2012年7月31日火曜日

夢一夜


公園で楽器の練習しようとしていたら、
もう、
夜も深いと言うのに小学校低学年の
男の子達が色々と話し合っていた。

「どうして皆、汚いモノや醜いモノを隠したり消そうとするの?」

「そこに真実があるからだよ。でも、誰も本当のことは知りたくないんだよ」

「じゃあ、僕達が真実だとすれば、消されちゃうのかな」

「きっとね。それが大人なんだもの」

「僕達はズーっと本音は言えないんだね」

「そうだね。其れが大人なんだもの」

「面倒だね」

と言う会話に耳を傾けながらトランペットで『戦場のメリークリスマス』を吹いていたら

目が覚めた。

そんな夢を見た。

2012年7月30日月曜日

無題

俺は思うんだけどさ。

内部被爆に負けないように昆布を食え、とかイソジン飲め、とか彼是とあるんだけど俺は一切、そう言うことはしたくないんだよな。
そんなに被爆で死ぬのが怖いのかよ?って言うかね。

私も凄く怖いんだけども、1年半かけて考えたんだけどもクリエイティブとかアーティストとかって被爆して死ぬべきだと思うんだよね。俺も含めて。

其の間に次世代に残せる作品を大量に作って、最後は放射能で惨めったらしく死ぬ。

『死はその人の最後の教え』

らしい。だから、その「放射能で惨めったらしく、汚らしく死んでいく」と言う事も含めて次世代に伝えるべきだと思うんだよな。ヒロシマでケロイドを見せびらかしていた人のように。

今回の事故で被曝症状ってのが、どう言う風に出て、其れがどう言う結果になるのか判らない。だけども、例えば60年代の小劇場にしろ、バンドにしろ、戦後から続く文化に身を置いた側としては「被爆したくない」とか「放射能に負けずに」とかじゃなくて、遭えて死に向かう、と言う姿勢もあっても良いと思うんだよな。

ハッキリ言えば、この先、まともな子供が産まれる確立は増える事はないと思う。勿論、高齢出産なども理由としてあるけども、あんだけ浴びたんだモノ。3月~6月まで「被爆症状」ってのは出たワケだし。

そう言えば以前、足を骨折していた頃。

新井薬師寺のスペシャル・カラーズと言う店にコンテンポラリーダンスの公演を観にいった。友人が演奏をしていたから、それで、だ

だがダンスと言うかパフォーマンスは酷く低レベルで、最低最悪だった。名前を出しても良いくらいだが生憎、忘れた。
その時に激憤したのは「俺は足が動かない。お前らは身体を自由に使える分際で、何だ?!其のザマは!」だった。

何らかの障害を持つ側と、何の障害も持っていない側って、埋められない溝がある。

唯一の希望は芸術だと思う。あとは宗教か。

『放射能』から逃げる、または『被爆から逃げる』ではなくて『遭えて立ち向かう』と言うのが、此方側の仁義じゃないのか?と思ったり。


だけども、今後、子供を持ちたい人や子供がいる人達は都内から脱出してほしいけども。実際、そう言う人達は沢山いて、少し寂しいけども。

2012年7月28日土曜日

KO.DO.NAの気持ち: 手作りグラインドコア

KO.DO.NAの気持ち: 手作りグラインドコア: 「グラインドコアがやりたい!」 と思った。それを友人とスカイプで話しながら彼是と考えたのだが、其処ででた 『現代音楽コア』 と言うのがあった。ってか現代音楽自体が『ハードコア』なんだが、あれ以上、コアってどーすりゃ良いのさ?って感じである。 1)7日間...

