2012年10月7日日曜日

土佐日誌/ラスト


で、帰る前日。

飼主と朝までお喋り。で、夜の散歩に出かけたのだが、その日だけ夜空が晴れた。ふと、上を向いたらプラネタリウムも真っ青な満天の星空。

正直、足が震えた。

「こ・・・之がピタゴラスが見ていた夜空か・・・」

とか。



帰る日は私が帰り支度をしているので猫も感ずいたらしくヨソヨソしい。で、帰る頃になると玄関で皆で見送り。というか「どっかに行くのね。直ぐに帰ってくる」と思っていたらしく、飼主が帰宅したら

「ねー!ねー!一匹足りないよー!ぎゃーぎゃー!一匹足りないんだってーよー!」

「あのお遍路さんは何処だー!」


と猫は肩を落としていたらしい。













高知龍馬空港について飼主と涙ながらに別れて飛行機へ。


飛行機の中で「さて、これから向かうのは自宅じゃなくて戦場だ」と思った。




突然だが、311以降に関して何だけども自分の中で、ある程度の結論は出ている。



友人のサックス吹きが只管、日夜「福島を守れ!」とか「被爆が!」と叫んでいる。で、デモもまだ盛んに行われている。

「原発反対!」

「子供を守れ!」

とかね。

でも、私自身は冷酷かもしれないがフクシマの件に関しては完全に手遅れだと思う。原子力発電所を今後とも止め続けるとは到底、考えられない。で、フクシマの子供達は皆、禄でもない病気に苦しむだろう。奇形だとか奇病がゴロゴロと関東甲信越地方では発生するだろう。

其れでなくともリストカットだとか鬱病だとか『都市の病』がゴロゴロとしているが、んなもんは可愛いもんで。


公害の街で育った自分を思い出す。


学友で奇形児や奇病の子は多かった。好きだった女の子が喘息とか当たり前。私の母親も喘息だった。

時代は80~90年代。

じゃあ、北九州市の人々は奇形や奇病をどう思っていたか?って言えば公害病だとは考えている人は居なかった。


『祟り』
『先祖供養が足りなかった』
『水子』


だと思っていたのである。って言うか今でも思っている。だから変な宗教は多いし、何らかの胡散臭い宗教を信じている連中は可也、多い。祈祷師も多いし、仏具屋は何時だって繁盛。
同時に病院も大繁盛。

私はアトピーに花粉症に各種アレルギー、虚弱体質。

白いシャツを着ると、夕方には瘡蓋が取れて真っ赤なシャツになる、と言った按配である。そう言う私を同級生は不気味がった。

「俺はアトピーだから仕方がないんだよ」

と言うが田舎のガキにアトピーと言っても通じないし本人も判らない。って言うか小学生が持病を
「俺は赫々云々の病だから仕方ないんだよ」
って言うか?サンマーク出版だったら出版できるレベルじゃないか。


不気味な血塗れ少年。


矢張り『血塗れ』ってのは恐怖なのか「やーい、アトピー!」と言う嘲りの声すらなかった。


しかも内向的と言うか、友人とドッチボールをやったり野球をする、と言う奴ではなかったから困る。そう言う男性は北九州市では

『有り得ない』

と言う事になっていたから。此方としては「やりたくないから」やってなかったのだが(「休み時間くらい、好きにさせてくれよ」と思っていたんだが)先生まで「ドッチボールをやれ」と言う始末。

ウンザリだった。


当然、ひねくれる。


友人は居ないし、恋人も当然居ない。「俺はどうなっちゃうんだろ?」と・・・と言うか当時は『先のこと』なんて考えも付かなかった。

そんな私が何とか世界と言うか世間と繋がれたのは『音楽』とか『芸術』を通じてだった。

ホンッとそれしかなかった。其れを収入にする、とかしないとか、そう言う問題じゃなくて死活問題だった。

同時に「俺みたいな人が世界には沢山いるらしい」と思った。


毎日、ケミカルな薬を摂取しながらも、自分と会った事はないが「繋がれそうな人々」がいる、と言う事だけが本当に嬉しかった。


其れはゴッホの絵だったり、元気だった現代美術だったり、フリージャズだったり、コルトレーンだったり、テクノだったり、ノイズだったり、カセットテープに収録された意味不明な音響だったり、暗黒舞踏だったり。


そう言うのがなかったら、私はどうなっていたんだろう?



