『黒人音楽』と言う言葉がある。
私が知る限り『肌の色』が特定のジャンル名を示すモノは『ブラック・ミュージック』だけだ。『黒人』と言う途方もなく大雑把な人種のカテゴライズと、其処に漂うロマンチズム。
この「黒人音楽」ブラック・ミュージック」「黒人性」と言う言葉はジャズやファンク、ブルース、デトロイト・テクノ等が語られる際に必ず出てくる単語と言うか『便利な言い回し』である。
以前、「ブラック・ミュージックはあっても、イエロー・ミュージックって無いよな」と書いた翌日に
「ってかブラック・ミュージックは存在するのか?」
と思った。ブラック・ミュージックに対しての『ホワイト・ミュージック』はないし、アジア的に『イエロー・ミュージック』『ブラウン・ミュージック』もない。
では、何故、ブラック・ミュージックだけが『ブラック』と言う形容詞と共に存在するんだろうか。
YMOが結成された際に彼等が参考にしたのはクラフトワークだった。クラフトワークを参考にした音を作ろうしたが全く真似が出来ず、
「クラフトワークの音は、全くもってドイツの音だ。鉄鋼業的と言うか、鋼鉄のコンセプト」
と思ったらしい。
この話は、例えばブルースやジャズを語る人が、その音楽の「黒人性」について語るのと良く似ている。
ヤン富田がサン・ラを語る際に「人種が違いすぎる。私達が星空を見て思う事と、黒人が星空を見て思うこと。その時点で黒人は違いすぎる」と黒人優位論っぽい事を言っている。
YMOもヤン富田も世代的には団塊世代だが、『ブラック』『黒人』と言うモノへの誤解と偏見と憧れ。
其れは戦前~戦後、フランス人が黒人文化に憧れた事よりも屈折している気がする。
YMOのクラフトワークへの考え方、ヤン富田のサン・ラへの考え方。
尤もらしく聞こえるが、其れは誤解と偏見でしかない。
YMOが参考にしたクラフトワークだが、クラフトワークが参考にした音はジェームス・ブラウンであり、ビーチボーイズであり、サイケデリック文化(アメリカ文化)である。
其処に鋼鉄のコンセプトとかドイツ的、と言うモノは皆無だ。クラフトワークの音楽に『ドイツ民謡』の鱗片は皆無だ。
サン・ラは意図的に黒人性を・・・露骨と言えるほど・・・出していただけで、ヤン富田が言うような「特権的黒人」ではない。
少なくともディーク・エリントン直系のピアニストであり、つまり「白人文化からテクニックを学んだ演奏」であり、なおかつ本人は黒人でもアメリカ人でもなく、異星人だ、と言っているから『人種』『民族』と言うモノへ懐疑的だったと思う。
山下洋輔のエッセイにあるのだが、60年代初頭の『風雲の志抑えがたい』と言う若手ミュージシャン達は色々な方法で「黒人性」を獲得しようとしていた。
一番、面白いのは『菊地雅章』である。
菊地雅章氏は復帰直前のマイルス・バンドに参加している(何故、正規メンバーにならなかったのかは不明)。
菊地雅章氏は「ジャズ→黒人→貧しくハングリー」と言う無茶苦茶な論理で路上で寝泊まりしていたり、数日ほど食事を抜いたり、風呂に入らないようにしたり(ヒッピーの時代ではない)既にプロ・ミュージシャンだから金はあったのに、意味もなく貧乏な生活をしていた時期がある。
この辺が『ブラック・ミュージック』への偏見、独断、思い込みの良い例だと思うし、例えば『暗黒大陸じゃがたら』もP-FUNKに衝撃を受けて、合宿でギタリストのOTO氏とドラムが延々と
「ドン、ツ、ドン、ツ」
と言うリズム(4ビート)だけを練習して「違う!」「もっとタメて」「違う!」とやり続けたらしいんだが、彼等が参考にしたのは『ライヴ!!P・ファンク・アース・ツアー』と言うライブ盤であり、オン・マイクではなく、会場にもマイクを設置したオフ・マイクである。
ライブ録音と言うよりもブート盤のような客席にマイクを持ち込んだような音なので『じゃがたら』が考えるビートではなく、距離的な問題で本来はジャストで叩いているのに、物凄いファットさになった、と言うだけで、其れはスタジオで再現できるモノではないし、P-funk側にも再現出来ないモノだったワケだが、『じゃがたら』側としては「黒人は・・・」と言う感じだったんではないか?と思う。
