2019年5月12日日曜日

ロバート・ジョンソン/Robert Johnson

数日前、Netflixで『ロバート・ジョンソン』と言うドキュメンタリーを観た。





このドキュメンタリー会社の作品は常に駄作なんだが、まぁ此れも駄作だった。
新事実が!とかは皆無。
9割はwikiに記載されている事である。



1911年産まれなので、生きていたら108歳。
長寿志向の現代であれば生存していても不思議ではないし、1911年って明治時代後期であり、死亡は1930年代なので都市部ではスウィング・ジャズの時代であり、ブルースと言うのは『会津磐梯山』とか、黒田節みたいなモンで『田舎の音楽』だったのかもなぁと思う。



1911年産まれなので親族は生きている。そう言う親族のインタビューがあれば良かったのだが殆ど無い。


強いて言えば、ロバート・ジョンソンの『甥』と言うか親戚の子供に会いに行ったら、親族から
「お前は悪魔の音楽をやっているから会わせない!」
と言われて、「お子様へ・・・」とお金を渡した話だけ。



ロバート・ジョンソンの音楽が『悪魔の音楽』と呼ばれたのは(恐らくロバート・ジョンソンだけではなく、サンハウスやレッドベリー、ブラインド・レモンも同じように言われていたのではないか?と思うのだが)当時の黒人教会の問題だったらしい。


明治時代後期の話だから『昔』ではなく『現代』の人なのだが、教会としては酒場の音楽は悪魔の音楽だ!とカテゴリーしていたんだとか。
キリスト教の特徴なのだが、勧善懲悪的と言うか『悪魔か聖なるか』と言う二次元的である(イエス・キリストは多角的な人だっったが)。


あと、クロスロード伝説は勿論、嘘である。


短期間でギターが馬鹿テクになったのは短期間に良い師匠に出会って必死に練習したからである。




しかし『酒場の音楽』となっているが当時の酒場で、ロバート・ジョンソンで踊り狂っていたんだろうか?と言う疑問がある。
アコースティック・ギター1本で皆が踊れるのか?と言うか。



ダンス・ミュージック・・・と言うかダンスと言う衝動は暴力的な衝動である。
SEXとダンスは破壊、暴力衝動なワケで。
だからこそ、ダンス・ミュージックの歴史は低音部の歴史なワケで。
ロバート・ジョンソンは『アコースティック・ギター』であり、『コントラバス』とか『バンド編成』ではない。



踊る、と言うよりは『酒のツマミ』『酒場のBGM』であって、彼のギターで店がヒャッハー!となったとは正直、考えにくい。



因みに、ディキシーランド・ジャズ・・・と言うかJAZZトランペッターで歴史上、史上最強であり、同時に最強のダンス・マシンだった『ルイ・アームストロング』は1901年産まれなので、ロバート・ジョンソンが活動していた頃は、全盛期を過ぎようとしていた頃である(サッチモの全盛期は1920年代)。


サッチモの全盛期が1920年代で、サッチモの大先輩である『バディ・ボールデン』は1907年に死んでいる。



ロバート・ジョンソンとJAZZは交流は皆無だったと思うが、録音されたロバート・ジョンソンを聴いても「こりゃ、スゲぇ踊れる音楽だぜ!」とは思わない。


同時代の戦前ブルースを聴いた後にロバート・ジョンソンを聴き直すと、そのギターは


『洗練の極み』
『エレガント』


とすら思える。
自分とギターのコール・アンド・レスポンスは同時代の・・・と言うかブルースの御家芸だが、ロバート・ジョンソンのギターは、どう考えても音量を稼げるギターではない。
むしろ繊細に、緻密に作られる音である。
彼の死後に発展するBE・BAPに近いと言うか。ビル・エヴァンスみたいな。
ビル・エバンスやアート・テイタム(時代は違えど)もクソが付くほどファンキーだが、音は神経症のように繊細である。
心がザワザワするが、踊れる音楽ではない。
それはチャーリー・パーカーも同じで。
酒場を活動していた、と言うが音は内相的だ。歌詞はブルースだが、ギターは物凄く内向的な音である。



彼が旅をしていたのは「一箇所に留まれなかった」と本人の体質もあるんだろうけども、実は
『酒場で演奏するにはエレガント過ぎ、前衛的過ぎ』
と言う問題があったりして・・・と思ったりする。
要するに伝説と違って、意外と受けが悪かった、とか。



それと新事実ってワケじゃないんだけど、ロバート・ジョンソンが戦わなければならなかった相手は、白人とか差別ではなく、彼が所属している黒人社会や黒人コミニティだった、と言うのがパラドックスで悲しい。

ブルースが悪魔の音楽、と言うならばルネッサンス期に栄えたオペラも悪魔の音楽である。
音楽を色々と教えてくれる人が言っていたのだが

「人がねぇ。『はい、自由に歌ったりして良いよ!』となると、まずは『愚痴』と『恋愛』『SEX』なんだよ。だから、ルネッサンス期には『神が死んだ!マジ、悲しい!』と、自分の失恋を重ねて歌っちゃうワケ。そんなもんだよ」

らしい。確かに、そうだと思う。


ただ、当時の黒人教会は、愚痴やSEX、恋愛や失恋を激しく歌う音楽は悪魔の音楽である!
それで、『悪魔に魂を売った』と自称しているんだから間違いねえらしい。あの野郎は悪魔に魂を売ったから、あんなスゲぇギターが弾けるんだ。
だから、彼は悪魔なんだ。
と言うロジックだったんだろうか。

ただ、『伝説』と言うのは、特に音楽ジャンルに『伝説』は多いのだが、調べてみると意外と「はぁ?それって伝説でも何でもねぇーじゃん!」ってのが多い。

まぁ、ロバート・ジョンソンを伝説にしていた方が良い人達がいるんだろうけども。



ちなみに私はロバート・ジョンソン、好きです。







2019年5月3日金曜日

鬼太鼓座/鼓動

今日、TVを見ながら飯を食っていたら、スイスの女性が『鼓動』と言う太鼓グループに入って奮闘する・・・みたいな内容があって、ウンザリした。

『鬼太鼓座』『鼓動』って海外ではどう思われているんだろう?。
と言うか、国内でも
「あれぞ日本のTAIKO!」
「日本の伝統!」
と思っているんだろうか。

個人的に言えば鬼太鼓座とか鼓動の太鼓は小学生以下と言うか、下手の極みだと思う。

と言うか、何らかのテクニックがあったとしても、其れを発揮できないように叩いている。

あんな馬鹿げた集団は全盛期のオウム真理教とか、宮内庁とか天皇家くらいしか思い浮かばない。

鬼太鼓座にせよ、鼓動にせよ、彼等・彼女達にとって『太鼓』と言うのは太く、逞しい、筋肉で、脳味噌まで筋肉で出来た馬鹿達(掛け算で2の段すら怪しい奴等)が、力の限り、全身全霊で殴りつけるモノであって、リズムだとか音色等を考えているとは到底、思えない。

