2020年11月20日金曜日

2020年10月18日日曜日

近藤等則が死んだ

 近藤等則が死んだらしい。


71歳だった。


この御時世だと若い部類に入る。死因は分からない。

訃報は家族が(彼の二人の子供)がUPしていたが死因は書いていない。


ただ、年齢を余り感じさせない風貌と奏法だったので『71歳』と知ったときはチョットだけ驚いた。


近藤等則は正直、好きではなかった。

理由は無い。


好き、嫌いでしか言いようがない。


ただ、演奏テクニックも素晴らしかったし、エレクトリック・トランペットと言う『ジャンル』を作った人でもある・・・と思う。


その前にランディー・ブレッカーやマイルス・デイビスと言った人達もいるけども、近藤等則ほどエレクトリック・トランペットに邁進した人は居ないと思う。


演奏自体は現代的なのに、youtubeなどで聞く氏の言葉は「嗚呼、団塊」と言う感じのオッサン臭いモノなのが不思議だった。

あれだけ大量のエフェクターを使うのに、本音としては肉体信者と言うのも変な感じがした。


年間100回、世界中でライブをしていた位だから精力的な人だったんだろうなぁと思う。


ただ、やっぱり、今更ながら言えば


『ものすごく変な人だった』


と思う。



何しろ奏法が古かった。

エレクトリックとは言え、奏法自体は1930年代の奏法だった。

それはルイ・アームストロングなんだけど。


サッチモとエレクトリックと言うの組み合わせを考えつくなんて、とてもヘンテコだ。


エレクトリックを多用する割には空手や肉体論信者だったりもするし。




あまり好きではなかったが私もエレクトリック・トランペットを吹くので研究はした。

私はLO-FIなエフェクターを多用するのに対して近藤等則はHI-FIなエフェクターを多用していた。

ようするに『高価なエフェクター』と言うか。


研究はしたけど、余り役には立たなかった。

近藤等則氏がエレクトリックに走ったのはマイルス・デイビスやランディー・ブレッカーの影響でも何でも無くて


「当時、組んでいたバンドが余りにも大音量で、trumpetでも音が聴こえないから音量増加の為」


と言う理由が良い気がする。


然し、エレクトリック・トランペットと言うジャンルを作った人ではあるが、其れが普及する前に亡くなった、と言う気がする。


普及も何も、本人がシステムを公開していなかったので普及するワケがなかったのだが(何しろtrumpetのマウスピースに穴を開ける、と言うトランペッターとしては可也、勇気がいる行為が前提だった)。




