2017年2月15日水曜日

グズの本懐

何故か下痢である。




普段どおりの食生活なのだが時折、体内時計が狂う。

すると腸内が「っは!元に戻さなくては!」と利息だ、と言わんばかりに出る。

寝る前にヨーグルトを食べているのだが、その『利息』なんだろうか。
体内機能として『胃』に関しては16歳から34歳まで胃潰瘍に苦しめられたので『胃痛のセミプロ』と自称しているのだが、胃は慣れると何とかなる。激痛でのたうち廻った日々は『勝利と栄光の日々』だった。

だが、腸に関しては完全にブラックボックスだ。


胃痛や胃の不快感はある程度、コントロールが効くが腸は何しろ長さが凄いので理解が出来ない処が多い。

思えば胃癌で胃を全て除去したとしても腸としては「ほな、此方側でやりまっせ」と胃の代用として使えるらしい(食生活は変わるが)。


下痢で「とほほ」な時間を過ごしながら
『クズの本懐』
と言うアニメを観た。
先日、下北沢のビレバンに行ったらセル画が無意味に展示されていて「ふーむ」と思ったので観てみた。









びっくりした。

驚愕した。

唖然とした。

これが深夜12時以降に放送されているとは言え、これはチョット、過激が過ぎるだろ・・・。





嘗ては『ブラッドC』と言うアニメもあったけども(リョナ好きには堪らないらしい)、この『クズの本懐』って一話につき2回くらいエロ・シーンがある。

で、百合も多め。

以前、『響け!ユーフォニアム』と言うアニメが好きだったのだが1クール目は百合シーンが一回あって、2クール目からは味を占めたのか一話毎に百合シーンって有り様になり、

『吹奏楽部あるある』

だったアニメが、結果的に『百合』って言う。
(伝説の百合シーン)







『グズの本懐』はアニメとしては京アニ的なダイナミックさはない。
台詞と言うよりモノローグが延々と続く。
モノローグと言うより、詩である。

『詩』が肉体的なモノであるならば、この『グズの本懐』が肉体的(体液的)になるのは理解が出来る。原作はどーなっているのか知らないが。

ただ、詩として考えると中二病感もあるが『全編モノローグ』と言うか、アニメーションにする意味があるのか?って言う程のモノローグである(モノローグって基本的に詩だけど)。


ウィリアム・バロウズが小説家と言うより詩人である理由は彼自身が非常に肉体的な人だったから。
パティ・スミスの詩も肉体的な処があるし、ボブ・ディランはまるで飯を食うように詩を書いていた(歌詞だが)だし、そのボブ・ディランに言わせればシェークスピアも飯を食うように戯曲を書いていたからで。


ポエトリーと言うモノは切腹に近い。

って、俺はエロ・アニメに対して何を思っているんだ?って言うか。
まぁ、とりあえず練習して寝よう。
 

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