2012年3月17日土曜日

其の後のユダ

先ほど練習中に思ったのだが新約聖書に登場する『ユダ』は何故、其の後、生き続けなかったのだろう?と思う。

例えば新約聖書に登場する『裏切り者』としては『ペトロ』も裏切り者なんである。
裁判所で「お前はイエスの弟子だろ?」と言われて「冗談じゃない。俺はあんな奴の弟子なんかじゃねー!」と叫んでいるんである。で、鶏が三回、鳴いて、コケコッコー。


旧約聖書があれほど出鱈目で破綻した話であるにも関わらず『何とかなっている』のは矢張り

『ヨブ記』

である。神の気まぐれにより幸せの絶頂にあったのに、行き成り七人の息子と3人の娘、ついでに財産(羊とかヤギとか)を完全没収。おまけに本人は重い皮膚病に侵されてボロクソな目にあう。
「こんな目に合うんだったら神なんか信仰せずに死んだ方がマシじゃー!」と、神を呪いながらも同時に『神』と言うモノに対しての批評と言うかラディカリストになるんだが、そうなる寸前のところで矢張り神の『気まぐれ』で

「人間風情が神に文句を言うな!ボケェ!」

と財産を返されるどころか

『主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一万くびき、雌ろば一千頭』
→現在の金額に直すと100億円と六本木ヒルズにベンツ3台にソフトバンクと楽天の株券だろうか。

『彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ(42:13)』
→現在の価値観に直すとアップル社の下請け工場を貰った、だろうか(当時の子孫ってのは『=』で労働力である)

『ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった』
→現在の価値観に直すと走行距離1mのフェラーリだろうか(当時の娘ってのは『=』で貨幣と換金できた)

『ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。』
→現在の価値観に直すと『死ぬほどマッチョ』だろうか。当時の平均寿命なんてセミ並みである。


と言う非常に現金なやり口でヨブは「ハラショー!神、サイコー」で終わってしまっているのである。




新約聖書は結構、好きで一時期、本気で洗礼を受けようかと思ったほどだったのだが牧師のボケっぷりにウンザリしたのも大きい。当時、イラク戦争が始まったばかりだった。其れを牧師に聞いた。

「神は人々を平等に愛している、って言いますよね?じゃあ、何故、アメリカ政府はイラクの人々は無条件に殺すんですか?」

すると牧師は

「・・・それは悪魔がしている事だから」

と言う。アホかと思った。





話は少しズレるがマルクス主義って一時期は『思想』と言うよりは『宗教』になったと思う。宗教だったからこそ、アホな独裁国家が出来上がり(独裁国家と言うスタンスは否定しないが)、多くの悲劇が生まれ、そして誤解と偏見の中でボロボロになって消滅してしまった。

キリスト教ってのも一時期は『国』を運営してしまう程だった。ヨーロッパの歴史やクラシック音楽、ヨーロッパ発の芸術や現代思想を考える上でキリスト教と言うのは外せないほどである。

要するにキリスト教と言うかイエス自身に決定的に足りなかったのは、其れを批評する部分だったと思う。


例えば。


ブッタ直系のインド仏教ってのはブッタの死去後、即効で消滅するんだが其れはブッタ自身が実は宗教家ではなく哲学者でもあり、物理学者でもあって、『この世は10次元である』と言う事を説明出来なかった、ってのが大きい。

だから『宗教』に成り下がった。



宗教を否定しないが、其れは矢張り当初のモノに比べると『成り下がった』感が、どうしてもある。



話は戻るが『ユダ』はイエスの活動資金に関しての会計等を行っていたらしい。だから馬鹿ではなくて、寧ろリアリストだったと思う。現実主義と言うか。

イエスが街を歩けば金が振る。

同時にユダもイエスの信者でもあるのである。新約聖書を読むと分るが12使徒って可也の馬鹿揃いである。
だって裏切り者である『ペトロ』の前職なんて漁業である。恐らく感覚としては

「魚がいっぱい」

「魚が少ない」
とか
「お魚、美味しい」

と言う程度の思考しかなかったと思う。金勘定が得意なMBA取得者で、M&Aや投資信託を得意とするユダにすれば

「何が『お魚、おいしい』だよ。ウスノロが!アナルにイクラでも詰めてプチプチ割ってろ!」

って感じだっただろうし。



『ユダ』こそがイエスの思想や哲学を恐らく完璧に理解していただろうし、其れに対しての批評精神もあっただろうし、寧ろイエスに必要だったのはユダのそう言った『批評性』だったはずである。


何故、死ぬべきだったのか?


