2019年7月31日水曜日

サウンド・ピクニック:金子 由布樹

私達がいる音楽界隈は色々な事を言われる(複数形にするな!とお叱りを受けそうだが)。
曰く

『音響系』
『ポスト音響系』
『ポスト・ノイズ』
『前衛』
『オルタナティブ』
『現代音楽』
『アンビエント』
『電子音楽』

等など。『ポスト』という人もいるが何がポストなのか分からない。
『音響系』と言っても青山オフサイトには年齢的に行けなかったので分からない。
ノイズ・ミュージックには敬意は払えど、彼等・彼女達と共に歩けない。
『現代音楽』と言うのはアカデミックであり、私達は『野良犬』みたいなモノである。

であれば、前衛だろうか。


『前衛』は戦場用語であり、その戦場の最前線を『前衛』と言う。私達の『後衛』が何処にあるのか分からないが、少なくとも『何処かの戦場』の『前衛』に居続けている。

前衛だから二等兵、または一般兵である。
そして歩兵である。

何処まで行っても歩兵でしかなく、将軍や少佐と言ったポジションではない。

ただ、一点。

その戦場の最前衛で戦っている、と事。その戦場の激しさを知っており、同時にそのスリルや興奮、アドレナリン・ジャンキーである。



金子 由布樹氏について書いてみようと思う。



どうしても氏については書いておきたい、と思うから(削除しろ、と言われたら削除するしかないが)。



フリージャズ、シカゴ音響系、クラブ、アヴァンギャルド、現代音楽と言った音楽の先を考えていた。
既に音源化されているミュージシャン達は『前衛』から降りていた。

何故か、此方も最前戦に行こうと思った。

だが、どう言う手段を選択するのか難しかった。だから、色々な手法を講じた。



金子 由布樹氏との初対面は2009年である。


その頃、六本木Super Deluxeと言うイベント・スペースで『TESTOTONE』と言うイベントが開催されていた。

私も似たような企画をしていた事もあり、オーガナイザーのキャル・ライアル氏と親しくなった。

その際に酒の勢いなのか、話の流れだったのか分からないが

「一度、セッションしませんか?」

となった。それで高円寺『円盤』でイベントを主催する事となった。



その時にキャル氏が紹介してくれたのが初対面である。




腰が低くて、やんわりとした口調。



事前情報がなかったのだが、直ぐに親しくなった。氏は素晴らしい音楽を出す可能性の塊であり、他の共演者の演奏に左右されない強さがあった。

その時はカセット・テープ(ループ式のカセット・テープだったと思う)と水中マイクをエフェクターで加工していた。

後に、氏はPCを使う音楽家だ、と言う事を知った。





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其処からの思い出をツラツラと書いても仕方がない。

だが、それが縁で、金子氏が梅原 貴久氏と組んでいる『polyphonic parachute』のライブを何度も見る事になった。

金子 由布樹氏のdreamyな音、そして梅原氏の戦前カントリーのようなギターは、其れは素晴らしい体験だった。

上手く言葉に出来ないのだが、アンビエントともエレクトロニカとも違う

『何処にも所属しない音』

が転がっていた。


『何処にも所属しない音』は、デレク・ベイリーを誰もが研究したし、ジョン・ケージを誰もが研究し、エリック・サティも研究した。

それは「何処にも所属しない音」の研究だった。


前世代には「フリージャズ」「ロック」と言った前世代には自由な音楽が合ったかも知れないが、そうではなく

『何処にも所属しない』

と言う事が目的だったと思う。


『所属』『ジャンル』になってしまうと、それは死ぬ事と同じような気がした。

少なくとも音は死んでしまう。なんとか砂粒のような音を積み重ねてサウンドを構築しているのだが、所詮は砂山であり、気をつけないと直ぐに崩れる。

『音楽』でありながら、『何処にも所属しない』と言うのは『ジャンル・レス』と言えば聴こえは良いが、子ウサギのように直ぐに死んでしまう、繊細な場所だった。


当時、金子 由布樹氏がどんな事を考えていたのか分からない。だが、金子 由布樹氏、同時代の音楽家は同じことを考えていた気がする。

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私がpolyphonic parachuteのライブを観に行ったりしていた頃から金子氏はレーベルを運営し始めた。

そして、自身のpolyphonic parachuteも音源を出す・・・!と言う。

レーベル運営なんて、誰も行っていなかった。そして、そのオカネにせよ、流通にせよ、何もかも不透明だった。

穏やかで、腰が低く、やんわりとした男性が、その修羅場に行く・・・と言うのは想像が付かなかった。
まだ、CD-Rで作品を出すのが精一杯だった頃なのである。

金子氏のレーベルは順調そうに見えた。だが、物凄くギリギリの路線を狙っていた。金子氏は何処から見つけてくるのか素晴らしい、そして『何処にも所属しない』ミュージシャンを浮上させていた。

その目利き(と言うと失礼な気もするが)は不思議で仕方がなかった。

だが、肝心のpolyphonic parachuteの音源は出来ていなかった。音自体は出来上がっていたが、ミックスダウンやマスタリングを自分たちでやっていたので、完成形が先になった。


そして、漸く発表された『polyphonic parachute』の音源は、長い時間を潜り抜けて、そして『再生可能なメディア』であるにも関わらず、何度、聴いても違う音に聴こえる、と言う偉業を達成した。

あの頃、最高に最強だった音源はpolyphonic parachuteのCDだった。これは間違いない。

サンプリングしようか?と思ったが、何処もサンプリング出来ない程、音に深みがあり、誰も真似が出来ないモノだった。




何処かで聴いた事がある音。

いつか観た風景。

何処かで匂いだ香り。

だが、それは何処か分からない。何処でもない場所。観たことがない風景。

しかし、行った事があり、観たことがある場所。

何時だったのか分からない。

産まれる前かもしれない。

死んだ後かも知れない。



金子氏は自身のレーベルを「POPSだ」と言っていた。確かにPOPSだった。



私事で恐縮だが、幼い頃の話である。

夜が怖かった。本当に恐ろしかった。寝ていたら死んでしまうのではないか?と意味不明な恐怖があった。
だから、眠れなかった。

それが解決されるのは、両親から貰ったカセット・デッキだった。一緒に貰った『ゴールデン・エイジ・ポップス』と言うテープには50〜60年代のPOPSが収録されていた。

