2019年10月24日木曜日

音楽にミスを認めない男/エリック・ドルフィー

漸く、長年の苦労だった



『God Bless This Child』


をマスターした。トランペットのスコアはあるのだが大抵、スコア化されている譜面は間違いが多く、使えたものではない。

以前、『グッド・マイ・ラブ』のスコアを取り寄せたが、スコア化した人の『思い入れ』が多すぎて、結果的に装飾音が過剰となり、吹けたものではなかった。
シンプルにメロディーだけが良い。


原曲は此れである。



ビリー・ホリデイが親と喧嘩した際に作った曲で、歌詞は非常に皮肉と言うか嫌味な内容である(そりゃ、喧嘩してキレて作った歌詞だし)。



で、此れがピアノになると、こうなる。




ジャズになると、こうなる。



(やっぱ、リー・モーガンは最高過ぎる。この人が使っているマウスピースもトランペットも当時の水準だと安物だし、マウスピースは田舎の楽器屋でも売っている奴なんだよな。マーチンのクソなモデルとバックのクソなマウスピースで、どうやってこんな音が出るんだ)





問題は此れである。



エリック・ドルフィーの名演だが、上記の曲がどうなったら、こうなるのか。

トランペットで似たような事が出来ないか?と思ったが不可能だった。不可能と言うか


「あの曲の何処を取り出したら、あーなるんだよ!」


と言うか。理解の範疇を超えている。


原曲は静かな、と言うかゴスペル的なニュアンスなのに、エリック・ドルフィーの演奏だと無音恐怖症、無音神経症のように音を敷き詰める。

コルトレーンのバンドに居た頃も、フルートを吹いても過剰なまでにブレスして、音を歪ませたフルートを演奏していた。

ブッカー・リトルとのディオなんて、考えてみればノイズ・バンドみたいなモンである。

ブッカー・リトルはブロウし過ぎて音が歪んでいる。モッサリとした・・・高音楽器なのにヘヴィー・メタルである(マイルスやチェット・ベイカーとは全く違う。後年のウィントン・マリサリスとも違う歪ませ方である)。

其処にエリック・ドルフィーが、ノイジーとしか言いようがないサックスやフルートを叩き込む。



考えてみると、菊地成孔曰く「サックスとは不可逆的であり、ノイジーな楽器」らしいのだが、晩年のチャーリー・パーカーのサックスは、アルト・サックスから倍音を取り除こうとした・・・と言うか。
純粋に美しい音色であり、それはクラリネットのような音色になっている。


金管楽器で木管楽器のようなエレガントさ。


だが、考えてみると、その『木管楽器のようなエレガントさ』は非常に『白人っぽい』んだよな。
戦前ブルースは録音環境が酷かったせいで、全てノイジーだが、既にスウィング・ジャズは登場していたし、そのスウィング・ジャズでの大御所達はオーケストラと言わんばかりのエレガントである。

チャーリー・パーカーは、その系譜と言っても過言ではない気がする。

アルト・サックスだけでスウィング・ジャズの音の全てを表現したら、超絶技巧、超音速の演奏になった・・・と言うか(勿論、カンサスシティ・ジャズの影響もあるが、カウント・ベイシーの黒さに比べて、パーカーの演奏は非常に白い)。


チャーリー・パーカー以降は「白くて、エレガントなサクソフォン」の系譜は消えて、ラヴィ・コルトレーンまで待つしか無い。



ラヴィ・コルトレーンは菊地成孔が共演したときに「モニターを使っても聴こえない程、小さな音量だった。終わってから音量について尋ねると『大きな音じゃ駄目なんだ。だって・・・濁るだろ』」と言う話が好きだ。

確かにラヴィ・コルトレーンの音量は小さく、音はエレガントだ。




然し、話は元に戻るがエリック・ドルフィー。



彼の頭の中では『音楽』と言うモノは、どう鳴っていたんだろう?と疑問が耐えない。エリック・ドルフィーのアルバムは大半は聴いているのだが、理解に苦しむフレーズや音作りが多い・・・多いなんてモンじゃない。

『Out to Lunch!』なんて、最初に聴いた時は耳から泡が出そうだった。

フリージャズのように「感じたままに演奏」ではなく、音楽理論に則った演奏なのは分かるが、其れは旋律だけであり、既に現代音楽の領域。
音はノイズ・・・非常にノイジー。

