2017年3月29日水曜日

一人ぼっちの夜

昨日は激務で疲れ果てたので(だが、此れで実家帰省目的は全てコンプリート)北九州アンダーグラウンドの最牙城である『カフェ:エンゲル』で食事でもしようと思っていた。
ちょうど母が不在だし、先日はエンゲルのイベントに行こうと思ったら慣れない高速道路運転により疲労して寝てしまっていたから。


ところが店が開店していない。

「ありゃ・・・今日は定休日だったかな」

と思いながら折角なので小倉駅を歩く。


小倉駅周辺は高校生の頃は毎日のようにウロウロしていた。


先日、法事の際に妹が私の『中学生の頃の同級生の女性』に会ったらしい。

「〇〇っちおるやん(私が覚えてない)」
「うん(覚えてないけど)」
「〇〇が『あんたに兄ちゃん、凄い変人やったけど、あん頃にMODSしよったんやけん、思えば小倉の最先端やったよね~』っち言いよった」(〇〇さんが『貴女のお兄さんは、とても個性的な人でしたが、1994年の小倉区で60年代のイギリス風ファッションをしていたので、とても先鋭的でしたね』と申しておりました)

と言う。

思えば変な事ばかりしていたなぁと思う。

『ゲリラ・アート』

と称して、駅構内のパブリック・アート(保育園とか小学生が描いた巨大な壁画)にアンチ!と言って、デカい画用紙に無茶苦茶な絵を描いて、勝手に設置したり、妙なオブジェを設置したり(最長1週間、最短当日には撤去された)、妙なフリーペーパーを発行したり、DJやったり。



駅周辺を歩くと多少は人手がある。衰退の一途である北九州市に多少は景気が良くなって来たのか?と思ったりするが(だが、市内唯一の遊園地が閉館する)。



で、意味もなく小倉駅構内自転車駐輪場でゲリラ・ライブ。
演奏時間は8分間。
観客は0人。
4月7日に帰京するので、またヤロうと思う。
何故か?
暇つぶしである。


2017年3月23日木曜日

新劇の巨人

今日は何故か『劇団青年劇場』を観に行く。

いわゆる『新劇』である。

http://www.seinengekijo.co.jp/s/sima/sima.html


母が演劇のチケットを持っていて、行けないから行くか?と問われ、思えば新劇ってあまり見てないな、と思い行くことに。





以前、同じように母と『文学座』を観に行った事がある。
何故か客席は高齢者ばかりだった。
まぁ、のちに入団する唐組もオッサン、オバサンの客ばかりだったが。
だが、新劇は常に高齢者らしくマチネがあるのだが、マチネが
『13:30』
と言う強気の時間設定。
・・・って、これって高齢者しか来ません、って言う時間設定じゃないかよ。
夜は18:30からだが、上演時間が
『2時間50分』
なんである。2時間50分だぞ?2時間50分!!!
一幕と二幕の間に休憩時間があるが今時、気合の入ったテント芝居(野戦の月とか)ですら2時間はやらない。


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終戦から6年、瀬戸内海に浮かぶ小さな島――。
20歳で被爆した青年教師・学は、
母のゆう、進駐軍の臨時雇いで働く妹の史とともに暮している。
ある日、東京で働く同級生・清水が訪ねてきたことをきっかけに“島”を出て自立したいと言う思いが強くなってきて――。
朝鮮戦争の特需に支えられている島。
貧しさゆえ進学をあきらめる教え子、許されぬ恋、差別…。
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と言う前書きが既にウンザリ感が凄い。

終戦から6年とか、後期高度高齢者にしか分からない時代だし、だったら


『応仁の乱より6年。瀬戸内海に浮かぶ小さな島。
20歳で落ち武者となった寺子屋教師:権之助は、母のゆう、足利氏の臨時雇で働く妹の史と共に暮らしている。
ある日、京都の漬物屋で働く元戦友:権兵衛が訪ねてきた事をきっかけに、『島』を出て、自立したいと』