と言うのが解せない。裏切っちゃった、って事ならば残念な事にイエスの弟子は皆、思う存分、裏切っているのである。ラストに死刑になりたくないし、変なとばっちりは御免だね、って事で。

「其の後のユダ」

と言うのは、どう言うものだったんだろう?と思う。『ユダの福音書』ってのもあるが、あれも存在は怪しい。


彼が何らかの書物・・・日記でも良かった・・・を残していたならばキリスト教と言うのは現在の『アホな宗教』とはならず、マルクス登場以前に『現代思想』と言うかポスト・モダンにまでなっていたんではないか?って気がする。
人類の歴史って可也、短いからキリストの死後から『ポスト・モダン』を名乗っても良いだろうし(もう、ぶっちゃけ『火』と『洞窟に絵』を描いた時点で、モダンである)。


遠藤周作が『ペトロ』の事を書いている。作品の中で「彼もイエスを裏切った人の一人である。そして其れは私達と同様に彼も臆病者で裏切り者なのである」と言い切る。


では、『ユダ』はどうなんだ?


と。『ペトロ』は

「おさかな、おいしい」

な奴だが、ユダはMBA取得者で、アップル社の顧問弁護士でもあり、同時にサムスン電子の株価も見逃さない奴だ。

『ペトロ』が未だにJ-フォンの携帯を使っていると言うのに『ユダ』はiPhone4sとギャラクシーネクサスを使いこなし、暇なときはスマートフォンアプリを開発していると言うのに、だ。

『ペトロ』は多分、布教の際は地面に木の棒で絵とか身振り手振りでやっていたと思う。適当な格好で。

「おさかな、おいしい。」

みたいな感じ。部、平仮名である。


だが『ユダ』はビジネススーツで『ipad2』である。またはスクリーンにパワーポイントやエクセル、GIFアニメを多用した分り易い布教を行っただろう。BGMは当然、5.1chサラウンドである。腕にはロレックスなんて付けない。G-shockである。時間厳守!欠勤の際は就業30分前に必ず連絡である。

ペトロは多分、『日時計』だったと思う。

「おなか、すいたから集会はこれでおわり」
「カラスが鳴いているからかえろうね」
「雨がふっているから今日はなしね」
「おさかな、は、焼いてたべるとおいいしいよ」

みたいな。



イエスの過去ってのは一寸、面白い。幼い頃のイエスは超能力少年と言うか、可也、早熟な少年だったらしい。要するに糞生意気で、口数の減らないガキで、尚且つ頭が桁外れに良い、って言う天才少年。

イエスは自らの思想や哲学が庶民には絶対に分りっこない、って事を知っていたんだろうか。
だからこそ『ユダ』が死ぬことをによって、其れが現代思想となるのを防ごうとしたのだろうか。
それ自体が『物語』となることでしか、自らの存在は生き残れない、と言うか。
『物語』には生贄が必要だ、というか。その生贄は「おさかな、たべたい」なアホのペトロではなくMBA取得者であり、iPhoneユーザーであり、無遅刻無欠勤で都内の美味しいイタリアン・レストランを知り尽くしたCOOLなGUYである『ユダ』こそが相応しい、と言うか。


そう考えるとイエスと言う人物はユダよりも可也、したたかだった、と言う気がする。

BGMはピンク・フロイドで『Seamus The Dog』

ステージに実際に『犬』を登場させてブルースを演奏し、犬が鳴き捲くる。『ハウリング・ウルフ』ならぬ『ハウリング・ドッグ』なんだが、フロイドってこんな紙一重と言うかアホなライブもやっていたのか!と思い嬉しくなった。

