あの音、知っている。
育った街は軍の街だった。
だから、聞き慣れた音だった。
田舎町の夜景を撮影するTV局があるわけがない。
それに民間機には搭載出来ない程の馬力のエンジンと速度。
軍用ヘリの音。
高校を卒業して、郷里を後にしてからは聴いた事がない音だった。田舎町に響き渡る軍用ヘリの爆音は凄まじかった。
部屋が揺れるほどだった。
其れが東京の我家の上空を東に向かって飛んでいっている。
聞き慣れた音だった。
私が幼少の頃はまだ米ソ冷戦は終焉に向かいつつあったがソ連は崩壊していなかったし、まだ映画では冷戦はネタになる時代だった。
あの頃の自衛隊の軍事用ヘリコプターが何処に向かっていたか判らない。
だが、我家の上空を飛んでいるヘリコプターが何処へ飛んでいるのかは判る。
ただ、ただ、恐ろしかった。
軍の町育ちだが、幼少の頃に見慣れていた装甲車が環七を走っているのである。
異様な光景だった。
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震災後、友人数名が結婚して子供を産んだ。天変地異、戦争などの後はベビーブームが起きるが、其れとは余り関係ない気がする。
単純に年齢的な問題だったと思う。
その友人の赤ちゃん達に『羊毛フェルト猫』を送っている。
一緒に
「大きくなった君へ」
と言った未来への手紙も添えて。
しかし、会社帰りにフト、思った。
「大きくなった君へ」
を0歳児が読めるようになるのは10年後だろうか。私は47歳だ。
しかし
「ってか、10年後に俺、生きてるのかな?」
と。
2011年3月11日の昼過ぎ。
私は老人介護施設で働いていたのだが地震が来た、しかも規模が違うなぁと言う事で直ぐにTVを付けた。
最初は津波。
何だかアメーバみたいだな、と思った。病原菌とかアメーバとか。
其れが車や家を侵食していく、と言うか。
ゾウリムシを食べるアメーバ、と言うか。
最初の印象はそんな暢気なモノだった。直ぐに「嗚呼!日本が終わる!」とか考えないよな。ってか冷静に考えられるわけが無い。
よくネットで「TVでは放送されていない!」と言うのだが
『福島第一原発の爆発の瞬間』
なんだが、リアルタイムでは放映されたんだよな。生中継だから。
「福島第一原子力発電所が爆発しております!!!」
と鬼気迫ったアナウンサーの声。
「終わったな」
と思った。
「俺は死ぬんだな」
と思った。
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311について書こうとすると「被災者の皆様の・・・」とか「あの日から何かも変わった」とか
1:震災ポエム
2:アホ臭い言葉
しか出てこない。しかし、『被災者の皆様の・・・』とは俺は全然、思わないんだよな。
見も蓋もない言い方をすれば俺の一族は九州大陸に集中しており、被災地に親戚も友人もいないんだもの。
全く無関係の奴に感情移入出来るか?っていう。
確かに津波で流されちゃったり、何かしら死んじゃった2万人以上の人達は可哀相だと思うし、その家族や街の人達も可哀相だな、とは思う。
だけど、って言う。
311から暫くは『震災ポエム』なるジャンルが出てきて、聴くだけで陰鬱な馬鹿げた詩の朗読が多かったが、誰も本当の詩を書かなかったよね、って言う。
「あの日から/変わってしまった/何かも」
とか、そんなのばかりでさ。アホか、って。
じゃあ、何が変わったんですか?と。被災地で家を流されたから街並みが変わりました、とかか?
しかし、逆説的に考えりゃどーでも良い田舎町の風景なんて変わったって誰も悲しまないだろ?
大体、関東大震災から東京の街並みだって原型を留めてないんだから。
だから、此れに関しては超個人的な事を書こうと思う。
普通は被災して死んだ人達へ「ご冥福を祈ります」とか書くべきなんだろうが、私は心情的にはクリスチャンなのでご冥福は祈らない。
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震災後、郷里に一旦、帰郷するかどうするか迷った。迷った、と言うか本来ならば帰郷すべきだったと思う。
だが、帰郷しなかった。
実家と私は余り相性が良くない。何と言うか微妙な関係で、強いて言えば『男はつらいよ』の寅さんと、実家みたいな。
家族は家族なりに、私への愛情はあるんだろうが、家に戻ると戻ったで厄介な存在になる、と言うか。
と言うか、震災ノイローゼで身動きが出来なかった。
延々とPCの前で情報収集し続ける、と言う典型的な震災ノイローゼだった。
仕事は老人介護をやっていた。そこの従業員が朝の挨拶で
「えー、昨日は大地震でお亡くなりになった方々と・・・」
と言った処で大学教授だった、と言うアルツハイマーの(つまり鉄板のボケ老人)老人が
「地震?そんなもの、あったのかね?あっはっはっは。私は何も感じなかったよ!」
と自慢げに言う。
それを見て「嗚呼、こんな連中と一緒にいたくない」と思った。
福島第一原発の二度目の爆発も生中継だったので見た。
此方が放射能で命を削って、何で老い先短い老人達の糞ションベンの世話をしなきゃならないんだ?
