2015年3月21日土曜日

OM-2/作品 No.9

本日は『OM-2』。




のっけから言ってしまえば、OM-2を見始めて数年経つが此れまででベストに近いかな、と。
シンプルで、エレガントだが重たい、と言うか。


『セールスマンの死』

をモチーフにしたらしいのだが、まぁ全然違う作品である。過去には『ロミオとジュリエット』をモチーフにしたこともあるらしいが。


ただ、『ベストに近い』であって『ベスト』ではなかった。何と言うか一番、良かったのは311以降に最初にやった『「OM-2」日韓交流共同制作公演』である。
震災後、と言う状況が大いに加担した事もあるが、その『震災後』と言う状況を昇華していたし、其れを生かせる劇団ってのは意外と少ないもんである。

今回の『作品 No.9』は殆ど完璧だった。


台詞に頼らない劇団の為か、台詞回しがホンッと下手糞な劇団だったのだが台詞も上手くなったし、新顔の身体も強度を帯びてきているし。

舞台も美しい。







『セールスマンの死』をやろうとしたら結果的に『サミュエル・ベケット』『アルトナン・アルトー』になってしまった、と言う感じだがベケットやアルトーよりは、よりエレガントな解体劇。


何度も見ている私でも「素晴らしい」と思えるし、初めて見る人でも判る間口の広さ。



冒頭でiponeのFACETIMEを使ってのシーンがあるのだが、その使い方が素晴らしい。
もう、演劇なんてやめてサウンド・パフォーマンスに近い。

FACETIMEって動画を同時に送信するので音声が遅れて届くんだよな。

1秒以下だが。

だから、コミュニケーションしてはいるが実はリアルタイムではなく。

本人と相手にはディレイがかかる。思えば奇妙なモノであるが、その『奇妙さ』を上手く使っていた。
音楽をやっている人間としては「こりゃ敵わない」と思った。

ボイス・パフォーマンスも以前は思えば酷かったが、今回は誰が作曲したんだ?と思うほど綺麗だった。
メレディス・モンクの影響なんだろうが、もう演劇なんぞやらせておくには勿体無い程で。

「芝居なんて止めてサッサと音楽畑に来い!」

と思ったほど。




しかし、本当に綺麗でエレガントな舞台だったし、高いレベルだったからこそ『引っかかる』部分ってのはあって。

其処がとても

『惜しい』

と言うか。


『セールスマンの死』をモチーフにしたは良いが(此れは劇団のパンフと言うか主催者挨拶文に記載がある)、どうも接続が悪い、と言うか。



この劇団にストーリーは皆無と言うか意味を成さないので良いと思うのだが『セールスマンの死』って中年を過ぎた男性が、その老いと言うか中年以降の孤独感との対峙にすえ死を選ぶ、と言うモノである(実は『シルヴェスター・スタローン』の小劇場時代、最高演技をした作品でもあり、シルヴェスター・スタローンが本格的に俳優の道へ進む切欠となった作品でもある。『ロッキー』だけじゃないんだよ!奴ぁ!エイドリアァァン!)。


しかし、内容としてはセールスマンをやっている父が認知症、または若年性アルツハイマーと言う設定である(この辺は曖昧になっている。)。または単に老いた。

で、セールスマンだった父は精神病院と言うか施設に入る事になる。
施設に入る事で彼は居場所を見つける。

だが、自分に迫りつつある『老い』『死』と言うモノへの恐怖心は拭えない。

其処から逃れたいが逃れられないので『自死』を選ぶ、と言うモノ。


この辺が少し引っかかった。


老人達って実は『老い』と『死』が自分に迫っている事は重々承知なんだよな。
で、現状の老人は戦中派が大半の為なのか『死』から逃れる為ならホンッと、何でもする。
もしも『死』から逃れられる為なら殺人だってしかねないだろう。

その様子はしぶとく、そして吐き気がするほど醜い。

自分の身体が既に生物として終わっている事は判ってはいるのである。だが身近な『死』に対しての恐怖心は凄まじい。


例えば私の祖母は昭和36年から昨年まで熱心な『創価学会員』で、自宅を集会場として提供していた事もあり地区としては上の中クラスの学会員だった。

宗教の最大の目標は『死の恐怖を乗り越える』と言うものである。此れは世界中のあらゆる宗教に共通する。
其れを前提にしない宗教があるとすれば、其れは宗教ではなく『日本の会社員』か『共産主義』『資本主義』と言ったモノになるだろう。