手作りグラインドコア


「グラインドコアがやりたい!」



と思った。それを友人とスカイプで話しながら彼是と考えたのだが、其処ででた



『現代音楽コア』


と言うのがあった。ってか現代音楽自体が『ハードコア』なんだが、あれ以上、コアってどーすりゃ良いのさ?って感じである。


1)7日間断食してライブを行う
2)キノコ博士になる
3)スポンサーが付いている
4)妙な図形楽譜で演奏する
5)演奏が終了するのに1世紀かかる


等だろうか。ここは現実的に考えなくてはならない。


とりあえず夜は暇だったで作ってみた。参考にしたのは、この辺。


                    (グラインドコアの弾き語り)





色々な編成があるのだが『ドラム、ギター、ベース』が王道らしい。しかし多くは

『ドラム、ボーカル、ギター』
『ドラム、ボーカル、ベース』

のトリオ編成。上記にあげた動画なんて「ボーカル兼ギター(ドラムは打ち込み)」である。

グラインドコアってドラムが馬鹿テクじゃないと大変らしいのでシーケンサーで打ち込んでしまう事も多々あるらしい。


つまり『ドラム』『ボーカル』さえ確保出来れば『グラインドコア』である。



グラインドコアと言っても元々は『ハードコアパンク』の亜流。つまりはルーツは70年代パンクである。

D.・I・Y精神である!

まずは楽器は身近にあるものを使う。矢張り貧乏なんで「その辺の楽器」とかを使うのは常套句だろう。実際のグラインドコアのバンドもギターは一見して「安物」と判るものが多い。

で、低音ボイスの為に『オクターバー』にて声を2オクターブ下げて歌う。不思議なことだがデス声で歌うグラインドコアだが、デス声の為、何を叫んでいるのかサッパリ判らないのだが『歌詞』は非常に重要らしい。多分、普段、ムカついている事とか叫んでいるに違いない。

『現代音楽コア』である。だからラジオを使う。現代音楽界の『ラジオ好き』っぷりは尋常じゃない。短波ラジオから普通のラジオまで多岐にわたる。
ジョン・ケージの作品には10名近い「演奏者」がラジオを持って会場をウロウロする『だけ』と言うモノがあった。「世界中の音を聴く」と言うモノだったらしい。ジョン・ケージと言えばラジオで、ラジオと言えばジョン・ケージだ。

ドラムは叩けないし、シーケンサーで打ち込むのも面倒なのでカシオトーン。


やはりパンクなので音質向上などの作業は一切、なし。古いMTRに16bitで録音し、最速でCDRへダビング。


で、出来上がったのがこれらである。



初心忘れるべからず

古い日本人

企業秘密です

NTT-ME

野球感染



5曲でトータル2分半と言うショート・グラインド。しかしデス声の出しすぎで喉が痛い。デス声って、どうやって出しているんだろう?


しかし、夜中に一人でこう言う事をやっている俺が『非リア充』だと思ったら大間違いだ!日曜日は近所の、しかも未婚女性とデートなのだよ!俺はロック精神を宿しつつ、グラインドコアと現代音楽を愛しそしてリア充と言う、之まで絶対に不可能とされていたライフを送っているのだよ!

本当はトランペットでやろうかと思ったがトランペットは夜中なので演奏すると警察を呼ばれる為、この編成になった。こーゆー、必然と偶然こそがロックなのだ!!!


・・・多分。


俺はアンビエント作家でもあるが、根はハードコアなんだよ!ファックオフ!

http://soundcloud.com/you/tracks



2012年7月16日月曜日

KO.DO.NAの気持ち: 亀の餌

KO.DO.NAの気持ち: 亀の餌: 亀の餌がなかった。 「あ、そろそろ無いな。買ってこなくちゃ」と思っていたら忘れてしまい2日間ほど餌がなかった。 しかし『食べさせない』と言うのは私と亀との間で交わされた(と言うか一方的にだが)約束に反する。 そもそも動物は動物を『ペットとして飼う』...

亀の餌


亀の餌がなかった。







「あ、そろそろ無いな。買ってこなくちゃ」と思っていたら忘れてしまい2日間ほど餌がなかった。
しかし『食べさせない』と言うのは私と亀との間で交わされた(と言うか一方的にだが)約束に反する。

そもそも動物は動物を『ペットとして飼う』と言う事は許されてない、と思う。

そんな事をしているのは人間だけだ。動物が飼う事を許されている生物は『寄生虫』だけだと思う。



そう言う信念と言うか、考えがあるので

「絶対に飢えさせてはならない」
「相手(亀)の自由を出来る限り尊重する」
「擬人化しない」

と言うのがある。この部屋で自由気ままに暮らして欲しいのである。


しかし餌がない。こう言う時は仕方が無く近所のスーパーに行って買うしかない。と言ってもゴルバチョフ(亀の名前)は偏食が酷くて、普通に安い『コロナ』とかは食べてくれない(『コロナ』は100円)。

