90年代中頃、インディーズ映画では最強に尖っていて、最高に良かった。
暴力シーンだけなんだけども、この映画は
「其々の日常」
と言うのがあって最初は
『視聴覚障害者の日常』
『大宮のチーマーの日常』
『ヤク中の日常』
『東京に出てきて何故か死んじゃった不良友達の遺骨を受け取りに来た人の日常』
『外国人殺人犯の日常』
最後は最初の
『視聴覚障害者の日常』
に戻る。其々の日常があって、複線的に繋がるのだが(視聴覚障害者とヤク中は繋がらないが)、最後の台詞が良かった。
「なんとかなるでしょ」
この主人公に近い鬼丸(芸名)は実際にチーマーだったらしく、俳優でタトゥーを入れた最初の人らしい(ってか、チーマーってまだいるのか?)。
味のある役者で、最初だけかと思ったらまだ活躍しているらしく嬉しかった。
『なんとかなるでしょ』と言う台詞が何だかとても好き。
チーマーが今もいるのか、どうかは判らないが不良はカッコイイもんだ。
大昔。
『なってるハウス』で行われていたSessionをベースに公園通りクラシックスでLIVEが行われた。
演奏者:20名。
客:3人
と言うフリー・ジャズらしい、と言えばフリー・ジャズらしいイベントだった。
私とコントラバスの青年は可也、消化不良で、何と言うか思えば
『オッサン、おばさんの道具になった』感
と言うか。私と同世代の子達は、フリー・ジャズを通過してエレクトロニカだったり音響系に行くのだが、そんな時期だった。で、帰り際に「ウンザリだね」「ったくねぇ」ってな話をしながら帰宅した覚えがある。
で、オッサンのサックス奏者一人と、私と、もう一人と、友人で帰っていたら渋谷のB-BOYみたいな子がデカいアメ車に6人位で乗っていた(オープンカーだった)。
そのB-BOYと、自分達の沁みったれた感じの落差が凄まじかった。
ギラギラした眼のB-BOYの車からは大音量でHIPHOPが流れている。
「あの、一応、私達も黒人音楽をやっていたんですよ・・・さっきまで・・・」
と泣きそうなるほどの落差だった。
サックスのオッサンは死ぬほどダサい&安っぽいブレザーだったし(00年代にブレザーだぞ?ブレザー!)。
「何で俺、こんなオッサンと帰っているんだろう」
と思った。
勿論、ノーギャラだった。
確か帰り道で「もう、フリー・ジャズは止めよう」と思ったのを覚えている。
思えば、あの夜だった。
フリー・ジャズと言ってもアンプやマイクは極力、使わない、と言うのが当時のスタンスで、フル・アコースティックだった。
で、皆、大音量で吹いていたのだが、どう考えても
『キラキラと輝く不良少年たち』
の方が音量はデカかったし、何よりCOOLだった。
あちらがCOOLで、此方はSquareでNardだった。
私の郷里は九州地方なので暴走族が週末になると爆音で走り回っていた。
彼等は2車線のバイパスや市街地を走るので、住宅街だった此方には音しか聴こえてこない。
あの音は田舎少年(オナニー=害と考える)にとっては、最高にロックだった。
平均時給が1兆ジンバブエ・ドルな田舎にとって『エレキ・ギター』と言うのは裕福な家の子の道楽であり、手慰みだった。『シンセサイザー』は「なんだ?それ。バイクの部品か?」という感じ。
何しろ中学生の頃の愛読書が『ヤングオート』だった。
もう、胸がときめいた。河原や土手で拾うエロ本よりトキメイた。
何しろ当時のヤングオートには
『捨てられたバイクを拾ってきて、0から斜体を作る』(当時の法律では確か勝手に捨てられた廃棄物は勝手に処分して良かった。)
『バイクのエンジンのフルリペアのやり方』(50~125cc位なら高校生でも扱える仕組みだった)
が掲載されていて「僕も大きくなったら暴走族になりたい!こんな車やバイクに乗りたい!」
と本気で思っていた。
高校生になって姉の影響で渋谷系になり、アングラ演劇をやり、今では鳩から糞を頭の天辺に投げ落とされている私だが、今でも80~90年代初頭の暴走族のバイクや車は未だにCOOLだと思っている。音も良いし。
今は見かけないなぁ。郷里で見かけた暴走族は4人程度で、そのうち2人は原付きだったし。
昭和は遠くになりにけり。
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