九州の山深い、闇の中で小さなボリュームで再生されるオールディーズは、絹のように柔らかく、羽毛のように心を包み込んでくれた。


それがPOPSだった。


それが金子氏の言う『POPS』だった。


オールディーズが元々はロカビリーやロックだったのかも知れないが時間の経過と共に、熟成に熟成を重ねたウィスキーのように柔らかくなった。

「もしも、子供の頃に金子氏が音源をリリースしていたら、俺はもっと長く眠れたかも知れないな」

と思った。

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しかし、不思議だった。

金子氏は、やんわり、穏やかな風貌であるにも関わらず、どうして返す刀で尋常ではないアグレッシブさがあるのか。

普通に仕事をしながら、何処から見つけるのかトンでもないミュージシャンを発見したり、自身でも物凄い熱量でサウンドを構築していた。
同時に、イベントを主催したり。

一体、氏の何処にどんなヴァイタリティがあるのか・・・。

要するに私も含めて誰もが自分の事だけで精一杯だったのである。誰かを浮上させたり、熟成させたり出来なかった。

金子氏は関係がない話だが、嘗てRANKIN TAXIと言うレゲエDJ兼シンガーは、会社帰りにDJをしていた為、スーツでレゲエDJを朝までやっていた。そして、出社。

「そんな真似は出来ない」

と思っていたのだが、金子氏は涼しい顔で行っていた。氏の内心が涼しかったかは分からない。
逆にサハラ砂漠の熱風のような内面なのかもしれない。


金子氏の企画イベントで千駄ヶ谷に『LOOPLINE Cafe』と言うハコで演奏した。


其処には氏の『POPS』感とは程遠いミュージシャンも多く出演していた。勿論、集客は少ない。自分たちの熱意や熱狂と、他者が違う事は理解していたから、客数はどうでも良かった。
ただ、必死で素晴らしい演奏を目指していた。
それは金子氏の企画では何故か達成される事が多かった。

其処で初めて出会う人、素晴らしい音楽家と出会えた。

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此処まで書いて思ったのは「あれ?私は金子氏と一緒に演奏した事がない・・・」と思ったのだが、違った。

一度だけ一緒に演奏している。

それは『polyphonic parachute』で六本木スーパーデラックスに出演した時の事である。

確か20人近い人数で出演した。

音楽家ではない人も多く、普段は漫才をやっている・・・と言う人もいた。彼等・彼女達にピアニカや何かしら楽器を持たせた。


私は、その頃、あるバンドを脱退していた。脱退と言うよりも自然消滅だったのだが。
それにより、そのバンド・メンバー達とは決して良い仲ではなかった。

だが、集められたので、集まった。数年ぶりの再会だった。

リハーサルではピリピリしていたのだが(私と、元メンバー達)、本番が始まると何もかもを忘れた。

簡単なスコアと言うか指示表があった気がする。

音が始まると

『金子 由布樹』

『梅原 貴久』

と言う巨人に抱かれる形となった。


自分の音がモニタリング出来ていたのか分からない。誰が、誰の音か分からない。だが、演奏中は此れまでにない体験だった。


何処に連れて行かれたのか分からない。

何処に行くのか分からない。



幼稚園や小学校低学年の時の『遠足』『ピクニック』のようだった。誰かが軸をとって演奏するのではなく、両人による『サウンド・ピクニック』だった。


あれほど幸せな音楽体験は一生、忘れることは出来ない。


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実は氏が、現在進行形でやっている『鳴らした場合』に関しては実は聴いていない。色々と生活が変化したり、仕事などで聴くタイミングを逃したからである。

今回、こうやって書こうと思ったのは理由がある。



数ヶ月前。


江古田フライング・ティーポットで金子氏がベース、ギター、氏と言うセッティングで演奏をした。

1stは探り合いだった。


だが、2setである。


金子氏が何気なく『サイン波』を出した。


ピー・・・・


椅子から転げ落ちそうな程、驚いた。サイン波なんて誰でも出せる。取り立て難しいサウンドではないし、DAWだとプリセット音として入っている。

だが、氏が出したサイン波は途方もなく美しかったのである。

理由は分からない。


サイン波は誰が出しても『サイン波』である。シンセサイズで作れる音と言うモノではなく『音の元素記号』みたいな音なのに、途方もなく美しい!。

『ファウスト』ではないが「時よ止まれ・・・」とさえ思った。


演奏終了後に、サイン波について聴いた。


「やっぱり、出す人によって違ってくるんかも知れないですね」


と涼しげに言う。


話が前後してしまうが、金子氏は本を数冊書ける程のグルメでもある。料理の達人が『米』を炊くのと、素人が炊くのでは違ってくる。


あゝ、この人が作る音と言うのは『自画像』なんだな、と思った。


寝ても、覚めても、夢の中でも、胃袋でも音楽家。

だから、レーベルでも自分の企画でも、何でも彼の音になってしまう。彼は自主企画をやろうと、呼ばれて演奏しようと、何もかもを料理してしまう。


其れが『金子 由布樹』と言う巨人なのだと思う。

その真髄が、あの日の江古田フライング・ティーポットで見せた『珠玉のサイン波』だった。







2019年7月8日月曜日

主戦場/ネタバレあり

先日、『主戦場』と言う映画を観に行った。 






従軍慰安婦問題は私も10年以上、モヤモヤしたモノを抱いていて、その背景とか色々を知りたいからである。 
インターネットで調べようと思うと、インターネットの特徴なのかもしれないが 

『馬鹿な右翼』 
『馬鹿な左翼』 

が、非常に分かりにくい文体で書いているのでウンザリする。 




で、『主戦場』。 

私の投稿を観て「よっし!この映画を観に行こう!」と言う奴ぁいないので、ネタバレ上等で。 



まず、従軍慰安婦問題で『従軍慰安婦は居たのか?』で言えば居た。
写真も従軍慰安婦だった人も記録も軍の書類も残っている。 

問題なのは 


「強制連行だったのか?」 


と言う所である。 

この部分でウヨクな人々は靖国の英霊を右手に集めて殴り掛かってくる。 
もう一つが 

「彼女達が性奴隷だったのか?」 

である。「彼等は性奴隷だったのか?」だったらBL漫画数冊が書けるのだが1943年の日本軍でガチホモは多くはない(日本軍でガチホモと言う設定での傑作は『戦場の挽歌』と言う小説がある。素晴らしい文体なのでググって読んでほしい)。 
因みに奴隷の定義は国際連合が1926年に定義している(当時の大日本帝国も署名している)。 
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「その者に対して所有権に伴う一部またはすべての機能が行使される個人の地位または状態をいい、『奴隷』とはそのような状態又は地位に置かれた者を言う。 
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結論から言えば 


