛んでいく。


「生きる」って普段だと実感し難い。


でも、生きるって・・・・


言葉は口にした途端に腐る。これ以上は書くのは止そう。

2016年12月13日火曜日

サザエさん

『サザエさん』は、当時の女流漫画家のTOPだった長谷川町子の風刺漫画だったが(原作は戦後問題だとか領土問題、政治的である)、それでも可也の苦労だったらしく、一作書くごとに姉に読ませて、姉が3分間笑ったらOK、としていたんだとか(長谷川町子の姉は落語マニア)。




で、風刺的で面白い、って言う微妙なラインに疲れて「ストレス発散」に近い状態で連載され始めたのが


『いじわるばあさん』







で、この作品には政治問題だとか風刺的なニュアンスは消え、只管(今であれば確実に連載中止なほどブラックな)笑いを追求。



私が子供の頃(鹿鳴館が建設され、黒船が来て、母は中山製鋼所:棒線工場で働き、父は東京タワーの建設作業員として働き、姉は芸者、妹は上野駅周辺でモク拾い。叔父はヒロポン中毒が高じて特攻隊で出撃する為、レイテ島沖にて訓練していたが、同期の水木しげるの裏切りにより米兵のサブマシンガンで脳髄を破損。南方で軍医から荒っぽい治療を受けている最中に原爆で両親は死んだ)は青島幸男が主演の『いじわるばあさん』を、其れこそ腹を抱えて笑い転げていたが、原作を読んだら更に面白かった。

『ハードコア長谷川町子』

と言うか。


ってか、『サザエさん』も政治的な漫画だったワケで、あれが朝刊で連載されていたってのが凄い。
今だったら連載開始で秒速で連載中止だろうな。
『暮らしの手帳』すら政治的だった時代だ。



そんな『磯野さざえ』だが、実はマスオさんとはお見合い結婚である。
何しろ戦前なので『自由恋愛』なんて、とんでも無い話だった時代である。
まぁ、戦後の昭和40年代まで結婚はお見合いが6〜7割だった位で。
だから誰も「リア充爆発しろ」等とは言わない。
『一億総リア充時代』
だったワケである。
「30歳まで童貞だと魔法使いになれる」
とか誰も言わない。皆、20代で魔法使いになるためのチケットを失っているのである。


思えば今年のクリスマスは山下達郎が言う
「ひとりきりのクリスマス・イブ!/ぅぅぅぅうぉー!!!!」
である。
大昔は大抵、良い時代である。



で、サザエとマスオがお見合いをした場所が北九州市民がこよなく愛し、そして誉れである

『小倉井筒屋』

なんである。
北九州市民にとって『ルイ・ヴィトン』『コーチ』『ブランド品』と言うものはパリではなく『井筒屋の商品』である。

何しろ北九州市内で最も高級ブランドを扱っている百貨店である。
だから、上京した際に『高島屋』と言われてもピンと来なかったうえに

「なんで銀座には井筒屋がないんやろか?」

と疑問に思っていた程である(北九州市内だけの百貨店)。
嗚呼、思えば姉の誕生日プレゼントで、既に中学生だった姉が

「KENZOが欲しい」

と言ったので、世の理りを知らぬ、まだ精通前の小学生の私は確か2000〜3000円だろう、と思って井筒屋に姉のために財布を買いに行ったら桁が違っていて、ガックリしたことがある(母親が足りない分を出してくれたが)。

(まだ健在です)



で、姉と妹はエレクトーンを習っていたので(瀧本恭史と言う世界的なエレクトーン奏者に習っていた)、そのライブを観に連れて行かれたりとか、子供心に華やかリア充は爆発しろ。な場所だった。
姉が習っていた瀧本恭史氏の主催のエレクトーン発表会で、エレクトーンの大音量っぷりに驚いたのを思い出す。
スピーカーが近かった事もあるが、ビックリするほどの大音量で、姉と妹がカッコ良かった。