この犬は何処から持ってきたんだ。

KO.DO.NAの気持ち: 『OM-2日韓コラボレーション企画 チェ•スンフン×日本人俳優「希望」』

KO.DO.NAの気持ち: 『OM-2日韓コラボレーション企画 チェ•スンフン×日本人俳優「希望」』: 『OM-2日韓コラボレーション企画 チェ•スンフン×日本人俳優「希望」』 http://www.om-2.net/ を観にいった。『OM-2』は何度か観にいっているのだが最近、組んでいる『劇団チャンパ』の方は観たことがなかった。 『劇団チャンパ』と言うよりは、その劇団の主催...

『OM-2日韓コラボレーション企画 チェ•スンフン×日本人俳優「希望」』

『OM-2日韓コラボレーション企画 チェ•スンフン×日本人俳優「希望」』


を観にいった。『OM-2』は何度か観にいっているのだが最近、組んでいる『劇団チャンパ』の方は観たことがなかった。
『劇団チャンパ』と言うよりは、その劇団の主催者チェ・スンフンとOM-2の劇団員とのコラボレーションである。



仕事を早めに切り上げて日暮里は『d-倉庫』へ。



思い出したんだが、私が初めて『OM-2』を観にいったのは『d-倉庫』だった。友人に連れられて何の予備知識もなく(名前は聞いていたが)劇場に行くと、会場には


『公演中止』


とある。で、劇団スタッフがペコペコと謝りながら殆ど無意味となったパンフや折込チラシを配っていた。
仕方がないので友人と食事をして帰った。


話によると劇場を作る際と、近隣住民の反対だとかナンダカンダがあったらしい。


次は日暮里のホテルの劇場みたいなのを借りてやっていた。そこで初めて観たのだが私は『激憤』した。

「台詞がないじゃないか!!!」

「大体、登場人物の登場の仕方が駄目だ!
静かに登場しやがって!
演劇ってのは『登場こそが演劇である』んだよ!
唐組なんて登場の仕方とか『これぞ劇的』だぞ!
『劇団野戦の月』なんて『テントの天井から登場』とか『地面から登場』とか『燃える松明を持って登場(松明の火が衣装に燃え移って役者はヤバかったが)』とかな!
『つかこうへい劇団』だったら役者が客席からマイクで『マイ・ウェイ』を歌いながら登場とか、
野田秀樹だと客席から『自転車でかっ飛ばしながら登場』とか!
あと、10年以上前に観た『新宿梁山泊』はバイクで登場ですよ!客席からぁ!演劇っつーのは


登場シーンこそが演劇


なんですよ!」

「俺は福岡の劇団に居た頃は褌だけでダッシュで登場したもんだ!」


と思ったのだが、不思議と魅力がある。激憤したは良いが、不思議と観続けている。

「そもそも、あの劇団には『台本』があるのか?」

と思っていたんだが、一度、劇団員の人に台本を見せて貰ったが大凡『台本』『戯曲』と呼べるようなモノではなく、何と言うか現代音楽の『図形楽譜』とか、そう言う感じだった。




昨年は観てない。震災があったからだ。




あの震災の時、公演やライブを中止した人も多い。私もライブが2個ほど流れた。到底、出来る状態じゃなかったし。


因みに『OM-2』はこんな感じの舞台である。



彼是とストーリーを書いても仕方がないし、文字で伝わるなら苦労しない。なので行き成り感想。



個人的に『震災後』と言うか、其れを『鎮魂』させるような舞台だった気がする。

役者一人一人の『震災』『原発』って言うモノを見事に昇華しているような、って言うか。勿論、そうせざるを得ないから、そうしたのであってテーマと言うより必然に近い。


開演前に演出を担当した『チェ•スンフン』の文章を読むと演出なのに滞在期間は二十日間。で、日に3~4時間しか演出出来なかった上に、言葉が通じない(韓国語)と言う事に関して不満と言うか、不安が書かれていた。

