2011年10月24日月曜日

ライブハウス論についてツイッターで色々とあったらしい。
発端はこれ
http://ugayaclipping.blog.so-net.ne.jp/2009-07-23-10

之がこう発展した。

http://togetter.com/li/200637



このライブハウス論とは別に『ライブハウス』と言う施設を考えてみようと思う。BGMは爆音ミニマルの
『トニー・コントラッド』
である。トニー・コントラッドは最高である。昨年からゾッコンなのである。バイオリンがメインだが、単なる発信機が「ビー!」と延々と45分間鳴っている「だけ」の作品とかもあって

「この人はどうやって生計を立てているんだろうか?」

と他人事ながら心配してしまう。朝刊とか配っていたら嫌だなぁ。


さてさて。


上記のライブハウス論は

「ライブハウス」⇔「出演者」

と言う関係をメインにしている。
其処からして変な気もするのである。ライブハウスに行くのは誰か?

お客である。

出演しているバンドなんぞは誰だって良い、とは言わないが原則、音楽と言うのは他人に公開するにあたって『第三者』の為にあるわけで「お客」と言う存在がスッポリと抜け落ちている気がする。


どうもライブハウスと言うのは出演者の為にある・・・と言うスタンスが出演者側にもライブハウス側にもあるような気がする。其処がネックなんではないだろうか。



ライブ、と言うモノを初めてやったのは福岡に居た頃である。場所はライブハウスではなくて


路上


だった。当時、舞踏家の連中と付き合いがあり、その舞踏家が運営していた事務所の『公共料金』を支払う時期になると街頭ライブをやって支払いをしていた。そのバックで演奏していた。

その次は『喫茶店』だった。市街地の外れに『生きているうちが花なのよ』と言う長ったらしい名前の店があり、其処でライブだった。喫茶店なので機材がない。
仕方がないのでアンプやドラムセットは全て持ち込みだった。機材の事を知っている人が出演者も含めて誰も居なかったので全てギターアンプやベースアンプへ直結。

当時からtpのエフェクトをかけていたがギターアンプ。思えばボーカルもベースアンプに繋いでいたのだから中南米とかアフリカのバンドよりも酷いセッティングだったと思う。

と言うか『PA』と言う存在を知らなかった、信用出来なかった事もあり『KO.DO.NA』と名乗り始めてから都内でライブを始めた頃も普通にベースアンプとギターアンプでやっていた。
流石に上京した頃はPAの存在は知っていたが、音量とか音質を第三者に委ねると言うのが何となく嫌だったからである。

最近は「そうした方が良い」と言うワケでそうしているが。


で、機材が重たい。だがライブハウスに出演した事が無い訳だから、皆、そうやっているんだろう、と思っていた。違う事を知ったのは二十歳を過ぎてからだ。



一時期だが足繁く『ライブハウス』に客として行っていた時期がある。ホンの一時期だが。何で行っていたか?って言えば其の頃に知り合ったバンドの連中といるのが楽しかったから。だからバンドはどうでも良かった。面白いバンドがあればラッキーって言う程度で、バンドが演奏していようとしてまいと、友人・知人と喋って呑んでいた。其れが楽しかった。

だから『社交の場』である。

テストトーンと言うイベントが毎月、スーパーデラックスで主催されている。出演する面子は本当に

滅茶苦茶

で、ノイズが最初に出たと思えば、次は普通にガールズ・バンド。最後は電子音楽とか。大物が出たと思えば聴いた事も無い人が出たり(其れが会場をドッカンドッカン言わせたり)。

面白いんだけども、行っている理由はやっぱり「社交の場」だから。スーパーデラックスのビールは美味しいし、食べ物も良いし。当日の出演者が誰でも別に構わない。知人や友人が出たり、自分が出たりする事もあるけども、余り関係が無いって言うか。

音量も桁外れにデカいワケでもないし。



ライブハウスに行き始めた頃は「ライブハウス」でしか知り合えなかった人達と知り合えた。高校生の頃だったけども当時、長髪で髪を赤く染めている連中なんて北九州市と言う暗黒大陸では


『天狗様』


とバンドマンしか居なかったのである
。もう、ビックリだった。


時代は90年代。私はライブハウスは友人のライブの時にしか行かなかったがクラブには週1~2で行っていた。クラブが私にとってのライブハウスだったのかも。クラブの主役はDJではない。



である。素敵なステップを踏んでいる奴とか、お洒落な奴とか。DJは完全に「スタッフ」と言う感じでスクラッチはしていたかどうかは判らなかったが(当時のDJのレベルって今よりも圧倒的に低かった)観ていても面白いモノではなかったし。




ライブハウスに話を戻すが、ライブハウスのチャージも客としては少し高額である。大体が2500~2800~3000円である。之にドリンク代をプラスすると、もう之は高校生とかが出せる金額ではなくなる。

大人の金額になってくる。

だが、最近、知りつつあるのだが『大人』と言うか世のサラリーマン達は


『ミスターチルドレン』
『大黒摩季』
『嵐』
『東京事変』
『浜田省吾』

と行った糞の足しにもならんような音楽を好み、ライブに行くらしい。今の職場の上司は夫と知り合ったのが

「呑み屋で隣の席でさぁ。で、お互いの趣味である『大黒摩季』で盛り上がって~」

と言っているのを聴いて私は絶句した。


「『大黒摩季』が好き」

と公然と言える度胸が私には信じられなかった。センター長は『浜田省吾』が大好きで今年最後のライブに行けなかったら会社を辞めてやる!と息巻いている。妻も浜田省吾のファンらしい。

これも絶句した。


「之が社会人の性癖と言う奴か・・・」

と思った。会社の同僚の女の子はバンドをやっていて好きなバンドは『東京事変』と言う零落れたアイドルが組んだバンドらしい。

「どう言うジャンルをやっているんですか?」
「ロキノン系ですねぇ~」

ちょっと絶句した。せめて

「ハーッシュ・ノイズですね。ハフラー・トリオとか好きです」

とか言って欲しかった。ハフラートリオを知っている社会人が居たら、其れはアレな気もするが。


普通にロックを大音量で聴きたいからライブハウスに行く、何て言う暇人は今は居ないと思う。私だって行かないもの。行くとしたら「社交」だと思う。


古今東西、「社交の場」の音楽は当時の一流が作っていた。モーツァルトですらサロン・ミュージックだし、ドビッシューも同じく。

だが開かれている音楽だったと思う。

ロックは個人的に閉鎖的な音楽、と言う気がする。ロック全般ではないけども、何だか最近はマスマス、閉鎖的な音楽になってきたなぁって気がする。
何と言うか『演劇ファン』と近くなってきた、って言うか。



ライブハウスにしろ企画者にしろ、出演者にしろ、もっと客の事を考えないと駄目だと思う。楽器なんて象でも出来るのである(実際に象がガムランを演奏しているCDがある)。だったら象のバンドを観にいった方が遥かに有意義だ。

ライブハウスに出演するのはバンドである。バンドがライブハウスを選んでいるのである。だったら、自分にとって大事な人に聞かせたい場所を選ぶべきで、其処を怠っているんでは音楽なんて本当に無意味になってしまう。



『音楽の役割』と言うのは311以降、本当にもっと深く(音楽家であれば)考えなくてはならない事だ。其れが考えられない奴なんて干物でも食ってろ!



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