常に『レプトミン』と言う睡眠導入剤とか、抗精神薬とか、『クスリ系』の名前みたいな餌しか食べない。何故だか知らないが、これしか食べない。

『コロナ』が100円なのに対して『レプトミン』は500円。

5倍の差である。買った時に食べさせていたモノが其れだったからなのか、レプトミンの味を好むのか判らないが。



さて、スーパーへ。


普段、こう言う時は『レバー』を買う。だが『生レバー』が売り切れていたので仕方が無く

マグロの切り身

を買った。これまでに何度かこう言う自体があって『肉類』を食べさせた事はあるのだが最も駄目なのが


『鶏肉』
『豚肉』

なのである。特に豚肉は完全に駄目だった。食べる事は食べる。しかし亀の消化器官がどう言う構造になっているのか知らないが、要するに『脂身』を消化する事が出来ないのである。

食べさせると2日間ばかり便秘気味になり、3日目に白い固形物『だけ』を出す。豚の脂肪である。其の間、ゴルバチョフは一寸、複雑な・・・と言うか具合が悪そうなので駄目駄目だ。
鶏肉も同じ。

基本的には『牛』である。脂肪分が少ないし、脂肪の部分を切り取って水槽に入れると取り合えず食べる。


今回はマグロの切り身だったが赤身が多かったが、最初は不思議そうな顔をしていたが『血』の臭いにつられてガッツガッツと食べてくれたので良かった。



ところが次の日も餌を買うのを忘れた。



そこで、またスーパーへ。


その日は『生レバー』が売っていた。『レバー』であれば牛も豚も鳥も関係ない。何しろ『レバー』だ。

因みに私は『レバー』が非常に苦手である。女性宅に行くと『レバーの炒めモノ』を出される事があるのだが、実は内心、困惑する。頑張れば食べれるのだが、あの舌触りや味、全て駄目なのだ。

『生』となると、とても産業革命以降の人類が食べるものとは思えない。

見た目も嫌だ。何だかヌルヌルして気持ちが悪い。



しかし『ゴルビー』との約束の為だ。頑張って買う。



包丁で細切れにして、切り身を入れる。で、水槽へ。ゴルバチョフだが普段は水槽から出てきてウロウロしたり、私と一緒に惰眠を貪ったり、PCの下へ潜り込んだり、私の膝だとか肩などに上ってきたり、蓄音機をウットリと聞いたり(実話。ジャック・ティポーが好みらしい)、私のtpの音に対して厳しいジャッジを下したり(調子が悪いときは水槽から出てこないが、調子が良い時の音に関しては水槽から出てきて聴いてくれる)、恋人とセックスしている時は(今は残念な事に居ないが)水槽から発情するのか「俺も!俺も!」とトキめく、可愛いゴルビーだが


レバーを前にした時だけは違う!


強靭な前歯で噛み、前足を使って引き千切る。しかしレバーって固い。だから、そうなると


丸呑み


である。レバーだと溜らんのか、明らかに自分の食欲と言うか胃袋の許容範囲を超えた量ですら


丸呑み


する。そして2日かけて消化する。その姿は普段の可愛いゴルビーからは想像が出来ないほど


『THE!野生!』


という感じ。元々、ミシシッピニオイガメって肉食なのだから仕方が無いんだが。代官山の歯医者でミシシッピニオイガメの親戚である『ニオイガメ』を飼っていた。ついでに金魚と言うか綺麗な魚も。

ところが水槽に亀しかいない。

「何で亀だけなんですか?」

と聴くと

「最初は魚もいたんですけど・・・全部、亀が食べちゃったんですよ」

と豪華な水槽に亀一匹。中々、シュールな図だった。



流石にスーパーで買ってきたレバー全てを食べるワケじゃないので後は捨てるのだが(私は食べれない)、途中でビニール袋に入れる前に落としてしまった。丁寧に洗ったのだが、あの『血の臭い』と言うか『鉄の臭い』と言うか、一日は落ちなかったな。



