2016年4月30日土曜日

愛子夫人居宅でできること

『愛子夫人居宅でできること』
https://www.facebook.com/events/467717230084121/
と言うイベントに行ってみた。
主催は富士栄秀也と言う自称ボイス・パフォーマー。


①夏目漱石『夢十夜』の朗読

まぁ、悪くはなかった。ただ、言語障害と言うか、障害を持った人と健常者のデュオなのだが、言語的に明治文学より宮沢賢治とかの方がフィットしたのではないか?と思う。
因みに言語障害を持った人とは大昔に『千歳烏山路上演劇祭』と言う

『日本の奇祭100選』

に選ばれそうな奇妙なイベントで対バンだった。


②Performanceをする女性

facebookでフレンドになったばかりで、こう言う事を書くのは如何なモノかと思うが、客だし、悲しいことに私は素人ではないので書こうと思う。
まぁ、酷かった。

Performanceと言うことで電気を消したり、つけたり、扉を開けたり閉めたりするのだが、一個一個の動作が、Performanceになってない、と言うか。ちょっとした動作を一度、解体して再構築しているのであれば別だが、解体も再構築も何もない。

「ただ、やっただけ」

だった。『ただ、やっただけ』なんぞ戦後演劇の頃にやり尽くされているワケで、本人にそう言う意志があったかどうかは判らない。

北山さんと言う人のバックボーンは知らない。ただ、「分かってないな」と思った。

最後に「時間が余ったので」と3分30秒でホワイトボードに自分が思っている事を書く、と言う観客参加型(と言っても二人だが)をやった。

本人曰く

「家から出ると突然、喋れなくなる、と言う障害を持つ人がいる。その際、筆談と言うコミュニケーションが云々」

なんだが、参加者は言語障害を持っているワケではないし、コミュニケーションを求めているワケでもないし、ってか、コミュニケーション出来てなかった。

『其れ』を求めてない人に、無理矢理、与えても意味が無い。

普通に夜12時に眠って、朝7時に起きれる奴に睡眠薬を与えても意味が無いのと同じでさ。

『筆談と言う方法で行われるコミュニケーションの困難さ』

を提示しようと思っているんだったらベケット一冊で事足りる。ベケットが難しいならチェーホフの一幕劇で事足りる。戦後どころか戦前演劇でやり尽くされている。チェーホフが難しいなら別役実でも平田オリザでも良いんだけども、兎に角、事足りすぎている。


一体、何がやりかったんだ。


③911以降、SEXした事がなさそうなオバサン
『対話の実験室』と言うWSをやり始めた。
http://malpu.com/nippou/2015/01/nippoui7453.php
テーマは

『お金』

本人がグダグダと豚の寝言のように対話のルールを説明し始めたが、進行がグダグダ過ぎてキレそうになる。
で、最終的に行き着いた結果が

『お金に捕らわれずに生きていけるか?』

だった。

で、何故か『好きな事で生計を建てられるか?』と言うテーマとなり、

1:ダサい眼鏡
2:イノシシのような顔(ブス)
3:逞しい骨格(デブ)
4:比較的、フラットな胸
5:池袋の中学生腐女子が着てそうな糞ダサい服
6:多分、ってか絶対に処女


「好きな事では生計は建てられないと思います!」
と言う。

「私はアニメの仕事をしているのですが、寝る間もなく、24時間働いても16万円にしかならない。それでは足りないので飲食店でバイトをしている」

と言う。

「はぁ?何を言ってんですか。『好きな事で生計を建てられるか?』って、余裕で建てられますよ。例えばトヨタの営業マンにせよ、会社の社長にせよ、その仕事が好きだからやっているわけですよ。貴女(ブダデブ)は16万円にしかならない、って言いますけど、『暗黒舞踏』とか『ロックの奴』とか月収幾らよ?って話でしょ。でも、ロックの奴も『女のヒモになる』と言う方法で生計は建てられるワケで。それで足りないなら生活レベルを落とすしかないでしょ」

と言うのだが・・・と言うか『富士栄一派』は

「仕事が大変だ」
「好きなことを仕事が云々」

と議論ではなく、単なる愚痴吐き大会。
で、観た覚えがあるな、と思ったら矢張り『千歳烏山路上演劇祭』の主催だったか、オッサンが

「好きな事を仕事にするってのは近代教育の誤りであってね」

と言いはじめる。

おいおい、世界史で『近代』って日本だと江戸時代。江戸時代に『好きな事を仕事に』とか出来たと思っているのか?

よしんば、このオッサンが『近代=昭和』だと思っていたとしても、昭和末期でも『好きを仕事に』することは桁外れの困難さがあったわけでさ。


・・・と思ったら、そのオッサンは元『劇団黒テント』の奴だった。

黒テントって、紅テントよりは頭が良いと思っていたんだが。


で、グダグダと糞みたいな話が続く。
ウンザリして、4歳の子供と遊んでいた。


終わってから感想を求められたので

「あの、此れって『対話の実験室』ですよね。全然、実験になってないですよね」

と言ったら、最後に

「歯に衣を着せぬ感じが良いですね」

と名刺を貰った。

「メール下さい」

だそうで。




帰り際に捨てた



大体、パフォーマンスを観に行ったら突然、WSが始まるっておかしいだろ。
ってか、本人は実際に『対話の実験室』と言うWSをやっている。
だったら、そこでやってろよ、と思う。何で此処でやらなきゃならねぇんだよ。

