2017年12月31日日曜日

2017年ラスト

今年も終わりだ。


今日は姪と妹が来て、騒がしかった。普段、静かな生活なので疲れた。
今年をまとめよう。


1月:トランペットのスランプになる。楽器のスランプって誰でもなると思うのだけども、トランペットの場合は特種で「調子が出ない」とかじゃなくて本当に『音が出なく』なるのである。
もう、焦った。
なにしろ楽器の音が出ないのである。幾ら力一杯吹いても音が出ない。
1月から2月にかけては、練習したらExcelシートで練習日記を付けていた。そうやって、少しづつ治していく。
一番、効果的だったのは『トランペットの音楽を一切、聴かない』だった。だから、デトロイト・テクノとかミニマル系のテクノばかり聴いていた。
頭から『トランペットを演奏する』と言う事を外さないと駄目だった。

日記を読み直すとコンタクト・インプロヴィゼーションでも演奏している。

2月:TOMMYと日光温泉宿に行き、レコーディング。スランプからは脱出していなかったのだが、大量の酒と、TOMMYって事もあってリラックスして演奏出来たので良い録音だった。此れが切欠でスランプから脱出出来た気がする。
2回目のデンマーク渡航の話が出てきたのが、この頃か。

3月:花粉症なのでケナコルト注射。それと父の法事で帰省。法事も何回まで、ってのがあって次は10年後らしいので一旦、終了って感じか。
で、姉と共演したが、場所は老人介護施設である。対バンはトラークルハウスと言うクソ・スピリチュアル系の奴等で、死ぬほどウンザリだった。

4月:デンマーク行きが決定。4月に渡航が決まり、4月に渡航するので大急ぎで機材をチェックしたらラジカセが駄目だったので2台を購入。変圧器も買って、忙しい日々。
パスポートはまだ生きていたので良かった。
で、デンマークに渡航。
思えばハードな旅だった。生水と言うか蛇口から水を飲んでいたら下痢になってしまい、下痢が続き過ぎて風邪を引く。
そんな状態でレコーディングとリハーサルを行い、朝6時にTOMMYのスタジオからオールボーに飛行機で行き、帰りは寝台特急で5時間かけてコペンハーゲンに帰る。
翌日はコペンハーゲンでライブ。
呑みまくった日々だった。でも、行って良かったと思う。KO.DO.NAと言うスタイルに疑問を抱いていた2年間だったけども、其れが確信になった、と言うか。

5月劇団阿彌で舞台スタッフ。
大掃除をやったら45ℓのゴミ袋が8個も出てきて「俺の部屋に此れだけのゴミが?」と唖然とした。
あ、劇団七度って言う劇団も観てんだよな。久し振りの演劇鑑賞だったのだが作風はアングラなんだけども「上手いなぁ」と思った。技術的に上手い。ああ言うのは唐組ではなかったから新鮮だった。ファンにはならないけど。

6月:コンタクト・インプロヴィゼーションで演奏。

7月:高円寺グッドマンで演奏。超満員で驚いた。我ながら良い時間を作れたと思う。ディオ曲を作ったのだが変な曲なので、森下さんに頼み込んで共演してもらった。上手く行った。
室野井洋子さんが死んだ。GTASAをクリアした。
母親が福祉のコンベンションで上京してきたので接待。浅草の寺に行き、花屋敷に行き、天ぷらを食べた。
あ、中核派の奴がオルグしにきたんだよな。あれは死ぬほどウンザリだった。連中(中核派)は政治団体とか政治運動と言うより宗教団体に近い。

8月ヘッドフォンを買った。AKGのヘッドフォンだが流石に音が良い。同時に自分の作ったトラックの音が凄く悪い事に気が付いてウンザリした。

9月:『エリザベスがやってきた!』と言うイベントに出演。
芸能山城組の『ケチャ祭り』に行って2年連続で「辛いバナナ」を食べる役割を演じた。
あ、FACEBOOKには書いていたけども杉●丈作さんが癌で入院したんだよな。
此れは本当に怖かった。
杉田さんの事は大好きだし、舞台も好きだし、何しろ大昔に世話になっている。
で、食道癌だったんだが室野井洋子さんも縫辺憲治さんも癌で亡くなっている。
「俺が大好きな人は・・・皆、消えるのか?」
と怯えて仕方がなかった。舞台スタッフで来てくれるT氏が電話をしてくれて、彼の提案で何とかお見舞いに行けた。彼が電話してくれなかったら御見舞いには行けなかった。
御見舞いの後に矢張り不安で、奥様に電話をしたほどだったもんなぁ。
幸い、癌の手術は上手く行ったので安心した。だが、あのときは本当に怖かった。「もしかして、俺が好きな人は消える、と言うジンクスが・・・?」とすら思ったもんな。
あ、阿波踊りで大騒ぎした。
3年連続で同じ場所で大騒ぎしているので見知らぬ人からビールを3杯奢ってもらった。

