2015年10月6日火曜日

飛び出せ☆シンセ馬鹿! YMOの『BGM』と『テクノデリック』を語る、とmicroKORG 〜直江実樹のロックンロール短波レディオ vol.41』

『飛び出せ☆シンセ仲間! YMOの『BGM』と『テクノデリック』を語る、とmicroKORG 〜直江実樹のロックンロール短波レディオ vol.41』 

と言うのに参加した。 

ライブだが『トーク・ライブ』である。 

当初は参加しない予定だった。横浜の黄金町まで遠いし、お金もないし。 
ただ、米本さんが「どうしても!」とまで言われたので行く事に。 

元々の切欠が私のFBへの書き込みらしい。私がYMOのBGMを買って、其れをFBに書いたら米本さんが読んで感銘を受けてイベントを企画したんだとか。
そう言う意味で責任をとって・・・と言うか。
 

内容はどうなんだろう。直江さんが書いていた内容だと 

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盛況でありました! 
ゲストメインMCの戸川さんの分析の明晰さ 
ビートルズとのマッシュアップあり、ジョンハッセル、ウルトラヴォックスの元ネタ指摘、Wikiの間違い指摘、全曲分析は各レコーディングトラックシートはもとより、詳細なメモ、その場での演奏。さらに、アナログ、リマスター盤、YMO本に細野や教授の本といった資料。 
小池実さんのプロフェット5演奏は、流石にYMO楽器展示でのモニター演奏担当+今回はYMO仕様のエフェクターラックも!
的確な演奏に飯尾さんや松武さん談の話も聞けて、そして、MicroKORGの開発裏話も。 
米本さんの進行もYMOファン当事者っぷりが熱く、また、後発ファンで入れ込んだ世代代表のKO.DO.NA.さんの突っ込みも楽しかったです。 
miniさんも当時の新宿コマでのウィンターライブのライブグッズ提供あり、滝田さんのペー並みの日付記憶力もあり。 
https://www.facebook.com/events/1044074778969854/ 
こういうのを神回とかって言うんでしょうかね。 
楽しみました
。 

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何しろお題が『YMO』なので当然、男性比率は98%超え。
国士舘大学ラグビー部の部室のような状態になった黄金町『視聴室その2』。


私は『遅れてきたYMO世代』代表なのだが、思えば90年代にとって80年代は『ダサい』モノであって、YMO好きってのは可也、『隠れキリシタン』的だったなぁと思う。
1993年にYMOは一度だけの再結成を行って東京ドームでライブをやっているが田舎の高校生が東京に行けるはずもなく(まだ往復で10万円も掛かっていた時代)、確かBSで観たはず。
その時の『再結成YMO』の無茶苦茶な

『ダサさ』

は格別だった。ホンッと糞ダサかった。坂本龍一がハウスやトランス系をやっていた事もあり、『チャンス』と言うトランスっぽい曲があったのだが、生ドラムなのでボロボロ。
と言うか当時のテクノ~クラブ系と乖離が凄まじくて泣けた。



と言うか当時、高校生だった私には『オッサンが頑張っているバンド』に見えてしまった。
超絶技巧を極めた中年男性の『渋み』は高校生には中々、理解し難かった。
20代半ばになって聞き直したら曲は凄く良かったんだが。10代には理解が苦しかった。

で、「あれは、あれ」と意味不明な区分けをして80年代YMOをまた、聴く・・・と言う感じだった。


今になって思えば80年代YMOの暗いパンキッシュな感じが好きだったんだと思う。
だから『スーサイド』も好きになったんだろうなぁ、みたいな。




終わってから米本さんが 

「あー、ようやくYMOの呪縛が解けた気がする」 

と言っていて、今日位になって私も何となくYMOの『BGM』『テクノデリック』と言う二枚の音源が、どーでも良くなってきた。 
どうでも良い、と言うよりは 

『あの2枚より良いサウンドは一生かかっても作れないだろうな』 

と言う羨望が解けて 

『実はBGMとテクノデリックは通過してしまっている』 

と言うか。超えた、と言う程のモノではなく、通過した、と言うか。 


『超える』『超えない』と言う問題ではない。 


そもそも論として『BGM』『テクノデリック』の時代に音楽を最先端で行っている人の機材と、情報量とテキスト量。 

それと21世紀に音楽をやっている人の機材と、情報量と、その情報にアクセスする手段の簡単さ、テキスト量。 



比較対象にならないし、80年代初頭にデジタル・ディレイは数十万円で、今の基準だとゴミのような機材が数百万円していた頃なんである。 

YMOがメイン機材で使っていたプロフェット5と言うシンセサイザーは当時の額で170万円だったらしんだよな。 

で、後に細野晴臣が「YMOをやりたかったらカシオトーンを買えば良い」と言った程で、カシオトーン程度の性能だったワケでさ。操作性や安定性を考えればカシオトーンだろうなぁ。 