本人としては『会話の難しさ』や、そう言うのを炙り出そうと言う目論見だったのかもしれないが、ほな、ベケット一冊で済む話だ。

しかし、富士栄一派はベケットもマルクスも知らない。

「お金ってなんだろう?」

とかがテーマだったりするらしいんだが、資本論の冒頭を使って10分で説明出来る話しである。

本人が『会話』と言うモノに興味があり、その会話や対話をしてみたい、と言うモノだったらしいが、其れに1,500円だせ、と。



何でこんなモンを主催したか?って言えば、単純に『愛子夫人居宅』と言う場所で何かやりたかったんだろう。
そもそも富士栄氏に何か深い考えや、信念があるわけではない。彼にあるのは、コンプレックスと恐怖心だけ。
因みに畳の部屋だったが、座布団ぐらい出せよ、と思った。
富士栄氏は何故か私を怖がっているらしく、怯えた目付きが私のサドっけを擽るが、精神障害者を弄っても仕方がない。

2016年4月20日水曜日

JUNKFOOD/1998年4月18日

この映画が一部分だけどもUPされていて、懐かしく思った。



90年代中頃、インディーズ映画では最強に尖っていて、最高に良かった。
暴力シーンだけなんだけども、この映画は


「其々の日常」


と言うのがあって最初は


『視聴覚障害者の日常』


『大宮のチーマーの日常』


『ヤク中の日常』


『東京に出てきて何故か死んじゃった不良友達の遺骨を受け取りに来た人の日常』


『外国人殺人犯の日常』


最後は最初の


『視聴覚障害者の日常』


に戻る。其々の日常があって、複線的に繋がるのだが(視聴覚障害者とヤク中は繋がらないが)、最後の台詞が良かった。


「なんとかなるでしょ」


この主人公に近い鬼丸(芸名)は実際にチーマーだったらしく、俳優でタトゥーを入れた最初の人らしい(ってか、チーマーってまだいるのか?)。
味のある役者で、最初だけかと思ったらまだ活躍しているらしく嬉しかった。
『なんとかなるでしょ』と言う台詞が何だかとても好き。



チーマーが今もいるのか、どうかは判らないが不良はカッコイイもんだ。



大昔。

『なってるハウス』で行われていたSessionをベースに公園通りクラシックスでLIVEが行われた。


演奏者:20名。
客:3人


と言うフリー・ジャズらしい、と言えばフリー・ジャズらしいイベントだった。
私とコントラバスの青年は可也、消化不良で、何と言うか思えば
『オッサン、おばさんの道具になった』感
と言うか。私と同世代の子達は、フリー・ジャズを通過してエレクトロニカだったり音響系に行くのだが、そんな時期だった。で、帰り際に「ウンザリだね」「ったくねぇ」ってな話をしながら帰宅した覚えがある。

で、オッサンのサックス奏者一人と、私と、もう一人と、友人で帰っていたら渋谷のB-BOYみたいな子がデカいアメ車に6人位で乗っていた(オープンカーだった)。
そのB-BOYと、自分達の沁みったれた感じの落差が凄まじかった。


ギラギラした眼のB-BOYの車からは大音量でHIPHOPが流れている。


「あの、一応、私達も黒人音楽をやっていたんですよ・・・さっきまで・・・」


と泣きそうなるほどの落差だった。

サックスのオッサンは死ぬほどダサい&安っぽいブレザーだったし(00年代にブレザーだぞ?ブレザー!)。
「何で俺、こんなオッサンと帰っているんだろう」
と思った。


勿論、ノーギャラだった。


確か帰り道で「もう、フリー・ジャズは止めよう」と思ったのを覚えている。
思えば、あの夜だった。


フリー・ジャズと言ってもアンプやマイクは極力、使わない、と言うのが当時のスタンスで、フル・アコースティックだった。

で、皆、大音量で吹いていたのだが、どう考えても

『キラキラと輝く不良少年たち』


の方が音量はデカかったし、何よりCOOLだった。
あちらがCOOLで、此方はSquareでNardだった。



私の郷里は九州地方なので暴走族が週末になると爆音で走り回っていた。
彼等は2車線のバイパスや市街地を走るので、住宅街だった此方には音しか聴こえてこない。
あの音は田舎少年(オナニー=害と考える)にとっては、最高にロックだった。


のちに自分がロック少年になり、フリー・ジャズ青年になるのだが、あの頃に聴こえていた暴走族の爆音と、車体デザインはやっぱりCOOLだったし、HIPだ。

平均時給が1兆ジンバブエ・ドルな田舎にとって『エレキ・ギター』と言うのは裕福な家の子の道楽であり、手慰みだった。『シンセサイザー』は「なんだ?それ。バイクの部品か?」という感じ。
何しろ中学生の頃の愛読書が『ヤングオート』だった。
もう、胸がときめいた。河原や土手で拾うエロ本よりトキメイた。




何しろ当時のヤングオートには

『捨てられたバイクを拾ってきて、0から斜体を作る』(当時の法律では確か勝手に捨てられた廃棄物は勝手に処分して良かった。)

『バイクのエンジンのフルリペアのやり方』(50~125cc位なら高校生でも扱える仕組みだった)


