年齢を重ね続けて42回だが、ついに
『昭和』
『平成』
『令和』
と言う3つの元号をコンプリートしてしまった。今の天皇も60代なので『令和』の次も経験するかも知れない。
私が10代の頃は
『明治』
『大正』
『昭和』
『平成』
と言う激動の時代を通過した、抜身の短刀のような人物がウロウロしていた。
やはり日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦を経験した人物と言うのは独特である。
そう言う人物にすれば、昭和52年生まれで、思春期を平成で迎えた輩なんぞは抜き身の刀どころか
『抜身のスパゲッティ』
みたいなモノで、ヘナヘナ、フニャフニャ、グニャグニャした許しがたい存在だっただろう。
此処4〜5年は周囲の人々が死んでいく。
自分だけが取り残されている気がする。
死神が取り違えているのではないか?と思う。
「死神さん、死神さん!そっちじゃないくて、こっちでしょ?!」
と言いたくなる。
本来ならば私が死んでいて、私の周囲の人々が生きているはずなんじゃないか?
なにか、自分の手の届かない処で重大な『取り間違え』が起きているんじゃないか?。
そんな気がしてならない。
私は、何かの『まぐれ』で生きている気がする。
此れまで何人もの女性達と交際したり、寝た。
私にとって遊びだった女性は殆ど居なかったのだが全員が全員
「ついていけない」
と言って去っていった。その言葉の意味には
①警察沙汰に関わりたくない。
②葬式などの段取りに関わりたくない。
③裁判なんぞに関わりたくない。
④首吊り死体を目撃したくない。
⑤コイツと一緒にいたら人生、ご破産だ。
⑥一緒に破滅なんぞに関わりたくない。
⑦心中なんぞに関わりたくない。
と言う意味合いがあった。
「いつ死ぬのか?と心配過ぎて、疲れた」と言った女性も居た。
「いつ死ぬのか?」なんて、私が聞きたいモノだった。
自分では破滅的な生き方を避けているつもりなのだが、元来、ボンヤリした性格なので、気がついたら自死、破滅の一歩どころか半歩手前に居るらしい。
クソな臆病者なので、破滅・・・火山の火口・・・から慌てて逃げる。
それで桜を眺めたり、酒を呑んだり、煙草を吸い、トランペットの練習をしていると、やはり破滅の縁に居る。
気がつけば破滅。
思えば42年間、常に
『破滅』
↓
『逃亡』
↓
『破滅』
↓
『逃亡』
と言う事を繰り返している気がする。音楽の為に破滅への道を選んだ事も多々あるが、その成果は?と言えば全線連敗であり、敗戦と廃墟とインフレと言う第一次世界大戦後のドイツのような有様である。
「いつ死ぬのか?と心配過ぎて、疲れた」と言った女性が居たのは一人や二人ではない。
だが、私は何か重要な疾患や、難病、持病を抱えているワケではないのである。
ただ、その歩み方が破滅的なのだと言う。
何人かがテを差し伸べてくれた。
私は、そのテに飛びついた。
だが、気がつけば火口の縁に立っている。
ついに42歳になった。
馬鹿で、ウスノロだが身体は意外と丈夫なのが売りだったのだが流石に42年も使い続けた身体なのでガタは致し方がない。
下駄を履いて、都内を走り回っていた頃には戻れない。
年齢、大人と言うのは
『堕落した子供』
である。年齢を重ねれば、重ねるほど堕落だ。
10年前は32歳だ。
その頃はもっと音楽、音に対して謙虚であり、堕罪でもった気がする。
今でも気持ちとしては同じなのだが、堕落しているのだと思う。
自分がどうして生き残っているのか分からない。
ただ、ハッキリしているのは『生きている』と言うのは誰かのお陰で『生きている』のであり、誰かの為に生きていたら、私は死んでいたのだと思う。
多くの女性が予言した「いつ、破滅(死)するか心配で」と言うのは、いつも実現しており、同時に回避されちる。
誰かのお陰なんだよな、と思う。
取り敢えず、死ぬまで生きてみようと思います。
2019年9月17日
24時
KO.DO.NA
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