昨日、こんな事を書いた。
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『音楽理論』はピタゴラスが作ったモノだが、彼は星空を見て、そこでインスパイアされた。
ピタゴラスの論理は非常に簡単で
①物体が動けば音がする
②天体も動いている(毎日、眺める星空が違うから動いていると言う)
③だから音が発生するはず
④天体の音=宇宙の音
⑤宇宙は完璧なる秩序によって成されている
⑥天体の音を再現出来れば完璧なる秩序と調和の音がするはず
⑦其れこそが私が求める秩序と調和の世界への一歩だ!
と言うモノ。だからピュタゴラスにとって計算・数式と言うのは音列を探るための道具でしかなかった。
心躍るロマンチックな発想だが、ピュタゴラスの最大の誤算は「宇宙は完璧な秩序で成立っている」と言う部分である。
宇宙は秩序どころか混沌とアナーキーで成立っているのである。
超紐理論だとか、ビックバンだとか、ブラックホールとか「何処が秩序と調和やねん!」と言うか。
しかし、此れが音楽理論のベースであり、そんなもんをベースとしてしまったからこそ未だに音楽理論ってのは駄目なんだと思う。
何しろ未だに『ブルーノート研究』なんぞが行われている塩梅で、下方倍音なんて秩序も糞もない。とあるギタリストはブルース初期の黒人はGuitarで下方倍音を聞き取っていたはずである、と言う事を言う。
大体、A=440Hzって言う事がおかしい。
演奏中にピアノやオルガン以外でA=440Hzを維持出来る楽器なんて皆無なのである。
トランペットを2人で吹いたら、絶対に数分後にはA=440Hzではなくズレる。ズレるんだから『和音』とり『ユニゾン』ではなくなる。
例えばギターなんかもそうだと思うのだが二人のギタリストが居て、一人がワウペダルを踏むとする。するとピッチは変わる。
だから
ユニゾンと言うモノはなく音楽は常にポリフォニーであるはず。
其処に完全5度、4度、3度、移調と言う観念は本質的に無理があるはずである。其れが成立するのは先に述べたようにピアノかオルガン、現代であれば純粋サイン波だけ。
ってか純粋なサイン波を作ろうと思ったら今のPCであれば問題ないがデジタル処理してもPCの機能をフル活用せざるを得ないので余り現実的ではない。
要するに音楽理論ってのは楽器を限定する理論となってしまう。
そんなワケで音楽は理論からして何時だって『不条理』で『非合理的』である。
こう言う輩の事を延々と考えては実行するワケで(因みに私のトランペットのピッチはマウスピースの影響が大きいが、大いに狂っている。其れで数年、悩んだが最近は気にしないようにしている。(トランペットと言う楽器は予め狂った楽器である』と思う)
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此処から。
例えば人間の声だが、フーリエ理論で言えばサイン波によって再現可能だ、と言う。
あくまでも『理論』なので、サイン波を何千、何百と重ねれば可能だ、って言うニュアンス。成功した人はいない。
居ない、と言うよりは、ハードウェアが何千、何百と言うサイン波を作れない。
で、『下方倍音』だが之こそが『ブルーノート研究』の決定打!と言われていて多分、日本で最も広めたのは『
東京大学のアルバートアイラー』と言う書物だと思う。
それ以前に山下洋輔が『
ブルーノート研究』を発表しているが知りきれトンボで終った。だが、この研究の影響は可也、大きい。
そこで。
山下洋輔の『ブルーノート研究』を読んで理解出来ず、困ったので先輩ミュージシャンに呑み屋で尋ねた。
「何故、ジャズやブルースがブルーノートを選択/発見し、其れが調和するのか?って言う・・・。何故なんでしょう?」
すると彼は明瞭に答えてくれた。
「黒人だからだよ!」
其れで何故か腑に落ちた。
そう言えば正倉院に所蔵されている『琵琶』があるんだよな。
明らかに『琵琶』なんだが漸く今年になって
「楽器と判明!」
と言うニュースが流れてきた時は仰け反った。其れまで何だと思っていたんだろうか。