アレほどノイジーな音は、恐らく当時だと現代音楽くらいしかやっていなかったのではないか(ロックは、まだクリーン・トーンの時代である)。


wikiによると

『基本的には音楽理論に則りアドリブを展開していくスタイルである。』

とあるが一体、どう言う音楽理論だったんだ。音楽理論を追求したら現代音楽になってしまいました、と言う感じなんだろうか。



伝記によると、エリック・ドルフィーは練習の鬼だったらしく、移動中でも楽器を持って運指の練習を延々としていたらしい。敬愛するのはセロニアス・モンク・・・(思えばセロニアス・モンクも非常にノイジーなピアノを弾く人だ。

セロニアス・モンクとの共演を心から待ち望んでいたのに、其れが叶う前に死んでしまったが。



音楽理論の歴史は、私が思うに

「音楽的にNOを減らしていく」
「あらゆる音に対してYESを与え続けてきた歴史」

だと思う。

モード奏法なんて、西洋はテキスト文化だから、モード奏法の為に書籍は山のようにあるが、実際の処は実に簡単な演奏方法である。

だから、エリック・ドルフィーにとっての音楽理論は全ての音に対して「YES」を与え続けてきた音、と言うか。

エリック・ドルフィーの師匠になるのかな。チャールズ・ミンガスは演奏中に

「ガンガン、吹け!音楽にミスなんて有り得ねーんだ!」

と怒鳴っていたらしい。音楽にミスがあるとすれば、それは演奏者が「あ、ミスったな」と思った時だけである。
観客が決める事ではなく、演奏者が決める事である。

そのためには「何がミス」で「何がミスではないか」は知るべきだが、Bのコードに対してB♭のスケールは音楽理論ではアウトだが、「いやいや、アウトじゃないですよ」と言えばOKとなる。



とは言え。


エリック・ドルフィーの『God Bless This Child』は、どういう考えで作ったのか全く理解が出来ない。
ゴスペルが、なんで幾何学的な音に変換されるのか。

エリック・ドルフィーに、音楽と言うのはどう聴こえていたんだろうか。違った聴こえ方だったんだろうか。


どうしようもなく謎である。

2019年9月29日日曜日

猫の詩

実家の猫が死んだ。







とても、とても、大好きな猫ちゃんだった。

とても、とても、美しく、素敵な猫ちゃんだった。


初対面で、私は猫を「綺麗な猫だ!」と思い、猫は「大きすぎる猫だ」と思った。


ある時期以来、実家には時折、帰省していたのだが、理由は「猫」だった。

私は恋人だろうと、何だろうと、何処まで行っても分かり合えない。俺が他人と分かり合えないんだ、と言う事を小学校~高校と丁寧に、徹頭徹尾、骨の髄まで教えてくれた奴等ばかりだった。