然し、まぁ、何と言うか。



同じくエレクトリック・トランペットを吹いている身としては唐紙に穴が空いたような寂しさを感じる。


管楽器にエフェクターと言うのは今でも少数派(中国におけるウイグル族のような)であり、金管楽器屋でエフェクターなんて言う話は御法度である。


そんな中、近藤等則と言う人は『管楽器にエフェクター』と言う人にとっては一筋の光でもあった。



・・・と言うことまで書いて、久し振りにDj Krushと近藤等則のアルバムを聴いてみた。





久し振りに聴いてみたら、


「全く影響はウケていない」

「好きでもない」


と言いながらも奏法には可也、影響を受けている事に驚いた。


音の入り方とか、フレーズ、音の使い方など結構、影響を受けている。


全くの他人ではなく、何かしら勉強させてもらった人なんだな、と思う。

そう考えると、やはり唐紙に穴が空いたような喪失感を感じる。

ご冥福を祈ります。


2020年8月27日木曜日

沖至が死んだ

 生きる伝説だった『沖至』が死んだ。









死因は分からない。他殺ではないし、自殺でもないと思う。

思えば高齢だったワケだし。



trumpetを演奏する私としては何処か、沖至の訃報に接して、ただ、ただ呆然としている気がする。


何か大きなモノ、大きな存在を失った気がする。


もはや「人物」ではないスケールの何かを失った気がする。




trumpetと言う楽器は『演奏』と言う事に特化し過ぎた楽器である。

そのため、演奏方法は『音が出せる』と言う基本的なところに行くまで長い年月が掛かる。

古今東西、多くの楽器は何かしらのアクションを起こせば音は出る。


だが、trumpetはそうはならない。


単純なドレミファソラシドを吹けるのに何ヶ月も掛かる事もある。更にオクターブ上のドレミファソラシドになると、もっと時間がかかるし

『ハイトーン』

と呼ばれる高音域に関しては数年掛かる。


楽器としての完成度が低い、と言う構造上の欠点もある。


その『構造上の欠点』を覆う為に、演奏者は途方もない(無駄とも思える)努力を強いられる。




楽器は特殊技能である。


ロックのように『パワーコードで何とかなる!』と言うジャンルがtrumpetには存在しない。

余り、逃げ場がない楽器である。

その意味で、trumpetの技能には『逃げ道』を確保する、と言うのもある。


長時間の演奏が不可能な楽器でもある。


サクソフォンのようにリードを変えれば何時間でも吹ける、と言う楽器ではない。


長時間の演奏が不可能である為、どう逃げ切るか?と言うのが大きなテーマになる。

短時間で強い印象を残しながらも、疲れない演奏方法。


サボる、と言えば聞こえは悪いがtrumpetと言う楽器に関しては特殊技能の一つである。




沖至さんの演奏は、正直に言えばテクニシャンとは程遠い場所にいた。



trumpetでプロ奏者だとテクニシャンが多い。面白みはないがテクニックは凄い、と言うか。

と言うか、超絶技巧と言うだけで食えるジャンルはヘヴィ・メタルと、trumpet業界だけではないか?と思う。



初めて聴いた時に驚いたのは


「音が濁っている」

「ピッチも不安定」

「ハイトーンは苦手っぽい」

「全体的に演奏は不安定」


と、プロフェッショナルな演奏とは全く違うのに驚いた。


後年、ライブを観たときも其れは同じだった。


ようするに沖至の演奏は『ヘタウマ』だった。


後に荻窪グッドマン(高円寺グッドマン)のマスター:鎌田さんに同じことを話すと


「沖やんのtrumpetは昔から『鳴って』なかったよーwっw!」


と言っていた(実はグッドマンの鎌田さんはトランペッター志望の人だった。沖至さんについて、こんな事を言えるのは鎌田さんだけである)。


実際、trumpetはビンテージなモノを吹いていたが、金属のパイプが響く、と言うよりは唇の音が、そのまま出てきているようなモンだった。


普通、trumpetって身体と金属の響きにより音を作るのだが、沖至さんは極端に「身体の音」しかしていなかった。


これはtrumpetの演奏方法としては『駄目』と言うカテゴリーになる。



ただ、沖至さんの『音』は、聴いていると飛びついて抱きしめたくなるようなファニーさ、愛狂いモノがあった。


もう、それだけが『沖至』と言う人だった。


trumpet奏者と言うよりも『沖至』と言う楽器を演奏する人だった。




『ヘタウマ』と書いたけど実際、元祖『ヘタウマ』だったと思う。

ハッキリ言えば、同世代のヒノテルや、他のミュージシャンよりは遥かにテクニックは劣っていたと思う。


特殊な奏法(エフェクターを多用したり、水中にtrumpetを沈めたり)を考案したのはレコードで聴いた演奏方法ではなく、その『ヘタウマ』の部分を何かしらでカバーする必要性があったからではないか?と思う。


沖至さんは一時期、ディレイとワウペダルを使っている。


ワウペダルはマイルス・デイビスやランディー・ブレッカーはワウペダルを多用したが、ディレイは使っていない。


ってか、当時のディレイって高いんだよな。


サラリーマンの月収が吹っ飛ぶ金額だった。

スタジオや録音機材であり、ライブで使ったのは沖至さんが日本では初めてだったのではないか。


JAZZと言うジャンルには未だに電子楽器(エフェクター)を使うことを良しとしない人も多い。

70年代前後は更に多かったのではないか。


当時はPAも貧弱なモノしかなかっただろうし(PAがある程度、使えるようになったのは2此処20年である)、ギターアンプとかでやっていたのかも知れないが、移動は大変だっただろう。




