くぅたさん(KeNneDy、Sisters of Avaranche)に招かれて行ったのだが渋谷の『えちごや』以外だと5年ぶりの渋谷。渋谷だと『公園通りクラシックス』『ON/OFF』に出演した事があるのだが、未だに道が覚えられない。好んで行きたい場所ではないし、用事も殆どない。
私事で少し遅くに出発してしまい、犬の如く走って店に行く。場所は六本木通りらしい。急いで向っていたら、
『明治通り』
とある。一本、違う通りだった。「あぐぅ!」と思い、引き返し六本木通りへ。犬の如く走って店へ行く。店は六本木2丁目にあるらしい。急いで向っていたらバス停があった。バス停は『六本木三丁目』と書いている。「あれ?」と思い引き返す。
再度、地図を見てみると目印としてはセブンイレブンらしい。犬の如く走って店に行く。
漸く店に着くと『KeNneDy』は終わっていた。悲しい・・・。泣きながらビールを呑んでいたら
『大島輝之&横川理彦』のディオが始まっていた。 ラップトップのディオで電子音楽だった。
終わってから遂に
『沖至+翠川敬基+豊住芳三郎+白石かずこ』
である。実は『沖至』は私の憧れだった。トランペットを吹き始めた頃、「こんな演奏をしたい!」と思ったのである。もう、当時の沖至氏の格好も真似しようかと思ったほど(全身、黒づくめ)。
当時、沖至の演奏が聴けるCDは『インスピレーション&パワー14』と言う70年代フリージャズのコンピレーションだけだった。他は殆どが廃盤だった。
だが、その盤で聴ける余りにも美しいエレクトリック・トランペット。
私の目標だった。
時折、帰国して演奏している事を知ったのはネットが普及してからだった。で、YOUTUBEにUPされていたりするんだが音質が悪かったりして「流石の沖至も年齢には勝てないかねぇ」と思っていた。
とは言え憧れの人の演奏である。行く前から緊張したほど。
で、演奏開始。
もう、頭のテッペンから足のつま先まで・・・・痺れた。最前列でガブリ付きで見ていたのだが、もう鼻歌を歌うように軽やかに、猫や鳥のように美しく、子供のように可愛らしく、太陽のようにオープンな演奏だった。
もう愛さずにはいられない音だった。
次に伝説の詩人『白石かずこ』登場。
モノの本によると現在の『ポエトリーリーディング』は白石かずこが最初らしい。それまで詩人と言うのは『書く』人であり『詠む』人ではなかったらしい。
島崎藤村のような明治~大正時代半ばまでは詩は声に出して読むモノだったが(古今和歌集とかそうだもんなぁ)大正時代に「これからは書く時代だ!」と言うか発音出来ない言葉(ダダの影響が強かったらしい)を用いる事がスタンダード化して、長らく沈黙の詩人時代。
60年代に『白石かずこ』が声に出し初めてから『詩の朗読』が始まった・・・らしい(と白石かずこが書いていた)。
で、私が知っている・・・脳裏にあった『白石かずこ』は伝説の詩人であり、アングラ文化のど真ん中に居た人で、こう言う感じだった。
美女、と言うか育ちの良さが滲み出ると言うか。当時の写真集を見れば白石かずこの美女レベルは高濃度だったと思われる。
しかし、ステージから登場した白石かずこは
お・・・お婆ちゃんじゃないか!!
だが『ラメ』と『スパンコール』に『ハイヒール』。ド派手な格好で登場。可也、厚めのメイク。
「こ・・・これが伝説の白石かずこ?」
と驚いた。で、詩を朗読し始めたのだが(巻物みたいなのが詩。墨と筆で書かれていた)、その詩の内容も
「これは完全に60年代じゃないか・・・」
と思うほどアナクロと言うか、今の基準で考えると「ちょ・・・ちょっと」と言う感じ。
「こ・・・これが伝説の白石かずこ?」
と驚いた。で、詩を朗読し始めたのだが(巻物みたいなのが詩。墨と筆で書かれていた)、その詩の内容も
「これは完全に60年代じゃないか・・・」
と思うほどアナクロと言うか、今の基準で考えると「ちょ・・・ちょっと」と言う感じ。
しかし、1st目では沖至+翠川敬基+豊住芳三郎のトリオは矢張り張り合っちゃう、と言うか突っ張っちゃうんだけども、白石かずこが登場して朗読し始めたら途端にリラキシンな演奏に変わる。
もう、『男性』達が『男の子』になっちゃうんである。
白石かずこは80代。沖至氏も70代。豊住芳三郎氏も高齢だし、翠川敬基氏も良い歳だと思う。
特に白石かずこの記述や、当時の状況から察するに沖至氏と白石かずこは単なる競演者同士ではなかった気もする。
白石かずこが若き沖至氏についての記述が余りにも「友人」「共演者」ではなく露骨に「女の子」「女」として書かれているからである。
もう、『男性』達が『男の子』になっちゃうんである。
白石かずこは80代。沖至氏も70代。豊住芳三郎氏も高齢だし、翠川敬基氏も良い歳だと思う。
特に白石かずこの記述や、当時の状況から察するに沖至氏と白石かずこは単なる競演者同士ではなかった気もする。
白石かずこが若き沖至氏についての記述が余りにも「友人」「共演者」ではなく露骨に「女の子」「女」として書かれているからである。
何しろ『時代』である。
しかし、慣れてくると白石かずこって『詩の朗読』の人と言うより『女優』だな、と思った。で、詩はアジテーションと言うより、馬鹿で駄目で、素敵な男達を突っ走らせたり、止めたりするハンドルとブレーキ、と言うか。だから詩じゃなくても別に良くて、