彼等・彼女達が作る音色や音列は20年前のシンセサイザーで十分、再現可能であり、電子楽器で再現可能な音を人力で行うなんて馬鹿げている。

PCMシンセサイザーで再現不可能だから人力でやるのであって、シーケンサーで作れるもんなぁ。あの連中の音は。







大体太鼓は確かに昔からある。

っつーか、構造が単純なので縄文土器の頃からある。

ただ、鼓動だとか鬼太鼓座のような大きな太鼓は『和太鼓』の歴史から考えれば

『つい、最近』
『このまえ』
『2〜3日前』
『あ、昨日ね』

だ。江戸時代の太鼓なんて米俵よりも小さい。ゴミ箱程度の大きさで、音色は『ドンドコドーン!』ではなく
「とんとっことーん」
と牧歌的。
リズム楽器と言うよりはコンガやボンゴのようなパーカッション楽器であって、迫力の低音と爆音ではない。

と言うか日本の楽器で『低音楽器』って殆ど無いんだよな。
太鼓は小さいし、能で使われる鼓は低音は出ない。
強いて言えば『寺の鐘』だけである。

寺の鐘も、京都辺りの古い寺の鐘はサイズは大きくない。

大昔の日本人にとっての『低音域』への捉え方はどうだったんだろうか。

嘗ての日本人は声が高い。

辞職した平成天皇の声は凄く高いのだが、大昔の日本人の声質は、あの爺さんみたいな声がデフォ。
新天皇なんて現代人としての声質だもんな(民間の血なのか)。

楽器が、その土地に住む人々の『声』に左右されるもんなんだろうか。
アラビア語を話す人々の声は、鳥の囀りの如く高いが、中近東の楽器には低音域の楽器もある。



TVでの『鼓動』を見て不思議で仕方がないのは、腹筋で身体を支えながら叩く、と言う意味不明な叩き方である。
あんな叩き方で、良い音が出るワケがないんだが

「根性」
「負けるな」
「もっと行け」

と言う意味不明な言葉で怒鳴られる。
どこのブラック企業だよ。




『鬼太鼓座』『鼓動』は元々は同じグループだが、その思想としては
「太鼓は農民の楽器だった。だから、当時の農民と同じように身体を鍛えなくてはならない」
らしい。
それでフルマラソンだとかジョギングが取り入れられてる(ボストンマラソン完走後に六尺褌だけで太鼓を叩きまくるとか)。


学生運動から発したグループの為か「農民の・・・」と言う響きに「革命・・・」みたいな浪漫を感じるんだろうか。



(これほど酷い音で太鼓を叩けるのは才能かも知れない。)


だったら、当時の農民と同じように30歳で死ね、と思うのだが。
頑張って遡って明治時代の農村で太鼓なんて年に一回の1〜3日間だけである。
だからこそ、ストリート・ミュージックになったワケで、マラソンだとか筋トレと農作業は全く違うし、昭和の後半までの農村で太鼓を年がら年中、叩ける余裕は無かった。
それに太鼓は高級楽器だったので、村々で合同を出資して買っていたワケで。

ヤマギシ会と同じで、学生運動に泣いた人達は『THE 農民!』『最後の百姓一揆』に憧れるんだろうか。
山本直樹の『レッド』読んで泣け。







『鼓動』はフリーメイソンかよ、って言う順位があり

『メンバー』
『準メンバー』
『研修生』

と言う編成で成り立っている。メンバーは神様みたいなモンか。
準メンバーは研修生を鍛えて、其処から給与を貰っているんだろうか。
研修生は2年間は合宿生活で

①携帯電話
②パソコン
③恋愛
④ラジオ

が禁止。
外部情報は地域の新聞だけ。外部へ連絡手段は寮に一つだけある固定電話だけ。



まぁ、規則を作っても皆、恋愛とかSEXはしているんだと思うけども。
劇団唐組に居た頃も、劇団内恋愛禁止だったのだが、やる事がないので皆、付き合っていたしなぁ。


そう言えば『津軽三味線』の高橋竹山ってのが居たが、津軽三味線は伝統芸能でも何でも無くて、高橋竹山が作ったので成立は1960年代であり、戦後だ。
で、津軽三味線に興味を抱いて「これぞ日本の文化っすよ!偉大なるアートは北から来るんっすよ!」と風雲の志を抱いた奴は、高橋竹山の弟子になるしかないのだが、弟子になる為には高橋竹山に150万円を支払わなければならない。
それで、高橋竹山が経営する居酒屋で数年間、無給で働いて云々、らしい。




何かが伝統になるか、否か?
と言うモノは、特に戦後は

「金になるか、否か?」

である。
皇族をdisるつもりはないが(私は皇室ウォッチャーでもあるから)、天皇家が明治時代から神格化され、それは未でも同じような状態なのは
「天皇家がカネになるか」
であり、誰かが何処かで利権をGET出来ているからである。


『鬼太鼓座』『鼓動』みたいなグループだけど、違うのは『芸能山城組』だろうか。
あれは「亜細亜の云々」ではなくて、主宰者の山城祥二が元々、LSDの研究者で、「脳味噌に良いモノwを・・・」を追求したらブルガリアン・ボイスとかケチャやガムランになった、と言うモノである。
だから、六尺褌の脳味噌まで筋肉で出来たクソ童貞達が、渾身の力で太鼓を叩けば芸になる、と言うのは『芸』のようで『芸』ではない。
『みんなの筋肉体操』
みたいなもんだモンだ。
芸能山城組で食っている人はいないが、太鼓グループは食える。


数年前。
郷里に帰省していた時に『小倉祇園太鼓』と言うお祭りに行った。
市役所のポスターには「20時まで」と記載があるのだが、実際には「20時から」
と言うか。深夜まで凄まじい演奏をする。
其処でビックリしたのは、小学生のグループとかもあるんだよな。
本来は女性と子供は御法度だったらが(元は飢饉や天災を避けるための呪術的イベントだったので)、少子高齢化により女性、子供も参加となった。
男性は力の限り叩きまくるのだが、小学生の女の子が叩く太鼓の方が音が響くのである。
「ドコンコンン!!!」
と言うノイバウンテン的な音とは対象的に
「コロンコロン」
と言うか。
腕力がないので、自然に力が抜けた音になるのだが、楽器って力づくでは音は出ない。
リラックスした、または非力な方が音は良い(脱力するために鍛える、と言うのはあるが)。