フクシマは手遅れだ。完全に手遅れだ。そして関東甲信越地方も手遅れだ。

其れは政府が悪いワケでも、東電が悪いワケでもなくて、極論から言えば「日本が戦争に負けた」って事から端を発するんだけども、兎に角、私も、脱原発デモに参加している奴等も、皆、共犯者なのである。

贖罪は不要である。

償えない罪と言うものは確かにあるのだから。



じゃあ、どうするか?

私は楽器を演奏する。楽器じゃないものも演奏する。精神的奇形児だった私や、私達は其れで漸く第三者と繋がれたんじゃないか?って思う。

其れは今後もそうだし、もっと言えば今後はアートの役割ってのが之までよりも重たくなると思う。其れに耐えられないんだったら国会議事堂前で薄っぺらい免罪符でも買ってりゃ良い。

之からの人達、子供達だった青年・少女と繋がらなくてはならない、と思う。其れは義務だ。


少なくとも公害の街で育った私は其れで救われた。

福岡県北九州市小倉南区若園2丁目の『血塗れ少年』『お化け少年』は何とか繋がれた。


シンセサイザーさえあれば何とか俺でも生きていけるんじゃないか?とかターンテーブルが2台あれば、とかピアノが弾ければ、とかサックスが吹ければ、とか。


因みに高校時代、私と音楽や芸術の話が出来た唯一の親友は多発性骨髄腫と言うか骨が桁外れに弱く、転んだだけで骨折してしまう奴で、車椅子だった。

加瀬と言う奴だったが、ソイツと週末にクラブへ行き、平日は音楽の話ばかりし、お互いのレコードやミックスを聞かせあって・・・だった。

加瀬は車椅子だったのでDJをする際は少し難儀していたが当時、出たばかりのDJ用エフェクター等を多様していた(当時は都内の状況などは全く判らなかったから先鋭的だったのかも)。


だからテクノロジーはアイパッドにしろタブレットにしろ今よりも遥かに進歩すべきだと思う。

同時にアーティストを名乗るからには、之までよりも更に激しくやるべきだと思う。



未来の為に、と大きく構えなくとも現代美術の連中がスッカリ、忘れている「誰かと繋がる」と言う事を目指して。

だって、俺は俺が生まれた頃には死んでいたコルトレーンとも阿部薫ともジョン・レノンともマイルス・デイビスともジョン・ケージとも繋がれたもの。

特にジョン・ケージの音源なんて九州の田舎町にあるわけがなかったんだけども「4分33秒と言う曲を書いた人がいる」ってだけで俺はジョン・ケージと繋がれたんだよ。之は事実なんだよ。
実際にもしもケージが生きていたら「YES」と言うはずだ。

音源が出ているorないじゃなくて、そうなんだ。



だから、ここからは戦場・・・本当に修羅だな、って思った。飛行機の中で怖くなった。飼主にメールを出した。

「今、乗っている飛行機がANAじゃなくて、どう考えてもB-29とかオスプレイにしか思えない」

戦場に送られている兵士みたいな気分だった。



武器は楽器とエフェクター。トランペットで弦楽四重奏。妙な楽器を配って音を鳴らしてYESと言う。

其れは高知県の居心地の良い場所で出来る事ではないんだよね。まだ、そう言う生活を送るには、俺は早すぎる気がするんだよね。

命を削って美に奉仕し尽さないと、俺は俺を救ってくれた人達に顔向けが出来ない。




帰宅して亀を預かってもらっていた人に亀を受け取りに。
友人女性は36歳なんだが、会った瞬間、ビビった。


何しろ、限界集落で『年寄り』しか見てなかったのである。飼主も45歳だし。
病院に行けば「げ!若い男性が来た!」と看護婦達が色めき立つ程の場所である。年齢図としては