そんな熱心な祖母で、御題目を身体が動く内は唱え続けていたのだが矢張り『死』の恐怖は凄まじいモノがあったらしく、祖母の『妄想』としては(妄想と言うか何と言うか。女性は幾つになっても乙女なので、妙な事を考えるものである)、

「火葬場でうっかり蘇ってしまい生きながら燃やされるのではないか?!」

と言うものだった。だから4回も入院して医者からも「此れがラストでしょう」と言われながらも不屈の根性で生き延びた。

「ったく、いつになったら死ぬんだ?」

と孫である私ですら思ったほどで。時折、家に行くと(入居型施設は強固に拒んだ)祖母宅の香りではなく、既に『朽ちた香り』と言うか。
簡易トイレがあり、使い終わった『オシメ(リハパン)』を捨てるゴミ箱があり、尿漏れ失禁の香り。

「既に『祖母』としての役目を終えたなぁ」

「で、いつ死ぬんだ?」

と思ったほどで。





長々と書いたが、何が言いたいか?って言えば老人が自殺を選ぶ事は稀である、と言う事。

『若年性アルツハイマー』
『痴呆』
『精神疾患』

と曖昧にされているが、一旦、施設に入った老人は大人しいモンである。若年性アルツハイマーだとすれば

「死のう」

と思って剃刀を探している間に「死のう」と思ったことを忘れる、と言う按配である。それに若年性は進行が早いので自殺は皆無に近い。

じゃあ、やっぱり中年男性の孤独なのか?となる。


「家族にも見放され、子供達からも疎まれ、存在価値が無い」

と言った台詞が後半にある。

だが、私自身がOM-2を個人的に知っている、と言うのもあるが実は違う事を言いたかったのではないか?と思う。


其れを『セールスマンの死』に接続させようとして失敗した、と言うか。


と言うか、接続不可である事は演出家なら判っていたはずで、其処をすっ飛ばしたのか「まぁ良いか」にしたのか、または無理矢理、『演劇的』にしてしまったのか。
『自死』に持っていく為のモチーフとして『セールスマンの死』は別に良いのだが、その『自死』への持って行き方に無理があった、と言うか。何故だったんだろう。

其れは判らない。

ただ、完璧に近い舞台が9割方、進行した後に薄っぺらい台詞、と言うのが非常に



『惜しい』



と言うか。あのモノローグが演出家にせよ佐々木氏個人のモノローグであっても良かったし、寧ろOM-2のスタイルとしては、個人的なモノローグで『あるべき』だったのではないか?と。

前作もモノローグではなかったがト書きでは殆ど演出家個人のモノローグだったわけだし。



いや、素晴らしい舞台だった。


観て感動すると思う。


しかし、無駄な経歴を持つ私は妙な処を見てしまう。しかし、今回はOM-2史上(旗揚げ公演以来)、最も『演劇的』『劇的』だった。非常に演劇的だった。
其処に驚いたし、実際に演劇的にしてみたら、エレガントさに拍車がついた、と言うか。
勿論、突然、演劇的にしたからこその「綻び」と言うのは致し方がないのかもしれないが。




そう言えば。


舞台を見ながら思い出したことがある。


私が進学した高校は市内でTOP1~3位の『馬鹿高校』だった。1~3位は殆ど意味が無く並列と言うか。
しかも『男子校』。

つまり『DQNしか居ない高校』である。

漫画だと激しい喧嘩だとか男の美学があるが、軍とヤクザの街なので「自分より遥かに強い奴しかいない」と言う諦めはある。

だから喧嘩で云々と言うのは実は少なかった。

ただ、悪名高き男子校だったので皆、不安だった。偏差値40程度の高校に進学する奴なんて『発達障害』か『DQN』しか居ないのである。

『DQN』なので馬鹿である。掛け算すら怪しい連中である。

じゃあ、何で馬鹿なのか?勉強しなかったからである。
何故、勉強出来ないか?と言えば机に座って大人しく問題集を解けなかったからである。
何故、問題集を解けなかったか?と言えば『勉強』は理性的だが、彼等は動物的と言うか身体的な欲求の方が強かった、強すぎたからである。

