2011年10月2日日曜日

地デジ貧乏

フト、気が付いた。



と言うか我に帰った。


「私は貧乏である」と言う事実に。思えば2月は介護職につき

「ギャー!ボケ老人は手に追えねー!」

と我を忘れ、3月は震災にあい

「ギャー!日本終了ー!『北斗の拳』の世界がー!」

と我を忘れ、その直ぐ後には原発が爆発し

「ギャー!日本大陸完全被ばくー!俺もオマエも皆、溶けて死ぬー!」

と我を忘れ、暫くも揺れは収まらず

「ギャー!関東大震災が来るー!」

と我を忘れ、其の後は気が付けば仕事は消え、金も底を突き始めたので

「ギャー!仕事をしなくてはー!」
「介護どころじゃねー!」

となり元グッドウィルの子会社と言う馬鹿げた派遣会社に登録したのだが、思えば数ヶ月間、パニック状態だったので未だに治っていない。

しかし仕事をする事によって殆ど『治療』と言うか、言ってしまえば職場にいる間は外部の情報(震災関係)は全く入ってこないので何と言うか落ち着いていられる。
で、コールセンターには付き物なんだが「頭のおかしい奴」「腋臭」等も多数居る為、原発よりも、そう言う連中にウンザリする事によって気が別な方向に向いていたのだが、残念な事に会社に余り行けてない。


『起きたら17時だった』


と言う事が頻繁である。業種が云々ってワケじゃないんだろうが、そもそも仕事内容が絶妙の下らなさ、と言うか。

『総務省 地デジチューナー支援実施セ●ター』

なんだが、要するに『地デジチューナーも買えない貧乏人に地デジチューナを配る仕事』と言うか。

国の仕事の分際で給与が安いのである。泣けるほどである。

で、チューナーを貰う為には「貧乏人である事を証明する証明書」が必要となっており、之が意外と金が掛かる。で、ポイントは『チューナー』の支援だけであって『アンテナ』は実費なんである。アンテナは3~6万円。工事費を含めると10万近い。

で、チューナーの価格は2千円程度のモノ。

国家的詐欺・・・と言うか国がやる事は大抵は詐欺なんだが、電話をかけてきて「チューナーを下さい」と言う人は矢張り最高に貧乏人が多く、話を聴いていても「そりゃ貧乏にもなるよ」と言いたくなる人ばかりである。

因みに電話は何故か

1)大阪府
2)兵庫県

が圧倒的に多い。同時にクレームもこの2県からだ。大阪府は橋本知事と言うカスが仕切っているが「おいおい。偉そうな事を言いながらもオマエの県の奴等は禄でもないぞ」とTVで橋本知事を見るたびに思う。

個人的には地デジ以降自体が無理と言うか詐欺的なんだけども。恐らく全国津々浦々でTV視聴不可の人が続出する気がする。

まぁ私はTVを持ってないから別に良いのだけども。




で、フト、帰宅中に思った事がある。



震災とか原発とかで困っている人が沢山居る。で、多くの人達が被災地に行ってボランティアとか炊き出しとか行ったんだよな。何と言うか、その様子は

「ここぞとばかりに!」

と言うか。芸能人だけじゃなくて一般のボランティアも。やらない善よりやる偽善の方が良いに決まっているし、其処に不満も文句もないんだけどさ。

TVでは炊き出しに並ぶ人々が大勢映っている。「家も何もかも失った」と言う人がいる。「家族の安否もわからない」とか。着のみ着のまま逃げてきて、1ヶ月も風呂に入れない人達が続出した。

今回の津波は規模が大きすぎた。自衛隊を10万人も投入したは良いが、死体の数が多すぎたのと命令系統が上手く動かなかった事もあるんだろうが、頑張ったとは思うがショボかったと思う。


で、だ。


こう言う事を書くのは被災地に悪いって事は判っている。だけども書かせてもらいたいんだけども新宿中央公園~新宿西口駅地下ってホームレスのメッカなんだよな。

で、炊き出しとかやると毎回、350人以上の人が集まる。2年前は250人。1年で100人増えている。

ホームレスになるのって可也のモノだと思うんだよな。『打つ手なし』と言うか。
で、忘れされれているのは雇用問題とかで。ネットカフェ難民は今はどうなっているのか?『ハケン』と言う立場は今はどうなるのか?


『炊き出し』『住む家もない』と言う状態で言えば被災地もホームレスも同じなんだよな。

だが、多くの人々はホームレスに対してもネットカフェ難民に対しても「今すぐに死ね」と言う言葉しか持ち合わせないようにしている。

津波は行政レベルで被害は少なく出来た、と言う意見もある。其れを行政が怠ったから、こんなに被害が出たのだ。堤防を高くすれば良かった。避難訓練をキチンとやれば良かった。国が災害を甘く見ていた。嗚呼、可哀相!行政がしっかりとしていれば!嗚呼、可哀相!3食食べられないなんて嗚呼、可哀相!段ボールハウスなんて嗚呼、可哀相!