黒人
↓
奴隷
↓
辛い日々
↓
人種差別も辛い
↓
其れを歌にした
↓
ブルース誕生
↓
ジャズ誕生
↓
ファンク誕生
↓
色々なモノが誕生
↓
黒人特有or黒人にしか出来ないテクニックばかり
と言う図式は意外と今でも通用するのかも知れない。
しかし、黒人が奴隷として扱き使われていたのは19世紀までであり、その奴隷制度上での労働時間や労働環境は実は日本の派遣社員、正規雇用、ブラック企業よりも遥かに『マシ』なモノだった。
もしかすると、アフリカでの生活の方が辛かったのではないか、とさえ思えるモノである。
過酷だったのは郵送船だったかも知れないが、奴隷船と安い旅客機は仕組みは同じなので「死ぬほど辛い」と言うモノでもない。
何しろ奴隷は値段が高い。
普通のサラリーマン程度の収入では買えないモノであり、高級品だったので酷い扱いは受けなかった人が大半だったはずで(いつの時代も例外はいるが)。
因みに、此の時代から既に『黒人=アフリカ』と言う図式は崩れている。
奴隷の黒人が逃げ出して、インディアン自治区へ行き、其処で生活し、インディアンと結婚して子孫を残す、と言う例が多くなるからである。
または、森の中に逃げて、コミューンを作る例もある。
そして、その『元奴隷の黒人達』は、後に「インディアン」「アメリカ先住民」を名乗ることになる。
奴隷時代が終わった事は黒人奴隷にとっては余り良いモノではなかった。衣食住が保証されている生活から、貯金もないのに独立しなきゃならないので、此処で『人種差別が辛い』と言うよりも結果的に小作人として白人へ『給与』と言う形で雇われるしかなく、其処には『解雇』や『賃金』と言った問題が生じてくる。
『人種差別が辛い』と言うのを分り易い例としては『第一期KKK』だろう。
だが、此の頃の『KKK』は教育を受けた事がない黒人(文字も読めない)へ『オバケの格好』をして脅かす、と言う程度のモノである(KKKの衣装は、当時の『オバケ』の格好であり、つまり『オバケのQ太郎』なのである)。
ブラック・ミュージックに話を戻すが、黒人生活でブルースが生まれたワケではない。『コンゴ広場』の話は有名だが、『コンゴ広場』で演奏されていたアフリカ音楽とゴスペルやブルースに共通項は皆無だ。
労働中に歌っていた『ワークソング』はあったかも知れないが、それが『奴隷時代』なのか『小作人時代』なのか判らない。
奴隷時代だとすれば、各々の話す言語は違っていたはずなのでコール&レスポンスは成り立たない、と考えるのは普通な気がする。
「近いから言葉も近かっただろう」と言うのは、日本語とハングルが違う事を思い出せば良い。
で、多くの人が憧れるブラック・ミュージックの第一発目が『ブルース』である。何故かワークソングやゴスペルは無視される。
ロバート・ジョンソンが産まれたのは1911年で、日本だと夏目漱石が文学界を斡旋し、平塚らいてうが言ってしまえば今のLGBTBに繋がるジェンダー運動を開始している。そして(制限付きだが)普通選挙が開始されている。
此れだけで、既に時代は『近代』と言うよりも『現代』である事が分かる。
だから、大昔のブラック・ミュージックと言う印象を受けるブルースは実は『現代の音楽』である。
そして『黒人音楽の現代性』は、ブルースの多くが
ギター
ピアノ
と言う白人文化から生まれた楽器が用いられている部分である。カリンバだとか打楽器ではなく、ギターと言う処からして既に『黒人=奴隷=アフリカ』と言う図式は消えている。大雑把に言ってしまうが、アフリカには『ギター』のような楽器はない。『コラ』と言うハープはあるが、カリンバと同じで、1~2小節のフレーズを延々と繰り返す為の楽器であり、12音階楽器ではない。
アフリカの楽器の大半(全部?)はリズム楽器であり、打楽器であり、ビートがメインかも知れないがロバート・ジョンソン以前のブルースは少なくとも西洋音楽、音楽理論で説明が付くモノであり、すなわち黒人音楽と言うよりも牧歌的なフォークソングである。