TVで何を勘違いしたのか『鼓動』でクソ太鼓を叩くスイス人女性を見ながらウンザリした。 
「なんで、こんなクソ太鼓を聴きながら飯を食わなきゃならんのだ・・・」
だが、鶏肉のネギ塩炒めは美味しかった。


2019年5月1日水曜日

令和崩御元年

と言う天皇が辞職したので元号が変わったらしい。



昭和崩御の頃、私は小学校6年生か5年生で、九州地方は雨が降っていた(北九州市は日本海側なので天候が荒れやすい)。

まだ春休みだったので暇になった。

テレビでは「昭和の記録」を延々とやっていて、退屈したので友人達と遊びに行ったのだが、街はシーン・・・としている。
思えば北九州市って軍都であり、日露戦争からWW2、空襲を生き延びた人が多かったので、自粛モードだったのかも知れない。


昭和天皇の人生を考えると、あのオッサンの人生って無茶苦茶なんだよな。
初SEXのブス女と結婚、って言うニートみたいな女関係だし(梅毒で死んだ大正天皇とは大違い)、226事件の時は自分一人で決起しようとするし、WW2で『御聖断』と言う、超違法を行っちゃうし。
時代なんだろうが、派手な人生だった、と言うか(奥さん、ブスだし、寝た女は一人だけ、と地味だが)

死んだ時も『中央自動車道切り通し爆破事件』と言う素晴らしいテロが起きている。
死んだ時に、東大の地下室で英霊達がバンザイをしていた、と言うオカルト話もあり「昭和のオッサンなら、ありえるな」と言うか。

アングラ演劇は昭和天皇wをdisれば良かったし、思えば戦後のサブカルは結構、楽と言うか青写真があったと言うか。

然し、平成天皇と言うオッサンの事を考えると

「つくづく、ババを引き続けた人」

と言う気がする。正直、平成と言う時代は昭和を遥かに凌ぐ『破壊に次ぐ破壊』だった、と言うか。
大体、31年程度だったのに、此れほど国土、国、国民が苦労したり、自殺したりした時代は神武天皇から数えても「初」だった・・・と言うか。

その破壊は終わってないから令和も『破壊から始めまーす!』である。

個人的に、元号がドウノコウノ、滑った転んだ、あーでもない&こーでもない、とは言いたくない。
どうも、COOLでもないし、元号を使った時間より西暦を使った時間の方が長いし。
私が皇族について憤慨している件は


『真子様が処女ではない』

『真子は小室と一発やっている』



と言う一点である。

誉れ高き皇紀2400年が、『県民』『平民』『市民』に処女を捧げるなんざぁ、靖国の英霊達が黙ってない。


大体、テメェの祖父の為に死んだ『ひめゆり学徒隊』なんて、皆、処女で死んでんだぞ?。

ついでに同盟国だったドイツの『アンネ・フランク』も処女だ!。

もう一つ、ついでに『マザー・テレサ』も処女で死亡!

敵国だったイギリスの『ナイチンゲール』も処女後悔!。

普通の神経なら『アンネの日記』を片手に、沖縄の『ひめゆりの塔』の前で割腹自殺するのが筋ってもんだ。





で、令和だが言語センスは悪くない、と思う。

天皇が時間を決める、と言う事じゃないか!と言うのをツイッターで見るのだが、実際に『天皇家』が権力を持っていた時代は応仁の乱と、壇ノ浦の戦いで終わっている。

明治時代に神輿になるまで、死ぬほど貧乏で、公務と言うか、その金がないから大名に借金の手紙を、ツイッターの如く書いていたらしいし(借金を返したのかは不明)。

大体、誰も元号なんて気にしてない。

そもそも、元号は明治時代になるまで天皇存命中に4回くらい変わっている時もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)?fbclid=IwAR3sBJ9IvWNxH0UxtBYwnE8zUQ_O2f4ZAawIenhiilZxnlt1sjbHkrGNpsE

理由は
「怪奇の為」
「地震の為」
「疫病」
「クーデター」
「天変地異」
「飢餓」
とかである。読むと、よく分からない理由で変更されている時もある。
そもそも、明治時代になるまで日本は州制度に近い国で、時間観念と言うのも今は間違いなく違ったワケで、一般的には盆暮れ正月、七五三に、田植えの季節だけだったかも知れないワケだしなぁ。

天皇なんて、中高齢のアイドルなワケだし(私の母は陛下が大好き)、どうでも良い気がする。

「令和になったら平均時給が1500円になる!」
「ノストラダムスの予言が当たる!」
「令和元年のみDAWソフトが90%OFF」

ってな事があれば「嗚呼、時代が変わるんだな」と思うが、明日も昨日も同じなワケで。

平成最後に食べたモノは『せい屋』のラーメンだった。

令和元年初日にやることはウサギのウンコを捨てる事である。

2019年3月11日月曜日

3☓1=1

今年も311か、と思う。




毎年、この日になると「311を忘れない」と言うTV番組だとか、そう言う事を言い始める人がいる。
勿論、忘れちゃ駄目だと思うのだけども。


忘れるも何も311だけは『終わってない』のである。


震災や津波は自然災害だ。自然災害だから誰もが経験するし、何度でも起こる。地球の歴史は自然災害の連続であり、自然災害こそが進化の要だったんだし。

やはり『原子力発電所が爆発した』と言う事が大きいと思う。


原子力発電所はテクノロジーへの信頼が薄れた、と言うモノではないと思う。何しろ原子力発電所の構造って笑ってしまうほどチープで、子供でも作れる代物だから。

ただ、途方もない事が起きてしまった。
言語化する事すら躊躇う程、酷いことが起きてしまった。


そう言う事だと思う。其れを言語化する為に色々な人達が、色々な方法を取る。

演劇だったり、宗教だったり、スピリチュアル系だったり、陰謀論やオカルト。



『言語化する』と言うのは、受けた衝撃や気持ちを何百枚、何千枚とスライスして、その一枚だけを引っ張り出して

「怖かった」
「感動した」
「泣いた」

と言う『言語に変換する』と言う作業である。言語なんざぁ、そんなモノである。だが、人類が言語を獲得したのは原始時代のウンザリな事、または「理不尽」「腑に落ちない」事をスライスして、言語化して、其処で「腑に落とす」為に開発されたんじゃないだろうか?と思う。