「強制連行であり、性奴隷だった」 


である。 


『強制連行』『奴隷』は殆ど同義語である。 
奴隷の定義は国連が定義しているが、従軍慰安婦達が高額所得を得ていた、としても(例えウヨク側が主張するように彼女達が高額所得だったとしても)奴隷である事には変わりがない。 
そして強制連行だが、まず『自由意志ではない』と言う部分である。そして『それを自由に辞める事が出来ない』と言う部分である。 



強制連行だったし、性奴隷だった。 
じゃあ、これを何故、日本政府やウヨクが認めないのか?と思っていた。 
国を愛するならば過去の過ちも愛するのが『愛』ってもんだろ、と。 



ところが『主戦場』を観たら事情が違っていた。その事情ってのが物凄いんだけど、つまりは『女性差別』なんだよな。 
ネトウヨの大御所みたいな人は「フェミニスト運動ってのはブスが始めたんだ。見た目も悪けりゃ中身も悪い、って言うね」「ブスとSEXする為には顔に紙袋を被せなきゃ無理だ」と平然と言う。 


それと、戦前~戦中の日本において『女性』と言う人々に『人格』なんて無かった。 
『自由意志』と言う観念すらなかった、と断言出来る。 


映画『この世界の片隅に』で驚くのは 

「会った事もない男性と突然、結婚させられる」 
「処女を失った翌日の朝4時には炊事洗濯、家事を永遠のように行う」 
「戦争で四肢欠損となっても仕事量は減らない」 

である。国内で、この有様なので他国だと更に・・・ある。 

婚姻と言う奴隷制度である。 




当時の日本軍にすれば他国の女性と言うのは『犬や猫』と同じニュアンスだったらしい。 
だから、どんな手段であれ連れてきた女性が「強制的に連行された」と言っても理解出来ない処がある。 
判りやすく言えば全国津々浦々に 

『猫カフェ』 
『子犬カフェ』 

がある。 

その猫や犬が、発言権を持ったとして

「私は道を歩いていたら、誘拐されたのです!」

と言っても、 

「いや、猫ちゃん。君はキャットフードを食べたし、グルーミングもしてあげたし、子猫を3匹も産んだじゃないか?。強制連行と言われるのは心外だ」 

となる。 


ようするに『従軍慰安婦施設』と言うのは現代の『猫カフェ』だった、と言うか。 
少なくとも当時の大日本帝国海軍、陸軍にとっては『猫カフェ』程度だった。


そして、その『女性に対して人権を認めない』と言うのは戦中の話ではなく、現代でも同じなのである。今は『女性』に限らず、『人権』と言う言葉は万葉集の和歌の一節のような響きになりつつあるが。 

『従軍慰安婦』の時代には女性には人権も自由意志もなかった。 
しかし、それは現代でも同じである・・・と言うか。 

そもそも、日本と言う国に『人権』があった時期が1秒でもあったのか?と言うか。 



国民は社会の奴隷であり。 

政治家は老いた有権者の奴隷であり。 

資本家は株主の奴隷であり。 

株主はシステムの奴隷であり。 



リストカット、自殺未遂と言った行為は、それに対しての静かなアンチ・テーゼなのではないか?と気もしてくる。 

若年層の自殺は先進国TOP1は伊達ではない。 




ネトウヨ達が、どうして『従軍慰安婦』問題を「なかった」と言うのか。と言うかネトウヨ達の「従軍慰安婦は無かった」と言うのは証言者である元・慰安婦達の『存在自体を否定』と言う罵倒よりも酷いスタンスである。 

其処へ元・保守派と言うかネトウヨだった女性が言う。 


「ナショナリストは自国のミスを認めたら、ナショナリストではいられないのです」 
「しかし、その結果、私には敵が消えました。今では自由です」 


つまり、ナショナリスト(ネトウヨ)は『自由ではない』のである。その『自由を制限された人々』が、かつて『自由を制限された人々』を罵倒する。 

そうする事でしか、自分が自分でいられない・・・と言う脆さを感じる。 

同時に、そうする事が絶対に正しい!と主張する人々は恐ろしい。正直に怖いし、不気味だ。 


『櫻井よし子』は日本会議だし、ウヨク。 

だが、私がKIDだった頃の『櫻井よし子』はニュース・キャスターであり、バイリンガルで容姿も素敵だし、意見もキレがあり、「素敵な大人の女性」と言うモノだった。 

現代では既に『妖怪』になってしまった。 


ナショナリストと言うのは病なんだろうか。 



で、加瀬英明と言う人物がいる。この人はエール大学、コロンビア大学に留学した経験があり、政治にも関わっている。 
オノ・ヨーコの『従姉』である。 

この人が言っている事が無茶苦茶過ぎて唖然とした。 

オノ・ヨーコと、彼がどのくらい接点があるのか分からない。ただ、 

「オノ・ヨーコのラブ&ピースの思想と、ネトウヨ、ウヨク的な思想は相性が良いのかもな」 

と思った。 

ネトウヨと言うよりも『日本会議』だが、この『日本会議』には神社庁も絡んでくる。 
嗚呼、面倒臭い。 


だから、スピリチュアルな事が好きな人は何故か神社も好きである。守護神とかオーラとか。 

安倍晋三の妻が大麻推進派だが、神社で振り回される白い奴は元々は『大麻』『麻』である。だから、神道や神社もOK。 

あと、『神道』もスピリチュアル系は好きだ。しかし、『神道』って明治時代なんだよな。死物狂いで遡って江戸時代末期。 

いつの間にか『古来より信仰されてきた日本の宗派』になっているが、そんなワケがねぇだろ。 

以前、出馬して落選した『三宅洋平』も、選挙期間中は『アンチ与党』だったが、落選後に安倍晋三と電話で話したら号泣しながら感激。 
「お互い世界を愛し、国を愛する憂国の士である」 
らしい。 


従軍慰安婦問題についての映画を観たら 

「人権を認めない人達が、人権を認めない」 

と言う物凄い状態を目にして、正直、不気味で怖くなった。 

2019年7月6日土曜日

世界をチューニングする男/直江 実樹

ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで『星条旗よ永遠なれ』を見る。




この映像は映画『ウッドストック』でも最高のシーンだが、不思議な感覚を覚える。


演奏者はジミ・ヘンドリックスと言う20代後半の青年のはずなのだが「演奏をしている」と言うよりも
「淡々とチューニングをしている」と言う印象も受ける。

湯浅学氏は嘗て、ジミ・ヘンドリックスのギターを「ギターが勝手に鳴っている。」と表したが、まさしく、である。

そう言う事はジミ・ヘンドリックス以外だと余り見当たらない。ジョン・コルトレーンは素晴らしいサックスを吹いたが「ソプラノ・サックスが勝手に鳴っている」と言う感じはしない。