ロバート・ジョンソンのギターに『強烈なリズム性』があるのか?と言うと私には、其れは感じられない。ロバート・ジョンソンの先輩であるサンハウスもリズムと言うよりは『節』であり、パルス的なビートとではない。
ピアノでブルース、って言うのはギターよりは少ないが、クレオールと言うかピアノは何時の時代も高級品なので裕福な子しか持てない。
ピアノによるブルースはラグ、ブギウギとなり、この強烈なリズムが黒人特有の・・・と言うのもあるんだけど、ラグ、ブギウギは元々、フランスのダンス・ミュージックであり、其れを黒人が演奏した、と言う処である。
この「白人のダンス・ミュージックを黒人が見様見真似で演奏する」と言う処は物凄く重要なポイントである。
もしも『ブラック・ミュージック』と言うモノが存在するならば、それは『白人のダンス・ミュージックを黒人が演奏する』である。
50年代~60年代にイギリスやアメリカで人気を得た『ロックンロール』と言う音楽の本質は自由でも反抗でもドラックでもなく、
『白人が黒人音楽を見様見真似で演奏する』
と言う事である。此れはビートルズもローリング・ストーンズも、もっと言えばグレイトフル・デッドも同じである(デッドの初期のレパートリーはウィルソン・ピケットの『In The Midnight Hour』である)。
恐らくブルースと言う音楽も、当時のカントリー(の原型であるイギリス民謡やフランス民謡)をモチーフとしているはずで。
黒人だから『無』から『有』が作れるワケではない。
誤解を恐れずに言ってしまえば『無』から『有』を作ることが出来たのは白人文化やアジア文化の方であり、長い歴史で考えれば白人文化は中東やヨーロッパの辺境文化のミックス、リミックスであり、浮世絵が西洋美術に与えた衝撃で分かるように、アジアはヨーロッパに影響を与え続け、ヨーロッパはアジアに影響を与え続けたワケで、膨大な時間の中だからこそ出来上がったモノである。音楽、ファッション、科学と魔法、恋愛、階級、料理。
だが、『ホワイト・カルチャー』と言う言葉はない。
昨日、ボンヤリとしながら考えたのだが『純粋黒人音楽』と言うモノを100000歩譲って考えると
『ビ・バップ』
位しかないんじゃないか?と思う。バップもアルト・サックスやピアノと言った西洋楽器で行うのだから十分、白いのだが少なくともミントン・プレイハウスには黒人以外が来ていた、と言う記述は観たことがない。
しかし、チャーリー・パーカーを知らずに、その伝説を聴いて期待してCD(LP)のスイッチを入れて、出てくる音は『真っ黒』と言うモノではなく『真っ白』である。
其れはエレガントと言う形容詞で表すことが出来るかも知れない。
多くの人が考える『ブラック・ミュージック』と対極にあるのが実は『チャーリー・パーカー』であり、遡ればデューク・エリントン(デュイーク・エリントン楽団がジャズっぽい演奏を始めるのは戦後)である。
私事で恐縮だが、高校時代に「ソウル」「ブラック・ミュージック」への憧れがあり、書籍で『マーヴィン・ゲイ』を知って直ぐに買いに行った。
CDからは「さぞかしファンキーな音が・・・」と思ったらムーディーでソフトでエレガントな音であり、50年代プレスリーよりもソフィケイトな音でガックリした覚えがある。
R&B、ソウル・ミュージック、モータウン、スタックス。
此等をブラック・ミュージックと考えていたのだが、冷静に考えるとR&Bもソウルもモータウンも50~60年代に作られた音楽であり、マーケットは黒人オンリーではなく白人だった。
この事実はロバート・ジョンソンやブラインド・レモンの音源がレイス・ミュージックとしてマーケットが黒人だけ(または民族音楽)とは真逆である。
バップが黒いのか?と言う事はマイルス・デイビスと言う『黒人文化の論客』であり『黒人でありながら、黒人文化を客観視、または第三者的視点を持った人物』が
「バップは真っ黒だった」
