2016年1月8日金曜日

偉い人

下北沢に住んでいる演劇をやっている友人が愚痴る。




①同じく演劇をやっている友人と再会

②自慢話をされる。

③偉い人の名前を出しまくる

④何処となく見下した態度。



「ウンザリする」と言う。

しかし、気になったのは③の『偉い人の名前を出しまくる』だろう。

そもそも『偉い人』って誰なんだ。




話は「偉い人と仕事をしていて」「偉い人に褒められて」と言うモノだったらしい。しかし、


『演劇』

『小劇場』


と言う非常にアンダーグラウンドが過ぎるジャンルに『偉い人』がいるのだろうか。其処が疑問点である。

80年代に小劇場ブームなるものがあり、信じられない事だが演劇が流行ったらしい。しかし、第三舞台や、野田秀樹が偉かった、と言うわけではない。


そもそも『偉い』って何だ。



私は唐十郎の劇団に所属していた事があるが、唐十郎は偉いのか?となると大正時代から始まる『日本小劇場史』で言えば可也、大きな功績を残しているが、しかし私が知る限り『国民栄誉賞』などは貰ってない。

だとすれば誰なのか?

『蜷川幸雄』だろうか。だが、蜷川幸雄は碌でもない功績しか残してない。演出家としては一流だったかも知れないが、何しろガチなホモ
其れでジャニーズ事務所と組んでしまったのだから、

『プロデュース芝居=美少年・イケメン専門』

と言うモノになった。

じゃあ、浅利慶太だろうか。学生演劇でしかなかった劇団四季結成以前から天才と名高い人だったらしいが。
だが、どちらかと言えば実業家に近い。


・別役実

・鈴木忠

・佐藤信

・ピーター・ブルック

・宮沢章夫

・平田オリザ



「偉いのか?」と問われると

「いや、まぁ、ほら、名が知れているし・・・」

「何処で?」

「本とか出しているし」

「私の姪もBL漫画を出している」

「いや、演劇とかで本を出して・・・」

「演劇?『ふるさとキャラバン』とか?」

「いや、あれじゃなくて」

と有耶無耶になりそうな気がする。


と、此処まできたら『偉い人』は可也、限られてくるだろう。すわ



『天皇』





である。


「いやー、この前、天皇陛下と競演しないか?って話が宮内庁から来たんだよ」

「え?宮内庁?」

「なんでもね、天皇陛下がどうしても『マクベス』を演じたい、って言うんだよ」

「天皇がマクベス?何処で上演するのさ?」

「皇居」

「皇居?皇居に劇場があるのか?」

「いや、テントとか建てるみたい。」

「すげー!」

とはなるよな。確かに自慢しても良い気がする。何しろ天皇が


『新しい栄誉は新しい衣服と同じだ。着慣れるまでに時間が掛かるものだ』

『嗚呼、俺の心はサソリで一杯だ!』


等と言うのである。其れは確かに見ものだろう。



会社組織などに入ると『上司』と言うのが『偉い人』となる。派遣をやっていると

「今日、本社から偉い人が来るから、皆、キチンとしてるように」

とお達しがあったりする。偉い、と言っても部長クラスなんだが。だが、『派遣』と『本社の部長』は


『雲泥の差』

なのである。泥と雲!





(一般派遣社員)



(一般派遣社員)



(一般派遣社員)





(一般派遣社員)





(一般派遣社員)





(一般派遣社員)



(一般派遣社員)




(一般派遣社員)




(一般派遣社員)



(一般派遣社員)




(一般派遣社員)




(一般派遣社員)




(一般派遣社員)



これと

(本社の偉い人)