だから、アイデアや音色だけで勝負してきた人・・・と思う。


勝負師のような鋭い音もライブでは垣間見える。

自分の音(響かない音)を、どう響かせるか?。


沖至さんは演奏中、何を考えながら演奏していたのか分からない。


ただ、私も下手だし、其れを何とかするために色々と下らない事を考えては実行して、自爆する。


私だけではなく、アイデアや実験精神、音楽と言う怪物に挑み続ける人は皆、同じだと思う。


『物凄い速弾き』


『物凄いハイトーン』


『難しい曲を演奏する』


と言う事ではなく・・・それは音楽ではない。


音の一つ、一つを丸く、まぁるく、まぁ~るく、まるでビー玉のように磨いていく事が音楽であり、そのビー玉を潰して『おはじき』にして、更にステンドグラスにしてしまう行為こそが沖至さんの音だったと思う。


幻想的な演奏だった。


それは、幼い頃、ビー玉やオハジキに夢中になった嘗ての自分と、その気持ちを沖至さんの音には、確かに『あった』。


夏至の帰り道に飲む三ツ矢サイダー、その瓶に入っているビー玉。


滴る水滴、瓶から出せないビー玉と、その美しさと儚さ。


夏至の三ツ矢サイダーをあと何回、飲めるんだろうか。


それは人生の一瞬の出来事であり、一瞬にこそ鬼が住み、蛇が蜷局を巻き、そして儚くも美しい時間がある。

瞬きの時間と同じ時間に。



沖至さんの演奏は、そう言うモノだった。



沖至さんの演奏を聴いたのは、そんなに前じゃない。沖至さんの情報は余りネットに乗らなかった。

何しろ、全盛期の音源の殆ど廃盤。

フランスに渡航してからリリースした音源は殆ど売れなかった(軽音楽のような音だった)。


だから念願叶って観たときは感激したモノである。


沖至さんの演奏はリラックスしており、緩やかだった。


「俺には・・・こう言う演奏をするには若すぎる・・・」


と自分の年齢を悔やんだ。あの年齢で苦渋も喜びも噛み締めてきた人にだけ出せるブレス音だった。



俺は、こうなりたい、と思った。



テクニックや煌めくような音ではなく、沖至のような音が欲しい!と思った。

そして、それは今も思っている。


京都の石庭に置かれいる石のように、ポツン、ポツンとしていながらも存在出来る音。


それは目標だったし、何故か『沖至がいるから大丈夫』と言う意味不明な事も思っていた。

それは、もしかするとパンク・ロッカーにとっての『ジョン・ライドン』かもしれないし、90年代までの現代音楽家にとっての『ジョン・ケージ』かもしれないし、フリージャズ派にとってのオーネット・コールマンかも知れない。


誰にとっての『誰』か分からない。


少なくとも私にとって、沖至さんはマイルストーンだった。


沖至さんがいるのだから大丈夫、と言う意味不明な事も思っていた。下手でも良いじゃん、面白い演奏をすれば良いんだ、って言うか。



俺は途方にくれている。



もしも、輪廻転生と言うモノがあるならば沖至さんには鳥となって欲しい。

そうすればtrumpetを手にせずとも、心置きなく歌えるから。


ご冥福をお祈り致します。

2020年7月13日月曜日

白石民夫

先日、白石民夫さんの路上パフォーマンスを聴いた。





白石民夫さんの演奏は20年くらい聴いている。

最初は月本正さんから教えてもらった。
「面白いと思うから行ったら?」と言う感じである。

どんな人か分からなかったし(当時、インタネットは黎明期だった)、フリージャズの人なのかなぁと思いながら新宿に行った。


初めて聴く白石民夫さんの音にビックリした。
凄く感銘を受けた。

感銘を受けた、と言うか当時

「高音には神が宿るのではないか?」

と思っており只管、trumpetで高音の練習をしていた。
中音域や低音ではなく、超高音には何かが宿る・・・と思っていた。

まだ、trumpetは上手くなくて高い音と言っても3分も出れば良い方だった。
でも、高音域には何かが宿る・・・のではないか?と志は熱かった、と思う。
それが現状、実現不可能だとしても。



そんな自分が考えていた音楽の在り方を白石民夫さんは既に実現していた。

其処に感銘を受けた。

自分の考えている(まだ実現できない音)音は間違っていないんだ!と言うか。

白石民夫さんは当時、私のマイルストーンだった。




今はKO.DO.NAと言うスタイルで音楽をやっているけど、オクターバーを多用するので超高音とは言い難い。
それに高い音はtrumpetよりサックスの方が出やすい。trumpetだとプロでも20分が限界だ。
高音域だけに神が宿るのではなく、音楽や美に宿るのだ、と今は思う。


