2013年10月11日金曜日

『riunione dell'uccello #1/鳥の会議』

『riunione dell'uccello #1/鳥の会議』


 http://trkg.web.fc2.com/
https://www.super-deluxe.com/room/3500/




鳥の会議を行います。皆様のご出席を心よりお待ちしております。

riunione dell'uccelloと言うタイトルですが『レオネーネン・デル・ウィッチェロ』と読みます。
イベントの名前はピーター・ブルックと渋澤達彦から頂きました。


今回から『#1』と付け始めました。riunione dell'uccelloは08年から延々とやっているのですが、今回から『#1』にしたのはイベントのコンセプトに変更があるからです。


柄にもない事を書きます。



個人的に『311以前』『311以降』と言うモノがあると『私』は思います。



個人的な事を言えば311前までは『その場限り』で良かった。その時のイベントが成功だったら、それで良かったし、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

勿論、イベントを行う際に『次回に繋げる』と言う事は念頭にはありましたが、それは『次回』であり、数ヶ月~半年以上の余りにも不定期なイベントでした。



311以降、色々なイベントが行われました。其れは今も行われています。

『プロジェクトFUKUSIMA』
『FREEDOMMUNE 0<ZERO>』
『原発ゼロアクション』


311以降と言うのは震災以降と言うよりも『放射能』が降り注ぐ時間を生きる』と言う事だと思います。
単なる大地震であればボランティアに行き、瓦礫を撤去する作業で良かったでしょう。しかし、撤去出来ない事柄が多すぎる。


簡潔に書きたいと思います。


私は311以降の人達、『次世代』に何かを残したいと思います。『次世代』とは一体、何世代先までの事か?と言えば明確には言えませんが、しかし、私達がバッハやウェーベルンに感動するように時間は問いません。

そして私達が十代の頃に音楽に感動した時、その感動した時の音楽はいつの時代のモノだったでしょうか?
感動する事柄に時間は問われない。


私の年収は一般の人達よりも低いものです。

ですので『FREEDOMMUNE 0<ZERO>』のような大規模な事は出来ない。
大卒でも経産省と繋がりがあるわけでもないのに『プロジェクトFUKUSIMA』のような事は出来ない。
人徳はないので『『原発ゼロアクション』』のような事も出来ない。

只、311以降、偏差値39の底辺高校卒業のガラクタのような脳味噌を振り絞って考えたのが、


『イベントを定期的に継続する事』


でした。その事が『次世代』に何か繋げられるのか?と言えば判りません。単なる定期的なイベントでも構わないのですが、其処を念頭に置くのと、置かないのでは可也、違うのではないか?と。


来場する方々に、それを意識して欲しくはないし『脱原発』『反原発』と叫ぶつもりは一切、ありません。現実的・冷静・冷酷に考えれば『脱原発』『反原発』が滑稽無糖な夢物語でしかない事は小学生でも分かる事です。
殆ど『萌え』や『ラブコメ』のような世界でしかありません。



私達に出来る事は自分が、36年間と言う長くもなく短くもない時間の中で得てきたモノを多くの人達に提供していきたい。

否。

提供すべきである。




『鳥の会議』はチャージフリーイベントです。つまり出演者に対してギャランティをお支払い出来ない、と言う事です。

『演奏』『パフォーマンス』と言うのは立派な職業です。ストリップであれ、小澤征爾であれ、全ては同じ事。
普段であればストリップであれば3500~6000円。または数万円から10万円以上するステージもあります。
それを『無料で行ってください』と言うのは正直に言えば、私自身もプロとして活動していた時期があるので、それが非常に失礼なお願いである事は承知です。

幸いな事に「そう言う意味」で依頼しているワケではない事は之までの出演者の方々は理解してくれているようです。



あと、もう一つ。



個人的な志向はさて置き。私が10代だった頃。

『非常階段』
『灰野敬二』
『メルツバウ』
『ボアダムズ』
『ケン・イイシ』

等は私が当時、住んでいた場所が田舎だった事もあり、彼等・彼女達がライブに来る事は稀と言うより皆無でした。

だから音源や雑誌媒体等で知る事しか出来ません。

只、私が彼等・彼女達に感じていた感情は「灰野敬二『様』」「非常階段『様』」と言った

『私』と『あの方々』

と言うモノではなく


『我々』

『俺達』


でした。『世間』と言うモノと上手くやっていけない『私達』と言うか。上記の人達が当時、どう思っていたかは判りませんが、まだ10代の私は彼等・彼女達は『希望の星』でした。

「世の中と上手くやれなくても、なんとかなる・・・のかも?」

と。


今はどうなのでしょうか?個人的には、10代の頃に憧れだったミュージシャンやパフォーマー達は『国営機関』『国』『企業』と言った組織の絡みに居たりします。
それは間違いではないし、当然の評価ではあります。


ですが、『役人』と『私達』は違います。


『歌舞伎の大御所』と『小劇場の役者』が違うように。


私は再度、『俺達』『私達』と言う状況を作りたいと思います。


『私達』『俺達』


とは何でしょうか?


其れは之を読んでいる貴方・貴女達、そして、その友人。そして私、私『達』。






高層ビルの中でウンザリするような仕事をしながら窓を見るとカラスが高層ビルに吹き荒れる風を利用して、ウットリするような滑空を見せてくれます。

身も心もボロボロになりながら帰宅していると街路木ではスズメ達が、その日の報告を行っています。

夕方、善福寺川に行くとカラス達が沢山のお喋りをしています。



鳥達は何をしても美しい。


人間は何をしても醜い。



只、一瞬だけ。または数時間だけでも鳥のような時間を提供出来れば、と思います。


皆様のへの『pray』でありたい、と思います。そして『pray』であり続けようと思います。

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