2014年3月12日水曜日

311に

昨日、ネット料金をうっかり未納で止められてしまったので今日、投稿。書いたのは昨日。


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311から3年間。




私は、あの日、死ぬんだと思った。

自分がやっている音楽の完成も、人生も見ずに死ぬんだと思った。

環八を装甲車が走り、東へ向かう軍用ヘリコプター。

軍都育ちの私にすれば自衛隊は『助けてくれる人々』ではなく矢張り『軍』であり、国内最大の暴力装置である。
軍が動いている、と言うだけでも怖かった。


何もかもが怖かった。


私が幾ら怯えようと、原発は爆発し続けているし成す術もなかった。


3年間。


色々な事があった。

漸く就職した介護施設もクビになったし(震災ノイローゼで)、また仕事を転々。

メンヘラ女性に脅迫文を会社に送られたり、色々。

初めて自主的に政治運動に参加。ジャ●ノイズと、その周辺と揉めたり。

初めて国外でライブをやったり・・・。

疲れ果てて、高知県の山岳地帯で隠居生活を送ったり、猫達に癒されたり。



震災・原発、と無関係な土地に住みたいな、と思った。NYか高知県か。
どちらかに住みたいと思った。

だけども、NYの医療保険の事もあったし、高知県での音楽活動にし難さもあったけども、抜本的には

『汚染地帯で生きるべきだ』

と思った。

『死が近いなら、死ぬまで音楽を続けよう』

って。




先ほど水を呑んだ。空気を吸い、水を飲み、タバコを燻らし、飯を食う。

それだけで私の身体は汚染され続ける。

東京の汚染っぷりは無視されるけども、良い按配で汚染されている事は周知だ。



実は髪の毛は311以降、結構、抜けた
明らかに、って言う位に。

2011年、私の目は真っ赤に腫れ上がりコンタクトレンズを付ける事が困難だった。
唇は荒れ捲くりTPが一時的に吹けなかった。
毎日、鼻血が出た。
間接が痛くなった。

蚊が少なくなった。

毎年、遭遇していたゴキブリも姿を消した。

実はゴキブリは「核戦争後の世界ではゴキブリしか生きられないだろう」と言われているが、実はゴキブリって汚染には強いが『放射能』には矢鱈と弱く、核戦争後とかそう言う世界では絶滅してしまうらしい。


あの日、全てが終ったんだと思う。本当に何もかもが終ったんだと思う。

終戦みたいなもんだ。

私は年齢的に終戦を知らない。だが当時、介護をしていた老人は

「終戦って実は大したモンじゃなかったんだよな。俺は出張で空襲は免れたんだけど、戻ってきたら意外と建物とか残ってんだよ。コンクリートの建物は全部ね。木造は燃えちゃったけどさ。でも、震災は何もかもだろ?原発で放射能だしな。比べモンにならんよ」

終わりなんだ、と痛感した。




終ってしまった事を皆、知らないフリをして生きている。
そうしないと此れまでやってきた事が全て無駄になるんじゃないか?って言う不安だと思うのだけども。


しかし


何度も言うが終ったんだ。だから、新しく作り直さなくちゃならないんだ、と思う。

何もかも。


国が傾くと右翼化する、と言う現象は世界中、変わらない。貧困が原因の一つだが『国が傾く』と言うか。

「この国は最早、此れまで」

と言うか。

今の『ネット保守』の子達が過激になり始めたのは311以降って気がする。

単に脱原発運動が盛り上がっているから彼等も、って言うカウンターではなく、実は『ネット保守』の子達の活動の方が本能的で、正直なんじゃないか?と思う。

儲け話を必死になって探している脱原発運動家よりも、『ネット保守』の子達の必死な眼差しは、ある意味、象徴的な気がする。

もしも私が写真家であれば、または絵描きであれば彼等を撮影するだろうし、描くだろう。

国が終る。

その時の反応を最も激しく、正直に示しているのは彼等・彼女達だから。

勿論、キモいけども、日本人は元々、キモい。



日本人の平均寿命は延び続けている。
だけども、2011年から一気に止まるだろう。

遠くの死が近くに来た、と言うか。

元々、東京なんて『死』と紙一重の街だ。日常的に死体が転がっている。

今日、すれ違った人が5分後には死んでいる。



その日はとても暑かった。派遣登録の為、スーツ姿だったのだがシャツも汗ばむ。とても疲れていた。

JR西荻窪駅で列車を待っていた。
運悪くJR立川駅で人身事故の為、既に30分も遅れていた。

ウンザリしてパイプに火を付けた。ホームは禁煙だが、この際、関係あるか!と思った。苛々していた。

30分を過ぎても列車は来ない。

パイプの火も消えかけた頃に話しかけられた。

「良い香りですね。逸れはタバコ?」

見ず知らずの中年男性だった。注意されるのかと思い

「あ、すみません。電車は来ないし苛々しちゃってタバコでも吸ってないと」

「良い香りだね。私も前まで一日2箱吸ってたんだけどね。昨年、禁煙させられちゃってね。喫煙セラピーとかでさ」

「喫煙者は肩身が狭いですからね」

「しかし、健康の為にってだけどさ。何れ死ぬのに何が健康って・・・なぁ?」

「はっはっは」


話していると漸く電車が来た。

「煙管とか良いのかもね」

「あれは美味しいですよ」

「何れ試してみるよ。じゃあね。有難う。良い香りだったよ」

すると静かに線路に降りた。


そして電車は更に1時間以上、遅れる事になった。

ウンザリして、その日、5本目になる『ジョージア・エメラルドブレンド:微糖』を飲んでいると、ベンチで座っていた学生が

「また人身かよ・・・勘弁して欲しいよ」

と言っていた。






震災から3年。


「俺は死ぬんだ」

と思った。だけども、まだ生きている。



毎年、憂鬱な一日だ。『あの日』を嫌でも思い出すし、『あの日』に感じた恐怖は未だに消えない。
多分、一生、消えないと思う。

今日は病院の日だった。処方箋を受け取る薬局でTVで『福島県の今』
みたいな番組をやっていた。

子供が体内に放射能がどれだけ溜まってるか?ってな診察(機械の中に入って検査)を受けている。

物凄く異常な光景で、物凄く恐ろしい光景だった。之が数年ではなく数十年、数百年、数千年と続くのかと思った。






だけども、親友の子供が3月8日に産まれた。

とても嬉しい。

子は宝。

彼の子供の為に何か残さなきゃならないんだと思う。


思う、じゃなくて『~ねばならない』だ。


落ち込むんじゃなくて、頑張らなきゃね・・・と思う。

荷は重たいが仕方がない。



其れと何時も生意気な事を言う私を許してくれている皆様。

本当に有難う御座います。

私は皆様と死ぬまで生きていたいと思います。

今後とも宜しくお願いします。


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