今日、漸く、高円寺のオリンピックにて『レプトミン』を買ってきた。お得用特価サイズ(1000円)なので暫くは問題ない。ゴルビーも普段どおり食べてくれる。




そう言えば私は『内臓系』が苦手で、一時期、爆発的に流行した『ホルモン』も苦手だった。



しかし哺乳類で『内臓』を好まないのは人類だけらしい。動物ってのは捕獲した生物で最初に食べるのは『臓物』らしい。だから捕まっちゃったウサギだとかシマウマだとかリスだとかは、まずは



生きたまま食われる


ワケである。

昔、トラに食べられようとして檻に入ろうとしたが檻が狭くて入れなくて、仕方が無く『熊の飼育場』に飛び降りて死んだ老婆が居た。

若干、痴呆も入っていたらしいが熊の飼育場ってすり鉢状になっている。死因は飛び降りた際の『打撲』らしいのだが、熊って上から落ちてきたモノは何にせよ確認するモノらしい。ハンカチですら入念に確認するんだとか。

熊は絶対に血液型はA型だと思う。

で、落ちてきたのが老婆とは言え食えるワケで、小熊(動物園なので小熊が多かったらしい)は殺到し、食べて、食べて、食べて、食べ捲くったんだとか。


小熊は満腹
老婆のスッカラカン。



テディベアは好きだが、熊には食われたくないなぁ。

2012年7月15日日曜日

日記








御茶ノ水で『小型ミキサー』を買おうと思った。KO.DO.NAのソロでは何時も4chの簡易なミキサーを使っているのだが、其れが今年、遂に壊れた。

『BOSS BX-4』


と言う骨董品。買ったのは高校時代。当時、インターネットと言うモノが日本に紹介されたばかりの頃で(其の頃、インターネットをやろうと思ったらAOL経由でしか出来ず、架空の住所をアメリカ本土に登録して・・・と可也、ハードルが高かった)メインは『パソコン通信』だった。

パソコン通信で友人はDJ機材などを中古で手に入れていたのだが、それで私も便乗して購入した。
定価は12000円だったらしいが、其の頃に既に3000円だった。

ルックスは良くないが音も悪くないし、便利で良いのだが反応はするが音が出ない。


修理する


と言う方法もあるが、直し方が判らない。高円寺のギターショップが相談に乗ってくれるかも知れないので行ってみようとは思うが。


BEHRINGER社が『MX400 MICROMIX』と言う小型ミキサーを出している。値段も1980円と素晴らしいのだが、元々、BEHRINGER社が名を馳せたのは『ミキサー』である。


小型で安い。


だが、音に独特な癖があり、私は其れが苦手だった。音がキンキンしてしまうのである。デジタルっぽい音がする、と言うか。

BEHRINGER社のマイクも持っているが、ダイナミックマイクとは思えないほど音は矢鱈と拾うのだが管楽器には余りあわない。矢張りキンキンし過ぎてい一寸辛い。もう少しファットな方が良いのでシェア-58にしたが。

で、上記のミキサーだが出力が『モノラル』なのである。之も困るのである。

凄く小さなハコなどで演奏する際にパンニング出来ないのは、辛い。何度かギターアンプをPA代わりに使った事があったのだが、そう言う時にステレオ処理が出来ないと蓄音機と同じなんである。


だが、御茶ノ水の店舗はギターと金管楽器は置いていてもミキサーに関しては皆無。またはオーディオ・インターフェイス。


徒労である。


其の後、新宿へ向かう。御茶ノ水の楽器屋を歩き回った事もあるし、外は暑く、店舗は寒い、と言う状態を続けたせいか酷く疲れていた。

だが新宿のタワレコに。

『Dickie Landry:Fifteen Saxophones』

が、どーしても欲しかったのだ。テナーサックスのソロにアナログ・ディレイとテープループだけ、と言うアホみたいな作品である。1977年発売って私が既に産まれている年齢なのである。

既にアポロ計画は終了しており、スーパーコンピューターは電卓に。年明けの『持ちつき』は『電動餅付き機』で行われて居たと言うのに、77年はシンセサイザーは数百万円で、中身はガラクタ以下。

