2019年7月6日土曜日

世界をチューニングする男/直江 実樹

ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで『星条旗よ永遠なれ』を見る。




この映像は映画『ウッドストック』でも最高のシーンだが、不思議な感覚を覚える。


演奏者はジミ・ヘンドリックスと言う20代後半の青年のはずなのだが「演奏をしている」と言うよりも
「淡々とチューニングをしている」と言う印象も受ける。

湯浅学氏は嘗て、ジミ・ヘンドリックスのギターを「ギターが勝手に鳴っている。」と表したが、まさしく、である。

そう言う事はジミ・ヘンドリックス以外だと余り見当たらない。ジョン・コルトレーンは素晴らしいサックスを吹いたが「ソプラノ・サックスが勝手に鳴っている」と言う感じはしない。





色々な処で散々、紹介されている気がするが直江 実樹』氏を書いてみたい。



私の稚拙な文章で氏が気を悪くしなければ良いのだが、指先が思うように書いてみよう。




『直江 実樹』と言う存在を知ったのは何時だったのだろうか。2005年よりも前だった気がする。
まだインターネット環境は全体的に貧弱だったので『口コミ』『評判』等が強かった。その中で

『ラジオ選曲家』を名乗る人物が登場した。短波ラジオ選曲家だったかも知れないが、『選曲家』と言うのはDJであり、ラジオを選曲?と言う事で驚いた。

今は無い『マイスペース』で直江 実樹氏が登場した時に音楽仲間の間で話題になった。

「ラジオを楽器にしているらしい」
「ラジオ選曲家って、なんだ?」
「ジョン・ケージみたいな人なの?」
「現代音楽の生き残り・・・みたいな?」

YOUTUBEは無かった。YOUTUBE自体、出来上がったばかりで動画のUPの方法も分からなかったし、何よりも動画の長さは3~5分が限界だった。

だから、会う、または彼の演奏に接する事でしか音楽を体験する事は出来なかった。



其処で「直江 実樹と何処で、どう出会ったのか?」と言うのを思い出そうとするのだが、全く思い出せない。



まるで小学生からの同級生や幼馴染のような感じもする。



その頃、渋谷系から始まり、現代音楽、HIPHOP、ブルース、音響系、シカゴ系、フリージャズの再構築と再考、ジャズ、1969年前後の世界各地のロック、オルタネイティヴ、クラブ系。

雑多な音楽を浴びるように聴き、「どうやったら、次の音楽を作れるのか?」と言うのが私がウロウロしていたシーンの課題だった。

「次の音楽」ってなんやねん、と言う気もするが、そう言う気分だったのである。

音、サウンド、その彼方。

コードやリズム、ハーモニーではない音、サウンド、その向こう、彼岸の音を目指していた人達は場所や時間を問わずに出会っていた気がする。


そこに直江 実樹氏がいた。




初対面の直江 実樹氏の音は、友人から聴いていた評判を遥かに上回る素晴らしさだった。氏が抱きかかえている古いラジオは『名機』らしいのだが、私には分からない。
音も素晴らしかった。


何より印象的だったのは、氏が演奏すると、必ず素晴らしい音、サウンド、声、台詞・・・その他、全てが彼を媒介に飛び込んでくるのである。

ラジオにはアンテナが必須だが、そのアンテナが『直江 実樹』氏であり、ラジオは勝手に鳴っているだけであり、直江氏は、その媒介になっているだけのような印象を受けた。


直江 実樹氏がチューニングしているワケではない。

電波が直江氏をチューニングしている。

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演奏以外での直江 実樹氏は穏やかな人である。紳士な人である。

一度だけ「何処から演奏を始めたのか?」を尋ねた事がある。
氏は「演劇の音響」と答えた。

『演劇の音響』と言うが実際に演奏するワケではない。指定された場所で指定された音をCDやカセットテープで流すのである。

私もやっていた事があるのだが、あれはクラブDJの頭出しよりもシビアであり、キマった時の快感は中々、乙なものである。

舞台と言う1時間半から2時間のリズムの中で音を出すのであり、垂れ流せば良いワケではない。



ただ、『どうしてラジオを楽器として使うようになったのか?』は分からない。



直江 実樹氏と話していてNOISE系の話題が出た事は一度もない。個人的に好きなノイズ・ミュージシャン(SEED MOUTH)は居たようだが『好き』と言うよりも『師』と言うモノでもあった様子である(この辺は直江氏に直接、聞いたワケではないので憶測でしかないのだが)。

