2016年7月24日日曜日

長男ブルース

今日の仕事は辛かった・・・




と言う出だしで始まる曲が『山谷ブルース』である。曲を聴くと「何処がブルースやねん」と言いたくなるような

『自作自演演歌』

でしかないのだが、ブルースらしい。

1968年リリースだからアメリカのブルースは紹介されていたはずだが(SP時代ですら既に日本に入ってきてる)、岡林信康は「ブルースだ」と主張する。

思えばロック界最大の極右だった『中村とうよう』も山谷を訪れた際に「この地から日本のブルースは誕生する!」と豪語していた。




日本人にとってのブルースは「辛い事」なのであれば、帰省している私なんてジョン・リー・フッカーも裸足で逃げ出す程、ブルースだ。



2年前。


デンマーク・ツアーから帰国して何故か音楽的に完全に燃え尽きてしまい、精神的にも燃え尽きてしまい、仕事もグチャグチャで、何故か帰省した。


上京以来、初めて三カ月もの帰省期間だった。


で、だ。


帰省した処で郷里の友人がいるワケでもないし、学友達は恐らく99%は結婚しているか、離婚しているか、子沢山か、親の家業を継いでいるか、はたまたヤクザになっているか。

九州なんぞ、そんなもんである。

高校時代に

「ロックで東京進出!」

とか

「プロレスラーになる!」

とか

「漫画家になる!」

とか

と連日のように豪語していた学友達が上京した、と言う話は聞いたことがない。プロレスラーになる!と豪語していた門司区の番長は親の家業(電気屋)を継いだ。


九州に限らず全国の地方と言うのは、そんなもんだろう。


多分。



岡林信康も言っている。

『姉は淫売。妹は芸者。末のちょろまつ博打うち。兄貴は卒塔婆の骨拾い。おいら上野でモク広い。こんな一家にだれがした?」


で、だ。


今日は可也、辛かった。



2年前に帰省していた頃に母親の介護施設で2か月程働いていたのだが、最後にちょっとしたレクレーションと言うか、プレゼントでトランペットを吹いた。

80歳以上のボケ老人ばかりで、JAZZとは縁遠い人達である。

終戦直後にラジオからJAZZは流れていたかもしれないが、メインはキャバレーであり、夜の音楽である。

バップとなると、其れこそマニアックな音楽だったはず(北九州はJAZZの街だった。仕事が終わったJAZZマン達が『クロンボ』と言う店でミントン・プレイハウス的にジャム・セッションをやっていた。当時としては先駆的にフリージャズ等もやっていたらしい)。

一人、スナックのママをやっていた、と言う女性がいて、その人がJAZZが好きだっつーので、吹いただけである。

処が私が勤務の日にいなかったので、その老婆がいる入居型施設に行って吹いた。

泣きながら喜んでくれた。



で、今回。


そんな感じでテキトーに言って、働いていた頃の人とか通所の老人と話そうかと思った。で、ツマミ的に演奏、と。


だから、ラフに・・・と言うか。


曲は数曲程度で、まぁNさん(JAZZが好きな人)が喜んでくれれば良いか、と言う程度で。
だから時間も遅れて行った。

然し、何故か家族からの催促が凄い。

起きて渋々と行く。

「遊びみたいなもんなんだから、テキトーで良いだろ」


と!こ!ろ!が!



『グループホームげんきさん』


に到着したら愕然とした。椅子や机が整理整頓されており、ステージとなる場所があるのである。




皆、ステージを前にボンヤリと待っていたらしい。



「は・・・?は・・・?」


と言う感じ。完全に慰問公演だったら1週間前から練習していたし、博多区へセッションに行っている場合じゃなかったんだが。


愕然として、出るはずもない汗がタラリタラリと出る。


言語能力が桁外れに劣る叔父が(色々とあり介護従事者として最低の出来の叔父が管理者)

「へぇーっと。ニューヨークとソウルと・・・どこやったかね?」

「え?え?え?」

「どこやったかね?」

「で・・・デンマーク」

「デンマークでも活躍する、世界で活躍するクロキカズタカ君でーす!」

と紹介される。





もう、死にたい。



で、やった曲は確か


①上を向いて歩こう(JAZZアレンジ)


②オー・シャンゼリゼ


③聖者の行進


④オーバー・ザ・レインボウ


⑥アイ・ガッタ・リズム


⑦モ・ベター・ブルース


で、終わって「やれやれ・・・」と思っていたらテンションが高い介護職員が

「クロキさんは普段はバンドで彼方此方回っているんですか?!」

と言う。

「いや、一人の場合が多いです」

「普段はどういう音楽をやっているんですか?」



普段、どういう音楽って・・・。俺だって知りたいよ。
何らかのジャンル・・・強いて言えばノイズ~アンビエントなんだろうが。

だが、『アンビエント・ミュージック』『ノイズ・ミュージック』と言う言葉が通じるとは到底、思えない。

何故かコンサートになっている事に愕然としている事に動揺が収まらない。


「えーっと・・・現代音楽とかフリージャズとかですかねぇ」

「ではぁ!!!その『現代音楽』と言うモノをやっていただけないですか?!」


と言う。

「はぁ????」


現代音楽って・・・『4分33秒』とかラ・モンテ・ヤングとかトニー・コントラッドとかやるのか?
またはアクセル・ドゥナー的な奏法とか?