「え?!」

と思ったのはチェ•スンフン氏の文章に『アヴァンギャルド』と言う単語が2回も出ている。アヴァンギャルドなんて言葉を読む、聴くのは久し振りである。


だが、今回の『チェ•スンフン×日本人俳優「希望」』もそうなんだけども『演劇』と言うジャンルは、古典をやろうと、新作をやろうと、どうしても其れはアートと言うモノでの

『最前線』
『最前衛』

と成らざるを得ない、と言う気がする。似たようなモノで映画とか暗黒舞踏もあるんだけども、やっぱり映画はテーマとするものから100年後でも良いと思う。『タイタニック号の沈没』とか、『戦国時代』とか、無駄に古い方が映画ってのは上手い気がする。

暗黒舞踏やコンテンポラリーダンスは個人的に思うのだけども00年代に急速に駄目になった、って気がする。ホンッと糞みたいになった。ハードルが非常に低いモノになったし、当事者も桁外れに低いレベルで満足するようになった、って言うか。
凄い奴は凄いけど。



観にいった日は仕事で死ぬほど疲れていて、鏡で顔を見たら凄く疲れ果てていて、恐らく脱原発デモとかに参加している私を池袋中央公園に眠る『英霊』達が呪っているんだと思うが、兎に角、疲れ果て居てた。
友人と待ち合わせしている間に日暮里駅の本屋で『ココロが楽になる言葉集』なんて言うアホな本を読もうとしていた程である。
実際に読んでみたら『ココロが楽になる』どころか「こんなアホな言葉だと逆にムカつくんだが」と思ったが。


『OM-2』がやっている事は前衛劇ではない、って気がする。上記にも書いたが『演劇』と言うジャンルはどうしても、その時代の『最前衛』となってしまうから。其れは『チェルフィッチュ』や『東京セレソンDX』も『唐組』も『SCOT』も『文学座』も同じだ。手法が違うだけで、最前衛になることに変わりはない。

だから『OM-2』の舞台を見て正直、「前衛劇」と言う気はしない。ビジュアル的に前衛だとするならば、しかし、そのビジュアルは90年代にダム・タイプが遣り尽くしたし、『ダム・タイプ』登場以前にも80年代小劇場ではメディア・イメージを使っていたし。



殆どの事は遣りつくされている


ワケで。若しも「新しい!」と思う奴がいたら、其れは単に勉強不足なだけである。



舞台の出来は非常に良かった。OM-2の看板役者である『佐々木敦』氏は登場しなかったが、それでも素晴らしい出来だった。

凄く疲れていた私は、とっても幸福だった。

子供の頃に東京ディズニーランドの『エレクトリカル・パレード』を始めて観た時みたいにドキドキ、ワクワクだった。
もう、言葉なんて要らない、って言うか無駄である。

ホンッと良かった。


因みに、今回の公演に使われるとは思っていなかったのだが、依頼を受けて一曲提供しているんだよな。実はその事をスッカリ、忘れていたんだが公演中に流れて、役者が歌っているのを観て、もうクリエイターとしての幸福感はMAXを超える、って言うか。

依頼が来て『演劇』に対して曲をリミックス(作曲じゃなかったけど)をするのは初めてで、結構、難航して

「ギゃーーー!どーすりゃいーのさーーーー!」

となって、断ろうかと思った程だった。まだ『震災後』と言うか数ヶ月しか経っていない時期で、精神的に音楽に携わるのが結構、苦痛だった。
あの日から何もかもが変わった。其れに付いていけない自分、と言うか。誰もがそうだったと思うけども、キツかった。

「もう、無理!」

とPCでの作業を止めて深夜0時に近所の『ジョナサン』へ食事に行った。確かその日はリミックス作業で一日中、食事をしていなかった。


食事が来るのを待っていたら前の席に『大友良英』が座っていた。ノートPCを前に彼是と話し合いをしている。丁度、大友良英氏が『プロジェクトFUKUSIMA』をやろうとしていた頃だった。