が掲載されていて「僕も大きくなったら暴走族になりたい!こんな車やバイクに乗りたい!」
と本気で思っていた。
高校生になって姉の影響で渋谷系になり、アングラ演劇をやり、今では鳩から糞を頭の天辺に投げ落とされている私だが、今でも80~90年代初頭の暴走族のバイクや車は未だにCOOLだと思っている。音も良いし。

今は見かけないなぁ。郷里で見かけた暴走族は4人程度で、そのうち2人は原付きだったし。

昭和は遠くになりにけり。




2016年4月14日木曜日

Naked Force

先日は高円寺4thでLIVEだった。



最近、『ソロ演奏』と言うモニに対してモチベーションが下がっている。ヤバいな、と思い一旦、原点回帰じゃないんだけどもエフェクターを多用するのではなく、TP一本だけ、って言うスタイルにした。

処が行く前に気が変わってリバーブとオクターバーだけ繋ぐと事に。


高円寺4thは初めての場所なので若干、戸惑った。高円寺の外れにあり、高円寺と言えば今ではオシャレな街であり、

『ジョルジオ・アルマーニ高円寺店』

『アディダス高円寺北口店』

『ルイ・ヴィトン高円寺南店』

『エルメス高円寺』

『クリスチャン・ディオール高円寺パル店』

『ドルチェ&ガッバーナ高円寺純情商店街店』

と言った高級ブランドが並ぶ。

今では椎名林檎や、野宮真貴、秋元康がベンツで走り回っている。
ちょっと前まで薄汚いパンクスやヒッピー達の最高級な乗り物は『自転車(盗品)』だったのに、だよ!

今ではカロリーメイトと、エヴィアンの水、そしてジョギングをするセレブの街だ。
チョット前まで薄汚いパンクスやヒッピーがウロウロと密造酒とシンナー片手に歩いていた街がだ、よ!

全く居心地が悪い。


高円寺4thは高円寺の外れにあり、まだ風鈴売りや、金魚売りがいる。
駄菓子屋に子供達が集まり、野良猫がウロウロとし、家電屋には誰が買うのかPC-9800本体やフロッピーディスクが売られている。

そんな雑居ビルの中にあるんだが場所が分からず呆然としていたら、ヒッピーな風貌な人が出てきた。

「高円寺4thは何処ですか?」

「此処です」

と『この風貌を見りゃ分かるだろ』的なニュアンスで店は見つかった。


石井ヒロオ氏からは「4時頃に来てください」と言われていたのだが、到着は16時15分頃になった。

ドアを開けると石井ヒロオ氏が激怒していた。

「ごるぁぁ!何時だと思っんだ!」

「あ、16時15分・・・あ、今、17分ですね」

「4時って言っただろ!」

「4時ごろ、でしたよね」

「口答えするな!」

「いや、あの・・・」

「ズボンとパンツ、脱げー!」

「え?え?え?」

「良いから脱げぇ!」

「な?なななな?なんで?」


と言ったが最後、思いっきり殴られて床に倒された。慣れた手つきでズボンとパンツを脱がされた。
石井ヒロオ氏は素早く自らの半裸となり、自身の欲望の塊を私の身体にズブリと捩じ込んできた。

