前日にクルーザーと言うか漁船で孤島に連れて行かれた。
孤島と言っても島々には多くの人が住んでおり、主に漁業。
島民の家に泊めてもらう。方言は何処か郷里を感じさせるが気のせいだと思う。
翌日はライブだった。
とても高い・・・まるで座布団を積み上げたような島々があり、そこで演奏するのである。
こんな処で吹いたら島ごと崩れ落ちそうだな、と思いながらエフェクターのスイッチを押すが、地震等に耐えてきた事もあり大音量でも問題はない。それで延々とソロを取る。
島民達は木のように生えている島や、木々の間、または、その下で聞いている。
その翌日は更に高い場所で演奏だった。
高さは10mをゆうに超すモノだが、広さは畳3畳位なのである。
広さに比べて高さがあるので、落っこちそうだ。
だが、光景は絶景で下は海と島。空は夜空。
それがテーマらしい。
なんだか、近藤等則みたいな感じだな、と思いながらも演奏するのだが、前日に使ったオクターバーがない。
「おいおい!オクターバーは!!!」
と言うが、仕方がないのでソロを取るのだが、余りの光景に飲み込まれそうで朦朧としてくる。
音楽より、光景の方が圧倒的で、高さ10m以上の島から落ちそうになる。
心配した島の住職が見に来るが「心配ない」と言って再開。
5音階で延々と吹くが、やっぱり駄目で足元がふらつく。ってか、自分がふらつく。
ふらふら、と朦朧としながら演奏していて「駄目だー!」と思った。
すると、足元の高さ10mの島から落ちた。
だが、島は座布団を積み上げたモノであることが落ちながら分かった。
「あ、俺は座布団のうえで吹いていたのか」
落ちたら死ぬ、と思ったが座布団を積み上げたモノだから大丈夫だろう・・・と落ちながら思った。
トランペットを吹いています。『ミシシッピニオイガメ』と言う亀を飼っています。曲も作ります。『KO.DO.NA』と言うユニットをやっています。ジャンルは人に言わせると『音響』なんだそうで。 http://kodona.web.fc2.com/ CDR『KO.DO.NA:小人の科学』 高円寺『円盤』 中野『タコシェ』 江古田『フライング・ティーポット』 で細々と販売しています。または非オンライン・レーベル『Musical for Kitchen Records』からDL出来ます(DL無料)。 http://mfk.blog.drecom.jp/archive/9 最近、もう一枚出しました。ルクセンブルグの「soundzfromnowhere」と言うネットレーベルから音源が出ました。 http://www.soundzfromnowhere.com/ デンマークからCDがリリースされました。 http://kodona.web.fc2.com/btn/compactdisc.html
2017年4月13日木曜日
書きかけ/音楽におけるミスについて
飛行機の中で。
飛行機の中に備え付けられているイヤフォンが壊れているのか、片方だけ音が歪んでいる。
交換してもらったが変わらず。
そう言う仕様なのかも知れない。
今時、機内放送を楽しみにしているのは私くらいなもんだろう。皆、iPhoneだし。
だが、こう言う場所でしか聴けない音と言うものがあって、其れは一期一会の事だと思う。
例え音が歪んでいても、その時の音。
音楽に関して。
昔、山下洋輔が自分達がやっている音楽に関して
「デタラメだ、メチャクチャだと言われるが、果たして人間が本当の意味でデタラメやメチャクチャが出来るモノなのか?」
と言っていたのだが、山下洋輔の意見に私は半分だけ賛成である。
山下洋輔がやっていた事は『フリージャズ』と言われているが、あれは完全即興による無調音楽ってわけじゃなくてモード進行によるオーソドックスな手法で作られた音楽だと思う。
だから、演奏内容はマイルスと言うよりパーカー路線と言うか。
バップの日本的解釈と言っても良いと思う。
BE・BAPがコード進行を複雑にした音楽です、と言うものではない事はパーカーの作品や、バップ出身のセロニアス・モンクの作品でわかると思う。
コード進行が云々と言い始めると面倒臭いので別の例で書くと、、、うーん。
ザックリとした事で言えば60年代に盛り上がったイギリスのブルース・ロック。彼等が聖書よりも重要視したのは戦前ブルースだが、ブルースは4ビートと言うか少なくともブリティッシュ・ロックのビートではない。
だが、ブリティッシュ・ロックの連中は其れを8ビートに変えた。
背景にはブルース・ロックの前にスキッフルってのもあったと思うが、4から8への変更に伴いサウンドの深み、と言うものを重視したのではないだろうか。
-
4ビートよりも8ビートの方が深みと言うと語弊があるが、奥行きと言えばシックリする。
で、bopでやんすよ。
BAPがコードを複雑化し其れ迄の3〜4倍のコード数にしたのは上記のように
『サウンドの奥行き』
を目指したのではないか。
1コードで延々とソロを取ることが可能である事は、其れこそ戦前ブルースやスウィングの頃から立証されて居たわけで。
コードを複雑化って言うか、クラシックなんてBAPよりも早く和声進行は凄まじい。
結果としてソナタでもオーケストレーションでも途方も無い音の奥行きを実現させている。
で、モード・ジャズってのがあるけどもリディアンとかドリアとかを使ったからモードか?って言う疑問がある。
だって、
パーカーや、もっと言えばベニー・グッドマンがドレミファだけで考えて居たとは考え難い。
音の響きや奥行きを増す事で何が出来るか?