2~3台の廃棄バイクをバラして、1台のバイクに組み立てる、とかは出来るんだが掛け算は駄目、と言う連中。

喧嘩は自分よりも強い奴等しかいないし、其処に3年間も通わなくてはならない。
しかもDQNって高校生だと既に『晩年』なんだよな。DQNって基本的には小学生から中学生が全盛期で、高校生ともなると残り2年(3年生は就職があるのでDQN卒業なのである)。

やっぱり皆、怖いんだよね。怖いし、不安だし。

で、何故か全クラスで同じ行為が行われていたのだが

「机を只管、叩く」

と言う行為だった。トントコトン、と延々とやる。勿論、私もやっていた。不安だし。お陰で4~8ビートは判るようになったが。

中にはボールペンで机の足を叩いてパーカッシブにする奴もいたが(私やロック好きの奴)、主に手で机をトンドコトンと延々とやる。
授業中も休み時間も。

其れを見た担任が(毎年、同じ光景を見ているんだが)「何だかお前等、どこかの部族みたいだよな。トントコトントコと叩いてよw」と言っていたのが印象的である。

恐怖や先への不安、と言うのは言語化出来ないんだよな。

と言うか言語化出来る程、脳味噌のクオリティは高くないし、九州と言う土地柄、男性が不安心を口にする事は憚られていたし。

それよりも「机を手で叩く」と言う行為しかなかった。手が真っ赤になっても叩いていた。


言語を解体と言うか、言語化出来ない行為を身体的に表していたんだろうなぁと思う。


OM-2は台詞は殆ど無く同じく『机を叩く』『のた打ち回る』『打楽器を使う』だが、台詞を否定しているワケではなく、『言語化』される言語は口にした途端に腐りだす、と言うアルトー的発想なのかもな、と。

実際、愛の言葉も、暴力的な言葉も、本来ならば言語化されるべきではなく、其処にあるのは身体的な欲求である。


同じような発想で言えば暗黒舞踏やコンテンポラリーダンスと言うのもあるが、『OM-2』はもっとストレートだ。直球勝負、と言うか。


衝動だけをゴロン、と舞台上に転がしている


と言うか。テント芝居とかも近いニュアンスはあるんだけども、矢張り『台詞』と言う言語を通じた身体性なんだよな。だから、演劇って『アングラ』にせよ『漫才』にせよ、アカデミックではあるんだよな。

