とても、とても、大好きな猫ちゃんだった。
とても、とても、美しく、素敵な猫ちゃんだった。
初対面で、私は猫を「綺麗な猫だ!」と思い、猫は「大きすぎる猫だ」と思った。
ある時期以来、実家には時折、帰省していたのだが、理由は「猫」だった。
私は恋人だろうと、何だろうと、何処まで行っても分かり合えない。俺が他人と分かり合えないんだ、と言う事を小学校~高校と丁寧に、徹頭徹尾、骨の髄まで教えてくれた奴等ばかりだった。
そのクソな奴等の言う事は一理あり、彼等も私の事が分からなかったし、私も彼等の事が分からなかった。
だから、誰かを好きになったり、友情を感じる事もなく、20歳以上になった。
だが、猫や犬とは分かり合える。
学校の同級生・・・自分以外・・・の言葉は全く理解出来なかったが、猫や犬の言葉なら理解が出来た。
だから、猫だけが親友だった。
心を許せる友が『猫』だけだった。
私が足の骨を折って実家療養してた頃。
音楽的に燃え尽きてしまい、実家で療養していた頃(肺炎だった)。
心を許せる相手は、サビ猫だけだった。サビ猫は私と二人きりになると抱っこもOKだったし、目を細めて甘えてきた。
私もサビ猫の期待に応えられるように迎えていた。
お互いが迎えあっていたのだと思う。
サビ猫と私は「ペットと人間」を超えたモノだった。
私は一度もサビ猫を『ペット』とは思わなかった。
と言うか、KO.DO.NA家の誰もが犬猫をペットとしては見ていなかった。
そう言う家柄だった、と言うか。
家族と同じだった。猫も自分の事を『猫』と自覚している素振りはなかった。
実家に帰省していた理由は甥っ子や姪っ子に会う為ではない。甥っ子や姪っ子とはDNAは繋がっているが、所詮は赤の他人である。
妹や姉が、別の男性と作った人間なので、同じ血が恐らく50%は流れているのだと思うのだが、
『魂の結びつき』
と言う程のモノではない。肉親って、何処か緊張感がある関係だと思う。其処までの関係性を封じる処がある。
それは近親相姦を防ぐ為のの本能なのかも知れないが。
其れに甥っ子や姪っ子は幼すぎるし、生きている時代が違いすぎる。あと、私の子供ではない。
サビ猫に会うために帰省していた。
サビ猫が居なかったら、誰が人気のないウラ寂しい日本海側の田舎に行くと言うのだ。
①覚醒剤
②暴力
③銃
④出刃包丁
⑤拉致監禁
⑥死体
其ればかりだ。
そんな土地は疲れる。
だったら、サビ猫の方が知性があり、詩的だ。
4日間ほど家出をして、帰ってきたら様子がオカシイので病院に連れて行ったら、車に跳ねられたらしく、其れが原因なのか急性肝不全で死亡。
丁度、彼岸の日だったらしい。
今日、知った。
とても、とても、悲しくて、やりきれない。
泣いてしまおうかと思うが、泣いてしまう事は何か違う気がする。
泣いてしまうと、全て涙によって終わってしまう。
サビ猫の存在が終わってしまう。
それは嫌だ。
Nさん、Tさん、その他。
私が大好きな人は皆、死んでいく。42歳と言う年齢は、そう言う年齢なのかも知れない。
または「俺が大好きな人達は皆、死ぬ運命なのか?」とさえ思う。
誰のことを好きにならなければ、その人、生物は生き続けるのか?。
死ぬ事は誰もが確実であり、其れが早いか遅いかは神の采配だ。だが、どうして、こうも悲しくて、苦しいのか。
4 件のコメント:
最愛の猫さんが他界されたお悲しみは、計り知れないものとお察しいたします。どうかお気持ちを強く持ってください。天国の猫さんも見守ってくださるはずです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
やっぱり今でも悲しいですね・・・。
実家に規制する理由が無くなった、と言うか。
天国のサビ猫は見守っているんですかねぇ・・・。
はい、右の座の足元で寛ぎながら。
だから大丈夫ですよ。
ありがとうございます。
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