「だからドミューンはこー言ってんだけど」
「でも、経済産業省が」

と言った会話が耳に入る。何だか自分がマヌケに思えた。大友良英はノイズ屋なのに、既に行動と言うか音楽から離れてない。寧ろ其れ以前よりも激しくコミットしている。

俺はコミット出来てない。


其処がショックだったし、ムカついた。食事が来て急いで書き込んで自宅に戻り、作業の続きを行い3曲の依頼だったが5~10バージョンで25バージョンを徹夜を繰り返しながらやって、何とか一曲だけ採用された。

思い出の曲である。

その曲が自分が考えていた状態とは可也、懸け離れた感じで使われていて、其れがホンッと嬉しかった。

自作曲は子供みたいなモンなんだろうか?だとすると子供がいる人ってのは日々、こう言う喜びを得ているんだろうか・・・と思った。



最近は恋人には捨てられるし、仕事は面倒だし、花粉症だし、泣きっ面に蜂なんだが全てに置いて「良かった・・・」と思える一夜だった。

良い舞台は、癒しになる。


チェ•スンフン×日本人俳優「希望」では私と舞台上の役者達が持つストーリーと言うか、心情と言うか、そう言うモノが共有出来た気がする。
恐怖にしろ、其の後の再生しなければ、って言う気持ちにしろ。

感情やリビドー、はたまた恐怖にしろ第三者と共有出来る、と言うのは幸せだ。


音楽で其れを行うのは至難の業、と言うか不可能に近い気がする。

2012年3月5日月曜日

KO.DO.NAの気持ち: トーマの心臓

KO.DO.NAの気持ち: トーマの心臓: 先日、萩尾望都の『トーマの心臓』を読んで見た。会社の休憩室に何故か置いてあったからである。 可也、凄い作品である。既に『漫画』『少女漫画』ではなく『文学』である。漫画喫茶の息子として(嘗て私の父は九州初の漫画喫茶を経営していた)之を『漫画』として認める事は出来ない。 之は正真正銘...

トーマの心臓

先日、萩尾望都の『トーマの心臓』を読んで見た。会社の休憩室に何故か置いてあったからである。

可也、凄い作品である。既に『漫画』『少女漫画』ではなく『文学』である。漫画喫茶の息子として(嘗て私の父は九州初の漫画喫茶を経営していた)之を『漫画』として認める事は出来ない。




之は正真正銘の『文学作品』である。




ストーリーを話しても仕方がないし、明日は朝8時起きなので知りたい人は読んで欲しい。読んでいる人は分るだろうし。
取り合えずウィキペディアによると

『ある雪の日、シュロッターベッツ・ギムナジウムのアイドルだったトーマ・ヴェルナーが陸橋から転落死し、ギムナジウム中が騒然となる中、委員長であるユリスモール・バイハン(ユーリ)のもとにトーマからの遺書が届く。事故死とされていたトーマの死が自殺であること、トーマが死を選んだ理由が自分自身にあることを知り、ユーリはショックを受ける。
数日後、ギムナジウムに亡くなったトーマとそっくりの転校生、エーリク・フリューリンクがやってくる。エーリクを見るたびにユーリはトーマと重ねてしまい、怒りや憎しみをあらわにすることすらあるのだが、そこにエーリクの母の事故死の知らせが入り、悲しみにくれるエーリクをユーリは慰め、これを機会に2人は次第に心を通わせていく。
エーリクはユーリへの気持ちを深めていくが、心の傷を呼び覚まされたユーリは再びかたくなな態度を取るようになる。しかし、ひたすらユーリを愛し信頼を得たいと願うエーリクの言葉から、ユーリは、トーマがユーリの罪を自ら引き受け、あがなおうとし、そのために自分の命を代償にしたのだと悟る。そうしてユーリは、自分を取り巻く多くの愛と幸福、そして自分を見守っていた周囲の人々に気づく。
神はどんな人をも愛し、許していることを知ったユーリは、神父となるために神学校への転校を願い出、ギムナジウムを去る。』

らしい。まぁストーリーだけ書いても意味は全くないのだがオープニングの詩が決定打である。




ぼくは、ほぼ半年の間ずっと考え続けていた
 ぼくの生と死と それから一人の友人について

 ぼくは、成熟しただけの子供だということはじゅうぶん分かっているし
 だから この少年の時としての愛が
 この性もなく正体も分からないなにか透明なものに向かって
 投げだされるのだということも知っている