でもエエやんけ。
WW2は「ダメ!絶対!」な感じだが、長い歴史で見れば日本の歴史で『他国との戦争』は明治から昭和初期の短期間であり、弥生時代から明治初頭までは常に内乱である。



「同じ人間同士が何で剣や槍を持って殺しあわなきゃならんのか・・・!」
と言う台詞がクライマックスって感じで。



饂飩でも食って行くか・・・




2017年3月14日火曜日

311

毎年、この日は皆、黙祷する。

「黙祷!」


と言う掛け声がある。一人、淡々とする人もいる。
でも、3月11日は終わってないし、現在進行形だし、被災地の復興は進んでいる、と言う話もあれば「無理」って言う話もある。
瓦礫の撤去や復興に関しては専門家曰く「早く見積もっても100年はかかる」と言う。



なんだか黙祷する事で『3月11日』を「終わったこと」にしているようなニュアンスを感じる。
だから、私は黙祷したことがない。
全く終わってないし、現在進行中の出来事を黙祷出来るのか?って。
例えば311の真っ最中と言うか、4月11日に黙祷出来たか?って言う気もする。
阪神大震災の1週間後に黙祷出来たか?って。
熊本大震災は黙祷できるか?って。



俺は馬鹿だから、理解が出来ない事が多くて、理解出来ない事を『雰囲気』とか『場の空気』とかじゃ出来ない。


昨日から今日にかけて福島第一原子力発電所のドキュメンタリーを観てみた。
あの頃、本当に俺は死ぬんだ、と思った。
そう思った人は多かったと思う。
致死量ではない事は分かる。だけども、怖かった。兎に角、怖かった。
科学的に、その放射能量が『死に至る』と言うモノではない事は理解出来たけども、科学ではなく感情だった。

脱原発デモにも参加していた。
思えば馬鹿げたデモだったと思うし、あれに参加していた自分が恥ずかしいのだけども、あの『脱原発デモ』とか『官邸前集会』とかって、『左翼的』と言うより、限りなく『ネトウヨ』に近かったよな、って思う。
ただ、怖かった。
「怖い」と言う事を誰かと、誰でも良いから誰かと共有したかっただけっていうか。

ドキュメンタリーを見ると東京電力も吉田所長も、当時の東京電力社員も死力を尽くしたんだと思う。
自衛隊が出動したが、自衛隊の分際で何も出来なかったのは、単純に『原子力発電所が爆発した際のオペレーション』がなかったから、『山火事のオペ』をやっただけだったとかさ。













当時、国や東京電力は嘘を付いている!と思った。連中が出す情報は嘘だ!って。
ネットには真実がある!と思っていたが、其れってネトウヨの発想なんだよな。
嘘を謳っていたワケじゃなくて、当時の東京電力にも国にも胡散臭い情報しか入ってこなかったし、誰にも真実は分からなかった、と言うか。

じゃあ、東京電力や国に対して「仕方がねえよな」と思えるか?って。
思えるワケないじゃん、って。
福島第一原子力発電所の事故レベルが当時はチェルノブイリ事故を遥かに超えている、とは言われていた。
事故の内容が違うので比較出来ないのに、だ。
単純に比較すればチェルノブイリ事故の1/10程度の規模だったし、1/10まで抑えたのは東京電力の死力によるものだ、と言うのは分かっていても、だ。






連日の鼻血
眼球の充血
髪の毛が抜ける





許せるワケがないじゃん、って思う。
天変地異は仕方がない、って思うよ。
街や人、と言うのは時として、そう言う無茶苦茶な方法で新陳代謝していったのかもしれないし(歴史的に考えればだが)。
じゃあ、311が天変地異だけだったか?って言えば違うでしょ、って言う。







YOUTUBEで311の動画を見る。
色々な事を思う。

この動画の7分50秒。
海に流される車が悲鳴のようにブザーを鳴らす(盗犯防止ブザーなのか、ショートによるクラクションなのか不明)。








『この世界の片隅で』と言う映画で、主人公が畑仕事をしている最中に空襲が来て、主人公が
「今・・・絵の具があったら・・・」
と、目の前の光景を白昼夢のように見るシーンがあるんだけどさ。
多分、私が『あの場』にいたら
「今、PCMレコーダーがあったら・・・」
と思ってしまうんだろうな、と思った。
死ぬほど酷い話なんだけども、7分50秒の音がクラクションがユニゾンになって美しい・・・と思ってしまう。