色々な処で散々、紹介されている気がするが『直江 実樹』氏を書いてみたい。



私の稚拙な文章で氏が気を悪くしなければ良いのだが、指先が思うように書いてみよう。




『直江 実樹』と言う存在を知ったのは何時だったのだろうか。2005年よりも前だった気がする。
まだインターネット環境は全体的に貧弱だったので『口コミ』『評判』等が強かった。その中で

『ラジオ選曲家』を名乗る人物が登場した。短波ラジオ選曲家だったかも知れないが、『選曲家』と言うのはDJであり、ラジオを選曲?と言う事で驚いた。

今は無い『マイスペース』で直江 実樹氏が登場した時に音楽仲間の間で話題になった。

「ラジオを楽器にしているらしい」
「ラジオ選曲家って、なんだ?」
「ジョン・ケージみたいな人なの?」
「現代音楽の生き残り・・・みたいな?」

YOUTUBEは無かった。YOUTUBE自体、出来上がったばかりで動画のUPの方法も分からなかったし、何よりも動画の長さは3~5分が限界だった。

だから、会う、または彼の演奏に接する事でしか音楽を体験する事は出来なかった。



其処で「直江 実樹と何処で、どう出会ったのか?」と言うのを思い出そうとするのだが、全く思い出せない。



まるで小学生からの同級生や幼馴染のような感じもする。



その頃、渋谷系から始まり、現代音楽、HIPHOP、ブルース、音響系、シカゴ系、フリージャズの再構築と再考、ジャズ、1969年前後の世界各地のロック、オルタネイティヴ、クラブ系。

雑多な音楽を浴びるように聴き、「どうやったら、次の音楽を作れるのか?」と言うのが私がウロウロしていたシーンの課題だった。

「次の音楽」ってなんやねん、と言う気もするが、そう言う気分だったのである。

音、サウンド、その彼方。

コードやリズム、ハーモニーではない音、サウンド、その向こう、彼岸の音を目指していた人達は場所や時間を問わずに出会っていた気がする。


そこに直江 実樹氏がいた。




初対面の直江 実樹氏の音は、友人から聴いていた評判を遥かに上回る素晴らしさだった。氏が抱きかかえている古いラジオは『名機』らしいのだが、私には分からない。
音も素晴らしかった。


何より印象的だったのは、氏が演奏すると、必ず素晴らしい音、サウンド、声、台詞・・・その他、全てが彼を媒介に飛び込んでくるのである。

ラジオにはアンテナが必須だが、そのアンテナが『直江 実樹』氏であり、ラジオは勝手に鳴っているだけであり、直江氏は、その媒介になっているだけのような印象を受けた。


直江 実樹氏がチューニングしているワケではない。

電波が直江氏をチューニングしている。

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演奏以外での直江 実樹氏は穏やかな人である。紳士な人である。

一度だけ「何処から演奏を始めたのか?」を尋ねた事がある。
氏は「演劇の音響」と答えた。

『演劇の音響』と言うが実際に演奏するワケではない。指定された場所で指定された音をCDやカセットテープで流すのである。

私もやっていた事があるのだが、あれはクラブDJの頭出しよりもシビアであり、キマった時の快感は中々、乙なものである。

舞台と言う1時間半から2時間のリズムの中で音を出すのであり、垂れ流せば良いワケではない。



ただ、『どうしてラジオを楽器として使うようになったのか?』は分からない。



直江 実樹氏と話していてNOISE系の話題が出た事は一度もない。個人的に好きなノイズ・ミュージシャン(SEED MOUTH)は居たようだが『好き』と言うよりも『師』と言うモノでもあった様子である(この辺は直江氏に直接、聞いたワケではないので憶測でしかないのだが)。

直江氏の口から出てくるミュージシャンは常にシンガー・ソングライターやファンク、それも80年代のブーツィー・コリンズだったりする。

会えば、会う程、雲を掴むような人である。

だが、演奏中はパリ万博でのニコラ・テスラのようなCOOLさ。そして他の共演者を食い散らかす凶暴さと獰猛さ。

演奏終了後の優しさ。

憑依している、としか言いようがない。『電波』と言う得体の知れないモノが氏に憑依している・・・そうとしか言いようがない。




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中学生の頃、両親が使っていたオーディオを貰って、ラジオのエアチェックに夢中になった事がある。
九州の北部だった為、チューニング中に北朝鮮や韓国、米軍の放送が何時も入った。北朝鮮の放送は常に力強く、何かをプロバガンダしていた。米軍は常にリラックスして笑い声ばかりだった。

九州の辺境であり、草深い田舎町で「素敵な音楽」と出会う為にはチューニングし続けるしかなかった。

その数年後。

「あ、ラジオは楽器になるんではないか?」

と思った事がある。福岡県の田舎町なので現代音楽なんぞは知らない。

ただ、その頃、ミニコミ、またはフリーペーパーが流行っていた。北九州市戸畑区で現代美術家にインタビューを行った。インタビューはラジカセで録音した。

帰路の駅は海沿いの静かな、人気の無い駅だった。

到着する電車20~30分後だった。

ふと、「此処でラジオを付けたら何がキャッチ出来るんだろう?」と思った。中学時代の実家では北朝鮮と米軍だったが、此処では?と思ったのである。

その時に海沿いだが、山沿いでもある妙な立地の為か、美しいサイン波が流れた。その音に感動した。

「これを楽器として使えれば面白いのでは?」

と思ったが、再現性がない、と言う問題で止めた。実にツマラナい青年である。




直江 実樹氏も、恐らく・・・全くの憶測だが・・・私と同じようにラジオから美しい音を体験したのだと思う。

それを継続するか否か。


直江 実樹氏は継続し、私は諦めた。

諦めたのではない。

直江 実樹氏は『選ばれた』

私は『選ばれなかった』


の違いである。だが、同じ経験をしている人は多いと思う。然し、『電波に選ばれた』と言う人は直江 実樹氏だけである。

選ばれし者の恍惚と不安・・・。

思えば直江 実樹氏は演奏中、非常に神経質な表情をすことが多々ある。それは『選ばれし者の不安』なのかもしれない。






先に

『COOLで凶暴な側面を持ちながらも、演奏終了後は紳士であり優しい直江 実樹氏』

と書いたが、この部分を説明する為に冒頭のジミ・ヘンドリックスがいるのである。



ジミ・ヘンドリックスも普段は礼儀正しく、腰が低い人物だったらしい。
恐らく、それは彼が長年、仕事として関わり続けたブルースやR&Bの世界では当然の事であっただけかも知れない。