其れこそが「ソロイストへの自由度」だと思うんだよな。
其れが、どのような形であれ音への自由度と言うか。
西洋音楽に、もとい音楽理論や楽理の歴史って
「音楽に 『間違い』は絶対に存在しない」
と言う事を証明するための歴史と言うか。
平行5度は禁止事項だが、禁止しているからこそ使える。
TABOOを知らなければ快楽と背徳は無い。
音楽がエロティシズムである以上、TABOOは必要であり、TABOOを超えた処にサウンドによる快楽や背徳、悦びがあるはずなんだよな。
山下洋輔の
「デタラメだ、メチャクチャだと言われるが、果たして人間が本当の意味でデタラメやメチャクチャが出来るモノなのか?」
に関して言えば、山下洋輔はメチャクチャやデタラメをやって居たわけでは無い。
楽理の範疇を超えるものでは無かった。
ただ、其れは当時のジャズ・シーンや楽理を踏まえれば十分過ぎるほどフリーだったと思う。
其れがデタラメとかメチャクチャとかフリージャズに聴こえたのは聞き手の問題であって、山下洋輔トリオの問題ではない(山下洋輔も自分達の音楽が完全即興による無調音楽とは思ってなかったはずで)。
山下洋輔トリオがやっていた事はbopであり、bopはコードで解釈されるものではなくモード、もっと言えば全体的なサウンドで行われていたはずで(多分、少なくともパーカーはそうだったはずで)。
音がメチャクチャ、ノイズに聴こえるのは聞き手の問題であって、演奏者(作曲者)の問題ではない。
そもそも論として、『人間』と言うシステマチックな生き物が、『楽器』と言う更にシステマチックな装置を使って、『システム』から逃れることが可能なのか?
と言うか。
飛行機の中に備え付けられているイヤフォンが壊れているのか、片方だけ音が歪んでいる。
交換してもらったが変わらず。
そう言う仕様なのかも知れない。
今時、機内放送を楽しみにしているのは私くらいなもんだろう。皆、iPhoneだし。
だが、こう言う場所でしか聴けない音と言うものがあって、其れは一期一会の事だと思う。
例え音が歪んでいても、その時の音。
音楽に関して。
昔、山下洋輔が自分達がやっている音楽に関して
「デタラメだ、メチャクチャだと言われるが、果たして人間が本当の意味でデタラメやメチャクチャが出来るモノなのか?」
と言っていたのだが、山下洋輔の意見に私は半分だけ賛成である。
山下洋輔がやっていた事は『フリージャズ』と言われているが、あれは完全即興による無調音楽ってわけじゃなくてモード進行によるオーソドックスな手法で作られた音楽だと思う。
だから、演奏内容はマイルスと言うよりパーカー路線と言うか。
バップの日本的解釈と言っても良いと思う。
BE・BAPがコード進行を複雑にした音楽です、と言うものではない事はパーカーの作品や、バップ出身のセロニアス・モンクの作品でわかると思う。
コード進行が云々と言い始めると面倒臭いので別の例で書くと、、、うーん。
ザックリとした事で言えば60年代に盛り上がったイギリスのブルース・ロック。彼等が聖書よりも重要視したのは戦前ブルースだが、ブルースは4ビートと言うか少なくともブリティッシュ・ロックのビートではない。
だが、ブリティッシュ・ロックの連中は其れを8ビートに変えた。
背景にはブルース・ロックの前にスキッフルってのもあったと思うが、4から8への変更に伴いサウンドの深み、と言うものを重視したのではないだろうか。
-
4ビートよりも8ビートの方が深みと言うと語弊があるが、奥行きと言えばシックリする。
で、bopでやんすよ。
BAPがコードを複雑化し其れ迄の3〜4倍のコード数にしたのは上記のように
『サウンドの奥行き』
を目指したのではないか。
1コードで延々とソロを取ることが可能である事は、其れこそ戦前ブルースやスウィングの頃から立証されて居たわけで。
コードを複雑化って言うか、クラシックなんてBAPよりも早く和声進行は凄まじい。
結果としてソナタでもオーケストレーションでも途方も無い音の奥行きを実現させている。
で、モード・ジャズってのがあるけどもリディアンとかドリアとかを使ったからモードか?って言う疑問がある。
だって、
パーカーや、もっと言えばベニー・グッドマンがドレミファだけで考えて居たとは考え難い。
音の響きや奥行きを増す事で何が出来るか?