演奏時間は10分程度だから遅刻はしたくない。
2年前に引っ越したばかりなので、少し早めに家を出た。

そうすると30分も早く着いてしまった。

白石さんは既にセッティングと言うかボンヤリと立っていた。


仕方がないので何処かで時間を潰して再度、向かう。




白石民夫さんの演奏は時間になっても中々、始まらない。
白石さんがカリヨン橋に立つと風が強くなる。
いつもだ。

新宿駅前の音だけが耳に入ってくる。

新宿は音が良い、と思った。

新宿は好きな街なんだけど、その理由としては『音の良さ』なのかもなぁと思った。
『音楽』に聞こえる。
それに対して渋谷、原宿、下北沢は音が悪い。音楽的とは言い難い。
歩いていて、苦痛だもんな。

皆、あんなに音が悪い場所によく行けるモンだ。




暫くして、白石民夫さんがサックスを吹き始めた。


景色がガラリと変わる。

その瞬間、



「嗚呼、音楽って神聖なんだな」



と思った。何を今更、言っているんだ?って感じだけど『音楽は神聖』と言うのは演奏者ですら時折、忘れてしまう。

音楽に携わっていると、音楽は日常に近くなるので判らなくなって来てしまうのである。
とくに私みたいな自主企画もやって、自分も演奏もして・・・だと忘れがちだ。

『美』は神聖なモノだ。



以前、知人と舞踏家の公演を観た。その時の公演は酷かったのだけど、知人女性が
「今日のNさんの公演は酷かった。だけど、舞台はやっぱり神聖なんだな、と思った」
と言っていたのを思い出す。

舞台は神聖なモノだし、美は神聖だ。



でも、時折、忘れがちになる。

『美』に対しての畏怖、畏敬を。

その畏怖や畏敬はキリスト教や仏教のように『戒め』『ルール』があるワケじゃないから、忘れたとしても問題はない。
しかし、忘れてはならない事なのである。



だけど、今日の白石民夫さんの演奏は『神聖』だった。何かが降りてくる、と言うか。

白石民夫さんはいつも通りの演奏なんだけど、私はそう思った。


00年代初頭に観はじめたのだけど、その頃は音を叩きつけるような演奏だった。

真冬で、しかも雨の日に演奏していたのだけど、40分以上延々と演奏し、聴いているのは私と、当時のカノジョだけだったのだけど

「いつ、終わるんだろう?」

と思う程、長丁場だった。あの日は特に寒かった。
白石民夫さんだけが寒さなんぞ気にならない、と言った感じだった。

「すっげー!」

と思って演奏後に話しかけたら「サックスを預かってくれないか?」と言われて何故か白石民夫さんのサックスを数か月ほど預かった事があった。

返す際に新宿のファーストフード店でお茶をした。

白石民夫さんは口数が少なく、あまり会話らしい会話にならなかった気がする。その時、私は

「白石さんはサックスはやっぱり超絶技巧なんですか?」

と聞いたことがあった。思えば馬鹿な質問だが「こう言う演奏は超絶技巧の果てにあるのでは?」と思ったからである。

「いや・・・3曲くらい吹けるけど、サマータイムとか簡単な曲しか吹けない」

「練習はやっぱり物凄くやっているんですか?」

「いや・・・部屋で吹いていたら同居人が『うるさい』って言ってきて・・・。確かに自分でもウルサイなぁ、って思うし」

と、20代前半の私は思えば失礼な事を聴いたもんだ。多分、自分が興味がある事しか話さなかったからだと思うけど。


私は白石民夫さんの過去には余り興味がない。
不失者のメンバーだったとか、吉祥寺マイナーとか、私はあまり興味がない。
だから、聞くこともない。



2回目に預かったときは、私が携帯電話を止められており白石民夫さんの着信に気が付いたのは路上演奏の前日だった。
当時は3千円程度の電話料金すら払えない程、貧乏だった。
以来、私にサックスを預けてこなくなった。