だから、と言うワケじゃないんだけども当時と今の環境だと 

『出来る事』 

よりも 

『出来ない事』 

の方が圧倒的に多かったワケで。機材のコスト、シーケンサーのボロさ、インスピレーションを具体化する為の時間(当時のシーケンサーで入力作業は未だと拷問のような)。 


自分がやっている音楽が『YMO』より上か下か、と言う問題ではない。 


タイムマシンがあったとして、81〜82年に今の機材とTPとPAがあればYMOより遥かに高度な音楽となるだろう。 
『BGM』『テクノデリック』が相手だったとしても。 


問題はタイムマシンが理論的に不可能である事と、『BGM』『テクノデリック』を目指して音楽を始めたワケではないのだが、結果的に『BGM』『テクノデリック』は通過している、と言うか。 

例えばジャズ・ミュージシャンって60年代までのジャズのアドリブをコピーするんだよな。 
で、そのアドリブをコピーする事で、新たな発見があり、新たなモードを発見する、と。 

マイルス・デイビスのアドリブをコピーしたんだけども『モード奏法』がどう言うモノか?と言うのは、コピーするしかなくて、コピーする事によって『モード奏法』の拡大が出来る。 

じゃあ、マイルス・デイビスを私は超えたのか?と言う問題ではなく、そうする事で『通過』する、と言うか。 


ブッタにせよ、キリストにせよ当時の宗教家の登竜門である『苦行』を散々やりまくって 

「苦行とか意味ねーから!」 

と言う結論に至るが、そう言う感じかも。 



歌舞伎400年と言うが、今の歌舞伎役者や名門が死ぬ気になって遡ったとしても100年前までしか遡れないらしい。 

恐らくニュアンスとしては100年前のテンポや、立ち方、歩き方、台詞の言い方、劇場のセッティング等を考慮して100年前が限界なんだろう。 

じゃあ、現代歌舞伎と200年前の歌舞伎のどっちが上か?となると、そう言う問題ではなく、400年の歴史があるからこそ、現代の歌舞伎があり、その歌舞伎に対しての新劇があり、新劇に対しての小劇場があり、と思う。 

その前に『能』『狂言』があるが、世阿弥の頃の『能』と、現代の『能』は絶対に『似ても似つかない』程、違ったと思うんだよな。 

世阿弥の頃の『能』は可也、アクロバティックだったらしいし、劇場の作りも今だと実現不可能な作りが出来たし(って言うか、場所によって適時、変化可能な舞台作りをしていたはず)。 



ただ、矢張り『BGM』『テクノデリック』に惚れ込んだ漢にすればYMOってのは『初恋の相手』『童貞喪失の相手』に近いのかも。 


「・・・そんな事もあったなぁ」 


とウィスキーを呑む、と言う事になれたかもなぁと思う。 


トラウマを第三者に語る事によって、其れを昇華と言うより『鞘に閉る』と言うか。 

『BGM』『テクノデリック』 

って米本さんが言うように『トラウマ』なんだよな。そのトラウマに「うーん」となっていた、または振り回されていた状態から 

「なーんだ。つまんねーの!」 

になれた、と言うか。 


帰宅は『東陽町のプリンス』と呼ばれていた古田氏と。 


電車の中で 

「ビミョーにブスな子はちょっと口説けば直ぐにヤラせてくれる。そう言う女性との性行為は速度感がある」 

「その速度は阿部薫が言う『僕はもっと速くなりたい』である」 

「フリージャズは『ビミョーにブスで、簡単にセックスさせてくれる女の子』の事」 

「点ではなく線。スピードこそがポスト・モダンだとするなら『話が早い女の子』こそがポスト・モダン」


と言う80年代的な会話を延々としながら帰宅し、その自説を友人女性に話したら 

「サイテー!」 

と罵倒された。

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