ろくな前戯もなく解されぬ肛門に重たく突き入れられた熱量を、私の肉体は受容できず、のたうち、悲鳴をあげ、涙を流す。

「嫌だ・・・っ。っ・・・嫌・・・っ」

石井ヒロオ氏の腕の下でもがき、暴れ、抵抗した。

無論、敵わなかった。

石井ヒロオ氏の熱い躰にのしかかられ、後ろから犯された。

手荒な暴行だった。

石井ヒロオ氏の欲望の形が突き入れられ、痛切に内壁を抉るたびに、泣き叫ばずにいられない。

なのに同時に、いっそう石井ヒロオ氏を求める極端な衝動が育つ。


「い・・・・・・や、ぁっ・・・・・・んぅ・・・・・・・ン・・アァ・・・・・・!」


痛みを超越した隠微な感覚が、本能の奥底から引き出され、私は慄然とした。

苦悶に見せかけた悦びの扉を開いたのは、誰だ。

15分遅刻して、この強姦を招いたのは、誰だ。

私の耳朶を、石井ヒロオ氏が一度噛んだ。背筋を走る魔的な電流に、私は身をこわばらせた。

石井ヒロオ氏の舌先が私の耳朶の表面をねぶり、やがて唾液と共に、ぬるりと耳孔に潜り込んだ。ひっ、と思わず悲鳴を発した。

「あっぁ・・・・・・・ぁぁ・・・・・・・ん、ン・・・・・・ん・・・・・・・、ぁ・・・・・・・!」


巧みな唇と舌で性感の存処を煽られた。

自らの皮膚の濡らされる音が、いやらしく大きく聴覚に響き、熱病のように全身がヒクヒクと反応した。

「はぁっ・・・・・・・・ぁぁ・・・・・・っ」


抗う余力が四肢から消え去った。もう、石井ヒロオ氏の思い通りになるだけだった。


「ぅ・・・・・んぅ・・・・ぅ、ぅ・・・・・・」


嗚咽が止まらない。

耐え難い敗北であり、羞恥だ。

この店内の前で泣き続けるなんて。啼き続けるなんて。

死ぬほどの屈辱であり、同時に逆転した、暗い歓喜だ。

ずるっと石井氏は男根を躰の奥から引き抜かれた。

石井ヒロオ氏は瞬きをした。

肉体に与えられた衝撃と虚脱感で、少し呆然とした。



疲れながらもサウンド・チェック。



と言うか演奏しながら気がついたのだが喉が腫れていた。若干、熱っぽい。こう言う時って楽器の調子も悪い。

エフェクターのチェック・・・・当日は『買ったけど使ってない』と言うエフェクターを使ってみた。

悪くない。ちょっと音の立ち上がりに不満はあれども悪くはない。


因みに私が石井ヒロオ氏に蹂躙されている横で長谷川洋さん(アストロ)さんがリハをやっていた。


吉祥寺フォースフロアの頃はビルの最上階って事もあり余り音量を気にすることはなかったが、高円寺4thはビルの地下であり、恐らく元々は飲み屋と言うかスナックである。

その為、騒音問題で苦情が頻繁に来るらしく、「もうちょっと音を下げてください」と頼まれていた。

店長曰く

「苦情?そんなもん、毎日来るでぇ。謝るんやけど、この歳になって謝りたかぁないやんけ。なぁ?」

と屈辱と苦渋の日々らしい。


で、石井ヒロオさんがリハをやって、ReizenがDJでやってきた。


其処へ阿佐ヶ谷YellowVisionでLIVEだった皆のアイドル『小川京子』さんが来てくれた。



(阿佐ヶ谷YellowVisionで演奏する小川京子さん)


(普段着。この格好で来たのでドキドキした)





で、開演。


石井ヒロオさん、REIZEN君、長谷川さんで「ノイズ話」で盛り上がっている。私は実はノイズ畑でもインプロ畑でもない(インプロ畑には一時期、いた事はあるが)。

なので話がサッパリ判らない。

「昨日のライブは可也、練り物だったよねー」

「練ってたねよね。もう、竹輪か?って位に」

「水飴感すごかったよね」

「あ、そうそう。下井草のもっちゃんとか鯨だったよ」

「え?前は木工じゃん」

「だから、鯨だったからビビった。だって、鯨だよ?」

「鯨かぁ。白楽の店で観た時は鮭だったんだけどね。産卵したりして」

「鮭だった時期があったんですねー」

「うん。俺も前は羅生門だったからね。もー、そりゃナスとかキュウリとか漬まくりよ」

「で、最初にあっちゃんが出たじゃん。で、すげぇ肉汁だったでしょ」

「うん。果汁1%だったし」

「しかも七輪じゃん。すげぇ!って思ってさー」

「噛むと口のの中でシュワー!みたいな」

「そーそー!で、正月に盆踊りじゃん。死霊っていうか空海っていうか」


そんな『ノイズ夜話』に全く付いて行けず孤独感。


で、時間になったので最初に石井ヒロオさんが演奏。


圧巻。


後日、録画した映像を2日間かけて編集しちゃうくらい圧巻だった。
「永遠にこの音が続いて欲しいなぁ」と思ったほど。


まさに『電気音楽』と言うか、電気の音がした。床とか壁が揺れてたもんな。最高だった。




で、REIZEN君のDJ。


ハーバード大学で鳥の糞の分析による株価予想と言う画期的な研究をし、プリンストン高等研究所で河原の石を漬物石へ変化させる、と言う途方も無い研究を行いながらも、エルヴィス・プレスリーが大好きで、日本に帰国後、エルヴィス・プレスリーのコピーバンドを作ったら、ミニマル~ドローン・サウンドになり、東京オリンピックのエンブレムを作ったり、きゃりーぱみゅぱみゅにトラックを提供したり(勿論、ドローンだ)、超売れっ子なのだが、DJでは延々と

『徴兵後のエルヴィス・プレスリー』

だけを繋けていた。

「徴兵前ではなく、徴兵後のプレスリーこそがプレスリーだ」

と言う。


で、私。熱があったのか、演奏しながら「あ、喉が腫れている」と気がつく。Trumpetと言う楽器は体調不良が露骨に出やすい。

風邪の自覚症状がなくても、練習中に気がつくことが多い。

とは言え演奏。

演奏中に何故か

『ギター流しの演歌歌手』

が来て「一曲、如何ですか?」と言う。ステージでは私が演奏しているのである。

だが、間髪入れずに長谷川洋さんが

「ラブ・イズ・オーヴァー!」

と言ったので一曲500円でギターの流しは『ラヴ・イズ・オーヴァー』を熱唱し始めた。

『Love is over 悲しいけれど
終りにしよう きりがないから
Love is over ワケなどないよ
ただひとつだけ あなたのため

Love is over 若いあやまちと
笑って言える 時が来るから
Love is over 泣くな男だろう
私の事は早く忘れて』





私の演奏と同時進行でラブ・イズ・オーヴァーが流れる。しかもフルコーラスだ!
可也、シュールな光景だった。


実はテーマは『ショート・グラインド』だったので、曲名があり、ちゃんとアナウンスしながら演奏しようと思ったのだが曲名を書いた紙を忘れてしまった。

此処に記載しておこうと思う。

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①俺は田舎のロックフェラー

②親の飯が不味い

③祖母の腰が曲がり過ぎてガラケーみたいになった

④セーラー服と期間工

⑤比較的、フラットな胸が好き

⑥高円寺には灰野敬二のモノマネが出来る奴が10人いる

(カバー曲)