ラッパー宇多丸が『遠野物語』を題材に言っていた事が面白かった。



遠野物語は明治時代の作品だが、明治時代だろうと江戸時代だろうと自然災害は多かった。
自然災害や飢餓も多かった。

遠野物語は『言い伝え』『怪談』に近いモノもある。

「自然災害などは『腑に落ちない』事だ。だから、それを『怪談』『伝承』になる事で、その恐怖や悲しみをシェア出来る。シェア出来た時に初めて、その出来事は完結する。
311に関しては『物語』『映画』と言う形では行われているが、映画や物語と言うのは西洋的な起承転結である。最後はハッピーエンド。それでは何も共有されないし、意味がない」

そうだと思う。


2011年3月11日、私は介護職でボケ老人達の世話をしていた。


窓を開けたら地鳴りがしていた。初めて聴く音だった。なんとも表現しにくい音だった。


TVを付けたら1万5千人が死んでいた。行方不明が2000人位だから、2万人弱が死んだ。


常々、電力会社が「絶対に安全」を言い続け、パンフレットや広報活動を頑張っていた原子力発電所が爆発した。
それによって死んだ人もいるし、被爆した人もいるし、生活していた場所が数百年間、消えた人もいる。



『腑に落ちない』のである。



『腑に落ちない』『理不尽』と言うのは、言ってしまえば「不気味」なのである。不気味だから腑に落ちないのかも知れない。
または、その2つの言葉は、同じ言葉なのかもしれない。

だから、怖かった。

原子力発電所が爆発した、とか津波が押し寄せてきた、と言うのは私が脱原発デモでTPを吹いていた時は既に過去となっていた。

だが、その「腑に落ちない」「恐怖」と言うのが自分でも理解が出来なくて怖かった。


幽霊、心霊、怪談、妖怪、先祖の祟から水子の祟、狐の祟。


その他、色々な「理不尽な事柄」はあるけど、それは『その恐怖や理不尽さ』をシェアするために存在していたのかもな、と思う。
あ、思えば『旧約聖書』って理不尽と腑に落ちない話『だけ』で構成されているんだよな。


『君の名は』
『シン・ゴジラ』


と言う二作品が「311を題材とした作品だ!」と世の人々は咽び泣いたが、起承転結の物語にしては駄目なんだと思う。

放射能を吐き出す怪獣でも駄目だし、十代の男女のラブ・ストーリーにしても駄目なんだと思う。

311が終わるのは原子力発電所の廃炉が終わり、そして数十年、または100年が必要かも知れない。




そう言えばTPを持ってNYに行った時に、聞かれた事は原子力発電所の事だった。

次にデンマークに行った時にライブを観た詩人がレビューを掲載したのだが、其処には「津波や福島第一原子力発電所を彷彿させる音だった」と記載されていた。

だが、その時に311の後に作った曲は1曲だけで、あとは震災前に作ったモノだった。

私の音楽のテーマは自然災害ではないし、原発でもない。

不思議な感じがした。反論しようかなぁ、と思ったが「じゃあ、自分の中に311の要素が一切ないのか?」と言えば、あるわけで。




ちょっと過激な発言になるのかも知れないけども「3月11日」になると「悲しみを忘れない」とか、って、実は忘れても良いのではないだろうか。

正直に言えば私の住所から、300km離れた、東北地方の、言葉も違うし、思想や考え方、調味料も歴史も違う人達の

「311の悲しみ」

を、300km先の人達がTVのドキュメンタリーや、仏壇に線香をあげる姿に共感出来るか?と言うか。

ハッキリ言えば「分からない」のである。

311の時、避難した人達は物凄く寒かったと思う。雪が降っていたし。
その寒さや孤独感、不安感を当事者のように追体験出来るか?って言えば出来ない。


ただ、それを理解し、その感情をシェアする為には時間はタッたの8年しか経過していないのである。

その8年間で震災は『アニメ』と『怪獣映画』のネタになった程度で、実のところ私達(非被災者達)は、『アニメと怪獣映画』程度のシェアしか出来ていない、と言う事だと思う。

でも、それは仕方がない事だ。アニメと怪獣映画って、思えば「プロバガンダ映画」的ではあったんだよな。
ハッピーエンドだし。

ネタにされた被災地はバッド・エンドが日々、続いているのに、だよ。


311の事が『怪談』『妖怪』になる日を待つしか無い。

そうする事でしか被災者、非被災者達は何も共有出来ない・・・と思う。

2019年3月5日火曜日

会田誠

会田誠が話題になっている。

http://news.livedoor.com/article/detail/16094218/





私は、この一件に関して多くを知らない。そもそも、その大学の授業を受けてないし、会田誠について多くを知っているワケでもない。

ただ、彼がデビューした頃は知っている。知っている、と言うよりは鮮烈なデビューだったと思う。

彼は立体ではく、絵画だが、そのモチーフやデッサン力は90年代の現代美術としては十二分にインパクトがあったし、描かれている少女が美しかった。それが悲惨な状態だとしても(あ、誤解を招きそうだな)。

ってか、実際の漫画で言えば『古屋兎丸』なんて「あ、この作家さんは気が狂っているんだな」と思った。

ガロで連載していたが、当時のガロは前衛漫画の最先端だったし、そこに古屋兎丸もいたし、そのインパクトに比べれば現代美術はまだ大人しい方だったと思う。




それはサテオキ。


この一件に関しては物凄いモノをクリエイターに叩きつけている。

『現代美術とは』
『美術とか』
『現代アートとは』
『現代音楽、現代美術とは』

と言うか。なんで、此処に『現代音楽』が来るんだよ?って感じだが、現代音楽は現代美術と殆ど同時並行で日本に登場している(現代美術は大正時代で、現代音楽は昭和と言う違いはあれども、50年代末からは同時並行だ)。

で、会田誠とは何者か?と言えば『現代美術の作家様です』となる。

次に『現代美術とは何か?』となる。少なくとも会田誠の作品はイラスト作品ではなく『現代美術』と言う範疇で行われており、今回の一件も『現代美術』について、である。

『ヌードを考える』

と言うモノで大学側が講義をしたワケだが、裸婦画は普遍的なテーマを持っており、それこそ時代によって随分と変化する。
だから裸婦画、ヌードと言うモノをセレクトしたのは当然である。

で、裸婦画(ヌード)は『西洋美術』の範囲である。これは間違いなく、『西洋文化』の一部である。
西洋、と言うよりは『ヨーロッパ文化』と言うか(だからアメリカ文化ではない)。


此れについては、あとで書きたいのだけども『ヨーロッパ文化』って処がポイントで、『現代美術』と言うモノは『ヨーロッパ文化』のモノである。
大雑把に言えば、ヨーロッパの掃き溜めであるアメリカ合衆国も入れても良いのかも知れないが。