OM-2はそう言う意味で言えばアカデミックとは程遠い場所にいる。


アルトーに言わせれば「神の裁きと訣別する為」にいる。そう言う場所でしか彼等・彼女達は生きていけないし、其れは同時に私達の事なのである。




次回も期待である。

2015年3月17日火曜日

医者と冷温停止

胃腸の調子が悪い。




仕方がないので今日は『マグネシウム剤』を呑んで仕事。

もう、出るわ出るわ。

「あ!来た!来た!」

と言う時に限って相手が「ちょっと待ってくださいね!」と保留で5分とか地獄だった。



そんなワケで医者に行ってみた。


近所の継医院だが開業が戦前どころか3代続けて医者。今の医者はアメリカ帰りなんだが、正直


ヤブ


である。



で、私の身体を彼是と見る。「打診」とかもやるんだが以前、トントンとしながら

「まぁ、こんなんじゃ判んないんだけどね(笑)」

と言っていたような奴である。


聴診器で身体を彼是と聴き終えて医者は言う。


「どう考えても君は死んでいるね」

「は・・・はぁ?」

「医学的にも科学的にも君は死んでいるんだよ」

「っつ、ってか、あの?」

「だって、心臓は止まっているし、脳波は皆無。此れで『生きています』と言う方がおかしいのではないかね!」

「はぁ?俺の心臓、止まっているんですか?」

「もう、福島第一原発並みに冷温停止状態だよ」

「脳波は?」

「ジョン・ケージの『4分33秒』並みに沈黙だね」

「いや、其処に現代音楽は」

「とにかく、君は死んでいるんだよ」

「・・・。そっか・・・。俺、死んでいるのか・・・」

「ご愁傷様」

「いや、あの、ご愁傷様って本人に言う事じゃないと思うんですけども」

「じゃあ、なんて言えば良いんだい?」

「ってか、じゃあ、何で俺は死んでいるのに動いているんですかね」

「うーん。其処が判らないんだよね。此処は病院であって葬儀会場じゃないしなぁ」

「動いている、って事は生きている、って事だと思うんですよね」

「おかしいねぇ。」

「誤診だと思うんですよね・・・」

「はぁ?誤診!医者の私に歯向かうのかね!」

「いや、そう言うワケじゃなくて、だって・・・」

「今から君に全身麻酔をして臓器を片っ端から取り除いて売り払う事も出来るんだよ!」

「いや、この病院は内科・小児科じゃないですか!」

「設備はある!」

「ちょっと、落ち着いてくださいよ。じゃあ誤診じゃないとすれば私は何で動いているんですか?」

「うーん。近所に『ジャマイカ人』は住んでいないかね?」

「ジャマイカ人?」

「ジャマイカ人」

「住んでませんね」

「おかしいな。可能性として考えられるのは『ヴゥードゥー教』なんだけどね」

「じゃ、私はゾンビ、と」

「そうだね。それしか考えられない」

「いや、ジャマイカ人=ヴゥードゥー教ってワケじゃないでしょうし」

「まぁね。だが、実際、『レゲエ』なんて音楽で踊っているだろ?」

「ジャマイカと言えばレゲエですよね」

「普通のジャマイカ人はあんなアホ臭い音楽は聴かないよ」

「え?そうなんですか?」

「そうだよ!あんな『ウンチャ、ウンチャ』なんてリズムで恍惚としているなんてアホだろ?」

「じゃあ、普通のジャマイカ人は何を聴いているんですか?」

「そりゃクラシックだよ。私がアメリカ留学中に知り合ったジャマイカ人医師は『私の国のヴゥードゥーマジックの音楽が日本の若者を堕落させて申し訳ない。ジャマイカをあんな国とは思わないでくれ』と言っていたもんだ」

「そ・・・そうなんですかね・・・」

「横浜レゲエ祭とあるだろ?」

「ええ。死ぬほどダサい、あれですよね」

「演奏者もリスナーもゾンビだ」

「そうなんですか?」

「年間の自殺者が3万人を知っているかね?」

「はい」

「その自殺者の大半が浮かばれずにゾンビとなって、横浜レゲエ祭に行くんだよ」

「信じがたいですね・・・」

「だって、普通、ダサ過ぎて聴いてられないって!横浜レゲエ祭の連中の音楽とか。ゾンビじゃなかったら何なんだ!」

「そりゃそうですが」

「で、私はどうすりゃ良いんですか?明日も仕事なんで『死体』のままじゃ不味いんですが」

「復活の日を待つしかないね」

「え?また話が急に・・・・」

「聖書に書いているだろ?主が云々かんぬんしたら復活!って」

「まぁ、書いていますけども、いつになるんですか?」

「多分ね、それはローマ法王が一番、聴きたい事だと思うね」

「つまり不明、と」

「そうだね」

「困ったなぁ」

「とりあえず、隣人を愛しながら、全財産を捨てて、その日暮しをするしかないね。あとは主次第だ」

「・・・判りました」



と病院を後にしたのだが、どうも騙されている気がしてならない。

会社で下痢を起こし、同時に胃腸薬を飲み何とか具合は安定。



2015年3月16日月曜日

the everybody's E band

開場 19:30 / 開演 20:00
料金 予約2000円 / 当日2500円 (ドリンク別)

This night will be at times freeform with accidentals. live music collage, people singing strong stirring songs with strings and gongs and electronic happenings. music / dance / video. First up is the everybody's E Band, we will start 30mins before opening time, so come a bit early and bring your instrument tuned.
Live:
Baby Copperhead (from NYC)
熊谷門 + David Duval-Smith + Michael Frank + マコ クベック
the everybody's E band
DJ:
HOBOBRAZIL (bar bonobo)


