生きる伝説だった『沖至』が死んだ。
死因は分からない。他殺ではないし、自殺でもないと思う。
思えば高齢だったワケだし。
trumpetを演奏する私としては何処か、沖至の訃報に接して、ただ、ただ呆然としている気がする。
何か大きなモノ、大きな存在を失った気がする。
もはや「人物」ではないスケールの何かを失った気がする。
trumpetと言う楽器は『演奏』と言う事に特化し過ぎた楽器である。
そのため、演奏方法は『音が出せる』と言う基本的なところに行くまで長い年月が掛かる。
古今東西、多くの楽器は何かしらのアクションを起こせば音は出る。
だが、trumpetはそうはならない。
単純なドレミファソラシドを吹けるのに何ヶ月も掛かる事もある。更にオクターブ上のドレミファソラシドになると、もっと時間がかかるし
『ハイトーン』
と呼ばれる高音域に関しては数年掛かる。
楽器としての完成度が低い、と言う構造上の欠点もある。
その『構造上の欠点』を覆う為に、演奏者は途方もない(無駄とも思える)努力を強いられる。
楽器は特殊技能である。
ロックのように『パワーコードで何とかなる!』と言うジャンルがtrumpetには存在しない。
余り、逃げ場がない楽器である。
その意味で、trumpetの技能には『逃げ道』を確保する、と言うのもある。
長時間の演奏が不可能な楽器でもある。
サクソフォンのようにリードを変えれば何時間でも吹ける、と言う楽器ではない。
長時間の演奏が不可能である為、どう逃げ切るか?と言うのが大きなテーマになる。
短時間で強い印象を残しながらも、疲れない演奏方法。
サボる、と言えば聞こえは悪いがtrumpetと言う楽器に関しては特殊技能の一つである。
沖至さんの演奏は、正直に言えばテクニシャンとは程遠い場所にいた。
trumpetでプロ奏者だとテクニシャンが多い。面白みはないがテクニックは凄い、と言うか。
と言うか、超絶技巧と言うだけで食えるジャンルはヘヴィ・メタルと、trumpet業界だけではないか?と思う。
初めて聴いた時に驚いたのは
「音が濁っている」
「ピッチも不安定」
「ハイトーンは苦手っぽい」
「全体的に演奏は不安定」
と、プロフェッショナルな演奏とは全く違うのに驚いた。
後年、ライブを観たときも其れは同じだった。
ようするに沖至の演奏は『ヘタウマ』だった。
後に荻窪グッドマン(高円寺グッドマン)のマスター:鎌田さんに同じことを話すと
「沖やんのtrumpetは昔から『鳴って』なかったよーwっw!」
と言っていた(実はグッドマンの鎌田さんはトランペッター志望の人だった。沖至さんについて、こんな事を言えるのは鎌田さんだけである)。
実際、trumpetはビンテージなモノを吹いていたが、金属のパイプが響く、と言うよりは唇の音が、そのまま出てきているようなモンだった。
普通、trumpetって身体と金属の響きにより音を作るのだが、沖至さんは極端に「身体の音」しかしていなかった。
これはtrumpetの演奏方法としては『駄目』と言うカテゴリーになる。
ただ、沖至さんの『音』は、聴いていると飛びついて抱きしめたくなるようなファニーさ、愛狂いモノがあった。
もう、それだけが『沖至』と言う人だった。
trumpet奏者と言うよりも『沖至』と言う楽器を演奏する人だった。
『ヘタウマ』と書いたけど実際、元祖『ヘタウマ』だったと思う。
ハッキリ言えば、同世代のヒノテルや、他のミュージシャンよりは遥かにテクニックは劣っていたと思う。
特殊な奏法(エフェクターを多用したり、水中にtrumpetを沈めたり)を考案したのはレコードで聴いた演奏方法ではなく、その『ヘタウマ』の部分を何かしらでカバーする必要性があったからではないか?と思う。