直江氏の口から出てくるミュージシャンは常にシンガー・ソングライターやファンク、それも80年代のブーツィー・コリンズだったりする。

会えば、会う程、雲を掴むような人である。

だが、演奏中はパリ万博でのニコラ・テスラのようなCOOLさ。そして他の共演者を食い散らかす凶暴さと獰猛さ。

演奏終了後の優しさ。

憑依している、としか言いようがない。『電波』と言う得体の知れないモノが氏に憑依している・・・そうとしか言いようがない。




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中学生の頃、両親が使っていたオーディオを貰って、ラジオのエアチェックに夢中になった事がある。
九州の北部だった為、チューニング中に北朝鮮や韓国、米軍の放送が何時も入った。北朝鮮の放送は常に力強く、何かをプロバガンダしていた。米軍は常にリラックスして笑い声ばかりだった。

九州の辺境であり、草深い田舎町で「素敵な音楽」と出会う為にはチューニングし続けるしかなかった。

その数年後。

「あ、ラジオは楽器になるんではないか?」

と思った事がある。福岡県の田舎町なので現代音楽なんぞは知らない。

ただ、その頃、ミニコミ、またはフリーペーパーが流行っていた。北九州市戸畑区で現代美術家にインタビューを行った。インタビューはラジカセで録音した。

帰路の駅は海沿いの静かな、人気の無い駅だった。

到着する電車20~30分後だった。

ふと、「此処でラジオを付けたら何がキャッチ出来るんだろう?」と思った。中学時代の実家では北朝鮮と米軍だったが、此処では?と思ったのである。

その時に海沿いだが、山沿いでもある妙な立地の為か、美しいサイン波が流れた。その音に感動した。

「これを楽器として使えれば面白いのでは?」

と思ったが、再現性がない、と言う問題で止めた。実にツマラナい青年である。




直江 実樹氏も、恐らく・・・全くの憶測だが・・・私と同じようにラジオから美しい音を体験したのだと思う。

それを継続するか否か。


直江 実樹氏は継続し、私は諦めた。

諦めたのではない。

直江 実樹氏は『選ばれた』

私は『選ばれなかった』


の違いである。だが、同じ経験をしている人は多いと思う。然し、『電波に選ばれた』と言う人は直江 実樹氏だけである。

選ばれし者の恍惚と不安・・・。

思えば直江 実樹氏は演奏中、非常に神経質な表情をすことが多々ある。それは『選ばれし者の不安』なのかもしれない。






先に

『COOLで凶暴な側面を持ちながらも、演奏終了後は紳士であり優しい直江 実樹氏』

と書いたが、この部分を説明する為に冒頭のジミ・ヘンドリックスがいるのである。



ジミ・ヘンドリックスも普段は礼儀正しく、腰が低い人物だったらしい。
恐らく、それは彼が長年、仕事として関わり続けたブルースやR&Bの世界では当然の事であっただけかも知れない。

もしくは、ジミ・ヘンドリックスと言う人物が『ギターを演奏している』ワケではない。彼自身は空っぽの存在であり、『エレキ・ギター』と言うモノが彼の人格だったのではないか?。


それと同じく、直江 実樹氏も、本質的には紳士であり、優しさに溢れた人物だが、そう言う人物は時折居る。
直江 実樹氏はラジオを手にした時の『直江 実樹氏』こそが氏の人格や性格、そして戦い方なのではないか。


直江氏と演奏した事は何度かあっただろうか。


考えてみると殆どない気がする。圧倒的にリスナーであり、対バンだった。



直江 実樹氏は空を飛べるのか?と思うほどフットワークが軽い。
然し、その芳醇な音のワリにはソロが余り多くはない。
過去にVELTZレーベルから音源を2作出したキリで、後は有志によるライブ録音、録画である(この2作は傑作中の傑作だった)。

だが、氏の音はマイクロフォンで増幅される音ではなく、その空間に音を紙飛行機のように柔らかく飛ばし続ける音である。

是非、氏のライブに足を運んでほしい。

50年前に作られたラジオとは思えない芳醇な音、そして柔らかく憑依した氏の姿は常に感動と共にある。

氏がチューニングしているのはラジオだけではなく、会場で場を共にしている人々の心かもしれない。



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