40歳になった。ギックリ腰になった。ギックリ腰をやった翌日にネイキッド・フォースでライブだったので座薬を大量に突っ込んで出演。座薬と痛みでラリって演奏。
自分なりの演奏が最低限は出来たと思うけども、体調管理も演奏行為に含まれるから、此れは私にとって自分を責める意味で悪い事だった。
出来は良かった、と共演の石井さんに言われたけども、体調管理を怠っていた、と言う部分は最低なワケで、矢張り落ち込む。
でも、本来ならば歩くことすら難しい状況で演奏したんだから、凄い事だったのかも知れ行けども、其れは最低限の礼を尽くす、と言うか。
自己破産の為に少し動き始める。
あと、HAIGANでライブの際に対バンの人(誰か不明)にトランペットが壊された。あれはムカついた。
腰痛でゴルバチョフを友人に預けた。

10月:特に何もない。ライブを観に行ったとか、ネズミが出て困ったとか。

11月:江古田音楽祭にHAIGANで出演。腰も痛かったが演奏したのだが私が間違えてケーブルを抜いてしまいTPの音が全く聞こえなかった。
この頃に水泳で体重が漸く60kgになった。だが、直ぐに63㎏になった。
この体重が現在の私の適正体重なんだろうか。

12月:遠藤さんと沼袋のギャラリーで演奏。



此れは思い出深い。
ギャラリーの都合でアンプリファイが不可となったのでアコースティックで初めてソロ演奏。
アコースティックでソロって荻窪グッドマンでは2回ほどやっているんだけども、当時は下手すぎて音楽になってなかったと思う。
で、15年以上ぶりにアコースティックでソロ。
此れが凄く気持ちよかった。気持ち良かったと言うか。何と言うか。
フリージャズの人でも、普段は『フリージャズの練習』をするんだよな。それは『演奏の引き出し』を増やす作業かもしれないし、フレーズやリリックの為かもしれないし。
だから、完全即興ってのは謳えはするが実際には半分くらいは普段の練習で作っている。
12月は何も考えていなかったので本当に完全即興になった。
最初は緊張したけども(前日に風邪だったし)演奏が進むにつれて「お?!これは良いぞ!」と思った。出したい音が出る。
此れまでエフェクターを使った音を前提に考えていたけど、出したい生音が出る、と言うのは凄くファンタスティックだった。
遠藤さんとの共演も良かった。





2017年はKO.DO.NAのソロが殆どなかった。



此れは一体、何故だったんだろう。

思えば、元々、オファーが多かったワケじゃないけども、2017年は本当に一本もKO.DO.NAへのオファーがなかった。

会場がPAが使えない場所だった事もあるのだが、此れほどなかった年はない。

なんで?


じゃあ、来年はどうすれば良いのか?


、、、、、特に何もしない、と言うのが結論になってしまう。


まぁ、変えようと思ってないし。でも、活動し始めた頃に比べれば、フットワークは軽くなっている。


あ、そうそう。

活動し始めた頃よりも、年々フットワークが軽くなっている。20kgの機材に泣いていた頃に比べると、タフになってきている気もする。

多分、私は、私なりに成長しているんだと思う。馬鹿なんだけども、馬鹿ななりに、と言うか。


最近、運動不足を解消するために泳いだり、走ったりしているのだが40歳になってみると、まだ先が長い、と言う事に気がつく。
20代の頃は「ダメになったら死んでやらぁ」と捨て鉢的に思っていたのだが、デンマークでライブをやってみると音楽的な可能性は、まだ途方もなくありr、だめはなってない。
経済的、精神的にダメになって来たから今は休んでいるんだけども、この休息は決して悪いものではないと思う。

来年も良い音を作ろうと思う。


2017年12月12日火曜日

アイデンティティの問題と、いまアイドルについて語らないこと

interview with Ian F. Martin
アイデンティティの問題と、いまアイドルについて語らないこと
──『バンドやめようぜ!』の著者、イアン・F・マーティンに聞く
野田 努    通訳:染谷和美
『いまルールがわからない怖さというものを、みんなが自分らしさを探るなかで感じているんだと思う。世界中どこでもツイッターなんかでちょっと変なことを言ってしまったら受信箱にバーッと脅迫状が届くような世界だから、本当に自由に自分らしさを追求できないなかで、なにか「これに従っていれば大丈夫だ」というルールを探す、その末に行きついているのがあのアイドル文化なんじゃないかと思う。』
http://www.ele-king.net/interviews/006052/



