2019年3月11日月曜日

3☓1=1

今年も311か、と思う。




毎年、この日になると「311を忘れない」と言うTV番組だとか、そう言う事を言い始める人がいる。
勿論、忘れちゃ駄目だと思うのだけども。


忘れるも何も311だけは『終わってない』のである。


震災や津波は自然災害だ。自然災害だから誰もが経験するし、何度でも起こる。地球の歴史は自然災害の連続であり、自然災害こそが進化の要だったんだし。

やはり『原子力発電所が爆発した』と言う事が大きいと思う。


原子力発電所はテクノロジーへの信頼が薄れた、と言うモノではないと思う。何しろ原子力発電所の構造って笑ってしまうほどチープで、子供でも作れる代物だから。

ただ、途方もない事が起きてしまった。
言語化する事すら躊躇う程、酷いことが起きてしまった。


そう言う事だと思う。其れを言語化する為に色々な人達が、色々な方法を取る。

演劇だったり、宗教だったり、スピリチュアル系だったり、陰謀論やオカルト。



『言語化する』と言うのは、受けた衝撃や気持ちを何百枚、何千枚とスライスして、その一枚だけを引っ張り出して

「怖かった」
「感動した」
「泣いた」

と言う『言語に変換する』と言う作業である。言語なんざぁ、そんなモノである。だが、人類が言語を獲得したのは原始時代のウンザリな事、または「理不尽」「腑に落ちない」事をスライスして、言語化して、其処で「腑に落とす」為に開発されたんじゃないだろうか?と思う。




ラッパー宇多丸が『遠野物語』を題材に言っていた事が面白かった。



遠野物語は明治時代の作品だが、明治時代だろうと江戸時代だろうと自然災害は多かった。
自然災害や飢餓も多かった。

遠野物語は『言い伝え』『怪談』に近いモノもある。

「自然災害などは『腑に落ちない』事だ。だから、それを『怪談』『伝承』になる事で、その恐怖や悲しみをシェア出来る。シェア出来た時に初めて、その出来事は完結する。
311に関しては『物語』『映画』と言う形では行われているが、映画や物語と言うのは西洋的な起承転結である。最後はハッピーエンド。それでは何も共有されないし、意味がない」

そうだと思う。


2011年3月11日、私は介護職でボケ老人達の世話をしていた。


窓を開けたら地鳴りがしていた。初めて聴く音だった。なんとも表現しにくい音だった。


TVを付けたら1万5千人が死んでいた。行方不明が2000人位だから、2万人弱が死んだ。


常々、電力会社が「絶対に安全」を言い続け、パンフレットや広報活動を頑張っていた原子力発電所が爆発した。
それによって死んだ人もいるし、被爆した人もいるし、生活していた場所が数百年間、消えた人もいる。



『腑に落ちない』のである。



『腑に落ちない』『理不尽』と言うのは、言ってしまえば「不気味」なのである。不気味だから腑に落ちないのかも知れない。
または、その2つの言葉は、同じ言葉なのかもしれない。

だから、怖かった。

原子力発電所が爆発した、とか津波が押し寄せてきた、と言うのは私が脱原発デモでTPを吹いていた時は既に過去となっていた。

だが、その「腑に落ちない」「恐怖」と言うのが自分でも理解が出来なくて怖かった。


幽霊、心霊、怪談、妖怪、先祖の祟から水子の祟、狐の祟。


その他、色々な「理不尽な事柄」はあるけど、それは『その恐怖や理不尽さ』をシェアするために存在していたのかもな、と思う。
あ、思えば『旧約聖書』って理不尽と腑に落ちない話『だけ』で構成されているんだよな。


『君の名は』
『シン・ゴジラ』


と言う二作品が「311を題材とした作品だ!」と世の人々は咽び泣いたが、起承転結の物語にしては駄目なんだと思う。

放射能を吐き出す怪獣でも駄目だし、十代の男女のラブ・ストーリーにしても駄目なんだと思う。

311が終わるのは原子力発電所の廃炉が終わり、そして数十年、または100年が必要かも知れない。




そう言えばTPを持ってNYに行った時に、聞かれた事は原子力発電所の事だった。

次にデンマークに行った時にライブを観た詩人がレビューを掲載したのだが、其処には「津波や福島第一原子力発電所を彷彿させる音だった」と記載されていた。

だが、その時に311の後に作った曲は1曲だけで、あとは震災前に作ったモノだった。

私の音楽のテーマは自然災害ではないし、原発でもない。

不思議な感じがした。反論しようかなぁ、と思ったが「じゃあ、自分の中に311の要素が一切ないのか?」と言えば、あるわけで。




ちょっと過激な発言になるのかも知れないけども「3月11日」になると「悲しみを忘れない」とか、って、実は忘れても良いのではないだろうか。

正直に言えば私の住所から、300km離れた、東北地方の、言葉も違うし、思想や考え方、調味料も歴史も違う人達の

「311の悲しみ」

を、300km先の人達がTVのドキュメンタリーや、仏壇に線香をあげる姿に共感出来るか?と言うか。

ハッキリ言えば「分からない」のである。

311の時、避難した人達は物凄く寒かったと思う。雪が降っていたし。
その寒さや孤独感、不安感を当事者のように追体験出来るか?って言えば出来ない。


ただ、それを理解し、その感情をシェアする為には時間はタッたの8年しか経過していないのである。

その8年間で震災は『アニメ』と『怪獣映画』のネタになった程度で、実のところ私達(非被災者達)は、『アニメと怪獣映画』程度のシェアしか出来ていない、と言う事だと思う。

でも、それは仕方がない事だ。アニメと怪獣映画って、思えば「プロバガンダ映画」的ではあったんだよな。
ハッピーエンドだし。

ネタにされた被災地はバッド・エンドが日々、続いているのに、だよ。


311の事が『怪談』『妖怪』になる日を待つしか無い。

そうする事でしか被災者、非被災者達は何も共有出来ない・・・と思う。

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