もしくは、ジミ・ヘンドリックスと言う人物が『ギターを演奏している』ワケではない。彼自身は空っぽの存在であり、『エレキ・ギター』と言うモノが彼の人格だったのではないか?。


それと同じく、直江 実樹氏も、本質的には紳士であり、優しさに溢れた人物だが、そう言う人物は時折居る。
直江 実樹氏はラジオを手にした時の『直江 実樹氏』こそが氏の人格や性格、そして戦い方なのではないか。


直江氏と演奏した事は何度かあっただろうか。


考えてみると殆どない気がする。圧倒的にリスナーであり、対バンだった。



直江 実樹氏は空を飛べるのか?と思うほどフットワークが軽い。
然し、その芳醇な音のワリにはソロが余り多くはない。
過去にVELTZレーベルから音源を2作出したキリで、後は有志によるライブ録音、録画である(この2作は傑作中の傑作だった)。

だが、氏の音はマイクロフォンで増幅される音ではなく、その空間に音を紙飛行機のように柔らかく飛ばし続ける音である。

是非、氏のライブに足を運んでほしい。

50年前に作られたラジオとは思えない芳醇な音、そして柔らかく憑依した氏の姿は常に感動と共にある。

氏がチューニングしているのはラジオだけではなく、会場で場を共にしている人々の心かもしれない。



2019年6月29日土曜日

全身音楽家:米本実

物の怪、妖怪と言うモノが私達の生活から消え。
そして、00年代にアヴァンギャルドを志した人達の多くは討ち死にし。

クリアで、耳に心地よい、アイドルや往年のPOPS、BGMのような音楽がメインストリームに対しての『サブカルチャー』となった。


それは此方側の敗北なのであろうか。


敗北、勝利。それが何だ。此方は音の彼方を目指すだけであり、そうではない『あちら側』『こちら側』は何時だって存在しており、それが嘗ての同朋が『あちら側』になっただけである。


暫く「素晴らし音楽家」「素晴らしい盤」をメジャー、マイナー問わず連載してみようと思う。
月1か、週1か分からないが(長文を書くのは疲れる)。



2016年に書いた『米本実』氏について再度、書いてみたい。
(http://kodona.blogspot.com/2016/08/blog-post_14.html)

この『米本実論』を書いた際に、本人から追加文章の申請があったのだが、何故か今になった。



米本実氏は不思議な人である。



氏を知ったのは、私が米本実氏に出会う前だった。自分だけの音、と言うモノを作るために『自作楽器』と言うモノを考えた。
その際にシンセサイザーも検討していた。
買うと高いが、作れば安上がりじゃないのか?と言うモノだった。

其処に米本実氏が既にホームページで自作シンセサイザーを紹介していた。それを見て

「敵わない」

と思った。


実際に会ってみると、非常にフランクな人だった。だが、もう少し踏み込むと、その並外れた音楽知識、音楽理論、演奏能力に驚く。

自作モジュラーシンセサイザーを、米本実氏はまるでエキゾチック、またはメタPOPSのように演奏する。

然し、米本実氏はエキゾチカでも、POPSの人でもない。紛れもなく『現代音楽家』である。

そして、米本実氏が制作した『system Y』と言うモジュラーシンセは『現代美術作品』であり、
『サウンド・アート』でもある。



然し、『system Y』は余りにも巨大過ぎて自宅から持ち出すのに難儀するらしい。では、自作シンセサイザーだけの人なのか?と言えば違う。

米本実氏は先に書いたようにシンセサイザーだけではなく『楽器』と名が付くモノであれば全て演奏できる。

マーカス・ミラーやプリンス、スティーヴィー・ワンダーのような人でもある。


その米本実氏の素晴らしい作品が・・・恐らく5分程度で作ったと思われる・・・『彼女の家』である。
1998年に製作されたモノらしい。

YAMAHAの『PSS-110』と言う、シンセサイザーと言うよりもガジェットのようなキーボードである。

『ゴミ』として捨てられていた、と言うキーボードで、スティーヴ・ライヒも裸足で逃げ出す音を作っている。


しかも、1998年である!!!



現代音楽の音源など、非常に手に入りにくい時期だった。然し、米本実氏は野生の勘なのか、ハードコアなミニマル・サウンドをイトも簡単に作ってしまう。




facebookで米本実氏が発表した時は、主に「可愛い」「面白い」「私もPSS-110を持ってました!」と言う感想ばかりで、曲自体に何かを感じた人は少なかったようである。


なんと言う事だろうか・・・。


だが、SNSに作品を発表する、と言うのはEDMやアイドル、1分程度のラップ以外は、そんなモノである。
インスタグラムが流行っているのも、ツイッターの140文字すら読めない人が増えてきた、と言う事ではないだろうか。

インスタントな刺激。

これは米本実氏のような『現代音楽家』『現代美術家』にとって不幸な時代と言わざるを得ない。


否。


米本実氏のみならず『音楽家』にとっては苦しい時代なのかも知れない。1分、1分半と言った時間で『音楽』と言う時間芸術では届けたいサウンドの0.00000000001パーセントも伝わらない。

だから、ライブを行うしか無いのだが、嘗ては頻繁に演奏をしていた米本実氏は最近は鳴りを潜めている。

理由は分からない。

ただ、何となく分かるのは


「米本実氏と言う人物が何者か分からない」

「米本実氏の音楽は耳障りが良いワケではない」


と言う事が、令和時代のオーガナイザーには警戒されるのかも知れない。耳障りと言うが、PUNKやPOPS、HIPHOP、フォークやEDM、テクノのように

『一般的に認知された音楽』

ではないからである。


米本実氏はEDMだろうと、PUNK的な音だろうと何でも作れる。だが、そうしない。


それは『鬼才』『異才』として産まれた人物の宿命なのだろうか。


米本実氏の『PUNK解釈』は、実はある。正直、既存のPUNKよりも米本実氏の音の方がNYのHC、サイケデリック系よりも遥かに切実であり、肉体的である。

それが

『マン-マシン・インターフェースに関する考察Vol.1』

である。


僭越ながら、私が企画している『鳥の会議』と言うイベントに出演して頂いた。


池田 拓実氏(現代音楽家であり電子音楽家の大御所)に米本実氏との共演を打診すると、池田 拓実氏が

「米本実氏の『マン-マシン・インターフェースに関する考察Vol.1』とならばOK。何よりも私が見たい。物凄く影響を受けた作品だから」

と言う事で、実は私も良く分からない状態で、本番となった。



(鳥の会議#7~riunione dell'uccello~/ 米本実/マン-マシン・インターフェースに関する考察Vol.1)




