すると、気になる箇所があった。
ルカの福音書18:32
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さてイエスは、十二弟子をそばに読んで、彼らに話された。「さあ、これから、私達はエルサレムに向かっていきます。人の子について預言者たちが書いているすべての事が実現されるのです。人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らに嘲られ、はずかしめられ、唾を吐きかけれれます。彼らは人の子を鞭で打ってから殺します。しかし、人の子は3日後に蘇ります」
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気になるのは、やはり
「そして彼らに嘲られ、はずかしめられ」
の
『はずかしめられ』
だろう。
何しろ紀元前の頃であり、帝政ローマ時代なのである。当時は同性愛と言うか、異性との性行為よりも同性同士での性行為の方がメジャーだったし、イエス・キリストよりも遥かに古いソクラテスは、弟子は基本的に愛人だった。
どんなふうに「はずかしめ」られるのか?。考えられるのは、こう言う事だろう。
同性愛が普通の時代とは言え、公衆の面前だ。
そこへ全裸のキリスト。襲いかかるのは日々のトレーニングで鍛え抜かれたゴリ・マッチョのローマ兵である。
美しく、鋼のような胸板と腹筋のローマ兵にイエスは思わず唾をゴクリと飲む。
「うっほ、良い男・・・」
十二弟子たちは平民出身者が多かった為、鍛え抜かれたローマ兵のような男は居なかった。
一体、どんなふうになってしまうのか?。ユダとは何度も性行為を行っていたが、目の前にいるローマ兵はユダよりも身体が太く、そして大きい。
昨日まで神の名を借りて説法をしていた自分が、あられもなく、『はずかしめ』に耐えられるだろうか?
聖職者である私が!。
手慣れた手つきでグリースがイエスのアナルに塗られる。
ローマ兵は悪戯にキリストの睾丸を触る。
背筋に冷たいモノが走る。
だが、ここで声を上げるワケには行かない。大衆の面前であり、中には私のことを神の子だと信じている人物もいるのである。
実際、私は神の子だ。
だが、身体は人間であり、男だ。肉体の反応に信仰心は勝てるのか?。
甲冑を外したローマ兵が四つん這いにさせたイエス・キリストのアヌスに「ズシン!」と入ってきた。
「・・・あぁ・・・!ぐぅ・・・!」
思わず声が漏れてしまった。
ローマ兵の熱量・質量はキリストにとっても初めてだった。ローマ兵は笑いながら腰を前後に動かし始めた。
「・・・っつ!」
我慢しても、我慢が効かない。ローマ兵の熱量は、灼熱のイスラエルの真夏よりも暑い。
「神の子だと言っても身体は人間なんだな・・・」
「う・・ぅ・・うるさい!異邦人め!」
「なんだ?嫌がる割にはケツマンコの締め付けが凄いぞ?此れもお前の『奇跡』なのか?」
「ち・・・ちぃ・・・違う!」
「隣人のように愛してやるよ・・・」
「あぁ・・・アーメン・・・」
で、何人ものローマ兵たちに上記のような『はずかしめ』を受けて十字架で貼り付けにされて、3日後に蘇る。
こう言う重要な部分を聖書は削っては駄目だと思う。これだからキリスト教はBLファンを取り込めないのだと思う。
死海文書はキリストの青春時代の話なので役に立たないが、他のQ資料には記載はないのだろうか?
聖書を巡る冒険は終わらないのである。