2019年8月10日土曜日

真夜、木霊する鉄パイプ:橋本孝之

あの頃、誰もが『サクソフォン』と言う楽器にウンザリしていた。


多くの可能性を秘めながら、誰も楽器の可能性を追求しているとは思えなかった。
サクソフォンを抱えた人々は誰もが似たような風貌で、似たような音を出す。

何かの模倣である事は明白で、此方が驚かされる事は皆無であり、彼等が演奏している時間と言うのは苦行のような『退屈』と言う時間だった。


『退屈』と言う名の楽器になっていた。


多くの苦悩を救いあげた楽器は、既に『苦悩』其のものとなり、あのリード楽器を見るとウンザリするようになっていた。


チャーリー・パーカーには誰もが驚き、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィーにゾクゾクし、そして阿部薫は伝説と神話の人だった。

つまり、私達とは「全く無関係」の人々がサクソフォンと言う楽器をクリエイトしていた 。
それは伝説や神話の話であり、私達の活動や思想、思念、演奏方法やサウンドの『向こう側』には全く無関係な話だった。

会社を設立しようとする人は旧約聖書を参考にはしない。

そう言うモノだ。






ある初夏の日。

スウェーデンから来た現代音楽家であり、トランペッターの女性とスタジオで2時間ほどセッションした。
高円寺駅で待ち合わせをしたのだが案の定、1時間の遅刻をしてきた。


スタジオでの演奏はトランペットが二人、と言う編成に不安を覚えたが、実り多きモノだった。

終わってから高円寺駅の居酒屋で呑んだ。



前日に某ノイズ・ユニットを観に行った、と言う。それは素晴らしいモノであり、エレクトロニクスを多用しながらも有機的なサウンドは「Amazing!」と言う。

その日、出演していたサクソフォン奏者について聴いてみた。

「彼は面白くなかった。演奏は有機的ではなかったし、物語性がない。序破急と言うか展開が感じられない」

と言う。

聞いて笑いそうになった。


そのサクソフォン奏者は、有機的な物語性を否定し、長年の悪夢を断ち切ったた『破壊神』のような人であり、氏の演奏の肝だった。納豆を嫌悪する欧米人を見ているような感じがした。





そのサクソフォン奏者がこそが『橋本孝之』氏だった。




橋本孝之氏に関しては多くの記事がある。ジャズ雑誌だったり、色々。その幾つかを私は読んでいる。

橋本孝之氏の演奏も何度か目撃し、音源をも所有している。その音源にはライナーノーツが付いており、橋本孝之氏の半生も針穴から覗いたような有様だが、知っている。


だから、文筆業を本業とする人達とは私は落差がある。それでも書いてみようと思う。





橋本孝之氏を知ったのは何時だったか。




個人的な印象としては『彗星のように登場した』と言う印象がある。初めて氏の演奏を聞いた時。それは京都での演奏だったのでYOUTUBEであったが、まさに『彗星のよう』な演奏だった。

まず、驚きがある。

次に喜びがあり、

その次に嫉妬が入り混じる。



『嫉妬』に関しては、氏の容姿が大きかった。要するに『物凄く男前』なのである。京都市と言う事なので『物凄い男前』と言う言葉が似合う。


「実は公家の末裔では・・・」
「天皇家の血をひいているとか・・・」
「実家には奈良時代から続く家系図があるとか・・・」
「親族に陰陽師がいるとか・・・」
「平安貴族の末裔だったり・・・」
「祖父は若い頃にドイツに留学していたり・・・」
「茶道や華道とか毛筆で達筆だったり・・・」
「壷や茶器に詳しかったり・・・」
「実は能や狂言の跡継ぎなのに、親の反対を押し切り・・・」


と妙な事を思う。

アルト・サックス奏者と言うのは常に貧乏臭く、女っ気がない男性ばかりだった。

有り体に言えば『フリージャズ』『即興演奏』と言うのは、非モテ・非リア充が行う演奏であり、それは荻窪グッドマンや中野テレプシコール、中野富士見町のplan-Bだった。


だから、橋本孝之氏の容姿は驚きだった。


ライナーノーツにも記載があるように実は既婚者であり、子供もいて。
だから、常に異性を連れている・・・と言う人ではなかった。

初対面の時の、余りの上品な紳士っぷりに驚きを隠せなかった。





橋本孝之氏の演奏に接して見て『驚き』『喜び』の二つがある。




まず、サクソフォンと言う楽器は・・・と言うよりも『サクソフォン・ソロ』と言う演奏はフリージャズと言う前時代の音楽であり、20世紀の遺物である。
その頂点には『阿部薫』と言う人物がいる。