色々な事を思う。
色々な事を思うけど、言葉に出来ないモノばかり。
まだ、終わってない。
何を祈れと言うのか。

2017年3月5日日曜日

舞踏評論家と舞踏家とカメラマン。それと俺。

初めて『舞踏(Butoh)』を観たのは16歳か17歳だった。




その頃、大阪に進学した姉がヒッピー界隈やアンダーグラウンド界隈に出入りしており、其れもあって大阪の人達と共同で北九州市小倉北区で3日間かけてイベントをやった。

で、その際に山海塾だか白虎社だったか、その系列の女性舞踏家が踊った。白塗りで全裸。

16歳の私には物凄いインパクトだった。

「これがアートと言うものか!」

と思った。音楽はなくて、即興詩人みたいな人が朗読をしていた。

何もかもが『私の知らない世界』で、そのインパクトは「俺もこう言う事がやりたい!」と思わせるのに十分だった。

16年間、『変人』『馬鹿』『狂人』『生意気』と言われ続けて自分の将来は惨憺たるものだろうな、と思っていた。
だが、その一夜で

「こう言う人が、こう言う事が許されるならば、俺でも何とかなるのかも・・・」と思った。

16~17歳の田舎少年の人生観を覆す程のインパクトだった。

其れが後に演劇青年になったり、超短期間とは言え舞踏グループに加入したりする事になるのかも知れない。
そんな活動が、今の活動と直結していると言う気もする。

90年代、暗黒舞踏と言うのは其の出来、不出来に限らず『その行為そのもの』が最前線だったと思う。

私は1977年産まれだから土方巽なんて死んでるし、九州の片田舎に『舞踏』だとか『小劇場』とかは来なかった。来なかった、と言うモノは『この世にない』モノと等しい。

もし、あの時に、あの一夜がなければ九州の片田舎でどんな生活をしていたんだろう、と思う。

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今も舞踏界隈と付き合はあるが、いつも気になっている事がある。気になっている、と言うより
「それ、どーなのよ?」
って言う。
多分、俺は舞踏って言う表現手段は好きなんだよな。だが、上京して数年ほどして舞踏公演に行くことが減った。
ってか、舞踏ってなんやねん?と言うか。
いや、舞踏は舞踏で良いと思うんだよな。あの手段は矢張り凄いモノがあるわけで。
1977年産まれの私とすれば高柳昌行や阿部薫もラリーズも観てないワケで、その『ジェネレーション・ギャップ』を埋めてくれたのが舞踏家たちだったワケでさ。



「それって、どーなのよ?」
と思うのが

『自称:舞踏評論家と舞踏家の関係』

である。『舞踏を評論する』と言う事で生活している人はいないが『舞踏評論家』は矢鱈と多い。下手すると客席の半分が『自称:評論家』だったりする。


俺はスタッフだったりする事が年に数回あるが客であることも多いわけですよ。で、舞踏評論家ってなぁ無料で来場するんだよな。

その公演を何かのメディアで紹介しているとは思えない。
ダンスワーク』と言う殆ど戦中の同人誌のような雑誌に記載される事もあるが、私は『ダンスワーク』を書店で見たことがないし、基本的に通信販売がメインである。
誰が読むんだよ?誰が?!。


SNSで舞踏評論家がアレコレと書くことも増えたと思うけども、例えば2004年に登場して凄まじい勢いで成長したmixiで舞踏評論家がレビューを書いていた、と言う事もない。
ブログをやっていた人も少数ながら居たけども『皆無ではない』程度のモノで。



多分、大半の舞踏評論家は「無料だから観ました」と言う処で終わるんだよな。何か書くとか、その舞踏評論家が「素晴らしい!」と思った舞踏家を次のステージへ連れて行く、って事もない。

