従軍慰安婦問題は私も10年以上、モヤモヤしたモノを抱いていて、その背景とか色々を知りたいからである。
インターネットで調べようと思うと、インターネットの特徴なのかもしれないが
『馬鹿な右翼』
『馬鹿な左翼』
が、非常に分かりにくい文体で書いているのでウンザリする。
で、『主戦場』。
私の投稿を観て「よっし!この映画を観に行こう!」と言う奴ぁいないので、ネタバレ上等で。
まず、従軍慰安婦問題で『従軍慰安婦は居たのか?』で言えば居た。
写真も従軍慰安婦だった人も記録も軍の書類も残っている。
問題なのは
「強制連行だったのか?」
と言う所である。
この部分でウヨクな人々は靖国の英霊を右手に集めて殴り掛かってくる。
もう一つが
「彼女達が性奴隷だったのか?」
である。「彼等は性奴隷だったのか?」だったらBL漫画数冊が書けるのだが1943年の日本軍でガチホモは多くはない(日本軍でガチホモと言う設定での傑作は『戦場の挽歌』と言う小説がある。素晴らしい文体なのでググって読んでほしい)。
因みに奴隷の定義は国際連合が1926年に定義している(当時の大日本帝国も署名している)。
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「その者に対して所有権に伴う一部またはすべての機能が行使される個人の地位または状態をいい、『奴隷』とはそのような状態又は地位に置かれた者を言う。
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結論から言えば
「強制連行であり、性奴隷だった」
である。
『強制連行』『奴隷』は殆ど同義語である。
奴隷の定義は国連が定義しているが、従軍慰安婦達が高額所得を得ていた、としても(例えウヨク側が主張するように彼女達が高額所得だったとしても)奴隷である事には変わりがない。
そして強制連行だが、まず『自由意志ではない』と言う部分である。そして『それを自由に辞める事が出来ない』と言う部分である。
強制連行だったし、性奴隷だった。
じゃあ、これを何故、日本政府やウヨクが認めないのか?と思っていた。
国を愛するならば過去の過ちも愛するのが『愛』ってもんだろ、と。
ところが『主戦場』を観たら事情が違っていた。その事情ってのが物凄いんだけど、つまりは『女性差別』なんだよな。
ネトウヨの大御所みたいな人は「フェミニスト運動ってのはブスが始めたんだ。見た目も悪けりゃ中身も悪い、って言うね」「ブスとSEXする為には顔に紙袋を被せなきゃ無理だ」と平然と言う。
それと、戦前~戦中の日本において『女性』と言う人々に『人格』なんて無かった。
『自由意志』と言う観念すらなかった、と断言出来る。
映画『この世界の片隅に』で驚くのは
「会った事もない男性と突然、結婚させられる」
「処女を失った翌日の朝4時には炊事洗濯、家事を永遠のように行う」
「戦争で四肢欠損となっても仕事量は減らない」
である。国内で、この有様なので他国だと更に・・・ある。
婚姻と言う奴隷制度である。
当時の日本軍にすれば他国の女性と言うのは『犬や猫』と同じニュアンスだったらしい。
だから、どんな手段であれ連れてきた女性が「強制的に連行された」と言っても理解出来ない処がある。
判りやすく言えば全国津々浦々に
『猫カフェ』
『子犬カフェ』
がある。
その猫や犬が、発言権を持ったとして
「私は道を歩いていたら、誘拐されたのです!」
と言っても、
「いや、猫ちゃん。君はキャットフードを食べたし、グルーミングもしてあげたし、子猫を3匹も産んだじゃないか?。強制連行と言われるのは心外だ」
となる。
ようするに『従軍慰安婦施設』と言うのは現代の『猫カフェ』だった、と言うか。
少なくとも当時の大日本帝国海軍、陸軍にとっては『猫カフェ』程度だった。
そして、その『女性に対して人権を認めない』と言うのは戦中の話ではなく、現代でも同じなのである。今は『女性』に限らず、『人権』と言う言葉は万葉集の和歌の一節のような響きになりつつあるが。
『従軍慰安婦』の時代には女性には人権も自由意志もなかった。
しかし、それは現代でも同じである・・・と言うか。
そもそも、日本と言う国に『人権』があった時期が1秒でもあったのか?と言うか。
国民は社会の奴隷であり。
政治家は老いた有権者の奴隷であり。
資本家は株主の奴隷であり。
株主はシステムの奴隷であり。
リストカット、自殺未遂と言った行為は、それに対しての静かなアンチ・テーゼなのではないか?と気もしてくる。
若年層の自殺は先進国TOP1は伊達ではない。
ネトウヨ達が、どうして『従軍慰安婦』問題を「なかった」と言うのか。と言うかネトウヨ達の「従軍慰安婦は無かった」と言うのは証言者である元・慰安婦達の『存在自体を否定』と言う罵倒よりも酷いスタンスである。
其処へ元・保守派と言うかネトウヨだった女性が言う。
「ナショナリストは自国のミスを認めたら、ナショナリストではいられないのです」
「しかし、その結果、私には敵が消えました。今では自由です」
つまり、ナショナリスト(ネトウヨ)は『自由ではない』のである。その『自由を制限された人々』が、かつて『自由を制限された人々』を罵倒する。
そうする事でしか、自分が自分でいられない・・・と言う脆さを感じる。
同時に、そうする事が絶対に正しい!と主張する人々は恐ろしい。正直に怖いし、不気味だ。
『櫻井よし子』は日本会議だし、ウヨク。
だが、私がKIDだった頃の『櫻井よし子』はニュース・キャスターであり、バイリンガルで容姿も素敵だし、意見もキレがあり、「素敵な大人の女性」と言うモノだった。
現代では既に『妖怪』になってしまった。
ナショナリストと言うのは病なんだろうか。
で、加瀬英明と言う人物がいる。この人はエール大学、コロンビア大学に留学した経験があり、政治にも関わっている。
オノ・ヨーコの『従姉』である。
この人が言っている事が無茶苦茶過ぎて唖然とした。
オノ・ヨーコと、彼がどのくらい接点があるのか分からない。ただ、
「オノ・ヨーコのラブ&ピースの思想と、ネトウヨ、ウヨク的な思想は相性が良いのかもな」
と思った。
ネトウヨと言うよりも『日本会議』だが、この『日本会議』には神社庁も絡んでくる。
嗚呼、面倒臭い。
だから、スピリチュアルな事が好きな人は何故か神社も好きである。守護神とかオーラとか。
安倍晋三の妻が大麻推進派だが、神社で振り回される白い奴は元々は『大麻』『麻』である。だから、神道や神社もOK。
あと、『神道』もスピリチュアル系は好きだ。しかし、『神道』って明治時代なんだよな。死物狂いで遡って江戸時代末期。
いつの間にか『古来より信仰されてきた日本の宗派』になっているが、そんなワケがねぇだろ。
以前、出馬して落選した『三宅洋平』も、選挙期間中は『アンチ与党』だったが、落選後に安倍晋三と電話で話したら号泣しながら感激。
「お互い世界を愛し、国を愛する憂国の士である」
らしい。
従軍慰安婦問題についての映画を観たら
「人権を認めない人達が、人権を認めない」
と言う物凄い状態を目にして、正直、不気味で怖くなった。
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