そのクソな奴等の言う事は一理あり、彼等も私の事が分からなかったし、私も彼等の事が分からなかった。

だから、誰かを好きになったり、友情を感じる事もなく、20歳以上になった。




だが、猫や犬とは分かり合える。


学校の同級生・・・自分以外・・・の言葉は全く理解出来なかったが、猫や犬の言葉なら理解が出来た。

だから、猫だけが親友だった。

心を許せる友が『猫』だけだった。



私が足の骨を折って実家療養してた頃。

音楽的に燃え尽きてしまい、実家で療養していた頃(肺炎だった)。



心を許せる相手は、サビ猫だけだった。サビ猫は私と二人きりになると抱っこもOKだったし、目を細めて甘えてきた。
私もサビ猫の期待に応えられるように迎えていた。

お互いが迎えあっていたのだと思う。

サビ猫と私は「ペットと人間」を超えたモノだった。

私は一度もサビ猫を『ペット』とは思わなかった。
と言うか、KO.DO.NA家の誰もが犬猫をペットとしては見ていなかった。

そう言う家柄だった、と言うか。

家族と同じだった。猫も自分の事を『猫』と自覚している素振りはなかった。



実家に帰省していた理由は甥っ子や姪っ子に会う為ではない。甥っ子や姪っ子とはDNAは繋がっているが、所詮は赤の他人である。

妹や姉が、別の男性と作った人間なので、同じ血が恐らく50%は流れているのだと思うのだが、


『魂の結びつき』


と言う程のモノではない。肉親って、何処か緊張感がある関係だと思う。其処までの関係性を封じる処がある。
それは近親相姦を防ぐ為のの本能なのかも知れないが。

其れに甥っ子や姪っ子は幼すぎるし、生きている時代が違いすぎる。あと、私の子供ではない。


サビ猫に会うために帰省していた。


サビ猫が居なかったら、誰が人気のないウラ寂しい日本海側の田舎に行くと言うのだ。


①覚醒剤
②暴力
③銃
④出刃包丁
⑤拉致監禁
⑥死体


其ればかりだ。
そんな土地は疲れる。

だったら、サビ猫の方が知性があり、詩的だ。



4日間ほど家出をして、帰ってきたら様子がオカシイので病院に連れて行ったら、車に跳ねられたらしく、其れが原因なのか急性肝不全で死亡。

丁度、彼岸の日だったらしい。


今日、知った。


とても、とても、悲しくて、やりきれない。

泣いてしまおうかと思うが、泣いてしまう事は何か違う気がする。

泣いてしまうと、全て涙によって終わってしまう。

サビ猫の存在が終わってしまう。

それは嫌だ。




Nさん、Tさん、その他。

私が大好きな人は皆、死んでいく。42歳と言う年齢は、そう言う年齢なのかも知れない。

または「俺が大好きな人達は皆、死ぬ運命なのか?」とさえ思う。

誰のことを好きにならなければ、その人、生物は生き続けるのか?。



死ぬ事は誰もが確実であり、其れが早いか遅いかは神の采配だ。だが、どうして、こうも悲しくて、苦しいのか。

2019年9月15日日曜日

音の蒸留酒/小堺文雄

「ギターの弾き方が分らないといった風に弾け」
「初めてギターを弾いた奴みたいに弾け」



マイルス・デイビスがジョン・マクラフリンに要求した話は有名だが、思えばスタジオ・ミュージシャンであり超絶技巧を売りにしていたジョン・マクラフリンにしてみれば可也、困った要求だっただろう。


ジョン・マクラフリンが「ギターの弾き方が分らない」ようにギターを演奏できたか?と言えば『In A Silent Way』を聴けば分かる。

セロニアス・モンクが超絶技巧を取得して、それを捨てる為に激しい修練を行ったが、テクニックと言うモノは捨てにくい。

工藤冬里が過去のインタビューで「上手くならないように、一日5〜15分だけギターの練習をする」と発言していたが、楽器と言うものは一日5分の練習でも日々の積み重ねでテクニックは付いてくる。



音楽、演奏と言う行為はテクニックを身に着けていけば、身につけていく程、音は濁っていく。



演奏と言う行為には『初心者』か『超絶技巧』の二つしか無い。初心者の頃の音の美しさをテクニックでカバーしていくのは「巧い」だけでは超えられないモノがある。




小堺文雄氏の演奏には4回ほど接している。インキャパシタンツではなく、小堺文雄氏がアコースティック楽器やエレキ・ギターを手にしている演奏である。


最初に観たのは、記憶が正しければ1998年の高円寺20000Vだった。


当時、月本正さんのバンドに参加した際に対バンだった。私にとって東京での初めての演奏であり、とても緊張した。
 私は月本正さんのコンセプトが理解出来ず、個人的に私の演奏は酷かったと思う。


その時に出演していた、最高にエッジが尖っており、ハイスピードで、スリリングだったのが

『宇宙エンジン』

だった。


小堺文雄氏がダンエレクトロのギターで、リチャード・ヘルのカバーをしていたのだが、猛烈にカッコ良かった。
掻き毟るように演奏し、まるで高校生が初めて文化祭で演奏するかのような爆発感だった。
巨体でギターを、それこそ掻き毟るように演奏しいてる姿だけが印象に残った。



その時。



学生時代にノイズ専門紙を発行していた私にとって『インキャパシタンツ』『非常階段』と言うのは憧憬、憧れであり、

「あ、あのコサカイフミオさんって・・・」

と思い、初めて『サイン』をして貰った人だった。

「うへっへっへ。インキャパシタンツの小堺文雄さんにサインだぜ。九州の田舎じゃ手に入らねぇ一品だべ。」

と悦に浸りながら部屋に飾っていた。
私は20歳になったばかりの馬鹿だった。




それから小堺文雄氏とは縁遠くなる。




私の生活は演劇などであり、音楽どころの騒ぎじゃなくなった。演劇を止めた後も辛い時期があり、それを過ぎて「自分で音楽を作ろう」と思って、2〜3年は部屋に篭って作曲。

トランペットを新調すること2回。

24歳でトランペットを始めたので上達は遅い。

そんなワケで、人の演奏には人づてに教えてもらうしか無かったし当時はノイズやオルタネイティヴのシーンよりもMODS系やフリージャズのシーンに居たので(居た、と言うと弊害もありそうだが)、分からなかった。

演奏やライブと全く無縁だったワケではないが、情報がなかったのである。


そう言えば当時、ノイズ、オルタネイティヴの専門紙と言えば『G-Modern』と言う雑誌があったが、年に4回発行されれば良い方で、年1〜2回の事もあった。

だから、雑誌でライブ情報を知る、と言う事も絶望的だった。




小堺文雄氏と直接、お会いしたのは何時だったんだろうか。


オファーをしたのは私の企画『鳥の会議』で小堺文雄氏にDJをお願いした時である。

その次に橋本孝之さんにオファーをした処、小堺文雄氏とのデュオになった。



小堺文雄氏がどんな演奏と言うかセッティングで来るんだろうか?。
ノイズと言うかエレクトロニクスを使うのか?