沖至さんは一時期、ディレイとワウペダルを使っている。
ワウペダルはマイルス・デイビスやランディー・ブレッカーはワウペダルを多用したが、ディレイは使っていない。
ってか、当時のディレイって高いんだよな。
サラリーマンの月収が吹っ飛ぶ金額だった。
スタジオや録音機材であり、ライブで使ったのは沖至さんが日本では初めてだったのではないか。
JAZZと言うジャンルには未だに電子楽器(エフェクター)を使うことを良しとしない人も多い。
70年代前後は更に多かったのではないか。
当時はPAも貧弱なモノしかなかっただろうし(PAがある程度、使えるようになったのは2此処20年である)、ギターアンプとかでやっていたのかも知れないが、移動は大変だっただろう。
だから、アイデアや音色だけで勝負してきた人・・・と思う。
勝負師のような鋭い音もライブでは垣間見える。
自分の音(響かない音)を、どう響かせるか?。
沖至さんは演奏中、何を考えながら演奏していたのか分からない。
ただ、私も下手だし、其れを何とかするために色々と下らない事を考えては実行して、自爆する。
私だけではなく、アイデアや実験精神、音楽と言う怪物に挑み続ける人は皆、同じだと思う。
『物凄い速弾き』
『物凄いハイトーン』
『難しい曲を演奏する』
と言う事ではなく・・・それは音楽ではない。
音の一つ、一つを丸く、まぁるく、まぁ~るく、まるでビー玉のように磨いていく事が音楽であり、そのビー玉を潰して『おはじき』にして、更にステンドグラスにしてしまう行為こそが沖至さんの音だったと思う。
幻想的な演奏だった。
それは、幼い頃、ビー玉やオハジキに夢中になった嘗ての自分と、その気持ちを沖至さんの音には、確かに『あった』。
夏至の帰り道に飲む三ツ矢サイダー、その瓶に入っているビー玉。
滴る水滴、瓶から出せないビー玉と、その美しさと儚さ。
夏至の三ツ矢サイダーをあと何回、飲めるんだろうか。
それは人生の一瞬の出来事であり、一瞬にこそ鬼が住み、蛇が蜷局を巻き、そして儚くも美しい時間がある。
瞬きの時間と同じ時間に。
沖至さんの演奏は、そう言うモノだった。
沖至さんの演奏を聴いたのは、そんなに前じゃない。沖至さんの情報は余りネットに乗らなかった。
何しろ、全盛期の音源の殆ど廃盤。
フランスに渡航してからリリースした音源は殆ど売れなかった(軽音楽のような音だった)。
だから念願叶って観たときは感激したモノである。
沖至さんの演奏はリラックスしており、緩やかだった。
「俺には・・・こう言う演奏をするには若すぎる・・・」
と自分の年齢を悔やんだ。あの年齢で苦渋も喜びも噛み締めてきた人にだけ出せるブレス音だった。
俺は、こうなりたい、と思った。
テクニックや煌めくような音ではなく、沖至のような音が欲しい!と思った。
そして、それは今も思っている。
京都の石庭に置かれいる石のように、ポツン、ポツンとしていながらも存在出来る音。
それは目標だったし、何故か『沖至がいるから大丈夫』と言う意味不明な事も思っていた。
それは、もしかするとパンク・ロッカーにとっての『ジョン・ライドン』かもしれないし、90年代までの現代音楽家にとっての『ジョン・ケージ』かもしれないし、フリージャズ派にとってのオーネット・コールマンかも知れない。
誰にとっての『誰』か分からない。
少なくとも私にとって、沖至さんはマイルストーンだった。
沖至さんがいるのだから大丈夫、と言う意味不明な事も思っていた。下手でも良いじゃん、面白い演奏をすれば良いんだ、って言うか。
俺は途方にくれている。
もしも、輪廻転生と言うモノがあるならば沖至さんには鳥となって欲しい。
そうすればtrumpetを手にせずとも、心置きなく歌えるから。
ご冥福をお祈り致します。