たった10分〜15分の演奏の為に途方もない量のドラックを服用し、伝説的な演奏をする・・・と言うモノ。

しかし、阿部薫の弟分だった、と言うトランペッター『庄田次郎』氏は

「阿部薫は素晴らしかった。でも、途中から『阿部薫』と言う人物を演じるようになった。それからの阿部薫の演奏は駄目になる一方だった」

と言う。庄田次郎氏から阿部薫の事を聞いたのは、この時だけだが『阿部薫』と言う人物を完全に言い表せている。



阿部薫の演奏は『フリー・インプロヴァイズ』と言うよりも、音源化されたモノを聴く限り

『ジャンル:阿部薫』

になっていた。其れは『阿部薫』と言うモノに本人が『所属した』ワケで、やはり退屈な事だと思う。

ジャンル分けが出来るような音楽は面白くない。

『JAZZ>free Jazz>阿部薫>阿部薫』

とCDショップにはコーナーがありそうな。それは生前からそうだたっと思う。



そして、阿部薫は呪いのようなモノだった。



アルト・サックスを抱きかかえ、其れをソロで演奏する人々は誰もが『阿部薫』と言うジャンルを演奏していた。
そのジャンルの為に「リード楽器とは飲酒である」と言った塩梅に呑みまくり、そして退屈な演奏を続ける。

ルイ・アームストロングが好きだから、と言う理由でディキシーランド・ジャズを続けても面白くはない。
だが、アルト・サックスを構える人々は生涯に渡って同じジャンルを続ける。


『アルト・サックスのソロ』


と言うのは、そう言った70年代新宿文化と言うか、泥臭く、文学崩れのマッチョイズムが背景にあった。

呪詛、呪い、怨念、執念、気合・・・。


下らない。下らない。下らない。






音楽を聴きすぎて、音楽が好き過ぎて、音楽に対して『退屈さ』を感じるようになってしまった。

音楽が好き過ぎて、演奏が楽しすぎて、演奏に対して『窮屈さ』を感じるようになってしまった。




橋本孝之氏のサクソフォンからは『退屈』と言う時間が一切、取り払われていた。深い森から一気に広い草原に出たような驚きがあった。

音楽を退屈だと感じていた。

だが、音楽は最高だと再認識させてくれる。

『音楽』『即興演奏』『フリー・インプロヴァイズ』と言う言葉から連想させる窮屈さ、退屈さ、平凡さ。

それが橋本孝之氏の演奏には一切、無かった。



初めてウェイン・ショーターの演奏を聞いた時。

その、ナイフのような鋭角なアドリブに心がブルブルと震えた。

初めてジョン・コルトレーンのアドリブを聴いた時。

延々と続く、叫びのような演奏に目眩を感じた。



随分前に感じた「初めて〜」が橋本孝之氏の演奏にはある。

切り裂くような鋭角さ、叫びのようなフリークトーン。

憧れにも似た、驚きを感じた。





橋本孝之氏の演奏を聴いて『喜び』を感じる事が出来たのは幸いだったと思う。

それは私が金管楽器奏者と言う事も関係しているのかもしれない。



和音が出せない。
リズム楽器としては線が細すぎる。
大量の音列を扱うには構造上、無理がある。
メロディーを演奏しても音色は一つしか無い。



DAWやエレキ・ギター、シンセサイザーに比べると『劣る部分』ばかりであり、こう言う楽器で『次の音』『次の音楽』が作れるのか?と。

過去の前例・・・アルバート・アイラー、ドン・チェリー、マイルス・デイビス、エリック・ドルフィーを聴いてみるが、どうも無理なようだ。

じゃあ、存命中の『近藤俊則』『ジョン・ハッセル』は?となると・・・なんと言うか『予め諦めている』と言うか、楽器の限界を痛感したうえでの演奏・・・と思う。



『管楽器によるソロ・インプロヴァイズには既に限界があります。』


と言うのが結論に近く、何かを諦めるしかない。





だが、彗星のように登場した橋本孝之氏の音は予め『限界』と言うモノが取り払われている。


そんな事を一切、感じた事がない。
そんな事を一切、考えたことがない。
そんな事があるわけがない。


女子中学生がPUNK Rockに憧れてギターを弾くようなアチチュードで、そのリード楽器を吹いている。



あ、今、『女子中学生』と書いたのだが、橋本孝之氏の演奏には『性別』と言うのが感じられない。男性的ではない。女性的でもない。少なくとも『男性』が考える『女性的』な演奏ではなく、本当に女性が演奏しているような印象がある。