ディレイはデジタル・ディレイはまだ発売されてなくてテープディレイ(YMOもワールドツアーではRE-20利用)。

音楽機材の発達の遅さと言うのは涙なくしては語れない。


で、この盤だが、要するに『サックス・ソロにディレイをかましただけ』である。


だが、其処に興味がある。TPでもディレイは多用するので他の人がどんな風に使っているのか知りたい。

『こだま和文』はテープディレイを愛用するが、愛用と言うより『かけっぱなし』に近い。マイルスは実はライブでディレイは使ってない。
音響系以降のユーロ・ジャズなどでディレイを使っている例はあるが「使ってみた」程度。
70年代初頭のフュージョンではエフェクト管楽器は多いが、まだ使い道が判らなかったのか飛び道具的である
そう考えると『ディレイ』と言うエフェクターの性能や用途を極限まで突き詰めた『沖至』は凄いとしか言いようが無い。其れがギタリストではなくTP奏者だった、と言うのも凄い)。

中身はとてもよかった。



帰宅して急いで用意してスタジオへ。


以前から暖めている曲の録音をしたかったのだ。7時間も猛暑の都内を歩き回った為、既にグッタリも良いところ。そこへ山のように機材を抱えてスタジオへ行くと、今すぐに自殺したくなるが、頑張って録音。

1時間ほどやってみて、エフェクターのセッティングを考え直さないと駄目だ、と言う事に気が付く。

スタジオにピアノがあったので弾いてみると良い感じ。



マイクをセットして、暫く弾いて自宅へ戻り少し加工すると曲になった。予定した曲は欠点しか見つからなかったが、全く予定外の曲が出来たのは嬉しい。

曲が出来た時って、やっぱり不思議な感じ。魂の一部を吸い取られちゃった感じもするんだけども充実感がある。

欠落の喜び、

と言うか。不思議だ。



全てが終わって亀の餌を買うのを忘れている事に気が付いた。仕方が無いので鳥のレバーを上げる。ゴルバチョフは大喜びで血の滴るレバーを食べる。

明日はパイプの葉と餌だ。




ジャニスで借りたもの


今日、御茶ノ水『ジャニス』で借りたもの。



1)Anne-James Chaton

これは視聴して一目ぼれ。結構、無茶苦茶でサウンドアートと言うかボイスパフォーマンスと言うか、レシートだとか新聞の切り抜きを長年、蓄積し其れを音に変換してするものらしい。
yotuubeで見てもらうしかないが、こう言う輩が海外には時折、いる。『ユウコネクサス6』の方がカッコ良いけど、これもカッコいい。




2)Coh Plays Cosey

スリッピング・グリッスルの人と、女性のディオ作。女性の溜息や呼吸音、台詞などをカットアップし捲くってビートにする・・・って書くと『アート・オブ・ノイズ』なんだけども、レーベルは『ラスターノートン』で、アルヴァ・ノトの処である。綺麗。

このテのレーベルの作品を聴くのは久し振りな気がする。最近、声を使った作品に凄く興味がある。以前、作った事があったが相当に手間がかかる上に、その時にボイスと言うか『声』を担当してくれた女性は大学時代に下級生だった男の子と結婚した。その夫ってのが凄くて


(後の)妻以外の女性を知らない


と言う壮大なるマヌケ君。童貞で結婚しているのである。


「すっげー!オマンコってこんな味するんだー!」

とか

「うぉー!陰毛って髪の毛と違って硬ぇー!」

とか

「あ!やべぇ、やべぇ。間違えて アナルに入れちゃうところだった」

とか

「えー!このピーナッツみてーに小さぇのが『クリトリス』なの?!すっげー、小せぇー!」

とか

「どっひゃー!愛液っつーの?ラブ・ジュースっつーの?こんなにヌルヌルしてんだ!すっげー!ヌルヌルしてるよ!ヌルヌルだよー!ヌルヌルしてんだよー!」


とか思ったり驚いたりしながらHし捲くって子供作って『妻以外』の女性がベットではどんな風に振舞っているのか?または妻以外の女性のフェラチオはどんなモノなのか?陰毛にも濃い・薄いがあり、上付き・下付き等、全く知らない