⑦見るまえに跳べ(岡林信康)

⑧好きすぎて馬鹿みたい(石川梨華)

⑨風害ロマン(はっぴいえんど)

⑩イン・ア・サイレント・ウェイ(マイルス・デイビス)

⑪大阪恋物語(やしきたかじん)

⑫雨の日はバラードで(やしきたかじん)

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開演してから只管、プレスリーの『ビバ・ラスベガス』などを繋けているREIZEN君から終わってから

「ミュージシャンとしよりも、人間として失格」

とdisられた。


続いて長谷川洋さん。ソロは珍しいらしい。アストロは聴いたことがあるし、長谷川さん自身は何度かライブハウスやSDLXで見かけた事があったが演奏は初めて。

綺麗な、職人的な演奏。

美しい・・・と言うか。最初は頭でゴチャゴチャと何か考えていたのだが、しばらくすると脳味噌が空っぽになる。

切ない音だった。

「嗚呼・・・」と思っていると演奏終了。

100年位、聴いていたかった。


終わってから打ち上げ。


高円寺にこんな店があったのかよ?って言うメキシコ料理店。

「何か食べれないモノとかありますか?」

と聴かれたので

「エビとタコとイカ」

と言うと店員から

「前世でエビに悪い事をしたんでしょうね」

と言われた。

で、矢張りノイズ夜話が始まる。

「でさぁ、たっちゃんがファズとかギターを盛るワケよ」

「二郎ラーメンみたいな」

「そーそー!もう、肉増しって感じで」

「でも、あの時、ふーさんも練り物多かったじゃん」

「コンビーフだったね」

「うん。凄いコンビーフだった。もう、肉!って感じで」

「イルカだったよねー。超、川イルカ」

「イルカってより、紙ベースじゃない?」

「だね。紙だったね。パルプだった」

「そう言えばプールでやった時にさ、光が丘幼稚園の鯖が鯵ときんぴら牛蒡なのよ」

「え?マジで?アソコで光が丘幼稚園?」

「でしょ?自由が丘保育園だと思ったら、鯖ときんぴら牛蒡なのよ」

「俺が行った時は白ワインのムニエルだったけどなぁ」

「いや、普通に尾頭付きだったね。」

「イカのフェロモンがさ、たもっちゃんの電波を刺激しちゃってさぁ」

「上流から流れる初恋ポエムね」

「南部の労働階級がさぁ、タコとポン酢で酢漬けなのよ」

「酢漬けじゃなくて、ニシンだったら良かったのに」

「でも、森重さんが結構、ルンバだったから」

「森重さん、ルンパってたよね」

「ソープのミーコがPAやってたんだけど、土俵入りの際に砂利巻くのよ」

「岩じゃなくて砂利?」

「砂利、砂利。で、砂利だと滑るじゃん。だから三回転半の人間ピラミッドですよ」


ノイズ界隈の会話は難しいなぁと思いながらビールを飲んだ。

2016年4月10日日曜日

トニー・コンラッド死亡。








もう、凄く影響を受けた。

影響を受けたなんてもんじゃなくて、「この人がいるならば大丈夫」と思える唯一の存在だった。
ドローン・ミュージックとは、トニー・コンラッドの事であり、残りは全て『亜流』だと思っている。スティーヴィ・ライヒもフィリップ・グラスも彼の前では『カントリー&ウエスタン』でしかない。


00年頃に強迫神経症になった事がある。
精神科に行くのが嫌で何とか治せないか?と試行錯誤していた。
で、部屋で音楽が流れていれば気が休まるのに気がついた。
もっと言えば音楽じゃなくても良いのではないか?と思った。
それで蛇口から出る水の音にディレイをかけて、それを120分テープに録音して延々と再生していた。
後にトニー・コンラッドやドローン・ミュージックを知った時に
「俺が作業療法としてやっていた事を、もっと前にやっていた人がいたのか!」
と思った。
水の音にディレイって作品じゃないけども、思えば『聴きたい音楽がないから、自分で作ろう』って言う動機の最初の作品だった。
『商業音楽』・・・インディーズだろうとノイズだろうとフリージャズだろうと・・・が持つ『主張』『人格』が邪魔だった。
だから自分で作った。


トニー・コンラッドの作品は自己主張がない。人格すらないんじゃないか?って位に。
強いて言えば『音を伸ばし続ける』と言う強烈な自己主張と人格があったが、其れが何故か心地良かった。
とても大好きだった。
『だった』って言うより『好きです』だな。

3枚組だったか、4枚組だったか。そんなCDを入手したらバイオリンの「ツー」という音が延々と入っているだけで、最高だった。
14枚組ってのもあるらしい。
癌で76歳か。


明日のLIVEはトニー・コンラッドの為に演奏しようと思った・・・と書きたいが、其処まで私は偉くないので、やはり当初、予定している通り
『テーマ:グラインドコア』
で行こうと思う。
彼の魂が来世では、もっと正当な評価を受けられるように祈って寝ようと思う。
正直、ショックでうまく書けない。


http://blog.goo.ne.jp/googoogoo2005_01/e/3b6d0a04bad5f9ea2363ddc873aebc48
以下、引用。

A Challenge To Fate
Tony Conrad—the composer, musician, video artist, teacher, and writer—has died, The Buffalo News reports. Conrad is considered a pioneer of minimalism, drone, and noise music. He had been battling prostate cancer and was recently hospitalized with pneumonia. He was 76.