話を『磯野さざえ』に戻すと、戦前に結婚して借家住まいになるのだが(まだアパートやマンションは同潤会アパートだけで、超HIPなもの。都市部だと借家がデフォ)、何故か大家と言うか近隣と喧嘩して、実家に戻っている。
その後に『タラちゃん』が産まれる。



つまり、サザエさんとマスオさんは『子作りを実家で行っていた』と言うわけだ。
親や兄弟(カツオ君、ワカメちゃん)にバレないように頑張っていたわけだ。



「・・・っ!!!ま・・・、あぁ・・・まぁすおさん・・・声が出ちゃうよぉ・・・っ!」
「駄目だよ・・・ご両親やカツオ君達に見つかったら困ることになるのは君だよ?」
「・・・っだって・・・そんなに動かさ・・・っれたら・・・っ!」
「いやらしいなぁ。君は。井筒屋で会った時は・・・、君がこんなに淫乱だとは思わなかったよ」
「・・・変な事っ・・・言わ・・・っ!ま・・・まぁすおさんが・・・そ・・・そんな・・・事するっ!から・・・」
「うーむ。甘露、甘露。男の生き様、此処に極めり・・・」

とマスオは軍隊で鍛えられた熱い竹槍を、サザエの悲しく濡れた花弁に

「ええい、やぁ!」

と突き立てた。

「っはむぅ!」

と目釘を打たれたウナギのようにサザエの身体は硬直した。



とか言うとったんじゃ!
アニメだとか原作では素知らぬ顔しながらも、マスオさんも南方戦線帰りの戦闘意欲を、創作意欲に変換して、「あんな事いいな、できたら良いな」とドラえもんみたいにやっとるんですよ!!!!
マスオさんは早稲田大学でマンドリン部所属で実はハーモニカの名手なのに、昼はハーモニカ、夜は女体を吹いて淫靡なメロディーをやっとるんですよ!!!

クソ!

何が『ひとりきりのクリスマス・イヴ!うぉぉぉぉぉっぉぃ!!!』だよ。
一人でファミマのチキンを食えてってか?。
ったく。


リア充は爆発しろ。




2016年12月1日木曜日

ほんじつ、のんびりと未来派

ふと、未来派について調べようと思ってwikiを探ると、日本だと『普門暁(ふもん ぎょう)』と言う人が日本版未来派のリーダーだった、と言う記述があるので、ページに飛んだらトホホ感が凄い。

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普門暁(ふもん ぎょう、1896年 - 1972年)は、日本の未来派の画家。

奈良県に生まれる。当初建築を学び、のち日本画に転向。
1920年、二科展落選の恨みを晴らすかのように、未来派美術協会を結成し、事実上、リーダーとして活躍。来日した、ダヴィッド・ブルリューク(1882年-1967年, Давид Бурлюк, David Burliuk)やヴィクトール・パリモフ(1888年-1929年, Bиктор Пальмов, Viktor Palimov, Victor Palimov, Viktor Palmov, Victor Palmov)とも交流した。

しかし、その後二科展に出品できたこともその理由と思われるが、普門は協会運営に興味を失い、管理がいい加減となったため、1922年に除名された。

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言わずもがな


『二科展落選の恨みを晴らすかのように、未来派美術協会を結成』

『その後二科展に出品できたこともその理由と思われるが、普門は協会運営に興味を失い』


と言うのがトホホ感凄い。

24歳で二科展落選って事で、若気の至りと言うモノなんだろうか。

「この恨み、晴らさでおくべきか・・・・」
「エロイムエッサイム!」
と言うのが日本版未来派。

中二病じゃないかよ。




とは言え、大正〜昭和初めの頃にパフォーマンス・アートなるものは日本には到着していて、日本のダダイズムの牙城(具体派)『MAVO』に後に『のらくろ』を連載する事になる田河水泡がいたり(田河水泡の影響下が手塚治で、手塚治の影響下が宮崎駿で、宮崎駿の後釜が庵野)、未来派詩と言うかダダ詩みたいなのを書いていたのが中原中也で、中原中也が長谷川泰子を口説く口実がダダ詩で(って、中原中也の何処がダダなんだよ?って思うのだが)、舞台美術で言えば築地小劇場の舞台装置なんて当時のダダイズム真っ最中、と言う塩梅である。