『美術』と言うものが印象派を通過して『現代美術』となる過程において、ヨーロッパ文化って多民族の文化を只管、食い続ける事で(これは西洋音楽も同じだが)生き延びた。

その際に最後にヨーロッパの『美術』が喰えたモノが『浮世絵』だったワケで、浮世絵の2次元空間に衝撃を受けたし、春画のデフォルメされた陰部にも衝撃を受けている。

だが、浮世絵は現代美術ではない。現代美術が『ネタ』にしたモノである。



で、ですよ。

『現代美術とは何か?』

と言う事で言えば村上隆が定義したモノが最も適切だろう。


①東京芸術大学、または芸術大学を卒業した人
②修士課程で論文を書いた人
③出来れば博士号を持っている人


である。いや、これは村上隆が言っているんだから間違いない。これと似たモノは『現代音楽』にもあるしな。

「はぁ?こんモノは学歴じゃないか。美してく、心が満たされるモノが美術だろ!」

と言うのは簡単だが、そう言う意見は19世紀で終了している。『美術』が『美術』であった時代は3つの要因が必須で

①写真が発明されてない
②印刷技術が未発達
③貴族階級と言う身分制度

である。歴史書を紐解かなくても、3つとも消えている。写真はモノクロだったが、19世紀には既にカラー写真が登場しているので、オワコン。

だからこそ『印象派』ってのが出てくるし、其処でゴッホからピカソまでがのた打ち回るながら描いていたワケで。



其れを踏まえた上で。



会田誠の裸婦画は、そう言ったヨーロッパ的な裸婦画を、日本風にアレンジした、と言うだけである。四肢切断とかゴキブリとSEXとか、この辺は本人が深く考えたワケではなく

「これ、面白くない?」

と言う事で作っただけで、会田誠としては四肢切断だろうと何だろうと、女性を可愛らしく、ファニーに描く、と言う事が重要なんだと思う。
其処に何らかの『オマケ』が付いてくるが現代美術の歴史で言えば『四肢切断』とか、身体に傷を付ける、ってのは意外と古い。
会田誠よりも遥かに古くからある。


だから、会田誠が凄く新しかったワケではないんだよな。村上隆もそうなんだけども、現代美術と言うフィールドだから生きているワケで。

勿論、会田誠が『ヌード』と言うモノに対して無自覚って事じゃない。裸婦画をきちんと認識していると思う。だから、ああ言う作品が作れるワケだし。
其処で現代裸婦画では最も知名度がある会田誠を講師に迎える事は、当たり前の事だし、その『現代裸婦画』について、彼が「西洋美術としての裸婦画との距離感」を語るうえで、彼なりの話し方になってしまった、と言うのは仕方がないし、『会田誠がキモい』と言うのは問題外である。

「ヌード・デッサンでオナニーをした」

と言う発言が本当か否かは分からないが、ヌード・デッサンor裸婦画で欲情するのは当たり前だと思う。

篠山紀信だとかアラーキーとか、90年代のセルフ・ポートレイト・ヌードとかあったんだけども、西洋美術での裸婦画も、それをオーダーした貴族男性にとっては「高価なエロ本」だった事実もある(だから、居間とかに飾らずにカーテンで隠したり、自室にコッソリと飾る、と言うモノだった)。

性欲なきアートがあるのか?

と言う気もするし、グレン・グールドが「僕にとって音楽こそがエクスタシーなんだよ」と言う発言の通り、リビドーなきアートと言うのは成立するのか?と言うか。
リビドーと言ってしまうと「はい、勃起」って感じもするが、アートによるリビドーと身体的反応は違う。


ある作品(それが古典だろうと現代美術だろうと同じこと)を見て「素敵だな」「素晴らしいな」「感動するな」「カッコイイな」「美しいな」と思う感情は、その感情の氷山の一角でしかない。

もし、その作品に衝撃(美しい、とか素敵でも良いのだが)を受けたのであれば、それはパースペクティブな感情に変換されるはずで、そのパースペクティブな感情の中に「ムラムラするな」ってのもあるんだけども、其れをスライスして、言語変換した際に

「素敵」
「可愛い」
「感動する」

と言う事に置き換えられるワケである。

だって、恋に落ちた時に、その感情を言葉には出来ないと思う。
言葉に出来る感情であれば、それは恋ではないのだから。

「可愛い」から恋に落ちるのではない。
「恋に落ちた」から可愛いのである。



あー、しかし、俺は一体、何を書いているんだろう。最近、体力不足なのかも知れないし、ちょっと風邪気味だからなのかもしれないが長文を書く集中力が持続しない。


あ、そうだ。

会田誠や現代美術を擁護しているワケではない、って事を書きたいのである。



先に書いたように、そもそも『美術』は

①写真がない
②印刷技術が未発達
③貴族階級と言う格差社会

が大前提で、現代美術は

①東京芸術大学、または芸術大学を卒業した人
②修士課程で論文を書いた人
③出来れば博士号を持っている人

である。


だから、「美しい」とか「心が満たされる」モノ『ではない』。とうの欧米では違うと思うのだけども、少なくとも日本では学歴が大前提である。

美しい、とか心が満たされるモノは、PS4とか、スーパーマリオとか深夜アニメだったり、Nintendo Switchやドラゴンクエストや、鳥山明のイラストだと思う。

だって、Nintendo Switchにせよ、鳥山明のイラストにせよ、18世紀だったら油絵で途方もない銭と時間を掛けなきゃ出来なかったんだから。

あと、現代美術って上記のように『芸術大学を卒業している事』である。

だから、非常に『閉鎖的』なんだよな。現代美術の閉鎖性は、流石に私でもチョット、たじろぐ程である。

ある画廊の、ある種の人達によって共有されるものであって、其れが第三者が「これ、面白くないじゃん」と言うのは「あ、こいつは分かってない奴だな」と言う事で終わる。

ヲタ的な空間でもあるが、ヲタは意外と「いやいや、この作品はですね!」と説明してきてくれる事もあるので、ヲタよりもキツイ。


あと、会田誠はスキャンダラスな人でもあるし、村上隆もスキャンダラスだとは思う。あと、ちょっと古いけどカオス*ラウンジとか。


そうやってスキャンダル的に売るしかないんですか?と思ったりもするのだが、90年代に現代美術って何故か盛り上がったのだが、その頃も結構、スキャンダル的なモノを目指していたと思う。

