だが、血と血で争う中東やアフリカのPOSOのような街に果たして
『青春』
と言うモノがあるんだろうか?。『青春の門』と言う名作はあれども、あれは筑豊の話であり、
『福岡県田川市』
と北九州市とは違う地区の話である。
他にも『無法松の一生』と言う映画があるが、主人公は素人童貞のママ、野垂れ死に・・・と言う最悪の結果しかない。
要するに北九州市と言う街には常に
『最悪』
『害悪』
『最後
『打つ手なし』
と言う状態しかなく、その街で生き残る為には男性ならばロケットランチャーは高額なので難しいとは言え(北九州市の最低時給は850円だ)、トカレフや、日本刀の一つや2つは所持しないと無理だ。
楽しい小学校生活が終わり、中学生になった。
他の地区の子達と会うのは初めてだった。北九州市は5市合併とは言え平野部が少なく、そのためか車で5分の地区でも風習や方言が違う。
だから、ドキドキしていた。怖いと言うか、不思議な感じと言うか。
中学1年生になり、慣れない詰め襟の学ランを着用させられ、ダサいカバンを持たされる。
授業は小学校の牧歌的なモノとは違うし、色々と違った。
で、最初の『班』にタキタと言う女子が居た。
(これは卒業アルバムから)
何故か私はタキタの事が気に入り、タキタも私のことを気に入ってくれたんだと思う。
私の(下らなくて、どーでも良い)話を聴いてくれて、大笑いしてくれていた。私はタキタを喜ばせる為に一生懸命に話していた。
(中学生の頃の私)
ある時、学校の色々で残った。で、引き出しを覗くと丁寧に折り畳まれた(妙な折り畳まれ方)手紙が入っていた。
その手紙には
①好きな人はいますか?
②誰かに告白されたことはありますか?
とか質問ばかりだった。だが、時代は1989年であり、SNSも、ネット回線もないので『質問だけ』があり、回答する手段がない、と言う有様だった。
其処へタキタと、タキタの友人(その友人女性は中学を卒業して働いていた)が
「その手紙、なーん?(その手紙は何?)」
「読んだ?」
と来た。
私は、まだ12歳だった。
変声期もなかったし、精通もないし、童貞だし、世の中の事はサッパリ分からなかった。
つまり『子供』だった。
だから、手紙が恐らく『ラブ・レター』『恋文』と呼ばれる種のモノだと言うのは分かるが、12歳の私に何を求めているんだろう?と思った。
其れでクラスの担任の先生に
「先生、こんなん貰ったんやけど・・・・。どうすればエエんやろか?」
と相談すると、先生は「うーん」と言って
「とりあえず、これは私が保管しておきます」
と言う。
「これっち、何なんやろうか(これは、一体、何でしょうか?)」
と聞くと
「色々と考えなくても良い。これは私が預かるから」
と暖簾に腕押し。
なんと言うか
『不幸の手紙』
『チェーン・メール』
なら、話も分かるのだが。
その後、タキタが来た。
「あの手紙、どーしたん?(あの手紙はどうしたの?)」
「よく分からんけん、先生に渡した」
と言うと、タキタは同じ12~13歳とは思えない表情で「はぁ・・・」と溜め息をついて、振り向きながら
「あんたって、駄目やねぇ・・・」
と言った。その表情は十代の『女子』ではなく、『女性』だった。少し、ドキリとした。
ジョン・コルトレーンのアルバムに
『夜は千の目を持つ』
と言うモノがある。素晴らしいアルバムだが、女系家族に育った男性ならば
『女性は万の顔を持つ』
と言うか、そんな気がする。女性の浮気はバレる事が少ないが、男性の浮気は常にバレる。そしてバラバラ殺人となり、近隣の景観を駄目にする。
千ではなく万、と言うか。
私の妹、姉、母も意中ではない異性や同性から電話が来る時と、意中の異性からの電話の際は電話を取る際の声のトーンから音域まで変えていたモノである。
しかも、当時、飼っていた猫もメスだった。猫も好きな人への鳴き声は違う。
タキタと言う女子は、学年1位の『ブス』と言う事で有名だった。確かに写真を見ても大人びた感じは無い。