其れこそが「ソロイストへの自由度」だと思うんだよな。
其れが、どのような形であれ音への自由度と言うか。
西洋音楽に、もとい音楽理論や楽理の歴史って
「音楽に 『間違い』は絶対に存在しない」
と言う事を証明するための歴史と言うか。
平行5度は禁止事項だが、禁止しているからこそ使える。
TABOOを知らなければ快楽と背徳は無い。
音楽がエロティシズムである以上、TABOOは必要であり、TABOOを超えた処にサウンドによる快楽や背徳、悦びがあるはずなんだよな。
山下洋輔の
「デタラメだ、メチャクチャだと言われるが、果たして人間が本当の意味でデタラメやメチャクチャが出来るモノなのか?」
に関して言えば、山下洋輔はメチャクチャやデタラメをやって居たわけでは無い。
楽理の範疇を超えるものでは無かった。
ただ、其れは当時のジャズ・シーンや楽理を踏まえれば十分過ぎるほどフリーだったと思う。
其れがデタラメとかメチャクチャとかフリージャズに聴こえたのは聞き手の問題であって、山下洋輔トリオの問題ではない(山下洋輔も自分達の音楽が完全即興による無調音楽とは思ってなかったはずで)。
山下洋輔トリオがやっていた事はbopであり、bopはコードで解釈されるものではなくモード、もっと言えば全体的なサウンドで行われていたはずで(多分、少なくともパーカーはそうだったはずで)。
音がメチャクチャ、ノイズに聴こえるのは聞き手の問題であって、演奏者(作曲者)の問題ではない。
そもそも論として、『人間』と言うシステマチックな生き物が、『楽器』と言う更にシステマチックな装置を使って、『システム』から逃れることが可能なのか?
と言うか。
ラジカセくん
昨年のBULLETSでラジカセが復活した。
ラジカセを使用しなくなったのはソウルでのLIVEが切欠である。
肺炎と呑み過ぎ(マッコリしか摂取出来ない程、弱っていた)でラジカセを繋ぐのを忘れていたのである。
だが、そのまま演奏してみると
『バックトラックに演奏を縛られない』
と言うのが発見出来て、それから使ってない。で、ラジカセもまったく使ってなかったし、触ろうともしなかったので(古いラジカセなのでラジオを聴くにしても重たかった)年月により故障。
それでもBULLETSで動いたのは奇跡に近い。あれが、あのラジカセのラスト・パフォーマンスだった。
で、デンマークっすよ。
昨年末だったか、今年だったか思い出せないのだが、思い出せない理由は『あまり思い出したくない程、自分の演奏が酷かった』からで、イベントが云々って言うモノではない。
その際にラジカセを使ったのだが、やっぱり駄目で予定していた演奏がグダグダになった。
コペンハーゲンでのライブに備えてラジカセを買う。条件は3つ。
①ラジオ内蔵型であること
②運搬の為、軽量・小型であること
③動作品であること
ラジオ内臓なのは絶対で、私が演劇畑出身だから能の『後見』と言う制度に感動した事があるから。
能の舞台には舞台後方に人が控えているのだが、何のためにいるのか?って言う理由が凄い。
『演者が演じている際に、突然、舞台上で死んでしまった時に備えて』
なんだとか。まぁ、死亡じゃなくて「なんか、嫌になった」とかでも良いんだろうが、舞台は始まったら絶対にフィニッシュまで持っていくもので、例え役者が「う!」とか言って死んでも続行。
だから『後見』は舞台上の演者より上手い人がやる(突然の事態に備えて。途中からでもスラリと出来るように)。
「バンドならば別だが、ソロだと『後見』はどうなるのか?」
と思った。で、ラジオである。
私がTPを吹いていて「・・・っう!」とか言って死にそうになってもラジオ・ボタンは押せる。
だから音楽は(雑音かもしれないが)流れる。
そんなワケでラジオ内臓。あとは曲によってはラジオを使うこともあるから。
小型で軽量は、コペンハーゲンが遠いのと、運搬が辛いから。
一時期、1959年製のオープンリールデッキまで使っていたのだが重さが8.5kgで死にそうだった。しかも、音は悪かったし(HI-FIと言う観念がなかったんだと思う)。
ラジカセは70年代ラジカセを修理しながら使っていたのだが、やはり重たい。
NYとソウルは空輸したほどで。