『60代以上』



『15歳まで(中学校がある)』

と極端な開きがあるので『出産可能な年齢の女性』と会うのは12日ぶり。

「うわ!し・・・皺がない!二本足で立っている!髪がボサボサじゃない!流石は都の女!」

と畏敬と言うか畏怖と言うか、もう惚れそうになったほどである。だが彼氏がいる。其れを差し引いても

「な・・・なんて美女だ!何しろ皺がなくて二本足で立てて、髪がボサボサじゃなくて・・・しかもメイクもしている!」

と言うだけで『現代のクレオパトラ』と言うか『21世紀のマリリン・モンロー』と言うか。もう、自宅で寝ていたら行き成りレディ・ガガがフルコスチュームで来たようなもんである。

結構、ビビりながらお土産を渡し、亀を受け取る。



12日間の女性宅での生活が気に入ったのか亀は私の部屋に来ても何処か不服そう。食事を余りしてくれない・・・かと思えば『怒りの臭気』を出し捲くる。

で、先ほどは部屋で遊ばせていたら座布団にウンコを垂れていた。


柔らかくて、暖かくて、素早い動きをする猫から、突然、硬くて、冷たくて、ノロマな亀と言う急展開に私も若干、戸惑ったが亀はそう言う生き物である。


しかし、10月25日の夜は猫の美しい跳躍のような一夜を皆様に体験して頂きましょう。



riunione dell'uccello /鳥の会議
西麻布SuperDeluxe
2012/10/25(Thu) 
open/19:00 
start/19:30 
charge:free 

KO.DO.NA 
黒木一隆(TP、ピアニカ)と木ノ下友一郎(エレクトロニクス、ギター)によるユニット。95年よりクラブDJ、現代音楽を経て、劇団唐組
入団。同退団後、劇中音楽作曲やインプロビゼーションを主体とした幾つかのバンドを通過。2002 年静寂音響ユニット『KO.DO.NA 』を
開始。2006年『KO.DO.NA :小人の化学』発売。その後、幾つかのオムニバスCDに参加。オーファイな電子機材を用いノイズの中から
賛美歌、児童音楽、鎮魂歌を紡ぎだす。ラトビア共和国の音楽誌『フラッシュ』にて紹介される。西麻布『Bullets』
『SuperDeluxe』等に不定期出演。
http://kodona.web.fc2.com/


Sisters of Avalanche 
ノンエフェクトでリズムマシンだけを操る噂のリズムボックス・ユニット。チープな音であればあるほど美しい。リズムボックスだけで10人前後のサウンドと光景は圧倒的

Cal lyall 
即興のギターリスト/サウンドアーティスト。ジャンク楽器、エレクトロ・パーツ、フィールドレコーディングやエフェク
ターなどから音楽的な空間を作る。彼の多岐に渡る活動は、民族の伝統音楽から浮遊するドローン、恍惚の即興音楽まで、
多くの影響を映し出している。現在、静と動の即興パワートリオ「Tetragrammaton」、ドローンプロジェクト
「Jahiliyyah 」に関わり、またソロとして秋山徹次、町田良夫、Kelly Churko 、向井千恵などの個性的なアーティス
トと共演。また、レーベル「Subvalent 」、西麻布スーパーデラックスで月一回のイベント「Test Tone 」を主宰して
いる。今回はソロ演奏を披露。
http://www.subvalent.com/cal-lyall/

henna dress/変なドレス
ゲームボーイ等の電子機器を動物的カンで操り演奏をしたり、β-DJ と称しDJ の可能性をあらぬ方向へ追求したり、電子玩
具をサーキットベンディングしたり(やりすぎ壊し落ちこんだり)たまに電子工作したり、ローファイな絵を無心に描いたり、捨てられぬゴミ
等用いてオカンアート的何かにしたり、森の中にカセットテープやぬいぐるみをあるったけぶちまけて喜んだり、志低くマイペースにスカ
ムな活動を続けている。
http://sound.jp/hennadress/ 

変なRGB( RGB+変なドレス) 
ハードっ子? RGB が映像を、ローファイっ子?変なが素材を担当します。\ (^_^ ) ( ^_^) /よろしくね。
http://rgbvideo.tumblr.com/

スーパーデラックス
106-0031 東京都港区西麻布3-1-25 B1F 
T: 03.5412.0515 | F: 03.5412.0516 
https://www.super-deluxe.com/

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