開場 19:30 / 開演 20:00
料金 予約2000円 / 当日2500円 (ドリンク別)
This night will be at times freeform with accidentals. live music collage, people singing strong stirring songs with strings and gongs and electronic happenings. music / dance / video. First up is the everybody's E Band, we will start 30mins before opening time, so come a bit early and bring your instrument tuned.
Live:
Baby Copperhead (from NYC)
熊谷門 + David Duval-Smith + Michael Frank + マコ クベック
the everybody's E band
DJ:
HOBOBRAZIL (bar bonobo)
出演者詳細:
Baby Copperhead
/sdlx/150317-Copperheadbiosphere-A.jpg
ニューヨークを拠点に活動するベイビー・コッパーヘッドとして知られるベン・リーは幼少期にヨーロッパからアメリカのノースカロライナ州に移る。そこで彼はチェロとギターを習得する。ノースカロライナ州チャペルヒルの偉大で特有の音楽シーンにより彼は多様なジャンルに精通するようになった。そこでアメリカの音の元祖であるバンジョーに魅了された。数年バンジョーを独学した後、偉大なるバンジョー演奏者、トニー・トリシュカーベラ・フレックスの恩師ーのもと学ぶ。サーキットベンディング、シンセサイザーそしてサンプラー等エレクトロニック音へのBaby Copperheadの関心は、絶妙なバンジョー音にエレクトローソニック要素を加えるのだ。これまでBaby Copperheadは全米、ヨーローッパそして日本でのツアーをしてきた。 「Baby Copperheadの手にかかれば、SF映画の音楽のようにバンジョーが別世界の様に聴こえる。数曲聞いた後には、映画『脱出』のメロディーはとっくに 忘れ、Baby Copperheadがこれから奏でようとする音の可能性に目覚めるのだ。」シアトル紙「ザ・ストレンジャー」ポール・コンスタントbabycopperhead.org
facebook.com/babycopperheadmusic
babycopperhead.bandcamp.com
熊谷門
/sdlx/mon-kumagai.jpg
1957年宮城県気仙沼市に生まれる。1975年上京し舞踏家土方巽に師事。1984年郷里にて小劇場『銭神ホール』を創設し、音楽製作や舞踏公演、様々 なイベントをオーガナイズする。1986年頃よりルーツミュージックシーンに参加し、1987年ルーツダブユニット『アラタクラ』を結成。日本各地での演 奏活動を始める。この頃から日本のオルタナティブムーブメントとのかかわりが始まる。1988年長野県の山村に移り住み、同年長野県富士見町で開催された 『88いのちのまつり』に企画から参加、『アラタクラ』『センシピリアンズ』のメンバーとして出演する。1989年『スマルス』を結成。読売ランドで開催 された『ライオンのうた』に出演。全国ツアーを行う。1990年からソロとしての活動に入る。1991年初ソロアルバム『あかるいきざし』を発表。 1993年オリジナルのひょうたん弦楽器『モナケパ』を創作。東京、京都、大阪など各地で『モナケパ』の展示即売会を開催する。モナケパを使用しての作 曲、演奏活動を行う。1995年頃ペットボトルを利用してのランタン『ペットボトルランタン』を考案。1997年タイ・チェンマイで開催された『いのちの まつり』に参加。1998年インド・ベンガルでバウル・フェスティバルに出演。1999年ミニアルバム『パンパラ~宇宙のだいじょうぶ』を発表。この頃エ レクトリックモナケパのフィードバック奏法を確立する。2004年から三陸海岸唐桑半島で野外アートフェスティバル『星まつり』をオーガナイズする。 2011年3月11日気仙沼で大震災を体験する。2012年3月11日沖縄ティダノワ祭に『宇宙の大丈夫バンド』として出演。2012年より九州に移住。2014年から『Monchanto Aroundup Project』を始動。映像やインタラクティブな要素を盛り込んだ新しい表現に取り組んでいる。
David Duval-Smith + Michael Frank
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マコ クベック
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3才よりクラシックバレエを習う。日本大学芸術学部演劇学科卒業。1990年珍しいキノコ舞踊団創立メンバーとして2009年まで国内外の全ての公演に出演。NHKドレミノテレビ アシスタントなど。現在はソロのダンサーとしてロロロ、UA、Buffalo Daughter、SHAKALABBITSなどの PV・ライブ出演・振付や、金谷裕子、SANNINKAN♀、KYOTARO、toastieなど他ジャンルのアーティストと共演。コラボレーション作品を演出、出演している。
YouTube

2015年3月13日金曜日

Baby Copperhead

一昨年の来日により衝撃を与えたBaby Copperhead、再来日!

