近藤等則が死んだらしい。
71歳だった。
この御時世だと若い部類に入る。死因は分からない。
訃報は家族が(彼の二人の子供)がUPしていたが死因は書いていない。
ただ、年齢を余り感じさせない風貌と奏法だったので『71歳』と知ったときはチョットだけ驚いた。
近藤等則は正直、好きではなかった。
理由は無い。
好き、嫌いでしか言いようがない。
ただ、演奏テクニックも素晴らしかったし、エレクトリック・トランペットと言う『ジャンル』を作った人でもある・・・と思う。
その前にランディー・ブレッカーやマイルス・デイビスと言った人達もいるけども、近藤等則ほどエレクトリック・トランペットに邁進した人は居ないと思う。
演奏自体は現代的なのに、youtubeなどで聞く氏の言葉は「嗚呼、団塊」と言う感じのオッサン臭いモノなのが不思議だった。
あれだけ大量のエフェクターを使うのに、本音としては肉体信者と言うのも変な感じがした。
年間100回、世界中でライブをしていた位だから精力的な人だったんだろうなぁと思う。
ただ、やっぱり、今更ながら言えば
『ものすごく変な人だった』
と思う。
何しろ奏法が古かった。
エレクトリックとは言え、奏法自体は1930年代の奏法だった。
それはルイ・アームストロングなんだけど。
サッチモとエレクトリックと言うの組み合わせを考えつくなんて、とてもヘンテコだ。
エレクトリックを多用する割には空手や肉体論信者だったりもするし。
あまり好きではなかったが私もエレクトリック・トランペットを吹くので研究はした。
私はLO-FIなエフェクターを多用するのに対して近藤等則はHI-FIなエフェクターを多用していた。
ようするに『高価なエフェクター』と言うか。
研究はしたけど、余り役には立たなかった。
近藤等則氏がエレクトリックに走ったのはマイルス・デイビスやランディー・ブレッカーの影響でも何でも無くて
「当時、組んでいたバンドが余りにも大音量で、trumpetでも音が聴こえないから音量増加の為」
と言う理由が良い気がする。
然し、エレクトリック・トランペットと言うジャンルを作った人ではあるが、其れが普及する前に亡くなった、と言う気がする。
普及も何も、本人がシステムを公開していなかったので普及するワケがなかったのだが(何しろtrumpetのマウスピースに穴を開ける、と言うトランペッターとしては可也、勇気がいる行為が前提だった)。
然し、まぁ、何と言うか。
同じくエレクトリック・トランペットを吹いている身としては唐紙に穴が空いたような寂しさを感じる。
管楽器にエフェクターと言うのは今でも少数派(中国におけるウイグル族のような)であり、金管楽器屋でエフェクターなんて言う話は御法度である。
そんな中、近藤等則と言う人は『管楽器にエフェクター』と言う人にとっては一筋の光でもあった。
・・・と言うことまで書いて、久し振りにDj Krushと近藤等則のアルバムを聴いてみた。
久し振りに聴いてみたら、
「全く影響はウケていない」
「好きでもない」
と言いながらも奏法には可也、影響を受けている事に驚いた。
音の入り方とか、フレーズ、音の使い方など結構、影響を受けている。
全くの他人ではなく、何かしら勉強させてもらった人なんだな、と思う。
そう考えると、やはり唐紙に穴が空いたような喪失感を感じる。
ご冥福を祈ります。
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