2017年6月8日木曜日

BOØWY

寝ながら、ふと「日本のRockって特種な音楽だよなぁ」と思った。




何が特種か、って言えばRockは世界的なPOPSでもないのに「世界音楽」的なニュアンスである。

だが、歴史的に見ても、規模的に見てもROCKって

『アメリカやイギリス中産階級の民族音楽』 

なんだよな。そもそも、Rockのマーケットもイギリスとアメリカ、あとは日本くらいしかない。アフリカにもロックのバンドはいるけど、日本のロックほど特種な気がしない。

あ、旧ソ連の末期の頃は『ヘヴィー・メタル』をライブで聴くのが当時のソビエト連邦の上流階級のHIPだったらしい。

だが、往年のロックンロールを知っている側からすると、ロックンロールのお株は随分、昔からヒップホップに奪われている。
最近の高円寺駅前で高校生くらいの子がフリースタイルに勤しんでいる。
高円寺とヒップホップって相性が悪い、と思っていたので驚いた。


だが、考えてみると年収240万円以下の日本で『ロックンロール』って経済的に無理がありすぎるんだよな。


ギターもアンプもドラムも日本の住宅事情を考えると現実的とは言えない楽器ばかりである。

冷静に考えて、どうして『フォークソング』が壊滅して(70年代までフォークが主流だった)ロックンロールが80年代から00年代まで生き残れたんだ?と言う疑問がわく。



今は編集されているがウィキペディアに『日本のロック』と言う項目があり、

「日本のロックの元祖は『BOØWY』である」 

と記載されていた。多分、BOØWYのファンが書いたんだと思うのだが確かに

『純民間音楽』

としてのロックンロールと言う事で言えばBOØWYなのかなぁと。少なくともロックのファン、と言うのがイメージするバンドと言えばBOØWYとなる。

①はっぴいえんど→メンバー全員、裕福な御子息。細野晴臣は立教大学卒 

②村八分→チャー坊は1ドル=350円の時代にサンフランシスコに留学。山口冨士夫は貧乏人だがGSでプロ経験が長い 

③キャロル→ロックと言うよりポップス。 

④外道→活動期間が短すぎる。 

⑤YMO→メンバー全員、裕福な御子息。 

⑥裸のラリーズ→問題外 

なんと言うか『日本のロック』って、基本的に『裕福な御子息』である。実際に楽器も安くはないし、GSバンドはディスコ(今で言うクラブ)での演奏が基本だが、GSや、70年代後半までエレキ・ギターの値段って、今の金額に直すと20~30万円。
それとアンプ。これも数十万円か。