もう一つ。
『ジャワ・ガムラン』。
之はライヒも真っ青のミニマル・ミュージックで2の倍数で音が増えていく。倍数で増えていくので曲はスピードアップする。
曲のスピードが頂点に達すると突然、音が止む。
これを研究家に言わせると「音楽がスピードアップするので、其処に耐え切れずに一旦、休符を入れている」と言う。
しかし、聴いてみて判ったのは其の『休符』が死ぬほど気持良いのである。
もう、魂のカタルシス。
だから理由としては単に「気持良いから」なんだと思うが研究ってのは面倒だ。
例えばSEXが気持ち良いのは「ペニスに刺激が与えられ、其れが大脳に送られて、そこで子孫を残す為の云々」と言うのかもしれないがセックスが気持ち良いのはペニスだけの問題ではなく、寧ろペニス『以外』の部分が大半を占める。
この辺は加藤鷹の方が詳しいと思うのだが(彼は色々な婦人科や脳学者とも対談している)、
「気持ちが良い」
と言うのを理論/言語化するのは無理がある。
多分、ブルーノートも当時・・・と言うかブルース初期の頃って厳密にはブルーノート『だけ』を採用しているワケではないし、『レッド・ベリー』は教会音楽も歌っている。
むしろ『ブルーノート』を厳密に採用したのって、ブルース以降のジャズじゃないだろうか。もっと言えばガーシュウィンかな?と。
黒人が作ったジャズだが、白人ユダヤ人である『ジョージ・ガーシュウィン』の功績がなかったら、ジャズなんてとっくの昔に滅びていたかもしれないんである。
だから、ジャズ=黒人、ではなく予めミクスチャー音楽だった、と言うか。
後に『ミクスチャー系』って言うか、グランジ以降にそう言ったジャンルが出てきたが、実はジャズが最初の『ミクスチャー』だった、と言うか。
ただ、之は思いつきで戦前カントリーもブルースのフレーズやリリックを使っている。実は相互で影響し合っていたらしい。
となると『ブルーノート』と言う音列を研究しようと思ったら蓄音器発明前まで遡るしかないのである。
しかも『黒人音楽以外』まで網羅するしかない。
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話をピュタゴラスに戻してみよう。
上記のようにピュタゴラスは独自の音楽理論により音列を計算し、楽器を作った(チューニングした)。
じゃあ、その楽器はどんな楽器だったか?どんな音がしたのか?となると実は
『ペンタトニック』
なんである。ようするに琉球音階やガムランと同じ音階である。
確かに調和している。だが、ペンタトニックはピュタゴラスが言う天空の調和は再現出来るかもしれないが人間の喜怒哀楽は表現出来ない。
私達は・・・と言うか古来から人間は怒り、悲しみ、愛し、憎み、喜ぶ。
これらの感情をたったの5つの音で再現出来るのか?と。
インディアン・フルートは基本的に5個しか音が出ない。じゃあ、インディアンが其れで満足していたと言うワケではなく、インディアンにとって『楽器』と言うのは其の程度の価値だった、と言う事なんだと思う。
そもそもインディアンにせよ、アボリジニーにせよ『楽器』と言うのは喜怒哀楽を表すモノではなく儀式等で使われる『備品』でしかなったワケだから(当然、其処には何らかのドラックが付属するが)良いのだろう。
例えば新約聖書を読めば判るがキリストは一度も楽器や音楽を用いて説法をした事はない。常に語りである。
奇跡は一発ギャグに近い。
此処で書きながら自分でも思ったのだが、じゃあ何時から人間は音楽と言うモノで喜怒哀楽を表現しようと思ったのか?
古代中国では既に胡弓や琵琶が高度に発達しており、詩吟と共に喜怒哀楽を歌っていたが。
西洋音楽で言えば長調・短調を行き来するのはモーツァルトの『魔笛』が最初とされている。
じゃあ、モーツァルト登場まで違ったのか?となる。バッハはやってないのか?と。
確かにバッハもやっているんだけども、彼の場合は対位法(フーガ)と言うより、もっとノイズやコラージュに近い。
其れを長調なら長調。短調なら短調と言う枠組みに無理矢理(まさに無理矢理)押さえ込んでいる。
ご飯が炊けたので、終了。