『性のガラパゴス状態』



なワケである。

「・・・って事は彼の夜の『やり方』とか『礼儀作法』と言うかテクニック等はSさんが仕込んだワケですよね?」

と普段は地味な、その女性に聞いた。

「・・・まぁ、そうですね」

「でも、彼はSさんしか知らないワケでしょ?もう、オフィシャルって言うか、オーダーメイドって言うか、カスタマイズって言うか・・・其れって、どうなんでしょ?」

「悪いですか!」

と怒られた。まぁ、Sさん(声の人)にしてみれば『自分専用』って言うのは悪くないのかもしれない。男性の『処女崇拝』みたいなモンか。今時、処女を崇拝しているのはヒキヲタとニートとキモヲタくらいしかいないが。

で、子育てに入ってしまったので呼び出すわけにもいかない。そう言えば同じ理由(出産と育児)で

『ソフトさん』

も活動中止になって久しい。USTでリーダー宅から実況中継ライブを考えているのだが未だ未遂である。


3)Giants of the Organ in Concert: The Complete Concert

珍しくオルガン・ジャズ。トランペットにアホみたいにエフェクトを掛けて得体の知れない音楽をやっている私だが、実はジャズが好き。しかも世代的に『アシッド・ジャズ』世代なので世間で言う

レア・グルーブ

には可也、「っぐ!」と来る。この盤はジミー・マクグリフとリチャード・グルーブ・ホルムズ(両者ともハモンド・オルガン)のバトル・ライブ。

そもそも楽器を習い始めたのはtpではなくピアノだった。その理由はシンセサイザーが欲しかったのと、同時に『ドアーズ』のレイ・マンザレイクのオルガンが死ぬほどカッコ良かったからである(今でもレイ・マンザレイクのオルガンは凄いと思っている)。出来ればオルガンがやりたいもんである。当然、ハモンドである。

自宅に『足踏みオルガン』があるが、所有した時に始めて気がついたのだが「既に鍵盤楽器が弾けない」と言うのと「足で踏まなきゃ音が出ない」と言う不便さにウンザリして殆ど使ってない。

昨年なんて弾いたのは1回だけである。今年は既に1回弾いているが11月に友人に引き取って貰う予定。

しかし、オルガンはオルガンで大変らしい。何しろピアノと違って彼方此方の店にある、ってもんでもないし(都内でハモンドオルガンを常設している店は一軒だけである)運搬が兎に角、大変らしい。

この『ハモンド・オルガン・ディオ』はライブ盤とスタジオ盤の2枚を残して終わったが理由は「運搬が大変」と言うモノだったんだとか。

だろうなぁ。

しかし、内容はもう、たまらんぜよ。







4)David Tudor Neural Syntheses, Nos. 6-9

電子音楽である。このDavid Tudorだがアメリカの高橋ユウジみたいなモンで『現代音楽ピアニスト』としてはTOPだったらしい。兎に角、凄かったんだとか。
作曲家は得体の知れない図形楽譜だとか、意味不明な指示表満載のスコアを渡したら本人は一切、質問もせず推敲に推敲を重ねる。
作曲者は譜面を渡した後はコンサートに行くだけ。すると「奇跡を体験する事になる」んだとか。

実際にジョン・ケージのピアノ曲はDavid Tudorによって初演が多い。20世紀最大の曲である『4分33秒』の初演もDavid Tudor。

ところが、どう言う風の吹き回しなのか『自作電子楽器製作者』『電子音楽家』となった。時代性もあるだろうが電子楽器と言っても借りた作品は1994年なのに既成のシンセサイザーなんぞ使わずに矢張り『自作電子楽器』を作って演奏・・・と言うか、この人の面白いのは演奏家のはずなのに

出音からして制御不能

と言うモノである。多分・・・って言うか絶対に本番が始まるまで本人ですら、どう言う音がするのか判ってなかった筈である。その『出てきちゃった音』『制御不能の音』を『制御しようとする』と言う行為が最高にCOOOOOOLだ。

他にもゴードン・ムンマも借りようかと思ったが、ゴードン・ムンマは飽きたしなぁ、と。そう言えばヒップホップを真剣にやっていた頃のヤン富田がサンプリングでゴードン・ムンマを愛用していて、それはカッコ良かった。