と思っていたら、当日はリゾネーター・ギターだけを持ってきた。正直、驚いた。


「え?今日はギターだけですか?」

「まぁ、なんとなく」



演奏が始まると、小堺文雄さんは「初めてギターを弾く」ようにギターを弾く。一音、一音を確かめながら演奏する。
モートン・フェルドマンのようなギターだった。
楽器と対話と言うよりも、どんな楽器、どんな音なのかを確かめるように一音、一音をユックリと演奏した。

それは『弾く』と言うよりも『鳴らす』だった。

一音と言うよりも『一滴』だった。一滴、一滴を確かめる・・・。





その次は江古田フライング・ティーポットでの山安籠さんのライブでお会いしたり(其れ以外にもお会いしていた気がするが)。
(そう言えば山安籠さんの演奏は20年前に観いていた。
新宿シアターPOOと言うハコで、月本正さんのバンドのライブがあった。それを観に行った。
そこに山安籠さんが出演していた。当時は『山赤子』と言うユニットだった気がする。)


その次が『山安籠&小堺文雄』と言うデュオだった。

10年ぶりの演奏だったらしいのだが驚愕だった。


山安籠さんがボーカルと言うかボイス。小堺文雄さんがギターやバイオリンなのだが二人共、全く音が合ってない。

合ってないんだけど、合っている・・・と言う不思議な音響空間だった。

もう、究極のモード奏法としか言いようがなかった。


その時の小堺文雄さんも、以前と同じように音を一滴、一滴、確かめるように鳴らしていた。

音を水滴のように扱う・・・と言うか。




で、ですよ。


此処からなんだけだけども先日、初めてインキャパシタンツを観た。

インキャパシタンツは学生時代にCDを買った。其れまで阿部薫だとかフリージャズを聴いていたのだが、インキャパシタンツの音は流石に強烈過ぎて、通して聴けなかった。

ボリュームを絞っても爆音なのである。

到底、食事をしながらor当時、作っていた雑誌の編集をしながらor寝っ転がりながら聴けるシロモノではなかった。

そう言う音楽だった。

『非常階段』は真似が出来る音だったが、インキャパシタンツは真似が出来ない音だった。



「すげー!」

と思いながらも九州の僻地に『インキャパシタンツ』も『C.C.C.C.』も『メルツバウ』も『ハナタラシ』も『ゲロゲリゲゲゲ』も『裸のラリーズ』も誰も来なかった。

唯一、来福していたのは『灰野敬二』だけだった。だが、それも滅多に来なかったし、チケット代が当時、演劇青年だった私には高額だった(東京から来るミュージシャンはスカパラだろうと、松山千春だろうと、灰野敬二だろうと5000円から6000円だった。当時の福岡市の最低時給は700円代である)。


だから、音源にて衝撃を受けたインキャパシタンツのライブは家から出る前に既に興奮していた。


だが、此処でインキャパシタンツのライブのレビューを書いても仕方がない。
そう言う事は有識者に任せたほうが良いし、私の得意分野でもないし。

T美川氏の演奏の後に、小堺文雄氏のソロだった。

楽屋で自分の曲の練習をしていたので「あれ?インキャパシタンツってギター使っていたっけ?」と思いながら、小堺文雄氏の登場を待つ。

大量のエフェクターを前に何をするのかな?と思ったら




ギター1本で歌い始めた。




此れは驚いた。だが、直ぐに嬉しくなった。芳醇なアシッド・フォークと言うか、一音一音、歌詞の一言、一言が水のように一滴、一滴となり、それが樽に貯蔵され、長年の時をかけて美しい香を持つ蒸留酒のような。
または一葉、一葉を詰み、それを集めて、湯によって香りはじめる茶の雫。



動画を撮影したのだが、本番のときのうような音が再現されない。
どうしても、こう言うモノは動画では再現出来ない。


トラベル・ギターでの弾き語りだったのだが、コードは間違えるし、リズムも怪しい。スコアを見ながらの演奏なので、何処かタドタドしい。

だが、それをもってしても芳醇なのである。


『人前で演奏するのは初めてです』

『歌うのは初めてです』

『ギターを3日前に買ったばかりです』

と言う音を出す。それは凄い音なのである。
どうして、こう言う音が出るのか。どうして、こうも心に響く歌なのか。
こう言うモノはテクニックと言うよりもスケールの大きさなのかも知れない。
または年齢やキャリアによって克服されるモノなのかも知れない。