GSとか村八分だとか外道だとか言っても、当時の十代の大半は『金の卵』と言う事で中学を卒業したら働いていた時代である。

ロックでロール!ってワケには行かないので、ターゲットは裕福層だけになる。


其処へBOØWY。


このバンドの重要な処は『日本のロックの元祖』か、どうかはトモカク(あれが元祖だったら死にたくなるよな)、あのバンドが



のバンド、と言う事である。群馬県出身の友人曰く

「群馬県の星」 

と呼んでいる(よだかの星みたいだ)。群馬県と言えば誰もが知っているように途方もない場所である。


















































そもそも、電気があるのか?と言う気がする。電気以前に20歳までに生存出来る可能性が、どの程度あるのか不明な所が恐ろしい。


続けて友人は言う。

「だから、日本のロックの元祖はBOØWYでしょ?だから、日本でロックンロールをやろう!って人は『上毛かるた』は必須だね」 



「え?そうなの?」 

「だって、群馬県民は『上毛かるた』を暗唱出来るだもん。『上毛かるた』を暗唱出来ないと生き残れない」 

「え?そうなの?」 

「だって、群馬県に移住した時に最初にやらされた事が『上毛かるたの暗記』だったもんねぇ」 

「じゃあ、BOØWYの歌詞も実は『上毛かるた』をベースに作られているって事になるの?」 

「そりゃ、そーだよ!。だから、スタジオとかで良い歌詞が浮かばない時は『上毛かるた』を並べて考えていたんだと思うよ」 

「で、スタジオでお腹が空いたら『大名ネギ』を食う、と」 

「それか『焼きまんじゅう』だね」 


因みに『焼きまんじゅう』は群馬県民以外が食べると即死するらしい。


「群馬県から生まれた音楽が『日本のロック』ねぇ。栃木じゃないんだ」 

「栃木の連中はムカつく!」 


群馬県と栃木県は仲が悪いらしい。栃木県が群馬県民に喧嘩を売る際は『レモン牛乳』を投げつけるんだとか。で、群馬県民はネギを片手に戦うらしい。


ロックンロールと言えばロンドンとか、サンフランシスコと都市文化を考えてしまうが、日本の場合は

『群馬文化』

なのである。


「つまり、だ」 

友人は畳み掛ける。

「ジャズがニューオリンズで生まれて、ニューヨークで発展したように」 

「日本のロックンロールは群馬県で生まれて、他県や都市で発展したのですよ」 

「だから、群馬県はロック・ミュージシャンにとっての『ニューオリンズ』なんだよ」 


イマイチ、納得が出来ないのだが其れは多分、私がロックンロールをやってないからだと思う。

「じゃあ、日本でロックンロールをやろう、って人はジャズと同じく『群馬詣で』をしなきゃならないんだ」 

「そうそう。だから、東京で受けているバンドでも群馬県で認められないと一流とは言えないね」 



BOØWY=群馬県の星


と言う説に「うーむ・・・」と思い、初期のBOØWYの写真を探してみると確かに、上記の群馬県っぽいバンドだったらしい。
最近になって熱心なファンがUPしていた。


(BOØWYの前身『BLUE FILM』/1975年くらい)


結成された頃は氷室は参加してない。結成して1年で辞めてしまった人もいるが、その人はプロデューサーになったらしい。
この頃の氷室は歌謡ロックのバンドで歌っていたんだとか。で、その頃にRCサクセションを聞いて「ロックのバンドば、やっでみっぺっさ」と思ったんだとか。



(BOØWY参加前の氷室) 


この姿の何処が『歌謡ロック』なのか全く想像が出来ないが、モノの本には記載されているから本当なんだと思う。



(氷室が参加しBOØWYとなった頃) 

写真が荒いが、如何せん保存状態が悪いのとメンバーやレコード会社が公に認めてない事もあるので友人や熱心なファンの一部しか知られてない写真である。





パーカッション中心の音楽から、弦楽器音楽に移行した頃らしい。



だが、この頃は群馬県出身だった友人曰く

「大都会」 
「メトロポリス」 
「東京を遥かに凌ぐハイパーシティ」 
「イオンもある」 

群馬県高崎市での活動だった。

実際にwikiを見ると
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その当時「ガール(英語版)」というイギリスのハードロックバンド(メンバーは全員男性)がいたことに対抗し、こちらは男ばかりだからそのまま「ボーイ」だろうということで、当て字で『暴威』と命名された。それを聞いた社長の長戸大幸からは、当時人気だった『横浜銀蠅』にあやかって『群馬暴威』という名を提案されたものの、メンバーから猛反対され即ボツになった。
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とある。群馬暴威だったら良かったんだがなぁ。少しは好きになれたかもしれない。


で、その後、ハイドロキノン、水銀、モノベンゾンなどを多用して多くの人が知るBOØWYとなる。



このハイドロキノン、水銀、モノベンゾンの組み合わせは『黒人が白人になれる方法(肌漂白)と言う事で、かのマイケル・ジャクソンやビヨンセ、日本だと松田聖子がやっている(肌漂白の元祖)。