作曲家・音楽家・映像アーティスト・教師・作家であるトニー・コンラッドが死去したと『バッファロー・ニュース』が伝えた。コンラッドはミニマリズム、ドローン、ノイズミュージックの先駆者と言われている。彼は前立腺がんと闘病しており、最近肺炎のため入院した。享年76歳。
Conrad was born in Baltimore in 1940. After he graduated from Harvard in 1962, he moved to New York, where he became an integral member of the city's underground music scene. He collaborated with La Monte Young and was an early member of the collective Theater of Eternal Music (aka the Dream Syndicate). He was in a short-lived pre-Velvet Underground band called the Primitives with John Cale and Lou Reed. Conrad reportedly introduced Cale and Reed to a book called The Velvet Underground, which is how they got the band's name. 

コンラッドは1940年ボルティモア生まれ。1962年にハーヴァード大学を卒業後ニューヨークへ移り、NYアンダーグラウンド音楽シーンに不可欠なメンバーとなる。ラ・モンテ・ヤングとコラボレートし、"ドリーム・シンジケート"として知られる"シアター・オブ・エターナル・ミュージック(永遠音楽劇場)"の初期メンバーとなる。ジョン・ケイルとルー・リードとともにヴェルヴェット・アンダーグラウンドの前進バンド"プリミティヴス"に短期間在籍した。ケイルとリードにバンド名の元になった『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』という書籍を紹介したのはコンラッドだと言われている。Conrad taught at the University of Buffalo's Media Department starting in 1976. About a week ago, he was scheduled to perform Outside the Dream Syndicate with Faust at Big Ears Festival, but was forced to cancel because of his health. Laurie Anderson performed with Faust in his place. In an interview with Pitchfork contributor Marc Masters, Conrad said, "I still have a lot of music that hasn't found its way to daylight yet."

1976年に設立されたバッファロー大学のメディア学部で教鞭をとった。1週間前ビッグ・イアーズ・フェスティバルでファウストと共演で『アウトサイド・ザ・ドリーム・シンジケート』を演奏する予定だったが、健康上の理由でキャンセルせざるを得なかった。コンラッドの代役でローリー・アンダーソンがファウストと共演した。『ピッチフォーク』のマーク・マスターズとのインタビューで、コンラッドは「私にはまだ陽の光を見せられていない音楽がたくさんある」と語っていた。
--------ピッチフォーク』サイトより




2016年4月9日土曜日

アイドルと天皇制

アイドルとは何か?



AKB48を筆頭に、乃木坂808とか、成子坂303とかゴチャゴチャといる。

テキトーに調べただけでも

『BiSH』

『生ハムと焼うどん』

『ぜんぶ君のせいだ。』

『BELLRING少女ハート』

『校庭カメラガール』

『STEREO JAPAN』

『『妄想キャリブレーション』

『Bis』

『ゆるめるモ!』

『アイドル教室』

『バンドじゃないもん!』

『おやすみホログラム』

『ANNA☆S』

『ライムベリー』

『デスラビッツ』

『LADYBABY』

『たんきゅんデモクラシー』
『CHA88』

と、全盛期のグループサウンズや、パンク・バンドよりも多いんじゃないか?と思う。

以前、小泉今日子がTVで言っていたのが


「私の頃(アイドル時代)ってアイドルって言う区分けはなくて『歌手』だった」

「その『歌手』と言う区分けの中でファンが自発的に『アイドル』にしていた。それがアイドルだと思う。だけども、あくまでも『歌手』なんだけど」

「今のアイドルは・・・ちょっとオトナのテが入りすぎてるんじゃないかな」
と言うのが何となくシックリくる。



私が小学校2年生の頃に『おニャン子クラブ』がデビューした。で、『夕焼けニャンニャン』が放映されていたのだが、その際に聴いた
『セーラー服を脱がさないで』
を聴いた時は「なんてHな歌なんだ!」と子供心にドキドキした。もう、胸が張り裂けそう、って言うより「なんて卑猥な曲なんだ!」って言うか。
何しろエロ本を謁見するために河原や土手に行かなくてはならない時代である。

『子供』

と言うのは男女が結婚したら自然発生的に出来るモノで、マ○コから出て来るのではなく帝王切開で産まれてくると思っていた時代である。
そんな事もあり全く内容が判らないのに意味もなく『夕焼けニャンニャン』を欠かさず見ていた(子供には全く意味不明な番組だったが)。
-
元祖アイドルとされる『キャンディーズ』は私の子供の頃は既に童謡に近いニュアンスになっていた。
田舎の山奥に住む保育園に通う子供にすら分かる音楽だった、と言うか(沢田研二は別格で、保育園の頃に『TOKIO』を聴いた時は「この世に、此程、カッコイイ音楽があるのか!?」と思うほど衝撃だった)。
-
で、いまの若い子がAKB48に熱中する年齢の頃にはアイドルと言うのが壊滅状態だった。