中学生の頃の『ビーナス』と言うのは
①バストサイズ
②大人びた感じ
③全体のバランス
④ヤンキーっぽい風貌『ではない事』
だった。最後の『ヤンキーではない事』と言うのは重要で、ヤンキー系だと、その女子へのアクセス権は限られた人になってしまう(ヤンキーはヤンキーとしか付き合わない)。
だから、アイドル的な感じではなくなる。
大人び風貌となると、大抵がヤンキーなんだけども、言ってしまえば皆、童貞なワケで、童貞が考える『ジェンダー問題』と言うのは、基本的に
『クソ以下』
である。
当時、タキタを「ブスだなぁ」と思った事はない。ってか、今もない。
女性は万の顔を持つ。
10代だろうと、80代だろうと、女性は常に『女性』としての顔を持っており、其れを魅せる相手は限られている。
男は10代も80代も「糞ガキ」としての顔しか持たないが、真逆なのである。
だから、タキタが「はぁ・・・。あんたって駄目ねぇ」と言った時の表情は、『浅川マキ』が歌うブルースみたいだった。
12歳の男の子ならば誰もがビックリする顔だった。
そんな、こんなで2月になりバレンタイン・デーとなった。
馬で走り、戦車で追撃し、ロケットランチャーが飛び交い、近隣は全て塹壕であり、北九州市内の塹壕の長さは地球一周出来る距離と言う凄まじい土地で
『バレンタインデー』
『ホワイトデー』
『ハロウィン』
は無縁の話だった。
「まぁ、俺にぁ縁のねぇ話だよな」
と思いながら、父親とTVを観ていた。其処へドアのチャイムがなった。
夜に訪問してくるのは父親の関係者が多かった(ヤクザ、出所した人、胡散臭い奴ら)、父親が出た。
暫くして父親が血相を変えてやってきた。
「か・・・カズタカ!!!女の子が来とるぞ!!!??」
「はぁ?」
と思い、玄関に行くとタキタと、友人が居た。タキタは凄い表情で恐らくチョコレートが入った袋を渡してきた。
「はい!これ」
みたいな。なんと言うか、普段とは違い、少し怖い表情だった。
「ああ・・・あ・・・はい・・・」
と言う感じで受け取った。で、必死になって
「こ・・・これは『義理チョコ』よね・・・?」
と聴いたら、タキタは怒った感じで振り向いてきて
「違うよ!あんたの事、好きよ!!!!」
と怒鳴られた。
もう、ビックリした。ビックリなんてモンじゃなくて漢字で『驚愕』『愕然』『呆然』と言うか。
タキタの事が嫌いだったとか、異性として見れない、ってワケじゃなかった。ただ、精通も第二次成長期も迎えてない私を
『異性として見る人』
がいる、と言う事が正直、ショッキングだった。
タキタの事が好きだったか?って言えば幼いながらも好きだったんだと思う。ただ、その気持ちが
「好き」
と言う言葉に変換出来ないだけだった。それに12歳に恋愛感情なんて皆無だ。夏のアブラゼミを捕まえるのが好きだったように、夏のアブラゼミと同じようにタキタの事も好きだっただけである。
アブラゼミとは酷い!と思われるかも知れないが、「0と1」しかないのが12歳。
怒りながら振り向いて「好きよ!あんたのこと!」と怒鳴ったタキタに対して私は、仰け反りながらも必死に
「うるさい!馬鹿!」
と声を振り絞るのが精一杯だった。
思えば、其れ以前にタキタは学校にマニキュアをしてきたりしていた。私へのアピールだったんだろうか。
だが、12歳の男の子が、そんな細部を見るわけがないので気がつなかった。
26年ぶりに学友が経営する居酒屋『とんぼ』に行った際に、同級生の消息の大半は分かった。
半分以上が郷里で生活していた。
他県と言うか都市部へ行った子は殆どいなかった。
だが、『タキタ』だけは、誰も彼女の消息を知らなかった。タキタは友人が少ない子だった。
夏休みが終わってから席替えが行われ、タキタと話すことはなくなった。
2年生になってからクラスが変わった。
それ以来、タキタの事は誰も知らないらしい。
今は、どーしてるんだろうねぇ・・・と思う。
思えば中学~高校時代で『私に告白をしてきた女性』はタキタだけだった。