 これは単純なカケなぞじゃない
 それから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない
 彼がぼくを愛さねばならないのだ
 どうしても

 今 彼は死んでいるも同然だ
 そして彼を生かすために
 ぼくはぼくの体が打ちくずれるのなんか なんとも思わない

 人は二度死ぬという まず自己の死 
 そしてのち 友人に忘れ去られることの死

 それなら永遠に
 ぼくには二度目の死はないのだ(彼は死んでも僕を忘れまい)
 そうして
 ぼくはずっと生きている
 彼の目の上に




もう、この時点でこの作品が『少女漫画』ではない、と高らかに宣言しているようなもんだ。

冒頭で作品の鍵となる少年(13歳)が飛び降り自殺をする。そして、この詩である。

作品内容としては嘗て、悪魔主義の先輩に死ぬほどレイプをされた過去とトラウマを持つユリスモール・バイハンの精神的な死と再生の話なんだが、主人公が再生する為には如何に美少年だとしても冒頭で13歳は自殺と言う死と言うか『生贄』が必要だったのだろう。

このトーマ君(13歳)の自殺の理由に関しては作品の中では余り多くは語られない。理由と言うか、正直、理由なんぞないのである。之は作品の中で彼が生きる為に彼は死ななくてはならなかった、と言うか。


似たようなニュアンスで言えば例えばキリストを裏切ったユダの『その後』みたいなもんだ。


新約聖書ではユダはキリストの死後、直ぐに死んでいるんだが(自殺だったか、殺されたか忘れたが)、例えば『ユダ』が其の後も生きていたら、と思う。

ユダが行き続け、そして書物を書いたとしたら。

若しかしたらキリスト教と言うのは、其れがなかった為に永遠に不完全な哲学となってしまった、と思う。
キリストの思想は『思想』であり『哲学』となる事が十分に可能だったはずなのに、そうなる為の決定打が消えてしまった為にキリストの『哲学』や『思想』は一介の『宗教』と言う風に一気に地に落ちた。


『トーマの心臓』を読み終えて、何となくそう言うのを考えた。


本当はこう言うのって遠藤周作とかが書かなくちゃならんテーマなんだが、遠藤周作は実はハードコアなきリスト教徒にとって『禁書』となっている場合もあるのだが(実話)、その辺がヒヨっている。




調べて見ると萩尾望都は大分県大牟田市出身だと言うのを知って驚いた。同時に「どうりで・・・」と思った。
大分県大牟田市は嘗ては炭鉱の町として栄えた街である。萩尾望都が居た頃は炭鉱の街として全盛期を誇った時期である。

今だと原発だが、何と言うか『エネルギー産業の街』、または『工業街』と言うのは特種である。田舎は田舎であるが、普通に考え付く田舎町とは全く違う。


其れは『いびつな歪み』だ。


炭鉱ってのは可也、ハードな仕事で全盛期を見ている、と言うことは、つまり萩尾望都は最も多感な時期に生き埋めになった死体だとか、ダイナマイトの音、山が崩れる音、一酸化炭素中毒で死ぬ者、そして炭鉱夫の遺族などを見てきた、と言う事である。

そして学校を卒業すれば三池炭鉱で働くことがデフォルト。


三池炭鉱は『三池炭坑節』と言う音頭があるように、全盛期は凄まじかったらしい。真っ黒な煙の為、夜でも月が見えないほどだったらしい。

そして其れが「繁栄の象徴」だった。



そう言う土地で文学だとか絵画等を学ぶ、と言うのは強烈な体験だっただろう、と思う。之は工業やエネルギーの街で育った人にしか分らない感触だと思う。


どう言う状況下で『トーマの心臓』が書かれたのかは分らないし、調べようとも思わないが、そう言う土地の人が東京に出てきて、漫画で勝負!と言うのは殆どドラックでラリっているような・・・と言うか自らの炭鉱の田舎臭さと都会の雰囲気の衝突、と言うか。