しかし、BOØWYファンって凄く熱心である。
高校時代に『小泊栄五郎』と言う同級生がいたのだが、彼は私に3時間も

「BOØWYの魅力について」 

を一方的に語ってくれた。




北九州市には『ロンドン』と言う、ほとんどBOØWYのコピーバンド(歌詞が違うだけ)が人気だったりしていた(多分、そのバンドは解散していると思う)。
その小泊栄五郎もギターを弾き始めてBOØWYのコピーバンドをやっていた。

BOØWYファンは何故、ギターを買ってきて『BOØWYのコピバン』をやってしまうんだろうか。 

私はグレン・グールドが好きだが、じゃあピアノを買ってきて・・・とはならないし、ジャズ・ファンが楽器を演奏した、と言う話は聴いたことがない(ジャズで使われる楽器の大半が習得が難しい事もあるが)。

『灰野ケイジ』
『裸のラリーズ』

はコピーする人はいる。実を言うと私も一度だけ友人とスタジオに入って裸のラリーズの『夜、暗殺者の夜』を演奏したことがある(私はTPなのでメロディー部分だが)。

だが、それでステージに・・・とは思わないのだが。

少なくとも90年代後半から00年代初頭まではBOØWYのコピバンは全国津々浦々にいた。
田舎のライブハウスには必ずBOØWYの曲を演奏するバンドがいた。

私の田舎(北九州)で

『学校以外で音楽をやる』
『演奏行為』
『ギターを弾く』
『ベースを弾く』
『ドラムを叩く』
『歌う』

と言う行為はイコールで『BOØWYのコピバンをやる』と言う事だった。西日本なので本来ならブルースが強い街のはずなんだが(大昔はジャズの街だった)何故か『BOØWY』だった。

BOØWYのコピバンと、ブルースの街ってのが「親世代への反抗」と言うワケでもなく、何故かそうなっていた。

だから、テクノとかモダン・ジャズだとかクラブ・ジャズだとかクラブ音楽だとか渋谷系を聴く私は中性ヨーロッパでの『異端カタリ派』のような扱いだった。

だから『お洒落をする』と言う事もイコールで『髪を立たせる』と言う事だった。


あ、思い出した。

高校時代に学友とバンドを組んだのだが(当時の私はキーボード)、95年か96年だと言うのに
BOØWYのコピバンだった。

あと、『黒夢』

キーワードは『童貞』。


嫌だったなぁ・・・。スタジオで馬鹿げたフレーズを弾かされながら「早く時間が進まないだろうか」と相対性理論のような事を考えていたのだが、そう言う時に限って時間は進まないものである。

そのBOØWYの80年代のライブがYOUTUBEにUPされていたので見てみた。































っダサっさいなぁ・・・。耳が『東海村JCO臨海事件』の人みたいに腐り落ちそうだ。

調べてみるとドラムの人はフリクションのファンらしい。フリクション好きが、何でこんなドイツとスイスの国境沿いの村の童謡みたいなマヌケな音楽に走るんだろうか。




私に「BOØWYの魅力について」を延々と3時間も話した小泊栄五郎は、卒業後に

「俺、ギターで東京に出る」

と言っていたのだが、その後、どうしているんだろうか。『BOØWY』の再結成を心待ちにしているんだろうか。

しかし、BOØWYファンの『BOØWYのコピバン率の高さ』は一体、何なんだ。


wikiによるとライブ音源の大半がブートとして出回っているらしい。

ブート盤の多さが『コピバン率の高さ』に繋がるのだとすれば『クラフトワーク』『ブライアン・ウィルソン:スマイル』『グレイトフル・デッド』『裸のラリーズ』『セシル・テイラー』だって多い。

だが、『グレイトフル・デッドのコピバン』『クラフトワークのコピバン』『セシル・テイラーのコピバン』なんて聞いたことがない。



小泊栄五郎はどうしているんだろう。東京でBOØWYのコピバンをやったのか、または地元(福岡県北九州市門司区)でBOØWYのコピバンをやっているのか。


BOØWYと言うと小泊栄五郎を思い出す。





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