どう考えても老人介護施設で演奏される演目ではない。

「いや、現代音楽は無理ですよ!」

「じゃあ、フリージャズ・・・で良いんでしたっけ?」


「では、黒木さんに『フリージャズ』を演奏していただきますー!」


と音楽的な教養が無知と言うか、教養以前にアホが叫ぶ。


「ええええええええ???」

「じゃ、カー君。3分で終わって」


「いや、終わるけどさ・・・」



仕方がないので

「えーっと・・・普通、JAZZってテーマがあって、アドリブがあって、テーマに戻るって言うものなんですね(少し吹く)。で、そう言うモノが全くない、っていうJAZZが60年代にありして・・・ちょっと、それを・・・ですね。まあ、騒音かも?です」


と言って、ジョン・コルトレーンの『アフロ・ブルー』を吹いた。






でも、この曲って当時のコルトレーン・カルテッドだから成立した曲なんだよな。ソロ曲じゃないし。

とは言えテーマを吹いて、後は「ビー!バー!ぎゅらぎゅらラララ!ビー!ピー!」とやる。


皆、「????」とポカンとしている。



私としてはNさんと言う人の為に吹きに来たのであって、なんか慰問公演みたいなモノではないと思っていたので唖然である。


ってかNさんは2年前に帰る際に「また来年来ますね~」と言った。大体、老人なので2年ももつまい、と思っていたし、そう言う文句が老人は喜ぶ。

だが、帰ってこないので

「あの人は帰ってくるって言っていた!あの人のトランペットを聴きたい!あの人は帰ってくる、と言ったのに帰ってこない!」

と言っていたらしい。もう、私が現れただけで号泣。吹いたら号泣。


で、Nさんが「隣にも聴かせたい」と言う。隣ってのが『おたがいさま』と言う鉄板ボケ老人(自分の名前すら言えるかどうか怪しいレベル)専用の施設へ連れていかれた。

で、其処で3曲・・・って言うかボケが酷いのか、ボケ老人に出される精神薬が効き過ぎているのか、皆、フジツボの如く

「・・・・」

となっている。ある意味、置物のようである。

其処で3曲。


スタッフが「なんか古い曲とか出来んとですかね?『ウサギ追いし』とか『海ゆかば』とか」とか言いやがる。

「出来ません」

と言って三曲ほど吹いた。



で、次は母親が直接、催促に来たほど。


『げんきさんⅡ』


と言う通所型施設でも演奏なければならない。


暑かった、と言っても九州の暑さは心地良い暑さなので問題はないが個人的に

『突然の出来事』

なので、既にスタミナ切れ(実は『げんきさん』でハイトーンを出し捲った)。


行くと

「もう、皆、待っちょうって(皆、待っています)」

とせかす。


で、『アメイジング・グレース』を吹きながら登場(サービス精神)。


見ると矢張り、こう言う感じに作られている。






愕然とする。で、相手はJAZZの『じ』の字も知らない老人達である。意外と老人達の半生は激動の時代なので面白いのだが(戦前~戦中~戦後史に詳しければ凄く面白い)、そういう感じじゃない。

で、頑張って演奏。

①上を向いて歩こう

②聖者の行進

③オー・シャンゼリゼ

③オーバー・ザ・レインボウ

④モ・ベター・ブルース

⑤マイルストーン

⑥サマータイム

とか演奏した気がする。


『オー・シャンゼリゼ』を演奏したら、通所者がオイオイと泣く。話を総合すると

「終戦直後、シャンソンが流行った。管楽器をやりたかったが高くて買えなかったからギターを弾いていた。管楽器は良い・・・!『オー・シャンゼリゼ』も良い」

だそうで。

確か戦前の金管楽器って『日本管楽器』と『トーカイ』がメインなのだが、今の経済価値にすると30~40万円。
後にヤマハが名器を作りまくるが、其れでも20万とか。

ギターが流行った理由ってのは「安いから」だったのかもしれない。


その泣いていた老人は常に気難しく、五月蠅く、扱いにくい人だったらしい。


介護スタッフが

「あら!かつきさん!涙流して感動やねー!!!」

と言うと

「これはヨダレ」

と言っていたが(実際に感動して泣いていたらしく『ヨダレ』は照れ隠しだったんだとか)。



正直、ミスが多く・・・処の騒ぎじゃなくて、何て言うかカラオケボックスに行ったらアリーナで満員御礼のステージで歌わなきゃならない、みたいな。

焦るよ。やっぱり。



姉(施設長)は「いや、フランクにやるだけなんで・・・」と言ったらしいがスタッフが「いや!ちゃんとします!」みたいな。

私が施設長の弟で、オーナーの一人息子ってのもあったんだろうが。


あと、手拍子が凄く邪魔だった。


此方は曲名も言わずにつま先で「1、2」とやってんのに、勝手に適当な拍子で手拍子をやられる。

曲に集中出来ないし、邪魔なんである。


だが介護職ってのは『盛り上げてナンボ』である。


可也、疲れた。


喜ばれた事は事実だが、あんな演奏で喜ばれるのは気持ち的に複雑である。

母親が

「終わった?手当を出さなきゃねぇ」

と言うので

「俺は正月は帰れないだろ。だから姪と甥の御年玉に使って。で、姉はさて置き妹は何か使いそうだから貯金させろ」

と言っておいた。


BGMは岡林信康。

この曲は結構、ブルースしている気がする。




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