2017年12月12日火曜日

アイデンティティの問題と、いまアイドルについて語らないこと

interview with Ian F. Martin
アイデンティティの問題と、いまアイドルについて語らないこと
──『バンドやめようぜ!』の著者、イアン・F・マーティンに聞く
野田 努    通訳:染谷和美
『いまルールがわからない怖さというものを、みんなが自分らしさを探るなかで感じているんだと思う。世界中どこでもツイッターなんかでちょっと変なことを言ってしまったら受信箱にバーッと脅迫状が届くような世界だから、本当に自由に自分らしさを追求できないなかで、なにか「これに従っていれば大丈夫だ」というルールを探す、その末に行きついているのがあのアイドル文化なんじゃないかと思う。』
http://www.ele-king.net/interviews/006052/



アイドル文化に関しては難しい処があるよなぁと思う。
この「ルールが分かる」と言うのは「こっちに行けば大丈夫」って言うモノなんだと思うんだよな。
でも、それは90年代であれば渋谷系だっただろうし、70年代であれば全共闘だったんだろうし、60年代であればフォークだったんだろうし、00年代であればディレイとリバーブで音響系だったんだろうし。


アイドル論を語ろうとすると、途端に自分の馬鹿さ加減が露見するし、アイドルを持ち上げようとすると途端に自分の馬鹿さ加減が露見する。
此れに近いモノって『天皇家』なんだよな。
何処がだよ?と思う人もいるかもしれないけども

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普段はアイドルと縁遠い総合週刊誌でもさまざまなAKBがらみのプロジェクトが展開されている。『週刊朝日』は「AKB写真館」に続いて「AKBリレーインタビュー」と、長期にわたり連載を続けているし、『週刊ポスト』編集部と小学館は、2011年の公式カレンダーの制作と販売を任されている。
 他にも、『アサヒ芸能』のような実話誌から、「日刊ゲンダイ」「東京スポーツ」などの夕刊紙、さらには『BUBUKA』などの鬼畜系雑誌まで、それこそありとあらゆるメディアが、連載、グラビア、記事、写真集の発行といった形で、AKB人気の恩恵に預かっているのだ。
 AKBの連載をしている週刊誌の編集幹部がこんな本音を漏らす。
「AKB48はAKSという会社が運営しているんですが、ここに秋元康さんの弟がいて、雑誌対策をやっている。これまで芸能プロが相手にしなかったゴシップ週刊誌にもエサを与え、味方にするというのは彼の戦略ですね。ただ、それがわかっていても、我々としては乗らざるをえない。というのも、AKBが出ると、雑誌の売り上げが数千から一万部くらいアップする。雑誌が売れない時代にこれはすごく大きいんです」
 しかも、AKSの戦略が巧みなのは、AKBがらみの単行本や写真集などの出版権を、週刊誌発行元の出版社に与えるだけではなく、週刊誌の編集部を指名して制作させている点だ。このやり方だと、売り上げが編集部に計上されるため、編集部としてはますますAKBへの依存度が高まり、さからいづらくなる。
 実際、こうしたメディア対策が功を奏し、AKB48は今や、新たな芸能タブーのひとつに数えられるようになった。AKBにはメンバーの異性関係や運営会社・AKSの経営幹部の問題などさまざまなゴシップが囁かれているのだが、どの週刊誌もそれを報道しようとはしない。『週刊文春』『週刊新潮』だけは活字にしているが、AKBの利益共同体に組み込まれた他のメディアに無視され、完全に孤立している状態だ。】
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/month?id=60769&pg=201202
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って言う処。

アイドルをAKB48だけに特化するのも変な気もするが、乃木坂だろうと、何だろうと資本をバックに付けたアイドルは似たようなもんだ。

「全方位からのdisりを回避出来ている構造」

ってアイドル以外で言えば天皇家くらいなもんだ。
だから、AKB48と天皇家は現状、同じポジションである。AKBにも天皇にも

「固有の胡散臭いストーリーと歴史」

があり、其れを皆、信じている。



クラブ系や渋谷系、HMV的なモノが終わって、アイドルに流れたのは、単に『一億総ヲタ化』ではなく、信じられるモノが『音楽』ではなく、『神話』になった、と言うか。
神話は物語であり、古今東西の神話が胡散臭いモノだが誰もが信じるように、その内容は何でも良い。物語として成立していれば誰もが崇める。

ただ、その神話が経済、つまりは銭金の話が絡んでくるのでマスマス、胡散臭い。
しかし、神話と呼ばれるモノの98%が胡散臭い話だから、そんなモノなのかもしれない。


話は変わるが私はアイドルと言うのは好きじゃないけども、一度だけ友人と一緒に行ったライブで偶然、観たことがある。
『hy4_4yh』
と言うユニットだった。可愛い女の子が可愛く歌う。



だけども、私は女系家族育ちの悲しさか、ピンと来なかった。女の子が『女の子らしく』している事は、其れ自体がフェイクであることを生まれつき思いしさられているているかかもしれない。
三島由紀夫が憂国主義なのに、天皇系を認めていなかったのと近いかも知れない(三島由紀夫は現状の天皇家はフェイクだ、と言うスタンスだった)。
アイドルを語ることは難しいのだけども、その神話とか物語、共通言語を好事家達が作ったのではなく、資本側が提供したモノを「はい、そうですか」と受け取ることが『文化』と呼べるものなのか?と思う。
神話は「誰が作ったか分からない(詠み人知らず)」からこそ良いのであって、誰が作ったのか特定出来るモノが神話として成立するのか?。
仮に成立していたとしても、それを『文化』として呼ぶことは正しいのか?



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