『担当:存在』
と言うか。
もう、悪態を付きながら書いているようだが本当に素晴らしい光景だった。
『担当:存在』
と言うか。
もう、悪態を付きながら書いているようだが本当に素晴らしい光景だった。
本当に鼻歌のように、じゃれるように音を出す。
以前、子猫の為にDJを高知県で行ったのだが、子猫同士がジャレているような風景だった。
JAZZ、人間、音楽、フリージャズ、アングラ・・・ではなく、最早、『子猫』の領域と言うか。
即興演奏の理想形が其処にあった。「こんな演奏をするには俺はまだ・・・若すぎる」と思った。
コッソリと録音したのだが、多分、どんなマイクと機材を使ってもアレは聴けない。そう言う演奏だった。
最後のアフターアワーセッションでは主催の『くぅた』さんもソプラノ・サックスで登場。
『くぅた』さんも若輩の年齢ではないが、4人に比べれば『若造』である。必死にソプラノを吹く『くぅた』さんを見ながら、23~25歳の頃に『ニュージャズ・シンジケート』に通っていた自分を思い出した。
自分よりも圧倒的にテクニシャンで、年齢も上で私が最年少だった。で、必死に吹いていた。其れこそ『必死』と言う感じで。音色とフレーズとか無関係に吹いていた。兎に角、『吹く』事しか出来なかったが、吹いていた。
『くぅた』さんが可愛いかった。
終わってから死ぬほど満足。
そう言えばヒグチケイコさんと遭遇。ちょこちょこと話す。終わってから『KeNneDy』と呑む。
帰りは遅くなったのでJR渋谷駅から。駅前に行くとサックスの音がする。見るとPCやミキサー等を駆使しながらクラブっぽい音と、サックスである。サックスを吹きながらマシンを操作。
何となく飛入りと言うか乱入。TPで。コードは一個が多いので楽だった。TPの音ってのは吹いている側からすると判らないのだが、人を呼ぶ音らしい。アルコールが入っていた為、思いっきり吹いたらワラワラと人が集まってくる。
高円寺に着いたら友人のブルースバンドが演奏してたので飛入り。TPに飽きたので踊り狂い、で、周囲の客達と朝まで呑む。踊っている最中にアクロバティックなダンスをしたら肩が外れたので、今日は右肩が痛い。
最近は音楽に燃え尽きていた。TPと言う楽器にも嫌気が差していた。『音楽』と名が付くものなら、何もかもがウンザリだった。暫くすれば燃焼し始めるんだろけども、どうすれば発火するのか自分でもサッパリ、判らなかった。
だが、沖至のTPは発火するのに十分過ぎる程だった。
沖至氏は70代である。70代と言う年齢を考えても、あの音は信じられない。年齢を考慮せずとも信じられない演奏だった。
氏が多用していた音域は私も考えていたのだが、ライブでは使える音域ではないしコントロールが出来る音域でもない。要するにブレス音混じりのハイトーンなんだが、音量が小さく、音列をコントロール出来る領域ではないのである。
だが、沖至は迷うことなく使う。TP以外の楽器も平気で使う。
豊住芳三郎はドラムじゃなくて『胡弓』弾いてるし、途中、トランペットまで吹く。
自分の音楽について迷っていた。TP吹きなのにTPを使わない曲も多数あるし、其れは正しいのか?違うのか?と。大抵のトランペッターは『トランペット』と言う楽器をメインに考える。『トランペット』と言う楽器の為の曲を書き、トランペットを吹く。
私はトランペットがメインだが、出したい音はトランペット以外にも沢山ある。
韓国では3日目のイベントの後半は延々とギター弾いてたし。
悩んでいた、と言うよりも「これで良いのか?」と考えてしまい、そこで硬直していた・・・気がする。
「これで良いのだ!」
と思った。
終わってから『豊住芳三郎』氏が色々と話す。面白かったのは豊住芳三郎氏は26歳の時に高柳昌行と『ニュー・ディレクション』と言うユニットに参加している(69年)。
音は今で言うノイズ・ミュージックである。
バンドのコンセプトとしては「同じフレーズは一切、使わない。兎に角、フォルティッシモだけで演奏する」だったんだとか。恐らく当時、日本最大の爆音を誇ったんだとか。
「でさぁ、同じフレーズは使わない!とかって高柳さん、言うんだけどさ。ってか高柳さんもそんな事出来ないのにさ(笑)」
ってのが面白かった。天才:高柳昌行も若家の至り的な処があったのかぁと。
「今日の演奏を聴いて感動しました。でも、あのような美しい演奏をするには自分は若すぎる・・・と自分が嫌になりました」
と言うと
「皆、そうだよ~。俺も26歳の時にニューデレクションでさ。ド・ストレートに激しい事ばっかりやってたしさ。でも、それで良いのよ~」
と言われて、嬉しかった。
しかし、考えてみると豊住芳三郎氏も当時の阿部薫も山下洋輔も皆、デビューして注目されたのって20代なんだよな。
で、私は35歳。
私の親父なら既に私が産まれている頃である。
この年齢になるまで街頭で人を殴りつけ、ラッパ吹いて踊り狂い、演奏するとなると次から次へと下らない装置ばかり作ってしまう私は一体、なんなんだ?と思う。
皆様、誠に申し訳御座いません。
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