である。
どれだけ差があるのか。


しかし、会社組織なので会社を出れば、と言うか退社時間になれば部長も派遣もない。オッサンとアンちゃんでしかない。

だから『会社内』でしか通じない階級である。其れは偉い、と言えるのか?と思う。社長と言うか創業者なら話も判るが、部長クラスである。

部長や創業者よりも偉い人は誰か?。天皇以外で。

となると、誰もが認める人になる。そうすると



『アントニオ猪木』






だろう。『ジャイアント馬場』と言うのもあるが、馬場は死んじゃったからなぁ。



「今度、紀伊国屋ホールでさぁ、猪木先生とベケットの『ゴドーを待ちながら』をやるんだよ」

「え?猪木先生が?ベケットやるの?」

「で、猪木先生がいきなり台本を変え始めちゃって困るよ」

「何処を変えるのさ?ベケットの台本って弄ると法的に問題になるんだろ?」

「そうなんだけどさ。最後のシーンがあるじゃん?」

「『じゃあ、行こう』『よし、行こう!』って台詞だろ」

「其処に『よし、行こう!』の後に『1!2!3!ゴドー!』って入れろって言うんだよ。」



やはり彼も猪木ファンなので『アントニオ猪木』ではなく『猪木先生』と言うのだ。

これも確かに凄い。こんな話を例えば唐組時代に同期だった奴と再会したとして(殆ど再会しないが)、話されたら私も愕然とするだろう。

恐らく猪木の事だ。衣装はボロボロの服が指定のはずだが白い上下のスーツに、赤いマフラー姿だろう。
浮浪者が戯曲の設定なのに、どう見ても浮浪者には見えない。

ともすると舞台にリングを用意しかねない。





そんな自慢話は、寧ろ茶でも奢って聞き出したい気になるものである。


大体、プロレスラーだったり、議員だったり、一般市民だったりするのに何故か

『先生』

と呼ばれている猪木。リングにあがっても先生だし、任期を終えて一般市民になっても先生。

だが、日本人なら誰もが『アントニオ猪木=偉い』と言うのは知っている。


考えてみると小学生の頃。男子が意味不明な悪戯や下らない事、掃除をサボったりしていると、女子が
「先生に言いつけるよ!」
と言われていた。もう、その「先生に言いつけるよ!」と言うニュアンスは

「神の裁きを受けたいか?」

と言う言葉に聴こえたものだ。

つまり、生徒と先生の間には超えられない壁があり、ひと言で言えば


『月とスッポン』


位の差があった。 




(男子生徒)


(男子生徒)


(男子生徒)


(男子生徒)


(男子生徒)


(男子生徒)



(男子生徒)






これと、此れだ。


(先生)



(先生)


(先生)


(先生)




月面が何もない砂漠でしかなかったと言うのに、未だにアポロ計画のドキュメンタリーは作られている。
矢張り月の方が食材になるスッポンよりも偉い、と言う事になっている。

スッポンを食べても褒められないが、月面に行った宇宙飛行士は未だに子供達の憧れだ。









しかし









下北沢で演劇なんぞをやっている奴と『天皇陛下』『宮内庁』『アントニオ猪木』と接点があるとは到底、思えない。

アングラな音楽で、其れなりに知名度がある人が来たりするする事があるが、知名度は『そのジャンル』以外だと皆無に近い。

例えば灰野敬二は、あのジャンルにすれば可也の知名度を獲得した人だが私の実家の母親に

「あのね!灰野さんと今度、ライブをやるんだよ!」

と言っても

「誰ね?それ」

「いや、ノイズとかロックの人で」

「知らんわ。オカンは『郷ひろみ』しか知らん」

と言われてお終いだ。『灰野敬二』だろうと『裸のラリーズ』だろうと『大友義英』だろうと、同じだろう。


「おかん!俺、来月からラリーズでベースを弾く事になったよ!」

「なんね?ラリーズっち?」

「伝説のサイケデリック・バンド」

「『郷ひろみ』みたいな感じね?」

「・・・違うねぇ」

「演歌ね?」

「演歌っぽい曲もあるけど違うね・・・」

「で、其れで食べれるんね?」

「ラリーズは無給だからバイトは続ける感じ・・・」

「さっさと辞めなさい」



となる。


しかし、考えてみると『人物名』『固有名詞』を出す人って、何処か『面白くない人』が多い気がする。
大体、自分が一番、偉いと思ってやっているはずが自分より偉い固有名詞を出す時点で詰んでいる気がするのである。

何と言うか

『本社の偉い人』

と言うか。自分が格下、と言うよりも『組織的存在』と言うか。だったら金にもならない芸事なんぞ辞めて、中小企業とか工場でも良いからサラリーマンになった方が遥かに経済的、国益的、将来的にも良いはずである。


で、こう言う事を言いたがる人って大抵、男性である。


男は何処まで言っても組織に入りたがる。

何故なんだ。



とりあえず『偉い』って何だ。

『男はつらいよ』のトラさんも偉い兄貴になろうとしていたが、当の本人が死んじゃったからなぁ。

『偉い』は謎だ。

俺がいたんじゃ/お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ/妹よ

いつかお前の/喜ぶような
偉い兄貴に/なりたくて

孤軍奮闘の/甲斐もなく
今日も涙の

今日も涙の/日が落ちる
日が落ちる



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