で、今回は全部を持っていく、って事で小型にした。
一応、久し振りにのラジカセだし、時間が余りないので(20日にチェックインで21日0:15にフライト)ヤフオクとメリカルで購入。友人から『テレコ』を譲ってもらった。
時間が余りにも無い。
20日に羽田に行かなきゃならないのに、CPH行きが決定したのは6日だったか5日である。
で、実家に居たので用意が出来ないし、東京に戻ったら電気、ガス、ネットが止められていて足止めは食らうし、リサイクル店を見て回る、と言う暢気な事が出来ない。
だから、ヤフオクとメリカルと言う『金にモノを言わせて』購入(と言っても二台で5千円だが)。
今日、生テープを買うために高円寺:円盤に行く。
で、ラジカセといえば『ターボ・ソニック』と言うラジカセ専門店があったのだが、恵比寿に移転したんだとか。
驚いたのは
「ターボソニックは『ペットショップ』になった」
である。ラジカセも少数ながら置いているらしいが「ラジカセも置いているペットショップ」で、メインはペットショップ。
話によるとラジカセの入手が難しくなったかららしい。ラジカセの本を出した人もラジカセを修理して売っていたが、ラジカセの入手が難しくなり今はやってないんだとか。
メディアが「今はカセットテープの人気が!」と言うから中古屋だとかリサイクル店だとかが、動作が怪しい、二束三文のラジカセをオークションだとかメリカルで売っているんだとか。
で、数週間前までは麦飯と薄い味噌汁、オカラや納豆をメインに食っていたような田舎若者が
「へー!ラジカセって流行っているんだー」
とラジカセを買って、動かなったり、回転ムラがあったりして「なんだか・・・後悔」となっているらしい。
大体、レコードもカセットテープも流行ってねーよ!って言う。
私が自分の音源をCDで出したのは、CDと言うモノが、まだハードも流通しているからで。
勢いでレコードを出した人とか、テープで出した人もいるけどレコードだとプレスはさて置き、10万は降らない。
大枚を叩いても聴かれないのでは意味が無いし、運搬が辛い。
テープも考えたが、テープ・デッキを所有している人はターンテーブルを所有している人よりも遥かに少ない。
で、ヤフオクを見ると動作が怪しそうなラジカセがワンサカと売っている。質問をしても詳しくないので(普段は農耕具だとか壷なんぞを売っている田舎の店)どうしようもない。
メリカルは幸い、回答が来たが、これも届いてみないと分からない。
詳しくない人にすればテープを入れて音が滅茶苦茶だとしても「音が出ているから動作品」となる。
いや、確かに動作はしているが音響機器としてはガラクタである。
ラジカセの修理なんて簡単なんだから(トランス部分やモーターが駄目になってない限り、ゴムベルト交換で大抵は直る)修理しろよ、と思うがオークションで食っている人にすれば、そんな祐著な事は出来のかも。
今日、ヤフオクで買ったものが届いた。なんとか・・・なるのかな・・・。
ラジカセを使用しなくなったのはソウルでのLIVEが切欠である。
肺炎と呑み過ぎ(マッコリしか摂取出来ない程、弱っていた)でラジカセを繋ぐのを忘れていたのである。
だが、そのまま演奏してみると
『バックトラックに演奏を縛られない』
と言うのが発見出来て、それから使ってない。で、ラジカセもまったく使ってなかったし、触ろうともしなかったので(古いラジカセなのでラジオを聴くにしても重たかった)年月により故障。
それでもBULLETSで動いたのは奇跡に近い。あれが、あのラジカセのラスト・パフォーマンスだった。
で、デンマークっすよ。
昨年末だったか、今年だったか思い出せないのだが、思い出せない理由は『あまり思い出したくない程、自分の演奏が酷かった』からで、イベントが云々って言うモノではない。
その際にラジカセを使ったのだが、やっぱり駄目で予定していた演奏がグダグダになった。
コペンハーゲンでのライブに備えてラジカセを買う。条件は3つ。
①ラジオ内蔵型であること
②運搬の為、軽量・小型であること
③動作品であること
ラジオ内臓なのは絶対で、私が演劇畑出身だから能の『後見』と言う制度に感動した事があるから。