ホームレスもネカフェ難民にしろ若年層の雇用問題、貧困問題も之は確実に行政の問題である。自民党に任せすぎた。小泉なんて言う悪魔に皆、胸が躍った。労働組合が糞過ぎた。偉い人が何が解決してくれるはず。

しかしフリーターは安易な人生を選んだのだ。ネカフェ難民もそう言う生活を自ら選んだのだ。ホームレスも其処まで行く前に何もしなかったのが悪い。そう言う安易な人生を送る奴は死ね。人生は甘くはないんだ。そう言う生活を選んだのだから文句を言うな。文句があるなら死ね。


この乖離っぷりが凄いと思うのである。


被災地の炊き出しと新宿中央公園の炊き出し。何が違うんだ?と。

皆、新宿中央公園のホームレスを見て「汚い」と思うわけだよな。私も思うが。実際、精神的に崩壊している人も多い。

だが最近は様子も変わったかもしれないが被災地の1ヶ月も多分、あんな感じだったと思うんだよな。で、汚かっただろうし臭かっただろうし。身内がバカスカと死んでいて犬も歩けば死体に当る、って言う状況で正気な奴なんて居なかっただろうし。


物凄く印象的だったんだが『派遣村』が出来た時に全国中から「無駄な事をしやがって!」と言う罵詈雑言が飛び交い捲くっていた事である。

「連中は甘えているんだ。国が甘やかすから付け上がる。仕事がない、と言うが選ぶからないんだ!」

とか。そう叫んでいた人で被災地で炊き出しに並んだ奴はいるんだろうか。同じように被災地の人々の事を言う事も出来るだろう。

「連中は甘えているんだ。国が甘やかすから補償とか言い始める!家がないとか津波で流された、とか言うが、復興なんて自分達で勝手にやれ!」

「ヘドロの除去なんてボランティアに頼むな!甘えるな!自分でやれ!」

とかね。


被災地も可哀相だし、私ですら力になれるのであればなりたい。ボランティアに行こうか?と本気で悩んだ程である(朝、起きれない+ボランティアをやるほど経済的に豊かではない、と言う理由で却下になったが)。

だが

『津波』で流された人は可哀相
『経済』で流された人は自業自得


と言う構図が判らないのである。『津波』も『経済』も同じように凄まじい勢いで何もかもを流したじゃないか。


この勢いで書いてしまうが『脱原発』と叫ぶ。「エネルギーの在り方を変えよう!」「社会を変えよう!」と。

其れを何故、放射能が振るまで露ぞ考えなかったのか?と。

「子供の将来が奪われた」

と言うが、そもそも今の子供の将来なんて原発が爆破しようとするまいと絶望的だったではないか。


年間の自殺者は3万5千人。

津波で死んだ人は2万人弱


問題は死に方なのか?と。『自殺』は自ら選ぶ死に方ではない。
ハッキリ言っておくが、本当の意味での『自殺』は殆どない。

『自殺』は誰かが明らかに当事者を殺しているのである。完全犯罪と言っても良いのだが、其れは社会だったり会社だったり『伝統』や『国柄』『ルール』『因果』とか『経済』とか、之を読んでいる『アナタ』とか。そして之を書いている私かもしれない。



ジャーナリストやボランティアの人々が被災地の様子を刻一刻と送る。

「避難所ではこんな有様です」
「可哀相、嗚呼!可哀相」
「日本は一つとなってこの状況を打開しましょう!」

だが『派遣村』にしても貧困問題にしても、そう言う声は全く聴こえなかった。聴こえてくる言葉は「ナマケモノ」だった。


『脱原発』と叫ぶ人は多い。ミュージシャンも映画監督も役者も政治家も運動家も何処にも属さない人も。

放射能は誰彼構わず振る。

同じように経済の波は誰彼構わず振る。

『福島第一原子力発電所』で今、収拾に当っている人々は『あいりん地区』からの求人で来た人々が多い。ホームレスのオッサンや金がない奴だ。
昨年までは連中に「死ね」と存在を否定していた人々が今では

「頑張ってください!」

と涙目になって言っている。



私は原発に対してはアンチですよ。震災に関しても同情を禁じえない。普通の感覚だと思う。

だが、その前後を考えると今の風潮が不気味で仕方がない。

不気味、と言うより『違和感』とか『居心地の悪さ』を感じる。


俺だけか?




仕事の話になるのだが1日一件程度、被災地から電話が来る。10割が『福島県』である。地デジへの移行は被災地だと3ヶ月ほど延びたのだが福島県の人達は今すぐに地デジにしたいらしい。「らしい」と言うか電話を受けていて、そう言う印象を受ける。



原発から30kmジャストの町の人から電話が来た。

「農業をやってんだが仕事が出来なくなっちまってよぉ。で、孫が帰って来るんだが屋内退避だからTVしかねぇしよ。ところが震災で共用アンテナがズレちまってな。だから地デジにしたらTVが映るんだろ?」

とか。または南相馬市の人が

「屋内避難となったので地デジチューナーを付けてくれ」

とか。


「地デジの前に逃げろよ!孫?孫が可愛けりゃ他県へ逃がせよ!」

と思うのだが、何と言うか福島県の『グランド・ゼロ』地区の人々は「うちは被災していない!放射能なんて言うな!」と言うか。震災は別としても放射能に関しては一切、考えないようにしている・・・。この地区は30キロ以上だから問題はない。だから普通の他県と同じようにして欲しい。

そう言うニュアンスである。



被災地の復興が在る程度収まって。

また雇用問題などが出たとする。被災地にボランティアに行った人、炊き出しに行った人、炊き出しに並んだ人、避難所で過ごした人。津波で家族を失った人。


震災後も震災以降もそれらに対しては同じ事を言うだろうか。違う言葉を向けるだろうか。


私はデモに参加しているんだけども、どうしても斜に見てしまう。盛り上がっているし、其れは結構なんだけども、何だかねぇ、って気になる。



『2ちゃんねる』に書かれていた言葉で印象的だったのは

「日本人が騒ぐ時は「食い物」の時だけだ!」

とあった。放射能でメシが食えない、と言う事で規模が大きくなった、と言う見方も出来る。



俺が斜に見すぎか?俺だけか?


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