大きな紙に『0』『1』と言う数字が書かれている。二進法の記載である。それが1m☓1mの紙に何枚もある。

「シンセサイザーは鍵盤を押すと実は二進法で音をCPUで処理して音を出しているに過ぎない。ならば、逆に二進法を人力で入力するのは、どうか?」

と言うコンセプトだったと思う(詳細を記載したサイトがあったのだが、何故か消えている)。

要するに「人間がシンセサイザーのCPUとなる」と言うモノであり、マン・マシーンと言う名前の通りクラフトワークからのオマージュだったと思うのだが、どう考えてもクラフトワークを超えている。


まるで冗談のような有様だが、米本実氏は真剣そのものだった。居合の達人のような、何かを破壊しかねない凶暴さでパッチングしていく。

観ていた人からは「物凄く野性的だった」と言う言葉があった。シンセサイザーと言うデジタル楽器を使いながら、こうも凶暴、野性的になれるものなのか、と思った。

嘗てデトロイト・テクノのミュージシャンが曲作りの際に全裸で作った、と言う話があり「なんて野性的なんだろう」と思ったが、米本実氏に比べれば可愛いモノである。

当日、PAを担当した私ですら、薄っすらと恐怖を感じた程である。



米本実氏と言うのは、そう言う人物である。



演奏中は居合の達人の前に座るような、フリージャズやオルタナティブを超えた処に居る。


「テクノポップの人?」
「シンセサイザーの人?」


ではない(『楽しい電子楽器/自作のススメ』と言う本の著作者でもあるので、あながち間違いではないが)。


『全身音楽家』と言うしかない。


2019年5月12日日曜日

ロバート・ジョンソン/Robert Johnson

数日前、Netflixで『ロバート・ジョンソン』と言うドキュメンタリーを観た。





このドキュメンタリー会社の作品は常に駄作なんだが、まぁ此れも駄作だった。
新事実が!とかは皆無。
9割はwikiに記載されている事である。



1911年産まれなので、生きていたら108歳。
長寿志向の現代であれば生存していても不思議ではないし、1911年って明治時代後期であり、死亡は1930年代なので都市部ではスウィング・ジャズの時代であり、ブルースと言うのは『会津磐梯山』とか、黒田節みたいなモンで『田舎の音楽』だったのかもなぁと思う。



1911年産まれなので親族は生きている。そう言う親族のインタビューがあれば良かったのだが殆ど無い。


強いて言えば、ロバート・ジョンソンの『甥』と言うか親戚の子供に会いに行ったら、親族から
「お前は悪魔の音楽をやっているから会わせない!」
と言われて、「お子様へ・・・」とお金を渡した話だけ。



ロバート・ジョンソンの音楽が『悪魔の音楽』と呼ばれたのは(恐らくロバート・ジョンソンだけではなく、サンハウスやレッドベリー、ブラインド・レモンも同じように言われていたのではないか?と思うのだが)当時の黒人教会の問題だったらしい。


明治時代後期の話だから『昔』ではなく『現代』の人なのだが、教会としては酒場の音楽は悪魔の音楽だ!とカテゴリーしていたんだとか。
キリスト教の特徴なのだが、勧善懲悪的と言うか『悪魔か聖なるか』と言う二次元的である(イエス・キリストは多角的な人だっったが)。


あと、クロスロード伝説は勿論、嘘である。


短期間でギターが馬鹿テクになったのは短期間に良い師匠に出会って必死に練習したからである。




しかし『酒場の音楽』となっているが当時の酒場で、ロバート・ジョンソンで踊り狂っていたんだろうか?と言う疑問がある。
アコースティック・ギター1本で皆が踊れるのか?と言うか。



ダンス・ミュージック・・・と言うかダンスと言う衝動は暴力的な衝動である。
SEXとダンスは破壊、暴力衝動なワケで。
だからこそ、ダンス・ミュージックの歴史は低音部の歴史なワケで。
ロバート・ジョンソンは『アコースティック・ギター』であり、『コントラバス』とか『バンド編成』ではない。



踊る、と言うよりは『酒のツマミ』『酒場のBGM』であって、彼のギターで店がヒャッハー!となったとは正直、考えにくい。



因みに、ディキシーランド・ジャズ・・・と言うかJAZZトランペッターで歴史上、史上最強であり、同時に最強のダンス・マシンだった『ルイ・アームストロング』は1901年産まれなので、ロバート・ジョンソンが活動していた頃は、全盛期を過ぎようとしていた頃である(サッチモの全盛期は1920年代)。


サッチモの全盛期が1920年代で、サッチモの大先輩である『バディ・ボールデン』は1907年に死んでいる。



ロバート・ジョンソンとJAZZは交流は皆無だったと思うが、録音されたロバート・ジョンソンを聴いても「こりゃ、スゲぇ踊れる音楽だぜ!」とは思わない。


同時代の戦前ブルースを聴いた後にロバート・ジョンソンを聴き直すと、そのギターは


『洗練の極み』
『エレガント』


とすら思える。
自分とギターのコール・アンド・レスポンスは同時代の・・・と言うかブルースの御家芸だが、ロバート・ジョンソンのギターは、どう考えても音量を稼げるギターではない。
むしろ繊細に、緻密に作られる音である。
彼の死後に発展するBE・BAPに近いと言うか。ビル・エヴァンスみたいな。
ビル・エバンスやアート・テイタム(時代は違えど)もクソが付くほどファンキーだが、音は神経症のように繊細である。
心がザワザワするが、踊れる音楽ではない。
それはチャーリー・パーカーも同じで。
酒場を活動していた、と言うが音は内相的だ。歌詞はブルースだが、ギターは物凄く内向的な音である。



彼が旅をしていたのは「一箇所に留まれなかった」と本人の体質もあるんだろうけども、実は
『酒場で演奏するにはエレガント過ぎ、前衛的過ぎ』
と言う問題があったりして・・・と思ったりする。
要するに伝説と違って、意外と受けが悪かった、とか。



それと新事実ってワケじゃないんだけど、ロバート・ジョンソンが戦わなければならなかった相手は、白人とか差別ではなく、彼が所属している黒人社会や黒人コミニティだった、と言うのがパラドックスで悲しい。

ブルースが悪魔の音楽、と言うならばルネッサンス期に栄えたオペラも悪魔の音楽である。
音楽を色々と教えてくれる人が言っていたのだが

「人がねぇ。『はい、自由に歌ったりして良いよ!』となると、まずは『愚痴』と『恋愛』『SEX』なんだよ。だから、ルネッサンス期には『神が死んだ!マジ、悲しい!』と、自分の失恋を重ねて歌っちゃうワケ。そんなもんだよ」