能の舞台には舞台後方に人が控えているのだが、何のためにいるのか?って言う理由が凄い。
『演者が演じている際に、突然、舞台上で死んでしまった時に備えて』
なんだとか。まぁ、死亡じゃなくて「なんか、嫌になった」とかでも良いんだろうが、舞台は始まったら絶対にフィニッシュまで持っていくもので、例え役者が「う!」とか言って死んでも続行。
だから『後見』は舞台上の演者より上手い人がやる(突然の事態に備えて。途中からでもスラリと出来るように)。
「バンドならば別だが、ソロだと『後見』はどうなるのか?」
と思った。で、ラジオである。
私がTPを吹いていて「・・・っう!」とか言って死にそうになってもラジオ・ボタンは押せる。
だから音楽は(雑音かもしれないが)流れる。
そんなワケでラジオ内臓。あとは曲によってはラジオを使うこともあるから。
小型で軽量は、コペンハーゲンが遠いのと、運搬が辛いから。
一時期、1959年製のオープンリールデッキまで使っていたのだが重さが8.5kgで死にそうだった。しかも、音は悪かったし(HI-FIと言う観念がなかったんだと思う)。
ラジカセは70年代ラジカセを修理しながら使っていたのだが、やはり重たい。
NYとソウルは空輸したほどで。
で、今回は全部を持っていく、って事で小型にした。
一応、久し振りにのラジカセだし、時間が余りないので(20日にチェックインで21日0:15にフライト)ヤフオクとメリカルで購入。友人から『テレコ』を譲ってもらった。
時間が余りにも無い。
20日に羽田に行かなきゃならないのに、CPH行きが決定したのは6日だったか5日である。
で、実家に居たので用意が出来ないし、東京に戻ったら電気、ガス、ネットが止められていて足止めは食らうし、リサイクル店を見て回る、と言う暢気な事が出来ない。
だから、ヤフオクとメリカルと言う『金にモノを言わせて』購入(と言っても二台で5千円だが)。
今日、生テープを買うために高円寺:円盤に行く。
で、ラジカセといえば『ターボ・ソニック』と言うラジカセ専門店があったのだが、恵比寿に移転したんだとか。
驚いたのは
「ターボソニックは『ペットショップ』になった」
である。ラジカセも少数ながら置いているらしいが「ラジカセも置いているペットショップ」で、メインはペットショップ。
話によるとラジカセの入手が難しくなったかららしい。ラジカセの本を出した人もラジカセを修理して売っていたが、ラジカセの入手が難しくなり今はやってないんだとか。
メディアが「今はカセットテープの人気が!」と言うから中古屋だとかリサイクル店だとかが、動作が怪しい、二束三文のラジカセをオークションだとかメリカルで売っているんだとか。
で、数週間前までは麦飯と薄い味噌汁、オカラや納豆をメインに食っていたような田舎若者が
「へー!ラジカセって流行っているんだー」
とラジカセを買って、動かなったり、回転ムラがあったりして「なんだか・・・後悔」となっているらしい。
大体、レコードもカセットテープも流行ってねーよ!って言う。
私が自分の音源をCDで出したのは、CDと言うモノが、まだハードも流通しているからで。
勢いでレコードを出した人とか、テープで出した人もいるけどレコードだとプレスはさて置き、10万は降らない。
大枚を叩いても聴かれないのでは意味が無いし、運搬が辛い。
テープも考えたが、テープ・デッキを所有している人はターンテーブルを所有している人よりも遥かに少ない。
で、ヤフオクを見ると動作が怪しそうなラジカセがワンサカと売っている。質問をしても詳しくないので(普段は農耕具だとか壷なんぞを売っている田舎の店)どうしようもない。
メリカルは幸い、回答が来たが、これも届いてみないと分からない。
詳しくない人にすればテープを入れて音が滅茶苦茶だとしても「音が出ているから動作品」となる。
いや、確かに動作はしているが音響機器としてはガラクタである。
ラジカセの修理なんて簡単なんだから(トランス部分やモーターが駄目になってない限り、ゴムベルト交換で大抵は直る)修理しろよ、と思うがオークションで食っている人にすれば、そんな祐著な事は出来のかも。
今日、ヤフオクで買ったものが届いた。なんとか・・・なるのかな・・・。