『音』と言うモノへの対峙、謙虚さなのかも知れない。


書きながら思ったのだが、楽器の修練を積めば誰だって上手くなる。一日5分だろうと15時間だろうと『上達』はする。

上達した結果は何か?って言えば、初めて楽器を手にした時の音の響き、それを自分が操作している時の感動が消える。

『音』と言うモノへ最初は謙虚な姿勢であり、アンプのボリューム、弦の張替え、楽器の重さや手触り、出てくる音への畏怖、畏敬。

其れが消えてくる。

『当たり前の音』になってくる。1万円のギターでも100万円のギター(ギターに限らないが)でも、演奏し続けていけば、当たり前の音になる。

それは、面白くない音になる。



多くの演奏家は『当たり前の音』を克服するためにエフェクターや楽器の改造、何やら怪しい事を行うのだが、小堺文雄氏は常に『初めての音』と言うか、音に対して一音、一音、謙虚であり、それに対して敬意を込めて音を出す。


だから、あんな凄い音が出るのかも・・・と思う。


もう、今宵はこの演奏だけでお腹いっぱいです、と思った。




私はトランペットを演奏しているが、此処5〜6年は自分の音が面白くない。
その為、日々の練習では不自由、と言うか制限付きの練習(主にミュートを使ったルーティン・ワーク)を行ったり、過去には鉛や改造部品を装着したり、楽器を削ってみたり、胡散臭い事を多々やったのだが、最終的にあらゆる改造部品、エフェクターを外した時の音が一番、面白かったりする。


音への謙虚さ。


それは仏像を前にした時のように、対峙しなくてはならない。

仏像を切り刻むように演奏しなくてはならない。

燃える薪の中にロザリオ、仏像を投げ込み、神を殺す。

それが演奏なのかも知れない。

書いていて意味が分からないが、そんな気がしてならない。


2019年9月11日水曜日

田中智子/ソフトさん


大昔だが、『ソフトさん』と言うバンドをやっていた。






当初はティンホイッスルとアパラチアん・ダルシマーのデュオだった。

『インチキ・ケルト音楽』と言う塩梅。

それで知人の誕生日イベントで演奏。

その後、メンバーが増えて4人編成に。
私はトランペットがメインだから弦楽器は下手だし、メンバーは楽器がメインじゃない人も多かったの

で、下手も良い処だった。



頭を抱えたのは田中智子さんが「楽器が全く出来ない」「やろうとも思わない」と言う処で、仕方がないから鈴を持たせて振らせたり、なんちゃってパンクみたいな曲ではシャウトしたり。



ただ、『緩い』と言うのを遥かに超えて『緩い』バンドだったので、無茶苦茶なカバーもやっていた。

①イン・ア・サイレント・ウェイ(マイルス・デイビス)

②さよならニッポン/さよならアメリカ(はっぴいえんど)

③ピンヘッド(ラモーンズ)

④Smoke on the Water(ディープ・パープル)




ただ、集客能力が枯渇と言うか皆無なバンドで、0人が常だったので余りライブには呼ばれなかった。
一回だけ高円寺『円盤』で企画ライブをやったのだが、まぁ集客は自殺モノだった。






どうやら、田中智子が死んでいたらしい。

『死んでいた』と過去形なのは6月に死んでいたから。

今更になって知ったと言うのは、それを告知した人も最近、知ったと言う事だろう。


高円寺のアパートで孤独死だったようでもある。

『持病で死亡』

とあったのだが、双極性障害が持病だった。

レーベルから音源をリリースする為、と言うかレコーディングの為に処方量を減らしたり、ライブの回数を増やしたりしていた。

死因は書かれてないけども、なんとなく憶測出来る感じもする。

何だかなぁ・・・と思う。

何だかなぁ、と言うか実感が沸かない、と言うか。

先月、電話をしたら不通だったのだが、あのときには既に死んでいたって事か。

何だかなぁ・・・。

こう言う事を言葉にする事は難しい。

自分が、どう思えば良いのか分からない。





2019年8月26日月曜日

My RevolutionよりもMy Generation

大昔。



まだ90年代になったばかり中学生の頃。

当時、ようやく『カラオケ』と言うモノが場末のスナックから中学生でも使えるようになった。

其処で男子は『米米CLUB:浪漫飛行』を歌うのがHIPとされていた。

女子はカラオケで皆『My Revolution』を歌っていた。


そんな事をふと、思い出して『My Revolution』を30年ぶりに聴いてみる。



確かに良い曲である。



『良い曲』と言うよりも、リリースが私が10歳の頃なんだよな。
だから、私が中学生の頃だと、少なくとも3年か4年前のはずである。
だが、当時のヒット曲って息が長かったんだよな。
丁度、登場したカラオケでもHITしたのだと思う。
で、歌詞が