らしい。確かに、そうだと思う。


ただ、当時の黒人教会は、愚痴やSEX、恋愛や失恋を激しく歌う音楽は悪魔の音楽である!
それで、『悪魔に魂を売った』と自称しているんだから間違いねえらしい。あの野郎は悪魔に魂を売ったから、あんなスゲぇギターが弾けるんだ。
だから、彼は悪魔なんだ。
と言うロジックだったんだろうか。

ただ、『伝説』と言うのは、特に音楽ジャンルに『伝説』は多いのだが、調べてみると意外と「はぁ?それって伝説でも何でもねぇーじゃん!」ってのが多い。

まぁ、ロバート・ジョンソンを伝説にしていた方が良い人達がいるんだろうけども。



ちなみに私はロバート・ジョンソン、好きです。







2019年5月3日金曜日

鬼太鼓座/鼓動

今日、TVを見ながら飯を食っていたら、スイスの女性が『鼓動』と言う太鼓グループに入って奮闘する・・・みたいな内容があって、ウンザリした。

『鬼太鼓座』『鼓動』って海外ではどう思われているんだろう?。
と言うか、国内でも
「あれぞ日本のTAIKO!」
「日本の伝統!」
と思っているんだろうか。

個人的に言えば鬼太鼓座とか鼓動の太鼓は小学生以下と言うか、下手の極みだと思う。

と言うか、何らかのテクニックがあったとしても、其れを発揮できないように叩いている。

あんな馬鹿げた集団は全盛期のオウム真理教とか、宮内庁とか天皇家くらいしか思い浮かばない。

鬼太鼓座にせよ、鼓動にせよ、彼等・彼女達にとって『太鼓』と言うのは太く、逞しい、筋肉で、脳味噌まで筋肉で出来た馬鹿達(掛け算で2の段すら怪しい奴等)が、力の限り、全身全霊で殴りつけるモノであって、リズムだとか音色等を考えているとは到底、思えない。

彼等・彼女達が作る音色や音列は20年前のシンセサイザーで十分、再現可能であり、電子楽器で再現可能な音を人力で行うなんて馬鹿げている。

PCMシンセサイザーで再現不可能だから人力でやるのであって、シーケンサーで作れるもんなぁ。あの連中の音は。







大体太鼓は確かに昔からある。

っつーか、構造が単純なので縄文土器の頃からある。

ただ、鼓動だとか鬼太鼓座のような大きな太鼓は『和太鼓』の歴史から考えれば

『つい、最近』
『このまえ』
『2〜3日前』
『あ、昨日ね』

だ。江戸時代の太鼓なんて米俵よりも小さい。ゴミ箱程度の大きさで、音色は『ドンドコドーン!』ではなく
「とんとっことーん」
と牧歌的。
リズム楽器と言うよりはコンガやボンゴのようなパーカッション楽器であって、迫力の低音と爆音ではない。

と言うか日本の楽器で『低音楽器』って殆ど無いんだよな。
太鼓は小さいし、能で使われる鼓は低音は出ない。
強いて言えば『寺の鐘』だけである。

寺の鐘も、京都辺りの古い寺の鐘はサイズは大きくない。

大昔の日本人にとっての『低音域』への捉え方はどうだったんだろうか。

嘗ての日本人は声が高い。

辞職した平成天皇の声は凄く高いのだが、大昔の日本人の声質は、あの爺さんみたいな声がデフォ。
新天皇なんて現代人としての声質だもんな(民間の血なのか)。

楽器が、その土地に住む人々の『声』に左右されるもんなんだろうか。
アラビア語を話す人々の声は、鳥の囀りの如く高いが、中近東の楽器には低音域の楽器もある。



TVでの『鼓動』を見て不思議で仕方がないのは、腹筋で身体を支えながら叩く、と言う意味不明な叩き方である。
あんな叩き方で、良い音が出るワケがないんだが

「根性」
「負けるな」
「もっと行け」

と言う意味不明な言葉で怒鳴られる。
どこのブラック企業だよ。




『鬼太鼓座』『鼓動』は元々は同じグループだが、その思想としては
「太鼓は農民の楽器だった。だから、当時の農民と同じように身体を鍛えなくてはならない」
らしい。
それでフルマラソンだとかジョギングが取り入れられてる(ボストンマラソン完走後に六尺褌だけで太鼓を叩きまくるとか)。


学生運動から発したグループの為か「農民の・・・」と言う響きに「革命・・・」みたいな浪漫を感じるんだろうか。



(これほど酷い音で太鼓を叩けるのは才能かも知れない。)


だったら、当時の農民と同じように30歳で死ね、と思うのだが。
頑張って遡って明治時代の農村で太鼓なんて年に一回の1〜3日間だけである。
だからこそ、ストリート・ミュージックになったワケで、マラソンだとか筋トレと農作業は全く違うし、昭和の後半までの農村で太鼓を年がら年中、叩ける余裕は無かった。
それに太鼓は高級楽器だったので、村々で合同を出資して買っていたワケで。

ヤマギシ会と同じで、学生運動に泣いた人達は『THE 農民!』『最後の百姓一揆』に憧れるんだろうか。
山本直樹の『レッド』読んで泣け。







『鼓動』はフリーメイソンかよ、って言う順位があり

『メンバー』
『準メンバー』
『研修生』

と言う編成で成り立っている。メンバーは神様みたいなモンか。
準メンバーは研修生を鍛えて、其処から給与を貰っているんだろうか。
研修生は2年間は合宿生活で

①携帯電話
②パソコン
③恋愛
④ラジオ

が禁止。
外部情報は地域の新聞だけ。外部へ連絡手段は寮に一つだけある固定電話だけ。



まぁ、規則を作っても皆、恋愛とかSEXはしているんだと思うけども。
劇団唐組に居た頃も、劇団内恋愛禁止だったのだが、やる事がないので皆、付き合っていたしなぁ。


そう言えば『津軽三味線』の高橋竹山ってのが居たが、津軽三味線は伝統芸能でも何でも無くて、高橋竹山が作ったので成立は1960年代であり、戦後だ。
で、津軽三味線に興味を抱いて「これぞ日本の文化っすよ!偉大なるアートは北から来るんっすよ!」と風雲の志を抱いた奴は、高橋竹山の弟子になるしかないのだが、弟子になる為には高橋竹山に150万円を支払わなければならない。
それで、高橋竹山が経営する居酒屋で数年間、無給で働いて云々、らしい。