アイドル文化に関しては難しい処があるよなぁと思う。
この「ルールが分かる」と言うのは「こっちに行けば大丈夫」って言うモノなんだと思うんだよな。
でも、それは90年代であれば渋谷系だっただろうし、70年代であれば全共闘だったんだろうし、60年代であればフォークだったんだろうし、00年代であればディレイとリバーブで音響系だったんだろうし。


アイドル論を語ろうとすると、途端に自分の馬鹿さ加減が露見するし、アイドルを持ち上げようとすると途端に自分の馬鹿さ加減が露見する。
此れに近いモノって『天皇家』なんだよな。
何処がだよ?と思う人もいるかもしれないけども

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普段はアイドルと縁遠い総合週刊誌でもさまざまなAKBがらみのプロジェクトが展開されている。『週刊朝日』は「AKB写真館」に続いて「AKBリレーインタビュー」と、長期にわたり連載を続けているし、『週刊ポスト』編集部と小学館は、2011年の公式カレンダーの制作と販売を任されている。
 他にも、『アサヒ芸能』のような実話誌から、「日刊ゲンダイ」「東京スポーツ」などの夕刊紙、さらには『BUBUKA』などの鬼畜系雑誌まで、それこそありとあらゆるメディアが、連載、グラビア、記事、写真集の発行といった形で、AKB人気の恩恵に預かっているのだ。
 AKBの連載をしている週刊誌の編集幹部がこんな本音を漏らす。
「AKB48はAKSという会社が運営しているんですが、ここに秋元康さんの弟がいて、雑誌対策をやっている。これまで芸能プロが相手にしなかったゴシップ週刊誌にもエサを与え、味方にするというのは彼の戦略ですね。ただ、それがわかっていても、我々としては乗らざるをえない。というのも、AKBが出ると、雑誌の売り上げが数千から一万部くらいアップする。雑誌が売れない時代にこれはすごく大きいんです」
 しかも、AKSの戦略が巧みなのは、AKBがらみの単行本や写真集などの出版権を、週刊誌発行元の出版社に与えるだけではなく、週刊誌の編集部を指名して制作させている点だ。このやり方だと、売り上げが編集部に計上されるため、編集部としてはますますAKBへの依存度が高まり、さからいづらくなる。
 実際、こうしたメディア対策が功を奏し、AKB48は今や、新たな芸能タブーのひとつに数えられるようになった。AKBにはメンバーの異性関係や運営会社・AKSの経営幹部の問題などさまざまなゴシップが囁かれているのだが、どの週刊誌もそれを報道しようとはしない。『週刊文春』『週刊新潮』だけは活字にしているが、AKBの利益共同体に組み込まれた他のメディアに無視され、完全に孤立している状態だ。】
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/month?id=60769&pg=201202
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って言う処。

アイドルをAKB48だけに特化するのも変な気もするが、乃木坂だろうと、何だろうと資本をバックに付けたアイドルは似たようなもんだ。

「全方位からのdisりを回避出来ている構造」

ってアイドル以外で言えば天皇家くらいなもんだ。
だから、AKB48と天皇家は現状、同じポジションである。AKBにも天皇にも

「固有の胡散臭いストーリーと歴史」

があり、其れを皆、信じている。



クラブ系や渋谷系、HMV的なモノが終わって、アイドルに流れたのは、単に『一億総ヲタ化』ではなく、信じられるモノが『音楽』ではなく、『神話』になった、と言うか。
神話は物語であり、古今東西の神話が胡散臭いモノだが誰もが信じるように、その内容は何でも良い。物語として成立していれば誰もが崇める。

ただ、その神話が経済、つまりは銭金の話が絡んでくるのでマスマス、胡散臭い。
しかし、神話と呼ばれるモノの98%が胡散臭い話だから、そんなモノなのかもしれない。


話は変わるが私はアイドルと言うのは好きじゃないけども、一度だけ友人と一緒に行ったライブで偶然、観たことがある。
『hy4_4yh』
と言うユニットだった。可愛い女の子が可愛く歌う。



だけども、私は女系家族育ちの悲しさか、ピンと来なかった。女の子が『女の子らしく』している事は、其れ自体がフェイクであることを生まれつき思いしさられているているかかもしれない。
三島由紀夫が憂国主義なのに、天皇系を認めていなかったのと近いかも知れない(三島由紀夫は現状の天皇家はフェイクだ、と言うスタンスだった)。
アイドルを語ることは難しいのだけども、その神話とか物語、共通言語を好事家達が作ったのではなく、資本側が提供したモノを「はい、そうですか」と受け取ることが『文化』と呼べるものなのか?と思う。
神話は「誰が作ったか分からない(詠み人知らず)」からこそ良いのであって、誰が作ったのか特定出来るモノが神話として成立するのか?。
仮に成立していたとしても、それを『文化』として呼ぶことは正しいのか?