『反抗期を迎えた頃の中学生〜高校生』

にピッタリだった。反抗期が意味不明なように歌詞も若干、意味不明な部分がある。

『わかりはじめた/My Revolution』

などである。


直訳すると


「私の革命」


である。


これを意訳すると



『人間革命』


であり、つまり創価学会の池田大作である。

仏教的思想をPOPSに持ち込んだ最初の楽曲であり、創価学会的仏教思想をシンクラヴィアで表現した、電子音楽史上、最大の金字塔なのである・・・と思って、wikipediaを読だが

『当時、創価学会員の絶大なる支持を受けてヒットした』

とは書いていないし、余り関係がないらしい。

そもそも、電子音楽、POPS、仏教思想なんて聴いたことがない。上手く行った人はハービー・ハンコックくらいなモンだろう。
キリスト教、デスメタルとキリスト教は意外と相性が良いらしく『デス・メタル・ミサ』『HIPHOPミサ』なんてモノもあるらしい。




と言うか、この曲をプロデュースしたのは小室哲哉だが、彼の『TMネットワーク』って、こう言う『思春期の男女の心の小波』を歌ったモノが多かった。

『ぼくたちの七日間戦争』
とか(子供心に感動した。あの映画と『ライ麦畑でつかまえて』は思春期ベストである)。



思えば、『思春期の心の小波』を表現した音楽がHITした頃って、バブル景気の頃で、思春期の男女でもLPが買える時代だった、と言う事なのかも。



その時代の映画と言うのは何だったか?って言えば、すわ

『薬師丸ひろ子』

である。角川映画だったが、『セーラー服と機関銃』のインパクトは凄かった。
子供の頃にCMで薬師丸ひろ子が「カ・イ・カ・ン・・・」と言う衝撃を何と例えれば良いのか分からないが。
ただ、映画は、まだ18歳未満禁止と言う感じがした(実際、角川映画は現在だとストーカーやメンヘラと言った表現が多くてTV放送出来ないらしい)。

ただ、まだ『映画を子供だけで観に行く』と言うのは少なかったと思う。

『子供の文化』『大人の文化』

が明確な時代だった。

子供の頃に観に行く映画と言えば夏休みの『東映アニメフェア』であり、其処で『ドラえもん/のび太と鉄人兵団
を観に行くのだが、嬉しかったのは『ドラえもん映画』だと、なんと!


『しずかちゃんのフルヌード』

が3〜5秒ほど放映されるのである!!!


これが10歳くらいの男子生徒にとって、どれほどのモノか。子供料金とは言え千円と言う大金を支払う価値があったのである。あの数秒の為に!

そんなモノが『子供の映画』だった。アニメと言うのはイコールで『子供向け』。
だからこそ『AKIRA』や『オネアミスの翼』が異色、異端、驚愕として迎えられたワケで。



角川映画の薬師丸ひろ子は既にTOPスターだったが、アイドルとは違った気がする。映画音楽なども歌っているがアイドルから連想される『未成年女子が性的な事をHIPに歌う』と言うモノではなく、当時の『歌謡曲』の王道だったと思う(セーラー服と機関銃の撮影時の薬師丸ひろ子は中学生だったが)。


初期の角川映画は、やはり子供が観るようなモノじゃなかった。性的なシーンが多かったし、現代だと「明らかに精神がオカシイ」と言うシーンも多かった。

だから、TVで観る薬師丸ひろ子は「素敵なお姉さん」であり、『My Revolution』は「同世代の歌(リリースは4年前だが)』だった。



それはサテオキ。

My Revolutionは小室哲哉が音を作っていると思うのだが、シンクラヴィアやフィアライトCMIを使っているとは言え、当時の音はなんで、こんなに変な音なんだろうか。


シンセのプリセット音のようなストリングス、押し付けがましいドラム。
特にドラムの音は時代を表すが、このダサいドラムに誰も、何も思わなかったんだろうか。
良い曲なんだけども、「でも、やっぱ、ダサいよね」と思える曲でもある。