『志賀信夫』と言う舞踏評論家が六本木の『ストライプハウスギャラリー』でイベントをやったりもしているが、『ストライプハウスギャラリー』に出演することが、その出演者にとって良しと言うモノでもないし、少なくとも志賀信夫のイベントは「これは行きたいな」と思わせる要素が皆無である。むしろ『行きたくないな』と言うモノばかりだ。

志賀のオッサンを無料でお呼びしている舞踏家はストライプハウスギャラリーにお呼び頂きたいのか?って気もするが、そんなワケでもないだろう。

だが、志賀のオッサンは無料。俺は有料。

無用の長物のようなオッサンは無料で、俺は有料。
だったら、公演費用は無料にしても良いんじゃね?って思う。無用の長物のような舞踏評論家を御招待するような公演に何故、此方が一日の生活費以上の金額を支払わなあかんねん?って言う。



以前、YOUTUBEが登場した頃に、とある女性舞踏家が自分のステージ動画をUPした。
其の際にタイトルを『暗黒舞踏』にしたらコメント欄が荒れに荒れて、中には「法的に訴えます」と言うコメントもあったらしい。
中野plan-Bで舞踏公演をやろうとして

「あの、再来月にそちらで舞踏公演をしたいと思っているのですが」

と電話すると

「あの、再来月にそちらで舞踏」

『舞踏』と言う単語を出した途端に電話をガチャ切りされるんだとか。宮内庁に
「あの、再来月に昭和天皇の戦争犯罪についてお聞きしたいのですが」
と電話しているようなもんである。

『暗黒舞踏:昭和天皇説』
『暗黒舞踏:北方領土説』
『暗黒舞踏:沖縄基地説』

と言うか。最近だと

『暗黒舞踏:福島第一原子力発電所説』

と言うか。

だが、『暗黒舞踏』『舞踏』と言うジャンルは確実に存在し、やってる方も観ている方も『舞踏』と思っている。共有されている認識である。だが、その単語は言語表現として使っては駄目、みたいな。

『オリモノ』
『へっぺ』
『土人』
『クロンボ』
『メクラ』
『部落』

みたいなモンなのか。




昨日、部屋を掃除していたら昔の日記が出てきた。その中にどうやら観に行った公演の事が記載されていた。
『テルプシコール/舞踏新人シリーズ』
である。
日記を読み返して当時も物凄い違和感を感じたし、今だと笑ってしまうのだが『テルプシコール/舞踏新人シリーズ』ってダンサーにすりゃ登竜門的なニュアンスと言うか。
で、一応、賞みたいなモノが贈呈されるんだよな。トロフィーとかじゃないと思うが。
その賞のタイトルが『努力賞』とか『最優秀賞』とかじゃなくて


『オラ!相手相撲、土俵際賞』
『YMIKOとバケツ賞』
『そのまんまいのちの海、もう一つの『器』賞』


とかである

初期は「普通のタイトル」の賞が贈与されていたようだが、段々と馬鹿げたタイトルになっている。
身内、慣れ合いの究極なんだろうなぁと思う。
別に合田の爺さんをdisりたいワケじゃないんだが(合田さんは素敵だ)。


Mと言う舞踏家の女性が公演の為にクラウドファンディングをした。その際の文章として

「舞踏は日本が発祥なのに、日本国内では知られていなくて、逆に海外での方が知名度がある。海外に行った際に舞踏を知る日本人も多い」

とあって「アホかよ」と思ったが、確かに1959年に土方巽が初演『禁色』をやって59年間経つが、舞踏と言うダンスのジャンルが、少なくとも舞踏よりもハードルが高い『宝塚』『バレエ』『日本舞踊』よりは知名度がない、やっている人が少ないのは事実である。

