2014年3月13日木曜日

千葉県のベートーヴェン

4日前



友人宅で食事をしていて、初めて『千葉県柏市通り魔事件』についてTVで知った。私の家にはTVがないので時勢に疎くなってしまう。


 殺されちゃった人には申し訳ないが、此れほど面白い殺人者がいるだろうか?と笑い転げた。だって、捕まった際に記者団に叫ぶ事って

「俺は無実だ!」

とか

「ボディーは透明なんじゃ!」

と、伝統芸があるのに彼は

「ヤフーチャット万歳!」

なんである。スカイプやLINE、FACEBOOK、ツイッター、MIXI、アメーバではなく



『YAHOO!チャット』



と言うマヌケさ。そして誰もが思い出しただろう。インターネットを開通させた頃、皆、検索サイトは『YAHOO!』であり、思えばマヌケなサイトだったのに、それで狂喜乱舞していた頃を!


しかし、未だに乳幼児の死亡原因が『チフス』『日本脳炎』であり、ペストが4年に一度、大流行し多くの千葉県民は死亡。
千葉県のピーナッツ畑で働く人の年収は日本円で3万円。ネギ畑も同じ位。
文盲率が国内ダントツで、日本で唯一『割礼』の習慣がある『千葉県』らしいネットの使い方だと思ったし、


『千葉県民が通り魔』


ってのも良い。長らく続いた『殺人者レジェンド』に終止符を打ち、新たな風潮を生み出したエポックメイキングな事件と言っても差し支えないだろう。



何しろ千葉県民は酷い。


成田空港もあり、ディズニーランドもあるから東京文化圏なのに、何であんなに酷いんだ?と言う気が。

埼玉県も酷いもんだが、埼玉県の酷さは

1:女性の胸が小さい
2:ヤリマンが多い
3:メンヘラが多い
4:ブサイクが多い(男女とも)
5:池袋の領土権を主張する図々しさ
6:池袋を「合併しちゃえば良いべ」と言う意味不明さ
7:私の歴代の恋人になる程の人生設計の無謀さと出鱈目さ


だが、千葉県は『据え膳食わぬは』の私でも嫌だもんなぁ。そう言えばオウム真理教の長女が千葉県のコンビニで万引きして、捕まった際に

「無礼者!私は木更津の女王だぞ!」

と怒鳴ったらしいのだが、千葉県と言う土地には人を「マヌケ」な方向に走らせる何かがあるんだと思う。


で、犯人の名前が

『竹井聖寿』

と言うキラキラ感も渋澤達彦ファンである人であれば心躍る名前である。もう、『ジル・ドレ伯爵』とか、やっぱ名前には『伯爵』とか『男爵』とか、ある種の

『中二感』

が欲しいもんだ。


で、竹井聖寿氏は警察に

「通り魔を行った後、バスジャックをし、空港に乗りつけ、ハイジャックをし、スカイツリーに激突させ、社会に一撃を加えたい」

と言っていたんだとか。この下りで私の脳裏に浮かんだのは此れである。





巨匠『成田あきら』氏がセックスをする際は出所不明な妄想を言われるらしいが

「オマエを奴隷にして」

「温泉に連れて行って」

「男たちの前で露出させ」

「スキンを配り」

「輪姦させてやる!」


1ピストン毎に言うらしい。何と言うか意味不明な『足し算的発想』って良いよな、と思う。


そう言えば千葉県と言えば『ネギ』である。


ネギと言えば風邪を引いたら『ネギ』だ。確か熱が出たときに『アナルにネギを入れる』と熱が下がるらしい。大昔の『探偵ナイトスクープ』で立証されていた(しかも、被験者は漫才師とは言え女性だった)。
喉を痛めたらネギを首に巻く、とか。

だが、千葉県と言えば放射能濃度が高い街でもある。


だから風邪で千葉県産のネギを使っちゃうと風邪完治どころじゃなくて一気に白血病とか癌とか、最悪、ドロドロに溶けちゃうんだよな~と思う。


溶けたかぁないねぇ・・・。



で、TVでは竹井聖寿氏が一人でカラオケで『尾崎豊』を熱唱している動画まで流れる。犯罪者となると、こんな恥ずかしい動画も全国で流されるのか、と思うと殺されちゃった人には申し訳ないが、『恥』の為なら死ぬ民族として「こんだけ恥をさらしたんだから無罪で良いじゃん?」とすら思うが、そうも行かないんだろうなぁと思う。

遠隔操作ウィルスの『ゆうちゃん』は保釈金1千万円を親に支払ってもらって刑務所から出てきたが(猫好きとしては嬉しいニュースだ)、竹井聖寿氏の実家は地元民相手の細々とした不動産屋らしい。

保釈金は出ないんだろうなぁ。




あとは『佐村河内守氏』だろうか。

漸く記者会見を開いたが、可也、落胆させられた。私は絶対に彼の口から

「私は既婚者でありながら、異性愛者でもあります。18年間、妻を騙し続けた事と謝罪します」

と言うと思っていた。


記者:新垣氏との関係は?

佐:愛し合っておりました。

記者:其れは音楽的にですか?