爆発する詩的感性

暴走する詩人



と言う気がする。



先ほど『工業~エネルギーの街は特種』と書いたが、工業~エネルギーは其れ自体が産業であり、同時に全国~世界と結ばれているのだが、だが其の土地自体は実は可也、閉塞感である。
『手形』がないと他県に出れないんじゃないか?と思うほど。

都会と田舎が歪に交じり合っている

と言うか。家には薄型TVがあり、インターネットもあり、舗装された道路もある。公共機関も其れなり。
しかし人々は狐や創価学会を信仰し、外の事を知ろうともしないが、コミュニティ内で少しでも違う人が居れば赤軍のように総括。「人情が温かい」ワケではなく実は戦中のように『密告と総括』が田舎モノである。





昔、ジャーマン・ロックが再評価されて『スタジオ・ボイス』が只管、持ち上げていた。其の中でマニュエル・ゲッチングの『E2-E4』や『Inventions For Electric Guitar』について

「ベルリンの壁があり、行動範囲は政治的に阻まれる。だが、空想や思想、そして音だけは壁や国境を越える、越えようとした。其れがE2-E4であり、彼等の作品だ」

と言うのがあった。


『トーマの心臓』と言う作品にも近い印象を受けた。当時の少女漫画シーンに関しては無知に近い。私が少女漫画を読み始めたのは『ときめきトゥナイト』や『岡田あ~みん』からだったからだ。
しかし『ときめきトゥナイト』は少女漫画のカテゴリーに入るが、何と言うか純粋少女漫画とは言い難い気がする。

何と言うか『少年漫画』と『少女漫画』の決定的な違いってのは


少年漫画=一箇所の留まらない行動範囲
少女漫画=舞台は固定

少年漫画=新キャラと出合い続ける
少女漫画=主な登場人物とは初期の段階で既に出会っている。

少年漫画=外交的
少女漫画=内向的


ではないか?と思うのである。例えば『ワンピース』などは世界中の海が舞台である。『ドラゴンボール』も同じく。
『王家の紋章』に関しては矢張り古代エジプトの街と言う事で固定化されている。

そう言う意味で『少年漫画』で最も『少年漫画らしくない』作品と言えば


『AKIRA』


となる。あれほど少年漫画らしくない漫画も珍しい。




因みに『トーマの心臓』はBL漫画の元祖とも言われるが作品の中では男性同士のキス・シーンが良くある。実際、13~15歳と言う年齢で同性が同性に恋心を抱くか?と言えば実は抱く人も多い。

私事で恐縮だが中学生の頃、少林寺拳法を習わされていた。

その道場で。


当時、私は13歳だったが『ジュニア・クラス』でTOPの人がいた。確か15歳だったと思うが今でも覚えているのだが角刈りで、精悍な顔つき、無口。引き締まった身体と、綺麗な小麦色の肌(九州人は肌が茶色い)の男性。

本当に素敵で13歳の私は彼が道場に来るとドキドキした。

彼はジュニア・クラスではTOPだったので時折、演舞(型)をやるのだが少林寺拳法が型を重んじる為か綺麗なモノが多い。

彼が演舞をする時は私も含めて彼より年下の子達は瞬きすら許さない、という感じだった。

其れは武ではなく『舞』だった。
型ではなく『華』だった。

私だけではなく、他の子達も彼にゾッコンだった。そう言えば私は好きでもない少林寺拳法を続けていたのは彼を見たいから、だった。だから彼が高校へ進学し道場へ来なくなってから一気にカッタるくなり、辞めたのだった。


10代前半は『性』と言うものを認識出来ず、只、純粋な恋心だけがゴロリとある、と言う気がする。其れは第二次性長期での性欲と結びつかない、結びつける術を知らない純粋な気持ちだった、と思う。


『トーマの心臓』は13歳~14歳の私を思い出させた。


『少年』の時間は短い。余りにも短すぎ。その短い時間の中で受け取る情報量は大人の10倍以上もある。だからこそ『少年』の時期は辛い。

たったの1~2年の時間が『少年』である。その時間こそが、その人の全てを決める、と言う気がする。