そんな事がありながらも、聴き続けていた。

真冬だろうと、真夏だろうと、白石民夫さんは「世界の淵」「この世の果て」のような風体で演奏していた。
観客がいようと、いるまいと、そうだった。
まるで、何かの罪の贖罪のような後ろ姿だった。

20年前は演奏時間は1時間程だった。


それから20年経過して演奏時間は10分になった。

年々、短くなった。

だが、音は、さらに鋭い・・・何というか長い間、ずっと溜めていた音のような熟成と言うか、何というか。

鳥の声、または鳥類の求愛の歌のようだ。

どうしても『感動』と言うのを言葉に変換するのは難しい。言葉に出来ない事柄こそが「感動」なんだもの。


音楽は神聖なんだ、と言う事を再確認した。


それは、とっても大事な事なんだと思う。

2020年5月13日水曜日

聖書BL

ゴールデンウィーク中、暇なので聖書を読んでいた。




すると、気になる箇所があった。

ルカの福音書18:32
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さてイエスは、十二弟子をそばに読んで、彼らに話された。「さあ、これから、私達はエルサレムに向かっていきます。人の子について預言者たちが書いているすべての事が実現されるのです。人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らに嘲られ、はずかしめられ、唾を吐きかけれれます。彼らは人の子を鞭で打ってから殺します。しかし、人の子は3日後に蘇ります」
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気になるのは、やはり

「そして彼らに嘲られ、はずかしめられ」



『はずかしめられ』


だろう。

何しろ紀元前の頃であり、帝政ローマ時代なのである。当時は同性愛と言うか、異性との性行為よりも同性同士での性行為の方がメジャーだったし、イエス・キリストよりも遥かに古いソクラテスは、弟子は基本的に愛人だった。

どんなふうに「はずかしめ」られるのか?。考えられるのは、こう言う事だろう。







同性愛が普通の時代とは言え、公衆の面前だ。

そこへ全裸のキリスト。襲いかかるのは日々のトレーニングで鍛え抜かれたゴリ・マッチョのローマ兵である。

美しく、鋼のような胸板と腹筋のローマ兵にイエスは思わず唾をゴクリと飲む。

「うっほ、良い男・・・」

十二弟子たちは平民出身者が多かった為、鍛え抜かれたローマ兵のような男は居なかった。




一体、どんなふうになってしまうのか?。ユダとは何度も性行為を行っていたが、目の前にいるローマ兵はユダよりも身体が太く、そして大きい。

昨日まで神の名を借りて説法をしていた自分が、あられもなく、『はずかしめ』に耐えられるだろうか?
聖職者である私が!。

手慣れた手つきでグリースがイエスのアナルに塗られる。
ローマ兵は悪戯にキリストの睾丸を触る。
背筋に冷たいモノが走る。

だが、ここで声を上げるワケには行かない。大衆の面前であり、中には私のことを神の子だと信じている人物もいるのである。

実際、私は神の子だ。

だが、身体は人間であり、男だ。肉体の反応に信仰心は勝てるのか?。



甲冑を外したローマ兵が四つん這いにさせたイエス・キリストのアヌスに「ズシン!」と入ってきた。

「・・・あぁ・・・!ぐぅ・・・!」

思わず声が漏れてしまった。

ローマ兵の熱量・質量はキリストにとっても初めてだった。ローマ兵は笑いながら腰を前後に動かし始めた。

「・・・っつ!」

我慢しても、我慢が効かない。ローマ兵の熱量は、灼熱のイスラエルの真夏よりも暑い。

「神の子だと言っても身体は人間なんだな・・・」

「う・・ぅ・・うるさい!異邦人め!」

「なんだ?嫌がる割にはケツマンコの締め付けが凄いぞ?此れもお前の『奇跡』なのか?」

「ち・・・ちぃ・・・違う!」

「隣人のように愛してやるよ・・・」

「あぁ・・・アーメン・・・」

で、何人ものローマ兵たちに上記のような『はずかしめ』を受けて十字架で貼り付けにされて、3日後に蘇る。

こう言う重要な部分を聖書は削っては駄目だと思う。これだからキリスト教はBLファンを取り込めないのだと思う。

死海文書はキリストの青春時代の話なので役に立たないが、他のQ資料には記載はないのだろうか?

聖書を巡る冒険は終わらないのである。