個人的に『電子音楽』と言うのはエレクトロニカやテクノとの決定的な違いはテクノやエレクトロニカは手法として電子楽器を使う、または其れに対してのフォーマットがあるのに対して『電子音楽』の本質は単純に


変調する


制御しない


と言う事だと思う。シンセサイザーの元祖と言われているテルミンなんて全く完全に制御出来たのは世界に一人しか居なかったワケだし、変調と言うかラジオの研究中に偶然、出来ちゃった楽器と言うのも。

戦前の日本でも『電子楽器』については研究していて、三味線や80弦琴にマイクロフォンを取り付けたモノ程度だったりする(そう言えば戦時中にバッキー白片が幼い頃にガットギターを貰った。チューニングを三味線を習っていた母親に教えて貰い、ギターに父親が電気屋をやっていたのでマイクを取り付けて店中のスピーカーに装着して鳴らしたら桁外れの爆音が出て「すっげー!」と思ったが近所中が『空襲警報』だと思い避難してしまい、あとで死ぬほど怒られたらしい)。

当時、ピックアップと言うモノがなかっただけに『マイクロフォン』と言うモノ自体が『電子』だったのだろう。確かに当時のマイクの性能は良く言えば『味がある』が、一般的には『酷いもの』である。スピーカーから出てくる音と、実際の音の違いに戸惑った人の方が多かったと思う。


因みに日本初の電子音楽コンサートは『玉音放送』である。


この意見に同調してくれたのは池田巧氏だけなんだが、マイクロフォンどころか其れを盤に起こし、電波で配信って既にYOUTUBEを超えている。しかも視聴率は100%に近かったはずだし。

不味いのは『玉音放送』を『音声』『声明文』として捉える人ばかりで、あれを純粋に「音」として捉える人は殆ど居ないのである。

しかし『玉音放送』自体も国民は始めて『天皇の声』を聞いたワケで、その奇妙なイントネーションや言葉使い、甲高い声に内心、「之が陛下の声?」と思った・・・と言うか意味などが判った人は殆ど居なかったらしい。

だから『サイレン』や『信号』、または『終戦を告げる音』として聴こえていたはずなんだが、そう言う現代音楽家もいないなぁ。何でだろ。








2012年7月5日木曜日

レコレコ田楽/初期音響系

以前、動画で少しだけ紹介したレコレコ田楽』が矢鱈と好評だったのでテープを元にPVを作った。

動画はGIFを適当に集めただけなんだが全く持って一晩掛かった










当時・・・2002~2003年頃だったと思う。この辺は曖昧で確か私はNECのBIGLOBEインフォメーションセンターで働いていた。珍しく職歴を覚えているのは理由がある。



バンドのドラムであった村山さんとは以前から知り合いだったので『メンバー募集』のチラシで入ったのだが、ボーカルの『ショウジさん』ってのが可也、

怖い人

だった。何しろお互いの自己紹介の時にショウジさんは(顔も結構、イカつかったのだが)


「自分は・・・極真空手やってましたから・・・」


と言う。カラテと音楽って近藤敏則以外で何の関係があるのか判らないが、何となく「この人、怖いな」と思った。ヘマをすると珠玉の正拳付きにて『あの世』へ送られるんじゃないか?と。

ついでに私も酷かった。tpで何とか吹ける時間は20分程度。後はバテバテで音が出なかった。
其のくらい下手だった。

もう、TPで音を出す、と言う事以外は出来ずピッチだとかフレーズだとか、そんな事を考える余裕すらなかった程。よくメンバーが呆れていた。




兎に角、『ショウジさん』が怖かった。




「私は」とか「僕は」とかじゃなくて常に「自分はぁ・・・」と言うのである。この「自分は・・・」と一人称を語るのは原則


高倉健


気合の入ったヤクザ


気合の入った格闘家


と相場が決まっている。そんな男性がカオスパッドを足で操作しながらソプラノ・サックスを吹き、「あ~!目出度や!目出度や!」と叫び、演奏中にヘマをすると睨み付けてくるのである。

思えばカオスパッドと言うか管楽器にエフェクトなんだが、私もやっていた。


当時、『音響系』と言うジャンルが出来つつあり、その黎明期だったと思う。しかし、その


『音響系』とは何ぞや?