『アイドル不在の時代』

と言うか。

小泉今日子が『なんてたってアイドル』と歌っていた位、アイドルがいなかった。
それに小泉今日子をアイドルと思っていた人は多くはなかったんじゃないか?と思う。

「凄く個性的でオシャレな歌手」

と言う感じだった。姉がファンだった。
思えば小泉今日子も音域は狭いし、歌も上手いワケじゃないんだけども音域の狭さをリズム感でカバーしていた気がする。
『細川ふみえ』はグラビア・アイドルだったが、『九州大陸』と言う封建的な土地で、『福岡県』と言う更に封建的な県で、『北九州市』と言う、それに輪をかけて封建的な街での『細川ふみえ』は
「あんなぁもん、見せ子やん(露出系であり、裸体を晒しかねない淫乱女ではないか、と言う意味)」
の一言で終了だった。女は大和撫子に限る!無闇矢鱈に肌を露出するな!と言う北九州男児らしい発言である。この辺が『北九州市=日本のシリア』と呼ばれる所以だろう。

思えばYOUTUBEが出来て『セーラー服を脱がさないで』を聴いてみたら死ぬほど下手で愕然とした。




で、高校生の頃は『小室ファミリー』で、歌手が全面と言うよりは小室哲哉の方が全面に出過ぎていて歌手は誰でも良かった、と言うか(思えば安室奈美恵ですらアイドルだったのだ)。
次に『モーニング娘』と言ったつんく♂系。
然しながらアイドルと言うよりは、やはり小室ファミリーに関しては『歌手』であり、アイドル感はなかった。
『モーニング娘』は田舎臭かった。
渋谷系全盛期の頃に『モーニング娘』は可也、恥ずかしい存在だった。


その頃、アイドル・グループはいたらしいのだが今のインディーズアイドルと近いニュアンスだったらしい。東京パフォーマンスドールとか、制服向上委員会とか。
専属の作曲家がいなかった為、自分達で事務所を作り、作曲の心得がある子がシンセやドラム・マシンを使って曲を作っていた。
それが結果的にテクノ・ポップ感が出てしまい、80年代にテクノ・ポップに心酔していたが、新たなバンドがいない為(ソフト・バレエとかいたが、あれはインダストリアルだと思う)、結果的にアイドルに行く、と言う例が多かったらしい。
アイドル・ファンと言うより『シンセ・ファン』と言うか。
小室哲哉のサウンドはtechnoであり、ユーロビート。
インディーズアイドルはテクノポップと言うか。
当時、中古レコード屋から「テクノポップ少年」と言われる程、80年代のテクノポップやNWを買いまくっていたのだが(姉の影響でYMOのファンになったから)、東京パフォーマンスドールは聴かなかった。
TVへの露出が少なすぎた。制服向上委員会も同じく。



で、上記のようにアイドルがインフレ状態。
そもそも論として『アイドルって何だ?』と言う議論も、回答もない。
「これがアイドル?」
と疑問に思えるほど・・・皇族に居そうなルックスの子も多い。
「ちょっと、公家の血が混じってないか?」
みたいな。
「え?愛子内親王が歌って踊ってる・・・」
みたいな。












そこで。












私にハロー!プロジェクト系のアイドルを「もう、止めてくれ」と頼むほど熱心に聴かせる人がいた。
ドンシャリ・サウンドでウンザリだったのだが、その人に

「そもそも論としてアイドルとは何か?」

と尋ねた。

「アイドルって名乗るモノでじゃなくて、本来はファンとか周囲が決める事でしょ?『アイドルです!』と宣言するのは如何な物か」

と言うと友人は暫く黙った。
で、重たい口を開いた。

「アイドルは・・・アイドル!」

「アイドルは可愛い女の子!アイドルはアイドル!」

「アイドルなんだから、アイドルなの!」


何というか街宣車で走り回っている右翼に何も知らずに

「天皇って何ですか?」

と尋ねたような気分になった。多分、街宣車で走り回っている右翼も

「天皇陛下は天皇陛下!」

と言いそうな気がするし。


『アイドル=天皇制説』


と言うのを唱えたい。
で、『アイドル=天皇制説』だとジャニーズ系が最強となってしまう。
歌とDANCEが恐らく国内TOPクラスって言う(JSBのDANCEは糞以下。あんなDANCE、ガキでも出来る)。



そう言えばドラびでおのブログに「フリージャズは面白く無い。今はアイドルが一番、面白い」とあって、そもそも論としてフリージャズとアイドルを比べるのが狂ってるだろ、と思うのだが。

まぁ、アイドル=天皇制=ファンは狂っている→天皇制も狂っている→歴代の天皇で狂っていた人も多い→狂気と任務を分業したら「アイドル(天皇)」「ファン(狂気担当)」なのかもしれないが。

で、アイドルって何だ?


個人的に『石川梨華』は歌もDANCEも完璧だし、音域も広い。アイドルとしてではなく『MADONNA』や『レディ・ガガ』位になって欲しい、と思う。
MADONNAも元々はセクシーさだけが全面で歌は二の次だったと思うが、今は世界最強のPerformerであり、歌手だ。
ミス・ポップスと言うか。


そう言う存在がいて欲しい、と思うだけなんだが。


2016年4月8日金曜日

【美はト長調】


美とは何か?



