2013年3月23日土曜日

昔の習作2

幼い頃、よく「お腹が痛」くなっていた。大抵、母親にお腹を撫でてもらうと治ったが、未だにあの「腹痛」の原因が何だったのか判らない。 

子供・・・と言うか3歳前後の子供は分別も、見境も、区分もヘッタくれもないが、子供と言う存在はそう言うモンらしい。だからこそ「子供には幽霊が見える」とか「子供には妖精が見える」と言った神秘的な事柄が起こるのだろう。 


『子供』はエルビス・プレスリーがまだ生きている事を知っている 
『子供』はチャーリー・パーカーの死を信じない 
『子供』は幽霊、UFO、妖精が見える 



大抵の子供は夜中、親が寝静まったのを確認すると神社の裏へ『口裂け女』を慰める為に集まるのである。 
子供達は黙って『口裂け女』の嘆きを聴いている。 

幼い子供達は『口裂け女』にかける言葉を持たず 
『口裂け女』は幼い子供達に理解出来る言葉を持たず 

双方は傍から見ればコミュニケーションが取れているが実は取れてない。 

それでも『口裂け女』は長年の苦労と差別のお陰でカチカチに固まりかけた心が少しだけ解かされるのだ。 

『口裂け女』は子供達に話を聴いてもらっているし、子供達が大好きだ。毎回、お菓子を渡して買える。お腹が痛い子供のお腹を撫でて神通力で治したり。 
子供達も『口裂け女』が嫌いじゃない。お菓子も貰えるし。何故か幼い子供は大人には伺いしれない物に異常な執着心を燃やすが『口裂け女』もそうなんである。 


お互いとも大好き 
でも、言葉にならず 
でも、大好き。 






子供達は3歳を超え『言語』が判り始めると世代交代と言うか来なくなる。 

「それは何故?」 
「君の考え方は間違っていると思うのだが」 
「それはウォルター・ベンジャミンが『経験と貧困』で指摘している問題ではないか?」 
「そもそも、この問題はフロイト的と言うよりはラカン的な事例ではないだろうか?」 

と問い掛ける事が出来るようになると、もう『口避け女』の嘆きを聴き、癒す相手としては駄目なのだ。其れが子供達の暗黙・鉄則のルールなのである。 

明け方。 

子供達は言葉にならない音声で別れを告げ、自宅に戻り親の寝ている布団にそ知らぬ顔で潜り込む。そして眠る。 

『口裂け女』は昔の恨み辛みが少しだけスッキリしマスクをつけ、身支度をしに帰宅する。 


『口裂け女』は昔と違い、世の人々を怖がらせたりする事はない。嘗ては時速300キロで走り、傘で空を飛び、北は北海道、南は鹿児島まで走り回った彼女だが、既に老いた。妖怪も歳には勝てず。 
今では往年の美貌も衰え、荻窪のキリスト教会ボランティアとして働いている。 



「最近は」 

と口避け女は言う。 

「少子化なのか、集まる子供達が少ないのよ」 
「私は口避け女だから少子化対策に協力出来ないんだけども。もう歳だし、其れに口も避けているし・・・」 
「整形手術で簡単に治るらしんだけど、当時はそんな事、知らなかったから・・・。若かったし」 
「昔は自棄になって日本中を走り回ったもんだけど」 
「後悔しているの・・・。あんな事、しなけりゃ良かった、って・・・」 


口避け女は信条として酒と煙草を嫌う。だから私が彼女の話を聞いたのは『スターバックス』だった。口避け女はストローで熱いコーヒーを飲む。コーヒーには五月蝿く、真夏の灼熱日でもホット以外は頼まない。 

「アイス・コーヒーなんて日本だけよ。ヨーロッパじゃ、あんな変な飲み方しないもん」 


一度だけ禁を破って尋ねた事がある。 

「貴女、『永井荷風』好きでしょう?」 

すると少しだけ咽ながら驚いていた。 

「どうして知っているの?誰にも言った事が無いのに・・・」 


それが私と口避け女との最後の会話だった。 




子供達は3歳になると、どう言うワケだか『口裂け女』の事を忘れてしまう。記憶にすらない。何故だか判らない。 

「只ね」 

と4歳の男の子が言った 

「確かに3歳になるまで毎日、凄く眠たかったんだ」 
「夜はタップリ寝ているというのに、昼も夜も眠っちゃうんだ」 
「お腹も空くし」 
「お腹が痛くなったりしていたんだけども、きっと夜中に起きていた、となればお腹を冷して居たのかも知れないし」 
「でも、ホンと思い出せないんだよね・・・。なんで子供の頃はあんな感じだったのか・・・。」 

私が「好きな子とかいるの?」と聞くと「うん。保育園のメグミ先生!大きくなったら結婚するの!」 

そう言い終えると4歳の子供は公園の『砂場』へ作り掛けの『砂山』を完成させる為にスコップをもって走り去った。 

片手には私がお礼に渡した『フィリックス・ガム』を握り締めて。 
少年はまだ精通を迎えてない。 

恋は知っているが、愛欲は知らず。 





思えば『口裂け女』に対しての圧倒的な恐怖感は、思えば 

『性』 

と言うモノに対しての恐怖と可也近い気がする。と言うかした。 

小学生なので『性欲』はまだ無いが、だが「来るべき恐怖」と言うか。其れが現れる前触れや、根拠の無さ、逃れられない恐怖、死という結果などフロイト的と言えるのではないだろうか。 

『口裂け女』は『女性』であり、ワンピースを着用し、そして「私、綺麗?」と言う問いかけ。 


そして「これでも?」とマスクを外すと裂けた口。 

その唇は赤く、 
そして濡れている。 
その口にて食べられる。 
手も足も頭も身体も。 
食べられると 
少年ではなく 
青年になっている 
青年は勃起した自分のペニスを見る 
虫や鳥やトカゲ、犬は友達ではなく 
『実験動物』『害虫』になっている 
同級生の女の子に捕食され 
「私、綺麗?」と女の子は言う 
「勿論さ」と言う。 
パンツを脱がせる。 
赤く、そして濡れた口 
もう一度、男の子は食べられる。 
そうやって歳を取っていく。 


豪雨の日。 
一人、バスを『口裂け女』待っている。 
ポツリと呟く 
「海が見たい」 
すると洪水が起きて街は水没した。 

水没した街から陸地に這い上がる私。 
同じく同級生の女の子。 
水に濡れて髪も服もビショビショだった。 
彼女は僕に関心はなかったが 
その時から僕は彼女の事が最大の関心事になった。 




私は帰宅中。新星堂(CD屋)に行ってエルビス・プレスリーの『新作』を買った。 

そう言えば「幼い子供」も「口避け女」も「小泉元首相」も『エルビス・プレスリー』が大好きだった。夢の中に生きる者はプレスリーが大好きだ。 



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