小室哲哉ってEL&Pやシンフォ系プログレのマニアなのだがEL&Pは、もう少しマシな音を使っている。



そう考えると『演歌』は強いよな。
演歌の成立は1976年だが、あまり時代に左右されない音と言うか。

演歌と言うか『歌謡曲』だろうか。

上記にUPした『薬師丸ひろ子:紳士同盟』は歌謡曲だが、音色や音列は古賀政男を感じる。



『My Revolution』は当時、最高のシンセサイザーとドラムを使う事で「1986年」に真空パックされてしまった気がする。

因みに私は『My Revolution』よりも『The Who - My Generation』の方が好きだ。



2019年8月20日火曜日

21世紀最後のテクノポップ:Covin*Kestner

池田拓実を知ったのは、実は今は無きSNS『MySpace』だった。






一瞬だけ流行ったSNSである。
自作の音源をUP出来る、と言う事でミュージシャンには好評だった。

自作の音源をUPする方法は、まだ良くわからなかったし(OSによっては対応していなかったり)YOUTUBEは当時は確か3分程度の動画だけだった。
しかもUP方法が難しかった。


ただ、他の人達がどんな音楽をやっているのか?と言う事では良いサービスだったと思う。


私は杉並区高円寺に住んでおり『60〜70年代ロック』や古い音楽、PUNK以外は余り聴けない街だった。そう言う意味で高円寺は非常に閉鎖的で特種な街だったと思う。


2007年だったと思うのだが、その『MySpace』で


『Covin*Kestner』


を知った。









初めて聴いた時はビックリした。数曲だけがUPされていたのだが、余りの出来の素晴らしさ・・・クオリティの高さに唖然とした。


4回ほど『ミュージシャン自身』を紹介していたが、今回は『Covin*Kestner』と言う音源を紹介したい。


余り語られていないユニットだし。


ただ、此れを書くに当たって調べてみたのだが余りにも情報がない。00年代のアンダーグラウンド・シーンなんて、そんなモンのような気がする。

SDLXで行われていた伝説的イベント『TESTTONE』もgoogleに情報が豊富か?と言えば、そうでもない。



インターネットと言うモノがgoogleの事を指すことになり、其処から『古い情報』とされる情報は「なかった」とされる。
「なかった」とされる情報は、アルタミラ洞窟の絵よりも価値がなく、誰にも発見されずにHTMLの海に消えていく。




MySpaceで『Covin*Kestner』を知った時。

上記の通り、桁外れのクオリティに愕然とした。ミュージシャン達が漸くCD-Rで作品を発表していた頃である。
録音機はHDDのMTRであり、中にはライブ一発録り、と言うモノも多く、意思や音楽性と反して音楽的クオリティは低かった・・・と思う。

其処に『Covin*Kestner』は圧倒的な楽曲と、音圧、音質で登場した。

初音ミクがブレイクする前で、余りの凄さに恐怖を感じた。

「この曲を作った人は、どこかオカシイのでは・・・」

と思った。

自分が知らない処で、こう言う曲を作っている人がいる・・・と言うのは何故か怖い感じがした。

何故か恐怖や闇を感じた。

怖がりならも聴いていた。ドキドキしながら聴いていた。







「音源が欲しい」

と思った。ただ、『Covin*Kestner』を何と読めば良いのか分からない。記号のような名前である。ユニット名に『*』が入っているのである。

発音することを拒むようなユニット名である。

だから、読み方すら分からないし、どう言うユニットなのかも分からない。『MySpace』は、そう言う情報が少ないSNSで音源だけがあり、あとは勝手にして・・・と言うか。
だから、消えたSNSになったのだろうが。


音源の入手方法は分からない。インディーズなので大手CDショップなどに置いているか怪しい。
じゃあ、手売りや物販か?って言えばライブの情報も分からない。


00年代って、そう言う事は多かった。


00年か01年に、新宿のシアターPOOと言うハコで偶然、観た女性一人のNOISEミュージシャンがいて。凄くカッコ良かったのだが、音源は貧乏過ぎて買えなかった。
だが、凄く印象に残っていて、一年に一度ほど思い出していた。