約一年ぶりにSuperDeluxeに出演します。ソロではなく『みんなのEバンド』のメンバーとして。

只管、『E』だけを演奏する地獄のドローン・ユニット!
盟友:Baby Copperheadとも一緒にやれるので嬉しい。

https://www.super-deluxe.com/room/3858/

2015年3月12日木曜日

トランペット

練習する際は最近は夜中の公園でミュートをつけて練習するのだが、流石にミュートがヘタってきた。

なので今日、ハンズでコルクボードを買ってきたので修理する予定。
新しいTPがオジャンになったのでスペアのTPは保持。
しっかし、ボロボロだがこうやって見ると意外と『良い味』になっている・・・気がする。
どうなんだろうか。














2015年3月11日水曜日

二〇一一三一一

あの音、知っている。


育った街は軍の街だった。


だから、聞き慣れた音だった。


田舎町の夜景を撮影するTV局があるわけがない。


それに民間機には搭載出来ない程の馬力のエンジンと速度。


軍用ヘリの音。


高校を卒業して、郷里を後にしてからは聴いた事がない音だった。田舎町に響き渡る軍用ヘリの爆音は凄まじかった。
部屋が揺れるほどだった。




其れが東京の我家の上空を東に向かって飛んでいっている。

聞き慣れた音だった。

私が幼少の頃はまだ米ソ冷戦は終焉に向かいつつあったがソ連は崩壊していなかったし、まだ映画では冷戦はネタになる時代だった。

あの頃の自衛隊の軍事用ヘリコプターが何処に向かっていたか判らない。

だが、我家の上空を飛んでいるヘリコプターが何処へ飛んでいるのかは判る。



ただ、ただ、恐ろしかった。


軍の町育ちだが、幼少の頃に見慣れていた装甲車が環七を走っているのである。

異様な光景だった。
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震災後、友人数名が結婚して子供を産んだ。天変地異、戦争などの後はベビーブームが起きるが、其れとは余り関係ない気がする。
単純に年齢的な問題だったと思う。

その友人の赤ちゃん達に『羊毛フェルト猫』を送っている。
一緒に

「大きくなった君へ」

と言った未来への手紙も添えて。


しかし、会社帰りにフト、思った。

「大きくなった君へ」

を0歳児が読めるようになるのは10年後だろうか。私は47歳だ。

しかし

「ってか、10年後に俺、生きてるのかな?」

と。



2011年3月11日の昼過ぎ。


私は老人介護施設で働いていたのだが地震が来た、しかも規模が違うなぁと言う事で直ぐにTVを付けた。

最初は津波。

何だかアメーバみたいだな、と思った。病原菌とかアメーバとか。
其れが車や家を侵食していく、と言うか。

ゾウリムシを食べるアメーバ、と言うか。

最初の印象はそんな暢気なモノだった。直ぐに「嗚呼!日本が終わる!」とか考えないよな。ってか冷静に考えられるわけが無い。


よくネットで「TVでは放送されていない!」と言うのだが

『福島第一原発の爆発の瞬間』

なんだが、リアルタイムでは放映されたんだよな。生中継だから。

「福島第一原子力発電所が爆発しております!!!」

と鬼気迫ったアナウンサーの声。



「終わったな」



と思った。


「俺は死ぬんだな」


と思った。

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311について書こうとすると「被災者の皆様の・・・」とか「あの日から何かも変わった」とか

1:震災ポエム

2:アホ臭い言葉

しか出てこない。しかし、『被災者の皆様の・・・』とは俺は全然、思わないんだよな。

見も蓋もない言い方をすれば俺の一族は九州大陸に集中しており、被災地に親戚も友人もいないんだもの。

全く無関係の奴に感情移入出来るか?っていう。


確かに津波で流されちゃったり、何かしら死んじゃった2万人以上の人達は可哀相だと思うし、その家族や街の人達も可哀相だな、とは思う。

だけど、って言う。


311から暫くは『震災ポエム』なるジャンルが出てきて、聴くだけで陰鬱な馬鹿げた詩の朗読が多かったが、誰も本当の詩を書かなかったよね、って言う。

「あの日から/変わってしまった/何かも」

とか、そんなのばかりでさ。アホか、って。


じゃあ、何が変わったんですか?と。被災地で家を流されたから街並みが変わりました、とかか?
しかし、逆説的に考えりゃどーでも良い田舎町の風景なんて変わったって誰も悲しまないだろ?