嘗ては、FUNKが好きだった、と記載がある。


FUNKと言う非常にマッチョな音楽が好きだった、と言うのが信じられない程、『男性性』と言うのが薄い。

『男らしい』と言うのは、女々しく、愚痴っぽく、呪詛であり、つまり見苦しい。

橋本孝之氏はカレーライスを作るかのように、さも当然のようにフリークトーンを放出する。しかし、そこに愚痴や呪詛はない。
氏にとっては当たり前の音なのだから。


管楽器と言う不自由な楽器だが、実は『不自由さ』を感じているは私の問題であり、もっと『自由』だ、と言う事が橋本孝之氏の音からは発見される。



私がエフェクターを使わずに『トランペットのソロでインプロヴァイズ』を行ったのは氏の演奏の影響が強い。

適切な音量、間違いのない音、確信犯、美しい音を、美しい楽器で、美しく演奏する。

それは、この時代においても可能なのか!と思った。


トランペットはジョン・ハッセルのようにエフェクトを使わないと、ソロは出来ない・・・と思っていた。音色にも限界があるし、多くの音列を扱えるワケでもない。フリーキーな音を作れるワケでもない。

そうではなく、美しい音で、美しい旋律を、美しく吹けば良い。

それだけの事だった。

それだけの事に気がつくのに多くの時間が掛かったし、橋本孝之氏の登場抜きには考えれない事だった。





PSFレコードのオーナーだった生悦住英夫さんは

「アルト・サックスに関しては『阿部薫』以上、または同等じゃないとリリースしない」

と言っていた。だが、生悦住英夫さんは晩年に橋本孝之氏のソロをリリースした。阿部薫とは全く無関係であり、全く違う方法論の橋本孝之氏を、である。

生悦住英夫さんは『阿部薫』と言う呪いをリリースしていた。

それを終わらせたかったのかも知れない・・・と思ったり。



橋本孝之氏は間違いなく、21世紀のFree Jazzであり、21世紀の異形・奇形であり、現代の孤独と孤高である。







私事で恐縮だが、実はトランペットを吹きたくて、トランペットを選んだワケではなかった。

初めて買ったレコードは『アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ』だった。『ジャズ・メッセンジャーズ』と言うユニット名がカッコよかった。

其処ではウェイン・ショーターが鋭角なテナー・サックスを吹いていた。

写真も動画もない時代なので空想するしかなかったのだが、兎に角、憧れた。


その後にジョン・コルトレーンを知った。マイルス・デイビスと一緒に活動していた頃のレコードであり、10分以上のアドリブは神業だと思った。

私は、まだ高校生だった。

孤独だったり、上手く行かなかったり。

そう言う事をサクソフォンと言う楽器ならば昇華出来るのではないか?と思った。

シンセサイザーを所有していたが、当時のPCMシンセサイザーは操作は直感的とは言えず計算機のような存在だった。
ピアノが自宅にあったが、鍵盤楽器では、潤む山河に鉛の弾はぶち込めない気がした。

ギターは高校1年生の頃に挑戦して『Fのバレーコード』で挫折していた。

九州の青い空、尊く潤む山河、花々草木。

それらを何かで埋め尽くしたい、と思った。

身近な処で其れを可能にしていたのは『暴走族』のコールやエンジン音だった。闇深い九州の夜に木霊するエンジン音やコールは、それはそれは・・・美しかった。

だが、暴走族は『族』と言うだけあり、掟だとかルールだとか対人関係などが面倒臭そうだった。だから、中学生の頃は憧れるばかりで、『ヤングオート』『チャンプロード』と言った雑誌を見て溜息を付くばかりだった。


思えばサクソフォンの音は暴走族のコール音に近いモノがある。


だから、憧れたのかも知れない。
暴走族よりも優雅に、遥かに多くの音を扱える。


それで吹奏楽部に入団してサクソフォンを吹いたのだが、全く音が出ない。必死で吹くが音が出ないのである。

楽器には向き不向きがあると思うのだが、サクソフォンは向いていない気がした。

「うーん。どうしたものか」

と悩んでいたら、横に箱があり、開けてみるとトランペットだった。

「これなら、どうだろう」

と思ったら直ぐに音が出た。

それだけである。だから、憧れは暴走族であり、サクソフォンだった。

40歳になって、トランペットでもサクソフォンが真似出来ない音を作れる、と言う事を知るまで「あゝ、サクソフォンだったら・・・」と思っていたフシがある。




橋本孝之さんの演奏を聞きながら書いたのだが、思えば橋本孝之さんのサクソフォンは(菊地成孔曰く)不可逆的な音なのだが、暴走族のコール音と同じで『俺は生きている!』と言う声にも聴こえる。

音を埋め尽くすのではなく、適材適所に音を入れていく。

その音と音の間が木霊する。

多くの夜を抱きしめる。そんな感じがする。フリーキーなのに優しい音。

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