日々、考えてしまう。何が美しく、何が美しくないのか。
考えても意味は無いのだが、其れについて全く考えないのも如何なモノかと思う。


音楽理論やテクニックと言うのは美ではない。
だが、美へのアクセスには近いだけで、遠回りしようと近道しようと美は美だ。
そして美は常に瞬間の中にしかない。

『美はただ乱調にある』

と言う言葉がある。

フリージャズを志していた頃に、そんな事を言っている人がいた。だが、未だに美が乱調にあるとは思えない。
そして、そう言う事を言っていた人の演奏は総じて醜かった。


ゲーテの『ファウスト』に

「時よ止まれ!おまえは美しい」

と言う台詞がある。戦後の東京オリンピックでも使われた言葉らしい(東京オリンピック自体は興行的に大失敗だったが)。



然し、『時よ止まれ。お前は美しい』と言う言葉ほど深いモノがあるだろうか。



美は瞬間的なモノであり、ゴッホの絵だろうと、演劇だろうと、ダンスだろうと、音楽だろうと、その最も美しい瞬間は、『瞬間』でしかなく、永続するモノではない・・・と思う。

上京当時、東京タワーを「すげぇ」と思っていたのは、自分が東京に住んでいる事について、と同義語だった(田舎者だから)。

だが、美しいと思った事はない。

美が瞬間的なモノであり永続するものではないのであれば人工的な建築物は皆、美しくない。


綺麗だったり

可愛かったり

素敵だったり

立派だったり


それが美か?となると首を傾げてしまう。金閣寺や平等院鳳凰堂と言った凄まじい建築物があるが、やっぱり「すげー」程度である。平等院鳳凰堂に美を感じた人が建設当時でもいたのだろうか?と思う。
奈良の大仏でも良いのだが。

然し人工物が少なかった時代には、テクノロジーは其れだけで美しいと思えたのかもしれない。



私が大好きだった舞踏家がいた。過去形なのは故人だからだ。

彼のダンスは10回中、9回は素晴らしいモノだった。彼は『美は痙攣的なもの』と言うスタンスだったが、彼のダンスで痙攣的なモノを求道している姿に惹かれたのではなく、彼が舞台の上で見せる


『ダンサーとしての自分』

から

『ダンサーではない自分』



と言う隙間にこそ美しさがあった。其れこそ「時よ止まれ。おまえは美しい」と言いたい程。


桜は毎年、咲いて、毎年、散る。物心ついた頃から延々と同じことを繰り返している。

だが、毎年、同じように「嗚呼、美しい」と思う。


美は永続するものではない。消えるモノであり、瞬間的なモノだ。

鬼や化物は瞬きの間に存在すると言う。

だとすれば鬼こそが美しい、となる。悪魔的なモノが美しい、と言うのは不思議だ。


桜に感動するのではなく、散る姿に感動する。


心が蕩ける。




2016年4月1日金曜日

それは禁区

皆のアイドル『SEALDs』がやった国会議事堂前の安保デモには500人が集まり。
『ラブライブ!』と言うアニメのグッズ販売には5000人が集まる。

自民党をdisる事はメディアとしてタブー。
SEALDsをdisる事は何故かタブー。

安保法案=徴兵制度と軍事国家と言わねばならず。
自民党を糞メンヘラ親父がTOPと言う事は言ってはならず。

朝の6時に起床して、
朝の6時に帰社する。

帰宅後にシャワーを浴びて、結わえたロープに首を入れる。
または帰社中の快速電車に飛び込む。

その頃、国会議事堂前では「民主主義って何だ!」と出来損ないのラップによる陶酔感を味わう人達が集う。
デモ、ストライキ、暴動、シットイン。

様々な抗議の方法があり、其れは自分達の将来の為、または現状の生活の為に声を上げるモノだと思う。
右翼と呼ばれる人々も、左翼と呼ばれる人々も基本的な手法は変わらない。

「子供を守れ」なんて誰も思っていないし、歴史上、日本が子供を守った事なんて一度もない。日本の歴史の中で『子供』と言う存在は人質であり、労働力であり、商品だった。

「子供を守れ!」と言うが、さも、此れまでは子供を守ってきたような口ぶりでよぉ?と言いたくなるが、其れは言ってはならない事になっている。

あくまでも自分の生活の為に声を上げているんだ。発展途上国の貧農の末っ子ですら泣きながら逃げだす職場で、発展途上国の貧農の末っ子より低い賃金が嫌だから声をあげるのである。
保育園落ちた!から子供に期限切れのパンが配られる。


自殺者が3万人以下になった!と喜ぶ以前に、自殺者が2万9千9百99人もいる、と言う事は余り言ってはならない。

国会議事堂前まで「民主主義って何だ!?」と言う人々にとって、民主主義と言うのは国会議事堂前に行ける都民の事を差し、県民は狂った老人を階段から叩き落とす事で精一杯だ。
その事は言ってはならない。


日本人にとって「自分の生活/将来」について抗議をする、と言う事は、常に『自殺』と言う方法が取られる。
ブラック企業と言うが国がブラック企業なのだから、ホワイトもブラックもブルーもない。

ソマリアの貧農の末っ子が泣きながらブルースが歌えない職場に対して抗議をするために『自殺』を選ぶ。
閉鎖的な学校で、カースト制度の下位に回されてしまった子供はスクール・カーストへ抗議するために自殺を選ぶ。

『切腹の文化』

なのか?寧ろ『切腹』は文化ではなく体質なのだろうか。

『言ってはならない』事を言うためには死体とSETで。

そして、この文章も本来は自殺とSETのはずである。