当時、SNSがなかったから話題になりにくかっただけで。



高校生の頃。


『九州派』と言うか、北九州市で現代美術グループが結成された。ノイズ・ミュージックから美術や立体、音響芸術と幅広かった。

その彼等のグループ展が戸畑区で行われたので行ってみた。

確か少し寒い時期だったと思う。

閉店した古い銀行がイベント・スペースになっていて、其処に向かう際に右手に海、そして周囲は真っ暗だった。

「辺鄙な場所でやるんだなぁ」

と思った。


で、行ってみてスペースの中央に置かれた2☓2くらいのガラス・ケースがあって「なんだろう?」と思って近づいたら、心臓が止まるかと思った。

ガラス・ケースには夥しい数の『ゴキブリ』が入っていた。

私は虫が苦手で、足が震えた。

「あー、それ、大丈夫ですよー。アースが入っているから、蓋をとっても逃げ出せないんですよ~」

と、その際に在籍していた人に言われたが

「この人達は気が狂っている!」

と思った。ホンっとビックリして、紅茶を出されたのだが(来客は私だけだった)紅茶を飲めなかったモンなぁ。


あの頃、SNSがあればツイッターやFBで多少の話題にはなったかもしれない。其れが良い話題か、悪い話題かは分からないが。


でも、現代美術の作家達は、何処かスキャンダル的なモノを作ろうとしていたし、現代美術に興味、またはソソられていた人達も、そう言った過激な作品を求めていた気がする。
SNSがないからこそ、そのスキャンダル性は牧歌的だった気もする。


だから、なんだろう。



現代美術って00年代で終わったのかも知れない。



あと、現代音楽も、この件に関しては考えなくてはならない、と思う。現代美術の会田誠、及び大学が、こう言った提訴を受けたのは、ぶっちゃけて言えば

『現代美術の人達がサボっていたから』

である。作家、客、偉い人達(大学の先生とか)が理論武装をしなかったし、「へ?これが現代美術でやんすか?」と言う問いを無視し続け、「いや、分かってない奴だよねー」で終わらせていたからである。


その作品に精神的な傷を受けた、と言う事はちょっと理解し難いのだが(個人的に会田誠の作品よりも現実世界の方が遥かにグロくてキモい)、

「現代美術には様々な表現方法があり、中には見るに耐えないグロい作品も多い」
「だが、グロいorキモい、と言うモノを『美しくないから駄目』と吐き捨てる事はOK?NG?」
「ISISの処刑動画はグロい。だが、ウィーン・アクション派や動画もグロい。両者には『死者の有無』があるが、其れ以外では何か?」
「その作品に接した際に『誰も傷つかない作品』は『作品』と呼べるのか?。観光地のポストカードやエレベーターのBGMと、ゴッホの晩年の作品の違いは何か?」

と言う事を問うても良かったし、其れは作家や関係者達で問われ続けるべきだったし、それを言語化すべきだった。

それをサボってきたのは、会田誠でもあるし、現代美術界隈、全ての人々だし、断罪されても良いのかも知れない。



そう言えば、会田誠が森美術館で個展をやった際に抗議があって、問題になった時に、知人が

「あんなモノは現代美術じゃない!」
「政治的問題を提議するのが現代美術だ!」
「ホニャララと言うEU圏の作家の、ホニャララと言う作品は、ホニャララと言う理由で政治的でもあり、宗教的でもある。これこそが現代美術だ!」

と豪語していた。だが、彼はフリージャズを通過して『音響系』とか小さな音で弦楽器を演奏する人だったが、自分の音楽に関しては「これぞホニャララだ!」とは言わなかった。

その際に違和感を感じたのは「『これが現代美術だ』『~は現代美術ではない』と言う権利は誰にあるのか?」だった。


ただ、現代美術が『大学』『学歴』と言ったモノに支えられている以上、「現代美術はカクカクシカジカなのです!」とは誰も言えないよな。

誰も言えないモノに対して4万円を払った提訴した女性は、弁護士がついて成功報酬で行けば10万は超えるから大学から1千万円くらい、掴み取ってくれば良いと思う。


そうすればエポックメイキングになるかもしれない。または会田誠の知名度をUPさせるだけかもしれない。

ちょっとした試金石になるのかもね・・・と思ったり。

2019年1月14日月曜日

幼恋

  知人から「北九州市での青春日記を書いてくれ」と言われた。




だが、血と血で争う中東やアフリカのPOSOのような街に果たして


『青春』


と言うモノがあるんだろうか?。『青春の門』と言う名作はあれども、あれは筑豊の話であり、

『福岡県田川市』

と北九州市とは違う地区の話である。

他にも『無法松の一生』と言う映画があるが、主人公は素人童貞のママ、野垂れ死に・・・と言う最悪の結果しかない。

要するに北九州市と言う街には常に

『最悪』

『害悪』

『最後

『打つ手なし』

と言う状態しかなく、その街で生き残る為には男性ならばロケットランチャーは高額なので難しいとは言え(北九州市の最低時給は850円だ)、トカレフや、日本刀の一つや2つは所持しないと無理だ。




楽しい小学校生活が終わり、中学生になった。


他の地区の子達と会うのは初めてだった。北九州市は5市合併とは言え平野部が少なく、そのためか車で5分の地区でも風習や方言が違う。

だから、ドキドキしていた。怖いと言うか、不思議な感じと言うか。



中学1年生になり、慣れない詰め襟の学ランを着用させられ、ダサいカバンを持たされる。
授業は小学校の牧歌的なモノとは違うし、色々と違った。


で、最初の『班』にタキタと言う女子が居た。



(これは卒業アルバムから)



何故か私はタキタの事が気に入り、タキタも私のことを気に入ってくれたんだと思う。

私の(下らなくて、どーでも良い)話を聴いてくれて、大笑いしてくれていた。私はタキタを喜ばせる為に一生懸命に話していた。


(中学生の頃の私)






ある時、学校の色々で残った。で、引き出しを覗くと丁寧に折り畳まれた(妙な折り畳まれ方)手紙が入っていた。

その手紙には

①好きな人はいますか?
②誰かに告白されたことはありますか?