佐:身体的にも精神的にも、です。



とか。だって新垣氏の

「彼(佐村河内氏)の申し出は一種の息抜きでした。」

「うれしかった気持ちがあったことは否めません」

「彼の情熱と私の情熱が、共感しあえたときはあったと思っています」

「絶対服従を前提に徐々に従いがたい要求を出されるようになり」

「佐村河内さんの「共犯者」です。」

「彼に対して「こんなことはやめよう」と言いました。しかし、彼は聞き入れてくれませんでした。」

「あなたが曲を書かないと、私は自殺する」と言いました。」

「彼と会話するときには、彼と私の2人だけで」

「私も口外するべきではない」

「二人だけの秘密でした」




二人だけの秘密でした・・・でした・・・でした・・・秘密・・・でした・・・・



思わずエコーが掛かる『カミングアウト』である。


其れに対して『服従を強いた』と言う『タチ』の佐村河内守は完全否定。全く面白くない。だが、リミックスは出来る。


「これは2人だけの秘密で行われてきた、18年間のものです。私が詳細な設計図を書き、それを新垣氏が音にしていくというものでした。私が疑問に思うのは、なぜあれほど新垣さんは師匠である三善晃先生にバレることを恐れていたにも関わらず」


そうか・・・三善晃氏は同性愛に理解がなかったのか。日本の現代音楽のドンであり『電波ゆんゆ校歌』を作曲した、あの三善氏と言えども音楽に関しては不協和音は許せても、異性愛は許せなかった。

因みに新垣氏の師匠の最大のヒットソングは此れである。



ネットユーザーならば誰も知っている歌。

で、絶対的な服従を強いていた佐村氏

「彼は何の問題もなくそこに訪れ、私が言葉は汚いですが新垣氏に身体中にキスをするんですね。このくらいでと。すると必ず彼は最初は間違いなく首を横に振ります。次に私が彼の陰茎を口に含むと、おそらく渋い顔して「うーん」とやります。その後に私が両足を、こう・・・開きますよね。肛門が見えるように。すると彼は笑顔で「いいですよ」と。
これがこの18年の真実です。本当に心からこんなことはもう辞めたいと思った人の発言でしょうか?」

とか。


「やっぱり、いつかバレるんじゃないかという気持ちはすごくあって……。」

「質問者:ご自身の思うところで、今このタイミングで暴露されてしまったという、思い当たるところはないということですか?

佐:ありますが……。ちょっと今は避けようと思います。」

おお!「今は避けようと思います」って処がお茶の間を意識した性的マイノリティとしての自覚である!

「このように私自身もですね、大きくなるなんて、彼は全く信じてなかったみたいで」

この発言はちょっとガチホモっぽいな。

しかし、やっぱ此処だろうな。

「私が自分から話すことのほうが多くて、彼は、言葉は悪いですけどイエスマンだったので、ほとんど「ここをこうしてこうして、こうしてほしいんだよ」と言ってみても、「あーん」って言ってみたり」




アーンって言ってみたり・・・アーンって・・・アーンって・・・アぁーン・・・アァぁーン!・・・





あの記者会見を聞いても未だにBLとホモ漫画を最近は研究している私としては

「二人は絶対にデキている!」

と言う思わざるをえないのである。だって、これ、ガチホモじゃなかったら何なんだ?



でも、この部分は音楽屋としては良いな、と思った。

「なぜ交響曲を身銭を払ってまで作らなければならなかったかという疑問が多いかと思いますけれども、
これはあの、非常に語弊があって申し上げにくいんですが、
私は子供のころから音楽が大好きで、クラシック音楽も特に好んで聞いておりました。
そのなかで、日本で言えば70年間に渡る現代音楽というものに対して、私自身は肯定的ではありませんで、
昔の『調整音楽』というものの復権が、いちファンとして、そういう尖兵が現れて時代が変わればいいなあというような希望を持っておりましたけれども、
それを、やり方は間違っておりましたが、新垣さんというゴーストライターを使って。当然この70年間続いたアカデミズムの伝統ですから、
絶対に生きているうちにはこの長大な音楽、交響曲は演奏されないと思っておりました。」

「調性音楽にとってはせっかくの希望の光が、調性音楽を愛してらっしゃる方の、新曲を聞きたいという方々の気持ちが萎えてしまったり、この先、この偽物の佐村河内のあとに続くっていう人たちの気持ちが萎えてしまう、なくなってしまうということは、とても残念なことだと思っています。」

この辺は本音と言う気がする。


佐村河内守氏は元々、ロック畑の人らしいがロック系の人の


『現代音楽への憧憬と憎悪』


は実はハンパじゃない。言ってしまえばノイズ・ミュージックもフリージャズも『アカデミックな現代音楽へのカウンター』なんだもの。

しかし、ロック系の人はどうしても『楽器』や『編成』に縛られがち。メンバーとの熱い絆、とかギターテクニックとか。どうしてもエレキギターの歴史が『ロック・ギター』と言うニッチな使われ方がメインだったから仕方ないんだが(初期はハワイアンやジャズで使われていたのだが、ジミ・ヘンドリックが決定打)。


だから、『オーケストラへの憧れ』『調性音楽の復権』ってのは本音だったんだろうな、って言うか。



しかし、記者達が「ペテン師!」と叫んでいるが、そもそも日本の芸事界隈は全て『ペテン』で成立っているワケで。



因みに私は佐村河内守氏のCDも曲も聴いた事がない。
私は調性音楽よりも非調性音楽の方が好きだし、佐村河内守氏が言う「調性音楽の復権」って現代音楽が本当に「現代音楽」だった頃(60年代)にヨーロッパ辺りで散々やられていた。

もっと言えば調性音楽の最終形態って『へヴィメタル』だと思うんだよな。あの人がどんなロックバンドをやっていたか知らないが、メタルギターは、ヴァン・ヘレンがそうであるように、その究極なんだよね。



さて、明日も仕事か。


死にたい。俺も千葉県の通り魔に刺されたいよ・・・。

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