2018年1月8日月曜日

夏草の上を歩く。

今日は髪を切った。

QBハウスは超満員である。少子高齢化と30年以上もの続く市の財政難により、北九州市民の平均年収は5万円程度である。

貧困が品性を失い
消えた品性が、品格を失い
失った品格が、精神を病む
病んだ精神が、財政を悪化させる。
若年層は皆、メンヘラ。
中間層がいなくて、老人達は認知症。

正気なんてない。
剥き出しの狂気。
日本一、狂った街。
それが北九州。

北九州市民が髪を切るのは成人式の時だけで、QBハウスですら『高級理髪店』である。
この人だけは髪を切ってもらう為の隊列は1kmともなり、冷戦末期のモスクワを彷彿させる。
今日中に髪を切る事が出来るのか?

床屋の椅子には老い先短い老人が座っている。

「今日はぁぁぁっ、、、あぁぁっぁぁ、、、嗚呼、、、」

既に認知症を併発している老紳士は気がついていないが、糞尿を漏らしてしまっている為、店内には死臭が蔓延している。

生きる事、髪を切る事はイコールだ。

死体も髪が伸びるらしいが、棺桶の死体の髪を切ったと言う話は聞かないん

老紳士は「今日はスポーツ刈りでぇぇっぇ、、、」と言うのだが、丸坊主なのでスキンヘッド以外の髪型は不可能だ。

理容師は寺の生臭坊主を眺めるように立ち竦む。
順番待ちの時間が長くなる。

何しろスポーツ刈りを希望している老人に対しての理容師の気持ちも察する事は出来る。
「無い」
ものを
「在り」
にしろと言っているのだから。

20分ほどしてから、理容師が口火を切った。

「俺は神じゃねぇんだ。無ぇモンを、どうしろと言うんだ。『光あれ!』ってな感じでオメェさんのハゲ頭を夏草の大地に出来ると思っているのか?」

理容師の言い分は尤もな話である。
1080円の床屋への要求ではなく、其れはカツラや増毛屋の仕事だ。
溜息と共に老紳士が話し始めた。

「俺ぁ、認知症のボケ老人さ。俺ぁ死んでるはずだが、神様の不手際で生き延びちまった。
だから、オメェさんが神様じゃねぇ事くらいは知ってるさ。俺だって、昔はハバロフスクで暴れたクチだからな。シベリア収容所でマルクス主義を知った俺だ。神が死んだ事は知っているさ」

床屋主は驚いて鋏を落とした。

「か・・・神が死んだ?いくら認知症だとしても言って良い事と、悪い事があるぞ!!!。神が死んだのであれば、俺達の死後はどうなるんだ!?前世が消えると言う事ではないですか?前世がなかったら私たちは生きていけませんがな!」

「なぜ生きていけないのです」

「だって前世がなかったら・・私たちはまるで、幽霊ではありませんか!!!」


QBハウスの理髪師は佛教大学仏教学部卒だが、卒業旅行で中国へ行き、その際に天安門広場でデモに参加。天安門事件では『無名の反逆者』として戦車の前に立った、と言う不思議な経歴を持つ男だが、卒業後に比叡山で千日回行法を行った際に3日目にアキレス腱を切ってしまい挫折。
そして北九州市に戻り理髪師として働いている。

「千日回行法って1000日なんですけど、3日しかやってないから僕は三日坊主ですよ」と笑いながら話す理髪者だが、心は常に仏法と民主化である。

丸坊主の老人が彼是と言い、理髪師がつげ義春のような事を言い、言い争いが続く。

北九州市での罵倒はコミュニケーションであり、人々は罵倒されながら産まれ、罵倒されながら死ぬ。
無理難題を言うのが北九州市民であり、無理難題に悩むのが北九州市民である。そして、その解決方法は、時として

①手榴弾
②ロケットランチャー
③ピストル
④長ドス
⑤日本刀
⑥車で突っ込む。

である。


しかし、丸坊主の老人の「スポーツ刈り」と、「無を有にする事は不可能」と言う理髪師。
40分待ちと言われたのだが、いつまで待てば良いのだろうか。

丸坊主の老人が叫ぶ。

「ったく!なんて信仰心がない理髪師なんだ!お前に辛子種一粒の信仰心があれば、山に向かって『歩け』と言えば歩く!『髪よ生えろ!』の一言すら言えないのか?!」

「それは新約聖書だろ!俺は佛教大学だから親鸞も空海もそんな事は言わねぇんだ!無を有にするのは阿弥陀如来の仕事であり、QBハウスの仕事じゃねぇんだ!認知症もいい加減にしろ!さっさと輪廻の楔から解き放たれろ!」

「お前がスポーツ刈りを受け入れるまで俺は帰らねぇぞ!俺はこう見えて上智大学神学部卒なんだ!お前達の阿弥陀如来じゃなくて、我らの父は『求めなさい。さらば与えられる』と言っている!」

「俺とは宗派が違う!阿弥陀如来は、はげ山を夏の箱根に変える事はしてねぇんだ!リーブ21に行け!」


不毛な議論が続いている。

流石にウンザリしていると、理髪師が懐からピストルを取り出した。「あ。」と思うよりも早く、老人は脳味噌をぶちまけて倒れた。

「ったく・・・。此れだから少子高齢化社会の北九州市は嫌いなんだよ・・・。佛教大学時代が懐かしい・・・」

と呟きながら箒で脳味噌や血を払いのけ、死体は放置された。店内は血塗れである。
暖房が入っているので、噎せ返る程の臭気の中、ようやく私の名前が呼ばれた。

髪を切り終わると、外は真っ暗だった。

少子高齢化が激しく、老い先短い老人達しかいない街を淡々と帰宅した。



そう言えばタイトルを『夏草のうえを歩く』にしたのだが、昨年だったか大野 慶人の公演を某所で見たのだが、大野 慶人がスッゲェ、ボロボロで、何か動くときにイチイチ、矢鱈と甲高い声で

「土方巽!舞踏24ケイ!」

と叫んで、

「聖少女!」
「ユニコーン!」
「夏草の上を歩く!」
「ユニコーン!・・・聖少女!」



と、少年漫画の必殺技みたいに言っているのを見て、「これが大野一族の馬鹿息子か・・・」とウンザリしたのを思い出した。



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