何かが伝統になるか、否か?
と言うモノは、特に戦後は

「金になるか、否か?」

である。
皇族をdisるつもりはないが(私は皇室ウォッチャーでもあるから)、天皇家が明治時代から神格化され、それは未でも同じような状態なのは
「天皇家がカネになるか」
であり、誰かが何処かで利権をGET出来ているからである。


『鬼太鼓座』『鼓動』みたいなグループだけど、違うのは『芸能山城組』だろうか。
あれは「亜細亜の云々」ではなくて、主宰者の山城祥二が元々、LSDの研究者で、「脳味噌に良いモノwを・・・」を追求したらブルガリアン・ボイスとかケチャやガムランになった、と言うモノである。
だから、六尺褌の脳味噌まで筋肉で出来たクソ童貞達が、渾身の力で太鼓を叩けば芸になる、と言うのは『芸』のようで『芸』ではない。
『みんなの筋肉体操』
みたいなもんだモンだ。
芸能山城組で食っている人はいないが、太鼓グループは食える。


数年前。
郷里に帰省していた時に『小倉祇園太鼓』と言うお祭りに行った。
市役所のポスターには「20時まで」と記載があるのだが、実際には「20時から」
と言うか。深夜まで凄まじい演奏をする。
其処でビックリしたのは、小学生のグループとかもあるんだよな。
本来は女性と子供は御法度だったらが(元は飢饉や天災を避けるための呪術的イベントだったので)、少子高齢化により女性、子供も参加となった。
男性は力の限り叩きまくるのだが、小学生の女の子が叩く太鼓の方が音が響くのである。
「ドコンコンン!!!」
と言うノイバウンテン的な音とは対象的に
「コロンコロン」
と言うか。
腕力がないので、自然に力が抜けた音になるのだが、楽器って力づくでは音は出ない。
リラックスした、または非力な方が音は良い(脱力するために鍛える、と言うのはあるが)。


TVで何を勘違いしたのか『鼓動』でクソ太鼓を叩くスイス人女性を見ながらウンザリした。 
「なんで、こんなクソ太鼓を聴きながら飯を食わなきゃならんのだ・・・」
だが、鶏肉のネギ塩炒めは美味しかった。


2019年5月1日水曜日

令和崩御元年

と言う天皇が辞職したので元号が変わったらしい。



昭和崩御の頃、私は小学校6年生か5年生で、九州地方は雨が降っていた(北九州市は日本海側なので天候が荒れやすい)。

まだ春休みだったので暇になった。

テレビでは「昭和の記録」を延々とやっていて、退屈したので友人達と遊びに行ったのだが、街はシーン・・・としている。
思えば北九州市って軍都であり、日露戦争からWW2、空襲を生き延びた人が多かったので、自粛モードだったのかも知れない。


昭和天皇の人生を考えると、あのオッサンの人生って無茶苦茶なんだよな。
初SEXのブス女と結婚、って言うニートみたいな女関係だし(梅毒で死んだ大正天皇とは大違い)、226事件の時は自分一人で決起しようとするし、WW2で『御聖断』と言う、超違法を行っちゃうし。
時代なんだろうが、派手な人生だった、と言うか(奥さん、ブスだし、寝た女は一人だけ、と地味だが)

死んだ時も『中央自動車道切り通し爆破事件』と言う素晴らしいテロが起きている。
死んだ時に、東大の地下室で英霊達がバンザイをしていた、と言うオカルト話もあり「昭和のオッサンなら、ありえるな」と言うか。

アングラ演劇は昭和天皇wをdisれば良かったし、思えば戦後のサブカルは結構、楽と言うか青写真があったと言うか。

然し、平成天皇と言うオッサンの事を考えると

「つくづく、ババを引き続けた人」

と言う気がする。正直、平成と言う時代は昭和を遥かに凌ぐ『破壊に次ぐ破壊』だった、と言うか。
大体、31年程度だったのに、此れほど国土、国、国民が苦労したり、自殺したりした時代は神武天皇から数えても「初」だった・・・と言うか。

その破壊は終わってないから令和も『破壊から始めまーす!』である。

個人的に、元号がドウノコウノ、滑った転んだ、あーでもない&こーでもない、とは言いたくない。
どうも、COOLでもないし、元号を使った時間より西暦を使った時間の方が長いし。
私が皇族について憤慨している件は


『真子様が処女ではない』

『真子は小室と一発やっている』



と言う一点である。

誉れ高き皇紀2400年が、『県民』『平民』『市民』に処女を捧げるなんざぁ、靖国の英霊達が黙ってない。


大体、テメェの祖父の為に死んだ『ひめゆり学徒隊』なんて、皆、処女で死んでんだぞ?。

ついでに同盟国だったドイツの『アンネ・フランク』も処女だ!。

もう一つ、ついでに『マザー・テレサ』も処女で死亡!

敵国だったイギリスの『ナイチンゲール』も処女後悔!。

普通の神経なら『アンネの日記』を片手に、沖縄の『ひめゆりの塔』の前で割腹自殺するのが筋ってもんだ。





で、令和だが言語センスは悪くない、と思う。

天皇が時間を決める、と言う事じゃないか!と言うのをツイッターで見るのだが、実際に『天皇家』が権力を持っていた時代は応仁の乱と、壇ノ浦の戦いで終わっている。

明治時代に神輿になるまで、死ぬほど貧乏で、公務と言うか、その金がないから大名に借金の手紙を、ツイッターの如く書いていたらしいし(借金を返したのかは不明)。

大体、誰も元号なんて気にしてない。

そもそも、元号は明治時代になるまで天皇存命中に4回くらい変わっている時もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)?fbclid=IwAR3sBJ9IvWNxH0UxtBYwnE8zUQ_O2f4ZAawIenhiilZxnlt1sjbHkrGNpsE

理由は
「怪奇の為」
「地震の為」
「疫病」
「クーデター」
「天変地異」
「飢餓」
とかである。読むと、よく分からない理由で変更されている時もある。
そもそも、明治時代になるまで日本は州制度に近い国で、時間観念と言うのも今は間違いなく違ったワケで、一般的には盆暮れ正月、七五三に、田植えの季節だけだったかも知れないワケだしなぁ。

天皇なんて、中高齢のアイドルなワケだし(私の母は陛下が大好き)、どうでも良い気がする。

「令和になったら平均時給が1500円になる!」
「ノストラダムスの予言が当たる!」
「令和元年のみDAWソフトが90%OFF」

ってな事があれば「嗚呼、時代が変わるんだな」と思うが、明日も昨日も同じなワケで。

平成最後に食べたモノは『せい屋』のラーメンだった。

令和元年初日にやることはウサギのウンコを捨てる事である。