とか質問ばかりだった。だが、時代は1989年であり、SNSも、ネット回線もないので『質問だけ』があり、回答する手段がない、と言う有様だった。


其処へタキタと、タキタの友人(その友人女性は中学を卒業して働いていた)が

「その手紙、なーん?(その手紙は何?)」
「読んだ?」

と来た。


私は、まだ12歳だった。

変声期もなかったし、精通もないし、童貞だし、世の中の事はサッパリ分からなかった。
つまり『子供』だった。

だから、手紙が恐らく『ラブ・レター』『恋文』と呼ばれる種のモノだと言うのは分かるが、12歳の私に何を求めているんだろう?と思った。


其れでクラスの担任の先生に

「先生、こんなん貰ったんやけど・・・・。どうすればエエんやろか?」

と相談すると、先生は「うーん」と言って

「とりあえず、これは私が保管しておきます」

と言う。

「これっち、何なんやろうか(これは、一体、何でしょうか?)」

と聞くと

「色々と考えなくても良い。これは私が預かるから」

と暖簾に腕押し。



なんと言うか

『不幸の手紙』

『チェーン・メール』

なら、話も分かるのだが。



その後、タキタが来た。


「あの手紙、どーしたん?(あの手紙はどうしたの?)」

「よく分からんけん、先生に渡した」


と言うと、タキタは同じ12~13歳とは思えない表情で「はぁ・・・」と溜め息をついて、振り向きながら

「あんたって、駄目やねぇ・・・」

と言った。その表情は十代の『女子』ではなく、『女性』だった。少し、ドキリとした。




ジョン・コルトレーンのアルバムに

『夜は千の目を持つ』

と言うモノがある。素晴らしいアルバムだが、女系家族に育った男性ならば

『女性は万の顔を持つ』

と言うか、そんな気がする。女性の浮気はバレる事が少ないが、男性の浮気は常にバレる。そしてバラバラ殺人となり、近隣の景観を駄目にする。

千ではなく万、と言うか。


私の妹、姉、母も意中ではない異性や同性から電話が来る時と、意中の異性からの電話の際は電話を取る際の声のトーンから音域まで変えていたモノである。

しかも、当時、飼っていた猫もメスだった。猫も好きな人への鳴き声は違う。



タキタと言う女子は、学年1位の『ブス』と言う事で有名だった。確かに写真を見ても大人びた感じは無い。
中学生の頃の『ビーナス』と言うのは


①バストサイズ

②大人びた感じ

③全体のバランス

④ヤンキーっぽい風貌『ではない事』


だった。最後の『ヤンキーではない事』と言うのは重要で、ヤンキー系だと、その女子へのアクセス権は限られた人になってしまう(ヤンキーはヤンキーとしか付き合わない)。

だから、アイドル的な感じではなくなる。

大人び風貌となると、大抵がヤンキーなんだけども、言ってしまえば皆、童貞なワケで、童貞が考える『ジェンダー問題』と言うのは、基本的に


『クソ以下』


である。



当時、タキタを「ブスだなぁ」と思った事はない。ってか、今もない。

女性は万の顔を持つ。


10代だろうと、80代だろうと、女性は常に『女性』としての顔を持っており、其れを魅せる相手は限られている。
男は10代も80代も「糞ガキ」としての顔しか持たないが、真逆なのである。


だから、タキタが「はぁ・・・。あんたって駄目ねぇ」と言った時の表情は、『浅川マキ』が歌うブルースみたいだった。





12歳の男の子ならば誰もがビックリする顔だった。





そんな、こんなで2月になりバレンタイン・デーとなった。


馬で走り、戦車で追撃し、ロケットランチャーが飛び交い、近隣は全て塹壕であり、北九州市内の塹壕の長さは地球一周出来る距離と言う凄まじい土地で

『バレンタインデー』
『ホワイトデー』
『ハロウィン』

は無縁の話だった。


「まぁ、俺にぁ縁のねぇ話だよな」

と思いながら、父親とTVを観ていた。其処へドアのチャイムがなった。


夜に訪問してくるのは父親の関係者が多かった(ヤクザ、出所した人、胡散臭い奴ら)、父親が出た。


暫くして父親が血相を変えてやってきた。


「か・・・カズタカ!!!女の子が来とるぞ!!!??」

「はぁ?」


と思い、玄関に行くとタキタと、友人が居た。タキタは凄い表情で恐らくチョコレートが入った袋を渡してきた。

「はい!これ」

みたいな。なんと言うか、普段とは違い、少し怖い表情だった。

「ああ・・・あ・・・はい・・・」

と言う感じで受け取った。で、必死になって

「こ・・・これは『義理チョコ』よね・・・?」

と聴いたら、タキタは怒った感じで振り向いてきて

「違うよ!あんたの事、好きよ!!!!」

と怒鳴られた。



もう、ビックリした。ビックリなんてモンじゃなくて漢字で『驚愕』『愕然』『呆然』と言うか。



タキタの事が嫌いだったとか、異性として見れない、ってワケじゃなかった。ただ、精通も第二次成長期も迎えてない私を

『異性として見る人』

がいる、と言う事が正直、ショッキングだった。


タキタの事が好きだったか?って言えば幼いながらも好きだったんだと思う。ただ、その気持ちが

「好き」

と言う言葉に変換出来ないだけだった。それに12歳に恋愛感情なんて皆無だ。夏のアブラゼミを捕まえるのが好きだったように、夏のアブラゼミと同じようにタキタの事も好きだっただけである。

アブラゼミとは酷い!と思われるかも知れないが、「0と1」しかないのが12歳。




怒りながら振り向いて「好きよ!あんたのこと!」と怒鳴ったタキタに対して私は、仰け反りながらも必死に


「うるさい!馬鹿!」


と声を振り絞るのが精一杯だった。



思えば、其れ以前にタキタは学校にマニキュアをしてきたりしていた。私へのアピールだったんだろうか。

だが、12歳の男の子が、そんな細部を見るわけがないので気がつなかった。




26年ぶりに学友が経営する居酒屋『とんぼ』に行った際に、同級生の消息の大半は分かった。
半分以上が郷里で生活していた。

他県と言うか都市部へ行った子は殆どいなかった。

だが、『タキタ』だけは、誰も彼女の消息を知らなかった。タキタは友人が少ない子だった。

夏休みが終わってから席替えが行われ、タキタと話すことはなくなった。

2年生になってからクラスが変わった。


それ以来、タキタの事は誰も知らないらしい。



今は、どーしてるんだろうねぇ・・・と思う。



思えば中学~高校時代で『私に告白をしてきた女性』はタキタだけだった。

2018年12月30日日曜日

Christmas of Chico Hamilton

クリスマスは職場は忙しかった。
ただ、「クリスマスのプレゼントに中古PC!」と言うワケではなく、たんに「年末だから」と言う理由っぽい。
私も長年、使い続けてきたゲートウェイの元々、windowsXPが入っていたメモリ1GBのPCにリナックスを積んでいた奴からメモリ4GBのPCに変えたし(店長に無理を言って数千円で買った)。


そんな折。


忙しい仕事が一段落つきそうな状態になった頃に一人の老人が来た。
「動画サイトを見ると妙なポップアップが出て困る。直し方が分からない」
と言う。
要するにコンピュータ・ウィルスに感染している、と言う事である。話は簡単でウィルス・セキリティ・ソフトをインストールすれば良いだけの話である。
だが、「分からない」と言うので
「じゃあ、暇だったら持ってきてくださいよ。見るだけなら、見ますし。
まぁ、時間があればですが」
と言ったら4時間後に持ってきた。


