「初めてギターを弾いた奴みたいに弾け」
マイルス・デイビスがジョン・マクラフリンに要求した話は有名だが、思えばスタジオ・ミュージシャンであり超絶技巧を売りにしていたジョン・マクラフリンにしてみれば可也、困った要求だっただろう。
ジョン・マクラフリンが「ギターの弾き方が分らない」ようにギターを演奏できたか?と言えば『In A Silent Way』を聴けば分かる。
セロニアス・モンクが超絶技巧を取得して、それを捨てる為に激しい修練を行ったが、テクニックと言うモノは捨てにくい。
工藤冬里が過去のインタビューで「上手くならないように、一日5〜15分だけギターの練習をする」と発言していたが、楽器と言うものは一日5分の練習でも日々の積み重ねでテクニックは付いてくる。
音楽、演奏と言う行為はテクニックを身に着けていけば、身につけていく程、音は濁っていく。
演奏と言う行為には『初心者』か『超絶技巧』の二つしか無い。初心者の頃の音の美しさをテクニックでカバーしていくのは「巧い」だけでは超えられないモノがある。
小堺文雄氏の演奏には4回ほど接している。インキャパシタンツではなく、小堺文雄氏がアコースティック楽器やエレキ・ギターを手にしている演奏である。
最初に観たのは、記憶が正しければ1998年の高円寺20000Vだった。
当時、月本正さんのバンドに参加した際に対バンだった。私にとって東京での初めての演奏であり、とても緊張した。
私は月本正さんのコンセプトが理解出来ず、個人的に私の演奏は酷かったと思う。
その時に出演していた、最高にエッジが尖っており、ハイスピードで、スリリングだったのが
『宇宙エンジン』
だった。
小堺文雄氏がダンエレクトロのギターで、リチャード・ヘルのカバーをしていたのだが、猛烈にカッコ良かった。
掻き毟るように演奏し、まるで高校生が初めて文化祭で演奏するかのような爆発感だった。
巨体でギターを、それこそ掻き毟るように演奏しいてる姿だけが印象に残った。
その時。
学生時代にノイズ専門紙を発行していた私にとって『インキャパシタンツ』『非常階段』と言うのは憧憬、憧れであり、
「あ、あのコサカイフミオさんって・・・」
と思い、初めて『サイン』をして貰った人だった。
「うへっへっへ。インキャパシタンツの小堺文雄さんにサインだぜ。九州の田舎じゃ手に入らねぇ一品だべ。」
と悦に浸りながら部屋に飾っていた。
私は20歳になったばかりの馬鹿だった。
それから小堺文雄氏とは縁遠くなる。
私の生活は演劇などであり、音楽どころの騒ぎじゃなくなった。演劇を止めた後も辛い時期があり、それを過ぎて「自分で音楽を作ろう」と思って、2〜3年は部屋に篭って作曲。
トランペットを新調すること2回。
24歳でトランペットを始めたので上達は遅い。
そんなワケで、人の演奏には人づてに教えてもらうしか無かったし当時はノイズやオルタネイティヴのシーンよりもMODS系やフリージャズのシーンに居たので(居た、と言うと弊害もありそうだが)、分からなかった。
演奏やライブと全く無縁だったワケではないが、情報がなかったのである。
そう言えば当時、ノイズ、オルタネイティヴの専門紙と言えば『G-Modern』と言う雑誌があったが、年に4回発行されれば良い方で、年1〜2回の事もあった。
だから、雑誌でライブ情報を知る、と言う事も絶望的だった。
小堺文雄氏と直接、お会いしたのは何時だったんだろうか。
オファーをしたのは私の企画『鳥の会議』で小堺文雄氏にDJをお願いした時である。
その次に橋本孝之さんにオファーをした処、小堺文雄氏とのデュオになった。
小堺文雄氏がどんな演奏と言うかセッティングで来るんだろうか?。
ノイズと言うかエレクトロニクスを使うのか?