日本が発祥で、日本人の想像を超えた処で影響を与えた『舞踏』だが、少なくとも『盆踊り』より知名度も実践している人も認知度も低い。




大須賀さんと話して面白かったのは、大須賀さんが東京大学で『舞踏講座』をやった時にレポートの提出率が矢鱈と高かったらしい。
東大生にとって『暗黒舞踏』と言うのは、可也のインパクトがあったようで。
で、大須賀さんも私も驚いたのが、学生達が白虎社の写真や動画、テキストを通じて頭に浮かんだのが
『レディ・ガガ』
だった、と言う処で。


『レディ・ガガ』は馬鹿ではないので(馬鹿じゃスターにはなれない)ピナ・バウシュにせよ舞踏にせよリサーチして取り込んでいるワケでさ。
世界のダンス・シーンを変えたピナ・バウシュが影響を受けたことを公言しているわけで。
だが、日本では『舞踏』と言うのが、『盆踊り』『宝塚』『町内のバレエ教室』より知名度、認知度がない。



舞踏公演に行くと、下手すると客席の半分が舞踏評論家だったりする。あれってどーなんだよ?って思う。


以前、Tと言う舞踏家と会ったら「KO.DO.NAさん、メール送ったのに来てくれないんだもんな~」と言われた。
確かに、その数カ月前に公演のお知らせをFBのメールで受け取っていた。







ですよ。

舞踏評論家には無料でチケを配り、此方は満額有料って言うのが私には未だに理解が出来ないし、理解が出来ない金をなんで俺が払わなあかんねん、って思う。


私も舞台畑出身なので公演が少しばかり値が貼る理由も分からなくもない。チケット代を安くした処で演劇だと高額だろうと安くても赤字。

ただ、さ。

舞踏公演に行くと『意味不明な人々』が多すぎるんだよな。



カメラとかな。
公演を観ていてもカメラのシャッターを切る音の方が舞台で流れている音よりも五月蝿い時が多いんだよな。
昨年、明大前でダンサーと共演した時は「音は5分に一回」と言うふうに決めた。

音楽屋としては、音を入れすぎる癖があるので無音時間を多く、と。無音状態の方がダンサーが引き立つから。
で、幕を開いたらカメラが

「カシャ」
「カシャ」
「カシャ、カシャ」
「カシャ!」
「カシャ、カシャ・・・カシャ(カシャ)」
「ッピ!」

と、五月蝿くてしゃーない。

「無音状態を多くした意味がねーじゃねーかよ!」
と思ったな。自分の公演だったら激怒しているところだ。


とある女性舞踏家が公演をした。最初は着衣。で、ステージが進みながら脱いでいく。最後のシーンで全裸となり客席に向かって股をユックリ、ユックリ開く・・・と言うパフォーマンスがあったのだが、ダンサーが股を開き始めたら途端にカメラマン達が凄まじい勢いで

カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!ッピ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!ッピ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャカシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!ッピ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!ッピ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!

となった時は流石に引いた。




演劇だとカメラマンは一人か、最大でも二人なんだよな。音が邪魔になるのと客席を占拠されるので多く入れられない、と言う事情もあるが。
だが、私が知る限りカメラマンがあれほど多いジャンルって


『バードウォッチング』

『電車ヲタ』


位しか思い浮かばない。


舞踏公演で多いのは

『謎の自称:舞踏評論家』

『カメラマン』

である。これだけで舞台の半分以上が埋まっている事も珍しくない。しかも、自称:舞踏評論家もカメラマンも高齢なオッサンが占めている。
もう、老人介護施設と何処が違うのか分からない。



友人と「舞踏公演には何でカメラマンと意味不明な評論家が多いのか」を話したのだが

「公演で客席が埋まってないと寂しいから、無料でも埋めようとするんじゃないだろうか」

と言う。確かに其れはあるだろうなぁと思う。

でも、無料で入れも赤字。

音楽で言えば、例えばデスメタルだとかグラインドコアって知名度も認知度も低いが「客席が埋まらないのは悲しい」と言う理由で『グラインドコア評論家』を無料で入れる事はない(ってか、そんな評論家はいないのだが)。
客席が疎らでも全力疾走がグラインドコア。
っつーか、音楽なんてフリージャズとか『高円寺グッドマン』が良い例だが客席が空欄状態がデフォである。



