2012年7月5日木曜日

レコレコ田楽/初期音響系

以前、動画で少しだけ紹介したレコレコ田楽』が矢鱈と好評だったのでテープを元にPVを作った。

動画はGIFを適当に集めただけなんだが全く持って一晩掛かった










当時・・・2002~2003年頃だったと思う。この辺は曖昧で確か私はNECのBIGLOBEインフォメーションセンターで働いていた。珍しく職歴を覚えているのは理由がある。



バンドのドラムであった村山さんとは以前から知り合いだったので『メンバー募集』のチラシで入ったのだが、ボーカルの『ショウジさん』ってのが可也、

怖い人

だった。何しろお互いの自己紹介の時にショウジさんは(顔も結構、イカつかったのだが)


「自分は・・・極真空手やってましたから・・・」


と言う。カラテと音楽って近藤敏則以外で何の関係があるのか判らないが、何となく「この人、怖いな」と思った。ヘマをすると珠玉の正拳付きにて『あの世』へ送られるんじゃないか?と。

ついでに私も酷かった。tpで何とか吹ける時間は20分程度。後はバテバテで音が出なかった。
其のくらい下手だった。

もう、TPで音を出す、と言う事以外は出来ずピッチだとかフレーズだとか、そんな事を考える余裕すらなかった程。よくメンバーが呆れていた。




兎に角、『ショウジさん』が怖かった。




「私は」とか「僕は」とかじゃなくて常に「自分はぁ・・・」と言うのである。この「自分は・・・」と一人称を語るのは原則


高倉健


気合の入ったヤクザ


気合の入った格闘家


と相場が決まっている。そんな男性がカオスパッドを足で操作しながらソプラノ・サックスを吹き、「あ~!目出度や!目出度や!」と叫び、演奏中にヘマをすると睨み付けてくるのである。

思えばカオスパッドと言うか管楽器にエフェクトなんだが、私もやっていた。


当時、『音響系』と言うジャンルが出来つつあり、その黎明期だったと思う。しかし、その


『音響系』とは何ぞや?

と言うのが誰も判らない。思えば其の後に『裸のラリーズ』や『エレクトリック・マイルス』『灰野ケイジ』『ノイズ』『ピンク・フロイド再評価』『サイケ』が意味不明に流行ったが、要するに


『音響系』とは何ぞや?



と言う部分が大きかった気がする。「これって音響系なんじゃないか?」みたいな。

当時の『音響系』って今、思えば「え?」ってのが多くて、単なるAORなバンドなのに、ギターが間奏の際にリバーブとディレイを(当時としては)過激に踏めば、それだけで


『音響系』


だった。普通のバンドにラップトップがいるだけでも『音響系』だった。私の姉は今はニューエイジ系のフォークディオをやっているが、其の頃は私のお古のアナログ・シンセを勝手に大阪へ持ち帰り引き倒しながら「うち、音響系~♪」とか言ってたし。

「音の響きをメインに考える」と言う事ならば現代音楽や1945年以前の近代音楽でもやっていたし、ジャズの『モード』の観念なんて、露骨に其れなんだけども、00年代の『音響系』って


其れをテクノロジーによって行う


と言う側面が強かったと思う。今だと信じられない話だが普通のバンドでディレイやリバーブのパラメーターをフルテンにして使う事は『可也、稀』だったし、そもそもエフェクトのセッティングに空間系のエフェクトがあるのは『稀』だった。

ましてや管楽器にエフェクト、と言うのは今でもそうだけども少数派どころじゃなくて『殆ど居なかった』と言うか。

非常に実験的なセッションなどがローカルには行われていたしインプロヴィゼーションの現場では既に行われていたが、其れが体系化される事はなかったし、其れが音源になることもなかった。




そう言う意味でベースの人は意味もなくムーグのリング・モジュレーターを掛けっ放しでベースを弾き、私はリバーブとワウペダル。ショウジ氏は『足でカオスパッド操作』って言う時代の演奏は貴重だよなぁと思ったのである。




因みにスタジオは何時も実験的だったけども丁度、『レコレコ田楽』はメンバーを変えたり、サウンドの方向性を探っていたりしていた時期だったので、非常にピリピリしていた。

ショウジさんは元々、ラッパーで昔はMCバトルで活躍していた、と言う人物。それで「日本的なヒップホップとは何ぞや?」って事で『大道芸人の口上』である!と言う結論に至ったらしい。

スタジオが終わると何時も議論と言うか、観念論みたいな話をしており私が一番、年下で『発言権ナッシング』。その議論が毎回、3時間とかやるんである。


このバンドで演奏するのは凄く楽しかったのだけども私自身のテクニックも追いつかなかったし、バンドも怖かったし「辞めよう」と思った。




今、思えば『レコレコ田楽』はライブの予定もなかった。ついでにライブをやらせてくれるハコもなかった(こう言うバンドを受け入れてくれるハコは圧倒的少数だったのである)。サウンドの方向性を変えようと必死だったし、根が真面目なショウジさんは怖いし、其処に私が付いていけなかった、ってのもあるけども。



で、仕事中・・・当時のbiglobeは仕事中にネットサーフィンもメールの送受信もOKだった・・・に「辞めます」とメールをしたらショウジさんから多少、引き止められた。
だが「やっぱり考え直しました。頑張ります!」とか言ってスタジオに行ったら極真空手で鍛えた『牛殺し』の正拳付きで頭蓋骨陥没になるんじゃないか?とか思って逃げた覚えが。


私も少林寺拳法を習っていたが3年程度だし、カラテは牛を殺したが、少林寺拳法で『牛を殺した』って話は聞いた事がないしなぁ。



久し振りに聴きなおしたら「やっぱり凄いバンドだよなあ」と思った。因みに私のTPのテクニックの半分はショウジさんから扱かれたモノである。

今でも『レコレコ田楽』には頭が上がらない。

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