我ながら、今の仕事を半年以上、続けられるとは思わなかった。時給は安いが環境があっているんだと思う。
帰宅するとカノジョがビーフシチューを作ってくれた。死ぬほど美味しかった。
その後、『ジャージー・ボーイズ』と言う映画を観た。途中まで気が付かなかったのだが、実は私の音楽の『原体験』である
『フォーシーズンズ』
の伝記映画だった。クリン・イーストウッドが監督だから独断と偏見もあるんだと思うのだが、衝撃だった。
あのフォーシーズンズのメンバーは、イタリア移民で、デビュー前は完全にチンピラ。
刑務所行き寸前だった。
でも、観ながらフォーシーズンズの歌が聞こえてくる。
私にとってフォーシーズンズは『永遠のアイドル』であり、救世主だった。
中学生か小学生高学年だったか。親から古いオーディオを貰った。LPとラジオ、カセットテープが聴けた。
其れで父親が持っていた『ベスト・オブ・オールディーズ』みたいなモノを貰った。其れにはレイ・チャールズとかも入っていたのだけど、一番、好きだったのは
『フォーシーズンズ』で
Big Girls Don't Cry
Sherry
だった。
私は幼年期は幻覚や幻聴に悩まされた事があった。統合失調症か?って感じだが幼年期は脳味噌が出来上がってないので、そう言う事例は多かったらしい。
其れに家庭内は、DVと濃厚なSEXって言う『DV一家あるある』だったから、その恐怖感もあったのかも。
だから寝るときは怖くて仕方がなかった。
ある時、祖母がヌイグルミをくれて、其れで「これで一人じゃないんだ!」と思った。だから、ヌイグルミを強く抱きしめて眠っていた。
だが、夜は怖い。
父親が特種な人だったし、母親も苦労していた。
私には友達と呼べるような存在が皆無で困っていた。当時はインターネットもSNSもないから、途方もない孤独感、と言うか。
孤独感だけど、登下校の際に私は友人が小学生の段階で皆無だった。寂しいから歌いながら帰っていた。
変声期前だったから私の歌声は天高く、地平線まで響いた。
高音域による倍音は快感だったし、素敵だった。だから、フォーシーズンズを聴いたときはビックリした。
「自分よりも遥かに高い音で歌っている人がいる!」
だが、その歌声はとても優しくて、草深い九州の深夜を過ごすには、とても美しかった。
親が苦情を言うので小さな音量でフォーシーズンズの『シェリー』。
その頃も夜がとても怖かった。
本当に怖かった。怖くて、眠れない程だった。寝付きが悪い体質は同じだったし、幽霊だとか・・・と思っていたのだが、思えば既に家庭内の不協和音を感じていたのかもしれない。
だから、寝る前にカセットテープは大事な事だった。其れでフォーシーズンズは、とても淋しくて、震え上がる夜をソっと抱きしめてくれていた。
その後、中学生2年生になり、異変があった。
私は音楽の授業が大好きだった。合唱で自分の声がハーモニーとして形成される事は、精通を迎えていない私にとって性的リビドーを遥かに超える『快楽』『快感』だった。
だが、ある時から国際宇宙ステーションにまで響いた私の高音が出なくなった。
声が出ない、と言うか一生懸命に声を張り上げるのだが、全く駄目だった。
其れで、自分が変声期を迎えた事を同級生からカラカワれて、屈辱だった。
物凄いショックだった。
何かを失った、と思った。変声期は知っていたけども自分にも訪れるとは思っていなかった。
確かに同級生だった女子達の身体が変化していたり、自分にも性的な気持ちが沸き起こったり、異変は感じていたのだけども、其れが『声』として現れると言うのは考えたことすらなかった。
当時の私の友は
①象とロバのヌイグルミ
②地平線にまで届く歌声
だけだった。だから、ガックリした。ヌイグルミは「13歳でヌイグルミは駄目だ!」と思って封印してしまったから、完全に孤独になった。
学友は居たけども、何処か・・・今もそうだけども『友人との交際方法』が分からない部分がある。
だから、学友が何を考えていて、何をしているのかサッパリ分からなかった。
私が、ピアノを習ったり、シンセサイザーを買ったり、インスト音楽を好んだり・・・服装やクラブ、ダンスに走ったのは高校生だけども、
『失ったモノ』
を何かで埋めようとしていた気がする。
今はトランペットだが、トランペットで高い音を出すのはやっぱり快感だけども。
でも、14歳で変声期に気がついてから一切、歌っていない。カラオケ・ブームなんて言う下らないモノがあったけど、なるべく行かなかった。
歌い方が分からなかった。
『Big Girls Don't Cry』
『Sherry』
は、バンド名も知らなかった。カセットテープのラベルは読みに辛くて分からなかったし、当時は調べる方法もなかった。
でも、フォーシーズンズは今でも『変声期』『失われた歌声』を思い出す。
小学生の頃、私は鳥のように、そして落雷よりも大きな声で歌えた。その大音量でありながらも、高音の倍音に愛されていたし、愛していた。
ジミ・ヘンドリックスがエレキ・ギターと言う楽器に愛されていたように、私は自分の喉と、そこから発せられる音に愛されていた・・・と思う。
その頃を再現する事は不可能だが、孤独感を慰めてくれたのは自分の喉と、カセットテープに入っていたフォーシーズンズだった。
今はトランペットだが、このトランペットと言う楽器は面倒くさい楽器で、日々の基礎練習を怠ると、途端に音が出なくなる。
唇のメンテナンスも必要だし。
「あの頃は、勝手に楽器で表現不可能な程、メロディーを扱えたもんだが・・・」
と思う。
でも、孤独は乗り越えなくてはならないし、気がつけば『孤独感』が私の性格とライフ・スタイルになった。
だから、楽曲が作れるんだけどもフォーシーズンズの映画を観ながら
「あの頃の声を維持出来ていれば、俺は楽器に手を出さなかったかもなぁ」
と思う。
なんと言うか、私の喉から出る歌は、私の親友だった。
死んでしまった、幼い頃の親友、と言うか。
フォーシーズンズを聴くと、今もそんな気持ちになる。