爺さんは昭和16年に産まれた。だが、産まれた場所は当時の中国(と言うか当時は日本の県とか市である)。
産まれて直ぐに大陸から命からがら逃げてきたらしい。
それで商社に入り、流石に私でも見たことがない
『紙パンチ式コンピュータ』
で色々とやっていたんだとか。
磁気メディアのコンピュータは見たことはあるが『紙パンチメディア』は見たことがない。
ってか、当時のコンピュータなんて『計算機』であってワードやエクセルだとか通信なんて皆無である。





「凄いですね・・・」
「でも、当時に比べたら今のパソコンは凄いね!。私にはサッパリ分からない」
「いや、紙パンチのコンピュータの方が遥かに難しいでしょ!」
と言いながら、爺さんのPCを拝見。


爺さん曰く「動画sサイトを見るとポップアップが出る」と言う。
YOUTUBEでは可能性が低いのだが
「まぁ・・・男性向けの・・・」
と言うのでエロ動画。
娘に「俺のパソコン、ちょっとオカシイんだよ」と言った処、娘さんは感が良いのか「お父さんみたいな人の為にパソコンがあるわけではない!」と激怒されたらしい。
だが、世の中・・・と言うか日本でPC(スマホも含む)が普及した理由は3つだけだ。
①エロ動画やエロ画像
②グロ画像やグロ動画
③MIXIに始まるSNS
である。男性ならば200000%の確率で、上記の2つはやっている。
SNSも駆使すればSEXも可能だ。


「いやいや、何を言っているんですか。ネットなんざぁ、そのためにあるんですよ。それに男性ならば必ず見るサイトですから」

と言ってPCの中身を拝見すると、どうもブログをやっているらしく、
『私にとってのJAZZ』
と言った草案があった。

「JAZZですか」
「まぁ、好きでねぇ」
「私も好きです。パーカーとか」

と言うと、バップやハード・バップは好きじゃないらしく、スィング・ジャズだけらしい。



パソコンで「エロ動画を見るとポップアップが出る」と言う事なので、まずはエロ動画サイトに行く。
爺さんが、どのサイトを見ているのか分からないので『入門編』として有名な『Xvideos』に行く。
幸い、客がいないので良かったのだが、流石に職務上、コンポライアンスがあるのか皆無なのか分からない職場だが、ノートPCのディスプレイを思いっきり傾けて



 /

―――


こんな感じでXvideosを見ると、確かにポップアップが出る。

しかし、職場で老人と私でエロ動画を見る、と言うシュールさ、それと

『今日はクリスマス』

と言う凄まじい状況は泣けるを超えて、私が面白くなってしまった。

で、本気で対応・・・やっては駄目なんだが・・・やってしまった。

まずは通常のセキリティ・ソフトでは駄目なので特殊な奴をダウンロードしてインストール。
それで駆除。

あとは、セキリティ・ソフトを2000円で買ってもらいインストール。

最後は、また二人でエロ動画を見てポップアップが出ないことを確認して終了。



『クリスマスにエロ動画を老人と一緒に鑑賞』



と言うのは凄い気がする。

「最近のは凄いよねぇ〜!」
「ねぇ。昔は苦労してレンタルしたもんですが」
「やはり、見ちゃうんだよね」
「そりゃ、男性なら当然ですよ。そのためにパソコンはあるんですから」

と白人女性のSEXを見ながら談話。


その後、JAZZの話になる。
スウィング・ジャズが好きらしく「ベニー・グッドマンは好きだった」と言う。
私もJAZZを最初に聴いたのは父親が持っていたカセットテープでの『ベニー・グッドマン』
だったし、ビックバンドのジャズは今、聴いても新鮮である。
一番、最高なのは戦中の『Vディスク』とかディーク・エリントン、カウント・ベイシーだが、それでもベニー・グッドマンは最高だ。
すると
「チコ・ハミルトン」「アーティー・ショウ」と私も知らないミュージシャンを言う。
「知らないですね」
と言いながら爺さんのPCでYOUTUBEで聴いてみると結構、良い。
「カッコイイですね!」
と言ったら
「あんたは明日、出勤してる?」
と言う。
「明後日なら出勤ですが」
と言うとLPを貰ってくれ、と言う。
業務上のコンポライアンス的にOKなのかNGなのか分からないが、小一時間に渡る爺さんとの会話で、なんとなく仲良くなった気がするのでOKした。
 

翌々日。

実際に爺さんが来てLPを4枚、持ってきた。
爺さんの父親がJAZZが大好きだったらしく、子供の頃に父親に言われてLPを買っていたらしい。

父親の影響で本人もJAZZが好き・・・と言うモノなんだとか。

だが、爺さんの年齢と話を聞くと、当時のLPって今の金額に換算すると3〜4万円、または其れ以上の金額である。

戦前にベートーヴェンの組曲をSPで買ったらボーナスが消えたらしいので、今の金額で換算すると30〜40万円。

因みに戦前を代表するレコード・コレクターは『宮沢健二』である。
冨田勲が初めて買ったLPはストラヴィンスキーの『春の祭典』だったのだが、高額で親戚に金を借りて買ったらしいので10万円くらいか。
だから『名曲喫茶』『ジャズ喫茶』と言う特殊な喫茶店があったのだが(ロック喫茶もあったらしい)。
音楽メディアは現状、値下がり続けている。


とは言え爺さんの思い出の品々である。50年代とは言え、演奏者はロイ・エルドリッジ、ハリー・ジェイムスにビリー・ホリデイと蒼々たる面子であり、手元に置いておいて損はしないモノばかりである。
其れに50年代のビック・バンド・ジャズは『ジャズ』が、まだ『プロトタイプ・ブラック・ミュージック』と言うか、サウンドとして面白いモノである(ジャズが「ジャズでーす」となったのはバップからだったと思う。と言うかジャズはバップである、と断言しても良い)。



「貴方が私に親切にしてくれたお礼としてね・・・。あと、こう言う盤を若い人に託したいんですよ。
これは・・・私の『終活』なんですよ」
と言う。
おいおい、重たいモノを持ってくるな、と思ったが、受け取った。

しかし、「人生の最後のための活動」と言いながらもエロ動画をチェックする精力があるなら、大丈夫じゃないっすか?と思った。





因みに、帰宅して聴いてみるが、あまり好みの音ではない。元データがSPだから音質はペラペラだし(蓄音機で聴ければ最高なんだがLPだ)、何より私が風邪を引いてしまったので聞けず。
次の元号の際に聞きますかねぇ。