大体、関東大震災から東京の街並みだって原型を留めてないんだから。




だから、此れに関しては超個人的な事を書こうと思う。

普通は被災して死んだ人達へ「ご冥福を祈ります」とか書くべきなんだろうが、私は心情的にはクリスチャンなのでご冥福は祈らない。


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震災後、郷里に一旦、帰郷するかどうするか迷った。迷った、と言うか本来ならば帰郷すべきだったと思う。

だが、帰郷しなかった。

実家と私は余り相性が良くない。何と言うか微妙な関係で、強いて言えば『男はつらいよ』の寅さんと、実家みたいな。

家族は家族なりに、私への愛情はあるんだろうが、家に戻ると戻ったで厄介な存在になる、と言うか。


と言うか、震災ノイローゼで身動きが出来なかった。


延々とPCの前で情報収集し続ける、と言う典型的な震災ノイローゼだった。


仕事は老人介護をやっていた。そこの従業員が朝の挨拶で

「えー、昨日は大地震でお亡くなりになった方々と・・・」

と言った処で大学教授だった、と言うアルツハイマーの(つまり鉄板のボケ老人)老人が

「地震?そんなもの、あったのかね?あっはっはっは。私は何も感じなかったよ!」

と自慢げに言う。

それを見て「嗚呼、こんな連中と一緒にいたくない」と思った。


福島第一原発の二度目の爆発も生中継だったので見た。


此方が放射能で命を削って、何で老い先短い老人達の糞ションベンの世話をしなきゃならないんだ?

とウンザリした。

帰りに痴呆はなく、歩けるが、歩行に難ありの老婆の手をつないで送迎車に送る。


その日、桜が咲いていた。


見事な桜だった。風が吹いて花弁が散っていた。

美しかった。

37歳になるが、今も昔もあの時の桜ほど美しいモノはなかった。

「此れが見納めになるのかな」

と思った。老婆と私は手を繋いだまま暫し見とれた。


介護施設の仕事は辞めた。と言うか出勤出来ない程のノイローゼになり双方の話し合いで退職した。

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仕事を退職したが、しかし貯金があるわけでもないので『地デジチューナー受付窓口』で働く事になった。

だが、震災の影響もあったのか研修体制が整っておらず、6時間くらい椅子に座っているだけ、と言う日が多かった。

此れが逆に良かった。自宅でPCで情報収集してますます絶望的な気持ちになる、と言う悪循環からは少し遠のいた。


深夜2時だったかな。


時期は既に夏だった。夏なのに星空は満開だった。

その星空に飛行機(旅客機なのか軍用機なのか判らなかったが)が消えていった。

とても、綺麗だった。


何故か、其のときに「留まろう」と思った。


九州の友人には「東京が崩壊するかもしれない。その瞬間を見たい」と言っていたのだが、そんな理由ではなく。

自分でも未だに判らない。


星空が満開だったのは原発の水素爆発と核爆発が原因だったらしい。化学反応でスモッグが消えるんだとか。

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友人が被災地にボランティアに行ったりしていた。
私は一切、行かなかった。

