皆のアイドル『SEALDs』がやった国会議事堂前の安保デモには500人が集まり。
『ラブライブ!』と言うアニメのグッズ販売には5000人が集まる。
自民党をdisる事はメディアとしてタブー。
SEALDsをdisる事は何故かタブー。
安保法案=徴兵制度と軍事国家と言わねばならず。
自民党を糞メンヘラ親父がTOPと言う事は言ってはならず。
朝の6時に起床して、
朝の6時に帰社する。
帰宅後にシャワーを浴びて、結わえたロープに首を入れる。
または帰社中の快速電車に飛び込む。
その頃、国会議事堂前では「民主主義って何だ!」と出来損ないのラップによる陶酔感を味わう人達が集う。
デモ、ストライキ、暴動、シットイン。
様々な抗議の方法があり、其れは自分達の将来の為、または現状の生活の為に声を上げるモノだと思う。
右翼と呼ばれる人々も、左翼と呼ばれる人々も基本的な手法は変わらない。
「子供を守れ」なんて誰も思っていないし、歴史上、日本が子供を守った事なんて一度もない。日本の歴史の中で『子供』と言う存在は人質であり、労働力であり、商品だった。
「子供を守れ!」と言うが、さも、此れまでは子供を守ってきたような口ぶりでよぉ?と言いたくなるが、其れは言ってはならない事になっている。
あくまでも自分の生活の為に声を上げているんだ。発展途上国の貧農の末っ子ですら泣きながら逃げだす職場で、発展途上国の貧農の末っ子より低い賃金が嫌だから声をあげるのである。
保育園落ちた!から子供に期限切れのパンが配られる。
自殺者が3万人以下になった!と喜ぶ以前に、自殺者が2万9千9百99人もいる、と言う事は余り言ってはならない。
国会議事堂前まで「民主主義って何だ!?」と言う人々にとって、民主主義と言うのは国会議事堂前に行ける都民の事を差し、県民は狂った老人を階段から叩き落とす事で精一杯だ。
その事は言ってはならない。
日本人にとって「自分の生活/将来」について抗議をする、と言う事は、常に『自殺』と言う方法が取られる。
ブラック企業と言うが国がブラック企業なのだから、ホワイトもブラックもブルーもない。
ソマリアの貧農の末っ子が泣きながらブルースが歌えない職場に対して抗議をするために『自殺』を選ぶ。
閉鎖的な学校で、カースト制度の下位に回されてしまった子供はスクール・カーストへ抗議するために自殺を選ぶ。
『切腹の文化』
なのか?寧ろ『切腹』は文化ではなく体質なのだろうか。
『言ってはならない』事を言うためには死体とSETで。
そして、この文章も本来は自殺とSETのはずである。
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