と言うのだから間違いないのだろう。だが、マイルスの意見を否定するワケではないがバップの『黒さ』は演奏だけではなく、ファッション、ドラック、振る舞い(マナー)を包括したものだったんだと思う。
サウンドだけで言えばWW2~朝鮮戦争の頃に作られた『Vディスク』でのベニー・グッドマン&カウント・ベイシー楽団の音源での『ベニー・グッドマン(ユダヤ系白人)』の狂ったようなクラリネットは恐ろしく黒い。そして狂気的とも言える迫力がある。
そのベニー・グッドマンが雇っていたギタリストがチャーリー・クリスチャンで、『バップとはチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが作った音楽』と言うモノに常に疑問を抱かせる人がいる。
あ、ちょっと話は変わるんだけども『ビ・バップとはチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが作った音楽』ってよく聞くんだけど、『ミントン・プレイハウス』の音源はチャーリー・クリスチャンがメインなんだよな。チャーリー・クリスチャンの演奏を録音にきたコロンビア大学の学生がいたんだから。
実際、マイルス・デイビスも自叙伝ではバップ時代においてチャーリー・クリスチャンのギターは誰もが取り入れた、と言っている。
セロニアス・モンクなど大勢がいる中でチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーの存在が『ミントン・プレイハウス』では、どの程度だったのか?と言う疑問が未だに残っている。
ミントン・プレイハウス音源で、現代の耳で聴いても生き急ぐような、リスナーの背筋を凍らせるような演奏をしているのはチャーリー・クリスチャンであり、其処にチャーリー・パーカーは居ない。
話を戻すが、バップが黒かった事をメタ黒人であるマイルス・デイビスが言っているのだから認めるとして、『ジャズはブラック・ミュージックか?』と言う事も疑問に思う。
バップ以前はベニー・グッドマンがTOPであり、それは「白人だから受けた」とは言わせないサウンドを作っている(『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』でのハリー・ジェイムスのソロは黒人よりも黒く、重く、速い)。
スウィング時代にもディーク・エリントンと言う王がいるが、ディーク・エリントンの戦前の演奏は、今で言うマーチン・デニーのようなエキゾチック音楽であり、メタ環境音楽である。
じゃあ、スウィング時代以前は?と言うと、ディキシージャズがあるが、ディキシージャズと言っても、ディキシースタイルの最初の音源は『オリジナル・ディキシー・ジャズ・バンド』と言う白人演奏家だ。
音源の効果は大きいはずで、ニューオリンズのスタイルを白人が演奏し、其れをニュージャージー州の黒人が「スッゲェ!カッコいい!」と興奮した可能性は私は否定しない。恐らく『オリジナル・ディキシー・ジャズ・バンド』の影響は大きかっただろうし、大きくなければ地方の奇妙なダンス・ミュージックがアメリカ全土にいる黒人に波及しなかったはずで。
黒人によるディキシージャズは勿論、あった。そのスターはルイ・アームストロングで、彼は『マスコットとしての黒人』『コメディアンとしての黒人』を演じながらも超絶技巧のトランペット(トランペットと言う楽器はルイ・アームストロングが使った楽器である、と断言しても良い)。
だが、その内心は人種問題に対して非常にラディカルな人だった・・・らしい。
とは言え、ルイ・アームストロングがスターとなれたのは、その愛嬌や白人受けする部分だったと思う。彼が吹き込んだ音源でヒットしたものは白人作曲家によるものだ。
私はルイ・アームストロングが大好きなので彼の黒人性を否定はしない。少なくとも『スキャット』と言う後のヒップホップにせよTB-303によるデトロイト・テクノのルーツを作ったのはルイ・アームストロングだから。
長いな。
次に続く