『地デジチューナー受付窓口』は時給1000円で、当時の私のメンタリティだと週3日が限界だったので交通費が出なかった為である。

じゃあ、義捐金か?と言うと酔っ払って10円を一度、入れただけで何もしなかった。

義捐金と言うが、其の金が本当に被災者に渡るのかよ?と。確か色々な団体が出ていたが、其れが本当に被災地に回るのか?と思った。

状況的に義捐金を何億円、何十億円、何百億円と入れた処で被災地が復興するとは到底、思えなかった。

それと私自身が当時、『地デジチューナー受付窓口』なのでお金が無かった事もあるが。


「こう言うのには一切、関わらないで置こう」


と思った。私に直接、関係があるのは原発であり、被災者ではない。

九州人のメンタリティなのか、九州大陸以外の天変地異は此方が関する事ではない、と言うか。

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介護施設で働いている時から1年弱続いたのだが


①鼻血

②目の充血

③間接の痛み

④治療した歯の痛み

⑤髪の毛が抜ける

⑥唇の乾き


だった。TPの演奏が苦しかった。鼻血は連日出ていた。

髪の毛は翌朝、起きて枕カバーを見ると抜けている。

目はメガネで代用したが、間接の痛みに関しては近所のヤブ医者に

「放射能ですかね?」

と聴くと

「聴かないでw」

と言う返答だった。


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とある映画の告知で

「311以降、私達は其々の『非日常』を生きる事になった」

と言う一文があった。

そうなんだよな、って。

「何もかも/変わったね」

と言う震災ポエトリーだが、それ以前に「日常が『非日常』」になってしまっている、と言うか。


毎年・・・阪神大震災の時もそうだったけども

「終わった事」

となっているんだよな。だからこそ『黙祷』出来る。

黙ってねーで、発音しろよ、と思う。


老人介護をしていた為か、老人の一言が良かった。


「東京大空襲より酷いよ。あれ、色々言われてんだけどもよ。あんまり酷くなかったんだよ。丁度、俺は会社の出張で都心にいなかったんだけども帰ってきたら、焼けててたんだよ。
でも、鉄筋コンクリートの建物とかは全部残ってたし、言われている程じゃないんだよ。
今回は全部だろ?しかも原発もだろ?東京大空襲より遥かに酷ぇよ」


福島第一原発を作る際に作業員として働いていた老人は

「だって、あれ、古ぃもん。仕方がねぇよ。だって、あれボロボロだもん。そりゃ壊れるさ」

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311も糞もなくて、皆、時間になると

「黙祷!」

と言って項垂れて、今日の飯の事だとか、昨日、寝た女だとかホワイトデーは何にすれば良いんだ?とか考えるワケでさ。

違うんだよな。

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テンノーヘーカが御住まいになる東京都、ついでに被災地、日本から世界中が汚染されちゃってんだよな。

復興に関して言えば、いずれ復興するだろう。

街並みはガラリと変わるだろう。

震災後はベビーブームが起きるから子供も増えるだろう。

ゼネコンは儲かるだろう。

デフレは変わらないだろう。


でもさ。


2011年3月11日以前、以降って言うのがあってさ。

日本の歴史にせよ、世界の歴史にせよ2011年3月11日以降は世界史が変わっちゃったんだよな。

日本の歴史も俺に言わせれば「あの日で日本は終了した」と思っている。


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ある日、携帯電話のワンセグでNHKにあわせると「放映終了」の時間で、日の丸が出てたんだけども


「嘗て日本と言う国があり、其処の国営放送だったTV局」


と言う感じがした。

「嘗て栄華を誇った、とされる国の国旗」

と言うか。

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『日常』

『非日常』


と言う区分けがあると思うんだよな。じゃあ、今は日常か?って言えば日常じゃない。


水を飲む

深呼吸をする

飯を食う


単なる震災ではなかった。終わらない天変地異と人災。



311の後に「絆」と言う言葉が生まれたが、そう言う言葉を持ち出さなければ成らないほど、皆、絆も糞もなく、醜かった。

何もかも醜かった。

知人の自称:ミュージシャンが被災地にボランティアに行ったのだが彼はボランティアそっちのけで被災地の写真を、殆ど観光地の写真の如く撮影していた。

彼は音楽的には最低、またはそれ以下なのだが、そう言う『観光』『知名度がある人』を求める体質で、被災者だとか震災、復興云々以前に


「観光」


だったんだろう。

それも醜かった。


311は「美しい日本」ではなく「醜い民族が住む醜い国」が露見した時期だったんだと思う。




俺は黙祷はしない。



まだ、終わっても無い事を黙祷したって仕方が無い。



2015年3月4日水曜日

KONNO live@西麻布BULLET'S




西麻布BULLET'S
[COEXIST]
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幻の電子音楽家『KONNO』のライブ録音。公式リリース2005/03/19
西麻布BULLET'S
[COEXIST]
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幻の電子音楽家『KONNO』のライブ録音。公式リリースは『西麻布BULLET&#­39;S』の10周年記念オムニバスだけ。
これはライブ後日、彼が配布した音源です。