そんな動きが継続してれば面白かったと思うが戦火で全て灰になるし、中原中也の同棲相手は当時の最先端界隈をウロウロしていた人だが、戦後は新興宗教にゾッコンになるし『のらくろ』は『のらくろ兵長』から除隊するし(その後は喫茶店のマスターになる)





で、戦後はハイレッド・センターとかいるけど、まぁお金持ちのご子息の遊びみたいなニュアンスは否めないよな、って言う。
戦前のダダイズムとかって情報不足等もあって「え?これをダダって言ってたの?」って言う

『独自解釈』
『思い込み』
『独断と偏見』
『妄想』

があって、其れはそれで凄く面白いんだけども、戦後美術となると行き着く先が

『萌え』

って言う。

・・・って此処まで書いて思ったのだが『のらくろ』は澁澤龍彦曰く

「台詞の素晴らしさ」

らしい。だが、「のらくろ、カワユイ!」ってのはあったはずで。

「萌え」をどう定義するか、それは有識者に任せるとして、具体派時代にキャンバスに使い込んだ軍手を釘で打ち付けていた田河水泡が、後に『のらくろ』ってのと、あまり変わってないのかもな、って思う。


「いやいや、現代美術ってのは政治的な・・・」
「スキャンダル性が」
「タブーを犯す云々」

と言っていた人がいたのだけども『現代美術』を何処から何処までの範囲で言うのか曖昧だが、村上隆曰く

「現代美術家とは芸術大学を卒業した人の事」

らしい。だから公的機関で教育を受けた人の特権である。

だから政治性も不要だし、言ってしまえば『現代美術的なるモノ』『現代美術的なパフォーマンス』って椎名林檎が体現しちゃっている気がするんだよな。

「椎名林檎がだと!?ふざけるな!あんな自民党の・・・」

と思う人もいるかも知れないけど、少なくとも、とある現代美術評論家が言う『市井』の人は、椎名林檎はアンダーグラウンドなテイストを持った現代美術的なニュアンスを感じているだろうに。パフュームよりも椎名林檎って言う。

因みに『市井』と言う言葉を連発していた現代美術評論家は男性のコメントには無返信で、女性のコメントには丁寧に長ったらしい返信を返す、と言う『団塊世代の象徴』のような人だった。


だが、椎名林檎は現代美術ではないしパフュームも現代美術ではない。

『芸術大学を卒業した人』

ではないからである。村上隆の論理で言えば椎名林檎やパフュームよりも

『FLYING KIDS』

の方が現代美術寄り、となる(東京造形大学卒)。

(FLYING KIDS - 心は言葉につつまれて(Music Video)


とりあえず何が書きたいか、って言えば『日本の現代美術は最初から中二病でも恋がしたい!』である。

二科展への報復って言う中二病でも恋がしたい!。

これを書くためにFLYING KIDSをYOUTUBEで検索したら当時、好きだった曲が出てきた。

当時は「なんて凄いコードワーク!」「素晴らしいハーモニー!」と思っていたのだが聞き直してみると
「こんなに歌が下手だったのか・・・」
と思う。



因みに東京芸術大学の処女童貞率は日本体育大学の処女童貞率を遥かに凌ぐらしく、日体大の処女童貞率を1とすれば芸大は100らしい。
そのくらい、芸大生はお互い非モテ・非リア充。
聞いた話によると日体大の用具室には「SEX禁止!」と言う張り紙があるんだとか。
そんな話は芸大には間違いなく皆無だ。
学園祭で芸大はキラビヤカに頑張っちゃうけど、日体大は地味。
だが、キャンパス・ライフは日体大の方が遥かに快楽と悦楽であることが東京芸術大学生のコンプレックスらしい。
・・・と東京芸術大学卒の人が言っていたのを思い出した。