とウンザリした。
帰りに痴呆はなく、歩けるが、歩行に難ありの老婆の手をつないで送迎車に送る。
その日、桜が咲いていた。
見事な桜だった。風が吹いて花弁が散っていた。
美しかった。
37歳になるが、今も昔もあの時の桜ほど美しいモノはなかった。
「此れが見納めになるのかな」
と思った。老婆と私は手を繋いだまま暫し見とれた。
介護施設の仕事は辞めた。と言うか出勤出来ない程のノイローゼになり双方の話し合いで退職した。
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仕事を退職したが、しかし貯金があるわけでもないので『地デジチューナー受付窓口』で働く事になった。
だが、震災の影響もあったのか研修体制が整っておらず、6時間くらい椅子に座っているだけ、と言う日が多かった。
此れが逆に良かった。自宅でPCで情報収集してますます絶望的な気持ちになる、と言う悪循環からは少し遠のいた。
深夜2時だったかな。
時期は既に夏だった。夏なのに星空は満開だった。
その星空に飛行機(旅客機なのか軍用機なのか判らなかったが)が消えていった。
とても、綺麗だった。
何故か、其のときに「留まろう」と思った。
九州の友人には「東京が崩壊するかもしれない。その瞬間を見たい」と言っていたのだが、そんな理由ではなく。
自分でも未だに判らない。
星空が満開だったのは原発の水素爆発と核爆発が原因だったらしい。化学反応でスモッグが消えるんだとか。
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友人が被災地にボランティアに行ったりしていた。
私は一切、行かなかった。
『地デジチューナー受付窓口』は時給1000円で、当時の私のメンタリティだと週3日が限界だったので交通費が出なかった為である。
じゃあ、義捐金か?と言うと酔っ払って10円を一度、入れただけで何もしなかった。
義捐金と言うが、其の金が本当に被災者に渡るのかよ?と。確か色々な団体が出ていたが、其れが本当に被災地に回るのか?と思った。
状況的に義捐金を何億円、何十億円、何百億円と入れた処で被災地が復興するとは到底、思えなかった。
それと私自身が当時、『地デジチューナー受付窓口』なのでお金が無かった事もあるが。
「こう言うのには一切、関わらないで置こう」
と思った。私に直接、関係があるのは原発であり、被災者ではない。
九州人のメンタリティなのか、九州大陸以外の天変地異は此方が関する事ではない、と言うか。
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介護施設で働いている時から1年弱続いたのだが
①鼻血
②目の充血
③間接の痛み
④治療した歯の痛み
⑤髪の毛が抜ける
⑥唇の乾き
だった。TPの演奏が苦しかった。鼻血は連日出ていた。
髪の毛は翌朝、起きて枕カバーを見ると抜けている。
目はメガネで代用したが、間接の痛みに関しては近所のヤブ医者に
「放射能ですかね?」
と聴くと
「聴かないでw」
と言う返答だった。
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とある映画の告知で
「311以降、私達は其々の『非日常』を生きる事になった」
と言う一文があった。
そうなんだよな、って。
「何もかも/変わったね」
と言う震災ポエトリーだが、それ以前に「日常が『非日常』」になってしまっている、と言うか。
毎年・・・阪神大震災の時もそうだったけども
「終わった事」
となっているんだよな。だからこそ『黙祷』出来る。
黙ってねーで、発音しろよ、と思う。
老人介護をしていた為か、老人の一言が良かった。
「東京大空襲より酷いよ。あれ、色々言われてんだけどもよ。あんまり酷くなかったんだよ。丁度、俺は会社の出張で都心にいなかったんだけども帰ってきたら、焼けててたんだよ。
でも、鉄筋コンクリートの建物とかは全部残ってたし、言われている程じゃないんだよ。
今回は全部だろ?しかも原発もだろ?東京大空襲より遥かに酷ぇよ」
福島第一原発を作る際に作業員として働いていた老人は
「だって、あれ、古ぃもん。仕方がねぇよ。だって、あれボロボロだもん。そりゃ壊れるさ」
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311も糞もなくて、皆、時間になると
「黙祷!」
と言って項垂れて、今日の飯の事だとか、昨日、寝た女だとかホワイトデーは何にすれば良いんだ?とか考えるワケでさ。
違うんだよな。
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テンノーヘーカが御住まいになる東京都、ついでに被災地、日本から世界中が汚染されちゃってんだよな。
復興に関して言えば、いずれ復興するだろう。
街並みはガラリと変わるだろう。
震災後はベビーブームが起きるから子供も増えるだろう。
ゼネコンは儲かるだろう。
デフレは変わらないだろう。
でもさ。
2011年3月11日以前、以降って言うのがあってさ。
日本の歴史にせよ、世界の歴史にせよ2011年3月11日以降は世界史が変わっちゃったんだよな。
日本の歴史も俺に言わせれば「あの日で日本は終了した」と思っている。
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ある日、携帯電話のワンセグでNHKにあわせると「放映終了」の時間で、日の丸が出てたんだけども
「嘗て日本と言う国があり、其処の国営放送だったTV局」
と言う感じがした。
「嘗て栄華を誇った、とされる国の国旗」
と言うか。
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『日常』
『非日常』
と言う区分けがあると思うんだよな。じゃあ、今は日常か?って言えば日常じゃない。
水を飲む
深呼吸をする
飯を食う
単なる震災ではなかった。終わらない天変地異と人災。
311の後に「絆」と言う言葉が生まれたが、そう言う言葉を持ち出さなければ成らないほど、皆、絆も糞もなく、醜かった。
何もかも醜かった。
知人の自称:ミュージシャンが被災地にボランティアに行ったのだが彼はボランティアそっちのけで被災地の写真を、殆ど観光地の写真の如く撮影していた。
彼は音楽的には最低、またはそれ以下なのだが、そう言う『観光』『知名度がある人』を求める体質で、被災者だとか震災、復興云々以前に
「観光」
だったんだろう。
それも醜かった。
311は「美しい日本」ではなく「醜い民族が住む醜い国」が露見した時期だったんだと思う。
俺は黙祷はしない。
まだ、終わっても無い事を黙祷したって仕方が無い。
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