「客席が埋まらないのは辛い」

と言うのは変な話で、無料チケットを配りまくらなきゃならない状況に疑問はわかないのか?って言う。
知名度も認知度も低いのは、上記の

『オラ!相手相撲、土俵際賞』
『YMIKOとバケツ賞』
『そのまんまいのちの海、もう一つの『器』賞』

みたいな内輪ノリを延々と続けてきた結果であってさ、って言う。だから、客席が疎らでも仕方ないじゃん?って気もするし、其れが気になるなら一般客を呼べるようにすべきであって、って言う。
だが、舞踏評論家と舞踏家とカメラマンと言う『共依存関係』を捨てよう、と言う人は居ない。

客席が『老人介護施設』にしか見えなくても、だ。

舞踏評論家がSNSや知名度のあるサイトで何かを書いている、レビューを書いている、と言うのは今でも聴いたことがない。

多分、宮田徹也さんとかも同じ意見だと思うのだが(宮田徹也さんは舞踏評論家ではないが)大須賀さんが言うように舞踏(Butoh)が最前衛芸術だったのは90年代までなんだよな。
じゃあ、00年代に前衛からPOPと言うか定着したか?って言えば閉鎖的、内輪的な状態から変化がなかったので前衛から衰退へ、って言う。

『西洋美術』と言うモノが明治時代に入ってきて、日本がようやく世界に誇れる『現代美術』って舞踏(Butoh)位しかねぇんだよな。村上隆って言う人もいるけども、あれは国の肝いりなワケで村上隆が突破者ってワケじゃない。

「そんな前衛美術を愛でる私」

が集まって『オラ!相手相撲、土俵際賞』とか遊んでいたら、愛でていたはずの前衛が腐っておりました、みたいな。



小林嵯峨と言う女性舞踏家がいる。
この人のサイトを観たら脱いでる率が高い。ってか女性舞踏家は「脱いでナンボ」みたいな所がある。
知人の女性舞踏家は、本人の『思い込み』もあり30代半ばまで全裸かパンツだけで踊っていた。
失恋して、太ってしまい(やけ食い)「こりゃ、脱げる身体じゃないな」と言う事で着衣して踊り始めた途端に舞踏評論家のオッサン達は手のひらを返すように駄目出しの嵐。


私は着衣して踊り始めた時のほうが良いと思ったのだが、舞踏評論家のオッサン(何故かオッサン率が高い。老人介護施設と大差ははない)は「ふざけるな」である。

「あゝ、舞踏ってのは『オッサンによる』『オッサンの為の』『オッサン芸術』なんだな」

と痛感した。

多分、あと10年もすりゃ舞踏をやっている30代なんて居なくなるし、例えば私の知人に20代の子がいたとして「舞踏をやろうと思うんですよ」と言われたら必死で止めると思う。

「未来がないジャンルをやっても無駄だ」

って言うか。


舞踏自体に未来がないワケではない。
舞踏と言う表現手段が無効になったワケでもない。
ただ、舞踏評論家とかカメラマンだとか、『舞踏に巣食うオッサン』が減ることはないだろうし、そう言うオッサン達が一般客を寄せ付けない状態は、まだ続くだろうし。


舞踏と言うジャンルが死んだ、とは思わない。『その行為自体』が最前衛だったモノが20年弱程度で死ぬわけがない。
ただ、自民党だとか自民党を支持する田舎の人々とか、老人介護施設で若年層をこき使う年寄りみたいなモンで、周辺が腐らせる。
もう、負の連鎖がッパねぇ感じでさ。


舞踏界隈の人達はどう思っているんだろう、と思う。ってな疑問を抱くとアウトなのかも知れないが、そろそろ、こう言う提議すべきでしょ?って言う。
もう、公演に年齢制限をしてもええんやないですか?とか、役に立たない自称:評論家を招待するのはやめたら?って。

役に立たない評論家を無料で御招待するなら、俺からも金を徴収するなよ、って。