RIP Hideo Ikeezumi, founder of PSF Records. Since I first met him at Modern Music in 1990, he was a hugely important part of my life. Possessor of a pair of the most individual and open set of ears I have ever encountered. ご冥福お祈ります。No words beyond that for now.
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多分、ショックと言うか現実感がないから言葉に出来ないんだろうけども。
なんだピンと来ない。
生悦住さんの活動に関しては色々と思う。
思いすぎるほど思う。
罵倒や罵り、賛美から賞賛、嫉妬まで何もかもの言葉が出てきそう。
だけども、其れが言葉に出来ない。
きっと、それは言葉にしなくても良い事なんだと思う。
それを言葉にする、または言葉に出来るのは10〜20年後だと思う。
劇団唐組を退団してから。
90年代に進学でも就職でもなく、東京に出る、と言うのは今とは比べ物にならないほどハードルが高かった。
その理由が「劇団唐組に入団する」と言うモノだった。
だから、退団した時は「これから、どーすれば良いんだろう・・・」と不安になったし、数ヶ月ほど呆然として過ごしていた。
その頃に『モダーン・ミュージック』に行った。以前も行った事があるけども、Gモダンは憧れの雑誌だった。
店のカウンターに居た生悦住さんに恐る恐る話しかけてみたら気さくに色々と話してくれた。
で、「Gモダンで執筆させてくれませんか?」とお願いした。
当時、私は文筆がやりたかった。楽器も下手だったし、文章ならば得意だったから。
生悦住さんは
「どーぞ、どーぞ!此方こそお願いしますよ!」
と言ってくれた。
その一言が、どれほど私の肩を楽にさせてくれたか。
「なんとか、なる」
と思わせてくれた。
個人的な事情でGモダンに執筆する事はなかったのだけど、生悦住さんの『あの時の一言』だけで「唐組」と言う呪縛から少しだけ逃れる事が出来たし、思えば暫く辞めていた音楽への復帰も、生悦住さんの一言だった。
生悦住さんは幸せだったんだろうか?と思う。
PSFにせよ、店舗にせよ、空前絶後の事を行い、PSFからリリースされた作品を聴いて、私はどれほど救われたか。
Gモダンに掲載されていた盤は九州では手に入らないモノばかりだったが、あの雑誌がどれほど私の視野を広げてくれたか。
その生悦住さんは、空前絶後の活動で嫌な事もあっただろうし(主に金銭的な部分で)、どうだったんだろう、って。
どうだったんだろう、って幸せだったに決まってんじゃねーか、って気もする。
一人で、あれほどのリリース(しかも世界流通)し、その音源や雑誌によって後任と言うか若手が育ったワケだし、そう言う事を生悦住さんが狙ったとは思えないけども、九州の辺境だとか青森県の農村部からも「凄いです!」と言う人がいたわけだし。
今日はPSFの音源を聴きながら夜を過ごします。
生悦住さん。ありがとうございました。
私は貴方に救われた、多くの人の一人です。
お疲れ様でした。