2017年4月13日木曜日

書きかけ/音楽におけるミスについて

飛行機の中で。
飛行機の中に備え付けられているイヤフォンが壊れているのか、片方だけ音が歪んでいる。
交換してもらったが変わらず。
そう言う仕様なのかも知れない。
今時、機内放送を楽しみにしているのは私くらいなもんだろう。皆、iPhoneだし。
だが、こう言う場所でしか聴けない音と言うものがあって、其れは一期一会の事だと思う。
例え音が歪んでいても、その時の音。



音楽に関して。


昔、山下洋輔が自分達がやっている音楽に関して

「デタラメだ、メチャクチャだと言われるが、果たして人間が本当の意味でデタラメやメチャクチャが出来るモノなのか?」

と言っていたのだが、山下洋輔の意見に私は半分だけ賛成である。

山下洋輔がやっていた事は『フリージャズ』と言われているが、あれは完全即興による無調音楽ってわけじゃなくてモード進行によるオーソドックスな手法で作られた音楽だと思う。
だから、演奏内容はマイルスと言うよりパーカー路線と言うか。
バップの日本的解釈と言っても良いと思う。


BE・BAPがコード進行を複雑にした音楽です、と言うものではない事はパーカーの作品や、バップ出身のセロニアス・モンクの作品でわかると思う。

コード進行が云々と言い始めると面倒臭いので別の例で書くと、、、うーん。



ザックリとした事で言えば60年代に盛り上がったイギリスのブルース・ロック。彼等が聖書よりも重要視したのは戦前ブルースだが、ブルースは4ビートと言うか少なくともブリティッシュ・ロックのビートではない。

だが、ブリティッシュ・ロックの連中は其れを8ビートに変えた。
背景にはブルース・ロックの前にスキッフルってのもあったと思うが、4から8への変更に伴いサウンドの深み、と言うものを重視したのではないだろうか。
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4ビートよりも8ビートの方が深みと言うと語弊があるが、奥行きと言えばシックリする。


で、bopでやんすよ。

BAPがコードを複雑化し其れ迄の3〜4倍のコード数にしたのは上記のように

『サウンドの奥行き』

を目指したのではないか。
1コードで延々とソロを取ることが可能である事は、其れこそ戦前ブルースやスウィングの頃から立証されて居たわけで。

コードを複雑化って言うか、クラシックなんてBAPよりも早く和声進行は凄まじい。

結果としてソナタでもオーケストレーションでも途方も無い音の奥行きを実現させている。
で、モード・ジャズってのがあるけどもリディアンとかドリアとかを使ったからモードか?って言う疑問がある。


だって、

パーカーや、もっと言えばベニー・グッドマンがドレミファだけで考えて居たとは考え難い。

音の響きや奥行きを増す事で何が出来るか?

其れこそが「ソロイストへの自由度」だと思うんだよな。

其れが、どのような形であれ音への自由度と言うか。
西洋音楽に、もとい音楽理論や楽理の歴史って

「音楽に 『間違い』は絶対に存在しない」

と言う事を証明するための歴史と言うか。

平行5度は禁止事項だが、禁止しているからこそ使える。
TABOOを知らなければ快楽と背徳は無い。

音楽がエロティシズムである以上、TABOOは必要であり、TABOOを超えた処にサウンドによる快楽や背徳、悦びがあるはずなんだよな。




山下洋輔の

「デタラメだ、メチャクチャだと言われるが、果たして人間が本当の意味でデタラメやメチャクチャが出来るモノなのか?」

に関して言えば、山下洋輔はメチャクチャやデタラメをやって居たわけでは無い。
楽理の範疇を超えるものでは無かった。

ただ、其れは当時のジャズ・シーンや楽理を踏まえれば十分過ぎるほどフリーだったと思う。
其れがデタラメとかメチャクチャとかフリージャズに聴こえたのは聞き手の問題であって、山下洋輔トリオの問題ではない(山下洋輔も自分達の音楽が完全即興による無調音楽とは思ってなかったはずで)。
山下洋輔トリオがやっていた事はbopであり、bopはコードで解釈されるものではなくモード、もっと言えば全体的なサウンドで行われていたはずで(多分、少なくともパーカーはそうだったはずで)。
音がメチャクチャ、ノイズに聴こえるのは聞き手の問題であって、演奏者(作曲者)の問題ではない。


そもそも論として、『人間』と言うシステマチックな生き物が、『楽器』と言う更にシステマチックな装置を使って、『システム』から逃れることが可能なのか?

と言うか。

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