と言うのが誰も判らない。思えば其の後に『裸のラリーズ』や『エレクトリック・マイルス』『灰野ケイジ』『ノイズ』『ピンク・フロイド再評価』『サイケ』が意味不明に流行ったが、要するに


『音響系』とは何ぞや?



と言う部分が大きかった気がする。「これって音響系なんじゃないか?」みたいな。

当時の『音響系』って今、思えば「え?」ってのが多くて、単なるAORなバンドなのに、ギターが間奏の際にリバーブとディレイを(当時としては)過激に踏めば、それだけで


『音響系』


だった。普通のバンドにラップトップがいるだけでも『音響系』だった。私の姉は今はニューエイジ系のフォークディオをやっているが、其の頃は私のお古のアナログ・シンセを勝手に大阪へ持ち帰り引き倒しながら「うち、音響系~♪」とか言ってたし。

「音の響きをメインに考える」と言う事ならば現代音楽や1945年以前の近代音楽でもやっていたし、ジャズの『モード』の観念なんて、露骨に其れなんだけども、00年代の『音響系』って


其れをテクノロジーによって行う


と言う側面が強かったと思う。今だと信じられない話だが普通のバンドでディレイやリバーブのパラメーターをフルテンにして使う事は『可也、稀』だったし、そもそもエフェクトのセッティングに空間系のエフェクトがあるのは『稀』だった。

ましてや管楽器にエフェクト、と言うのは今でもそうだけども少数派どころじゃなくて『殆ど居なかった』と言うか。

非常に実験的なセッションなどがローカルには行われていたしインプロヴィゼーションの現場では既に行われていたが、其れが体系化される事はなかったし、其れが音源になることもなかった。




そう言う意味でベースの人は意味もなくムーグのリング・モジュレーターを掛けっ放しでベースを弾き、私はリバーブとワウペダル。ショウジ氏は『足でカオスパッド操作』って言う時代の演奏は貴重だよなぁと思ったのである。




因みにスタジオは何時も実験的だったけども丁度、『レコレコ田楽』はメンバーを変えたり、サウンドの方向性を探っていたりしていた時期だったので、非常にピリピリしていた。

ショウジさんは元々、ラッパーで昔はMCバトルで活躍していた、と言う人物。それで「日本的なヒップホップとは何ぞや?」って事で『大道芸人の口上』である!と言う結論に至ったらしい。

スタジオが終わると何時も議論と言うか、観念論みたいな話をしており私が一番、年下で『発言権ナッシング』。その議論が毎回、3時間とかやるんである。


このバンドで演奏するのは凄く楽しかったのだけども私自身のテクニックも追いつかなかったし、バンドも怖かったし「辞めよう」と思った。




今、思えば『レコレコ田楽』はライブの予定もなかった。ついでにライブをやらせてくれるハコもなかった(こう言うバンドを受け入れてくれるハコは圧倒的少数だったのである)。サウンドの方向性を変えようと必死だったし、根が真面目なショウジさんは怖いし、其処に私が付いていけなかった、ってのもあるけども。



で、仕事中・・・当時のbiglobeは仕事中にネットサーフィンもメールの送受信もOKだった・・・に「辞めます」とメールをしたらショウジさんから多少、引き止められた。
だが「やっぱり考え直しました。頑張ります!」とか言ってスタジオに行ったら極真空手で鍛えた『牛殺し』の正拳付きで頭蓋骨陥没になるんじゃないか?とか思って逃げた覚えが。


私も少林寺拳法を習っていたが3年程度だし、カラテは牛を殺したが、少林寺拳法で『牛を殺した』って話は聞いた事がないしなぁ。



久し振りに聴きなおしたら「やっぱり凄いバンドだよなあ」と思った。因みに私のTPのテクニックの半分はショウジさんから扱かれたモノである。

今でも『レコレコ田楽』には頭が上がらない。

2012年7月2日月曜日

風船ノイズ










://www.youtube.com/watch?v=2oJUvTpDrmk

構想4日間。 
作るのに、また4日間。 
アドバイザーとして尾上さんと弁慶さん。 

で、漸く出来上がった『風船バレー・ダブ』 

しかし、本当の完成はライブじゃないと確認できないんだよな。