と思っていたら、当日はリゾネーター・ギターだけを持ってきた。正直、驚いた。
「え?今日はギターだけですか?」
「まぁ、なんとなく」
演奏が始まると、小堺文雄さんは「初めてギターを弾く」ようにギターを弾く。一音、一音を確かめながら演奏する。
モートン・フェルドマンのようなギターだった。
楽器と対話と言うよりも、どんな楽器、どんな音なのかを確かめるように一音、一音をユックリと演奏した。
それは『弾く』と言うよりも『鳴らす』だった。
一音と言うよりも『一滴』だった。一滴、一滴を確かめる・・・。
その次は江古田フライング・ティーポットでの山安籠さんのライブでお会いしたり(其れ以外にもお会いしていた気がするが)。
(そう言えば山安籠さんの演奏は20年前に観いていた。
新宿シアターPOOと言うハコで、月本正さんのバンドのライブがあった。それを観に行った。
そこに山安籠さんが出演していた。当時は『山赤子』と言うユニットだった気がする。)
その次が『山安籠&小堺文雄』と言うデュオだった。
10年ぶりの演奏だったらしいのだが驚愕だった。
山安籠さんがボーカルと言うかボイス。小堺文雄さんがギターやバイオリンなのだが二人共、全く音が合ってない。
合ってないんだけど、合っている・・・と言う不思議な音響空間だった。
もう、究極のモード奏法としか言いようがなかった。
その時の小堺文雄さんも、以前と同じように音を一滴、一滴、確かめるように鳴らしていた。
音を水滴のように扱う・・・と言うか。
で、ですよ。
此処からなんだけだけども先日、初めてインキャパシタンツを観た。
インキャパシタンツは学生時代にCDを買った。其れまで阿部薫だとかフリージャズを聴いていたのだが、インキャパシタンツの音は流石に強烈過ぎて、通して聴けなかった。
ボリュームを絞っても爆音なのである。
到底、食事をしながらor当時、作っていた雑誌の編集をしながらor寝っ転がりながら聴けるシロモノではなかった。
そう言う音楽だった。
『非常階段』は真似が出来る音だったが、インキャパシタンツは真似が出来ない音だった。
「すげー!」
と思いながらも九州の僻地に『インキャパシタンツ』も『C.C.C.C.』も『メルツバウ』も『ハナタラシ』も『ゲロゲリゲゲゲ』も『裸のラリーズ』も誰も来なかった。
唯一、来福していたのは『灰野敬二』だけだった。だが、それも滅多に来なかったし、チケット代が当時、演劇青年だった私には高額だった(東京から来るミュージシャンはスカパラだろうと、松山千春だろうと、灰野敬二だろうと5000円から6000円だった。当時の福岡市の最低時給は700円代である)。
だから、音源にて衝撃を受けたインキャパシタンツのライブは家から出る前に既に興奮していた。
だが、此処でインキャパシタンツのライブのレビューを書いても仕方がない。
そう言う事は有識者に任せたほうが良いし、私の得意分野でもないし。
T美川氏の演奏の後に、小堺文雄氏のソロだった。
楽屋で自分の曲の練習をしていたので「あれ?インキャパシタンツってギター使っていたっけ?」と思いながら、小堺文雄氏の登場を待つ。
大量のエフェクターを前に何をするのかな?と思ったら
ギター1本で歌い始めた。
此れは驚いた。だが、直ぐに嬉しくなった。芳醇なアシッド・フォークと言うか、一音一音、歌詞の一言、一言が水のように一滴、一滴となり、それが樽に貯蔵され、長年の時をかけて美しい香を持つ蒸留酒のような。
または一葉、一葉を詰み、それを集めて、湯によって香りはじめる茶の雫。
動画を撮影したのだが、本番のときのうような音が再現されない。
どうしても、こう言うモノは動画では再現出来ない。
トラベル・ギターでの弾き語りだったのだが、コードは間違えるし、リズムも怪しい。スコアを見ながらの演奏なので、何処かタドタドしい。
だが、それをもってしても芳醇なのである。
『人前で演奏するのは初めてです』
『歌うのは初めてです』
『ギターを3日前に買ったばかりです』
と言う音を出す。それは凄い音なのである。
どうして、こう言う音が出るのか。どうして、こうも心に響く歌なのか。
こう言うモノはテクニックと言うよりもスケールの大きさなのかも知れない。
または年齢やキャリアによって克服されるモノなのかも知れない。
『音』と言うモノへの対峙、謙虚さなのかも知れない。
書きながら思ったのだが、楽器の修練を積めば誰だって上手くなる。一日5分だろうと15時間だろうと『上達』はする。
上達した結果は何か?って言えば、初めて楽器を手にした時の音の響き、それを自分が操作している時の感動が消える。
『音』と言うモノへ最初は謙虚な姿勢であり、アンプのボリューム、弦の張替え、楽器の重さや手触り、出てくる音への畏怖、畏敬。
其れが消えてくる。
『当たり前の音』になってくる。1万円のギターでも100万円のギター(ギターに限らないが)でも、演奏し続けていけば、当たり前の音になる。
それは、面白くない音になる。
多くの演奏家は『当たり前の音』を克服するためにエフェクターや楽器の改造、何やら怪しい事を行うのだが、小堺文雄氏は常に『初めての音』と言うか、音に対して一音、一音、謙虚であり、それに対して敬意を込めて音を出す。
だから、あんな凄い音が出るのかも・・・と思う。
もう、今宵はこの演奏だけでお腹いっぱいです、と思った。
私はトランペットを演奏しているが、此処5〜6年は自分の音が面白くない。
その為、日々の練習では不自由、と言うか制限付きの練習(主にミュートを使ったルーティン・ワーク)を行ったり、過去には鉛や改造部品を装着したり、楽器を削ってみたり、胡散臭い事を多々やったのだが、最終的にあらゆる改造部品、エフェクターを外した時の音が一番、面白かったりする。
音への謙虚さ。
それは仏像を前にした時のように、対峙しなくてはならない。
仏像を切り刻むように演奏しなくてはならない。
燃える薪の中にロザリオ、仏像を投げ込み、神を殺す。
それが演奏なのかも知れない。
書いていて意味が分からないが、そんな気がしてならない。
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