その20数年後に再会した時は『山安籠』と言うユニットになっており(当時は違うユニット名だった)、結婚して、お子様もいた。

だが、ビックリだった。

インターネット元年と言っても、PCは高かったし情報は多くなかった。だから、一回一回の偶然が大事だった。



『Covin*Kestner』を知って、漸く『ユニット名の読み方』を知ったのは西麻布のクラブだった。


『西麻布BULLETS』と言う相当に尖ったクラブに出演した。私は『KO.DO.NA』で出演。その時のオーガナイザーに

「コビンケスナーの池田さん」

と紹介された。


其れが、池田拓実氏との初対面だった。


「あ!あれが『Covin*Kestner』の人か!!!」


と質問攻めにしたい衝動を抑えて恐縮した覚えがある。

音源は手に入らなかったがリスペクトどころか畏怖、憧憬の存在だったから。


何故なら、フランス印象派のようなサウンドのレイヤーによる音列、音質は私が「こう言う音楽を作りたい!」と思った音だったからである。

ツンのめっているリズム。

有機的な音色。

ヘンテコな歌声。


歌に関しては、まさか人間が歌っている、とは思えない歌だった。それこそ『一音、一音、サンプリングして並べた』のではないか?と思った程である。

当時、池田拓実氏は『ToneBlues』と言うユニットをやっており、そのギャップに驚いた。

『ToneBlues』は・・・POPとは到底、呼べない音楽であり、その構造や仕組みは『不思議』としか言いようがなかった。

その時に池田拓実氏から「最後の曲に参加してほしい」と言われて、下手糞なトランペットを吹いた
(その時、池田拓実氏はウクレレとバンブーサックスを吹いていた)。

憧憬と畏怖の人の依頼なのである。断るはずがない。正直、凄く嬉しかった。






『Covin*Kestner』は過去に知人がオーガナイズするイベントに出演していた。


「ライブは良くなかったけどボーカルのテロンテロンした歌い方が凄く面白かった」


らしい。私が池田拓実氏と知り合った頃には既に解散しており、ボーカルの女性はアニソンを歌ったり、コスプレをする女性だったらしいのだが、MIXIで見つけたときには

「音楽活動は、もうやりません」

と記載していた。そのMIXIも早くに辞めていたようだった。




池田拓実氏から聴いた話では当初、YMOの『ジャム』と言う曲『だけ』を演奏するテクノポップ・・・なのか?・・・出身らしい。

氏が所有していたシンセサイザーは『EOS』と言う、当時としても低スペックなシンセサイザーだった。

「YMOのジャムだけで、シンセのメモリを全部使った」

と言う。その後、女性ボーカルが加入・・・スカウトしたらしいのだが・・・Covin*Kestnerとなったらしい。

「秋葉原でアニソン大会と言うか、アニソンを歌うイベントがあった。その際に最も歌が下手だった女性をスカウトした」

と言っていた。

その後の活動は、調べてみるとテクノポップ系のイベントに出演していたらしい。






先日、水道橋futariに池田拓実氏のイベントを観に行ったのだが、その際に「Covin*Kestnerの音源ってありますか?」と尋ねると

「いや・・・自宅にあるけども・・・」

「あ、ないんですか・・・」

「黒歴史ですからねぇ・・」

と言う。


確かに現在の氏の音楽と、Covin*Kestnerは『電子音』以外の共通項はない。だが、『黒歴史』にしては、余りにも美しい『黒歴史』ではないか。

私の黒歴史なんて、人に話せるようなモノではない。
墓場まで持っていきたい位、恥ずかしいモノばかりである。



然し、不思議だ。



フランス印象派のようなレイヤーと旋律。

ツンノメッた、妙なリズム。

人間が歌っているとは思えい不思議な歌。


このサウンドが、どうやって出来上がったのか。



テクノポップと言うジャンルがあり、其れは今でも行っている人はいる。

その『テクノポップ』と言うジャンルの

『極北』
『究極』
『彼岸』
『最果て』

と言う気がする。




それは、後に電子音楽家、現代音楽家として名を馳せる池田拓実氏の『置土産』だったのだろうか。


音源は手に入らなかったが、ふと、ストリーミング・サービスで探したら出てきた。どう言う流通になっているのか分からないが、漸く全曲を望むリスニング状態で聴ける、と言うのは嬉しい。


実は私は、YMOのマニアであり、シンセサイザーを購入したらテクノポップをやりたかった人間である。
紆余曲折あって、トランペットとエフェクターと言うスタイルになったが、元々は中古LP屋でテクノポップやNWばかりを買うので『テクノポップ少年』と呼ばれていた程である。


この超絶名盤を聞くことが出来る、と言うだけでスマートフォンを契約しただけの価値がある。


兎に角、嬉しい。

私は、この音源を自由に聴ける事が出来て、兎に角、嬉しいのである。昨夜から何回、聴き直しているか!!!

高校時代に好きだった女性とデートをしているような恍惚感である。

音楽は・・・いつだって素晴らしい・・・。




2019年8月10日土曜日

表現の不自由

あいちトリエンナーレの『少女像』について、ツラツラと書いてみたのだが。
書き終わって思うのは

「考えてみれば『左』と呼ばれる人達も『表現の自由』『多様性』を否定してきたじゃん」

と思った。

https://kodona.blogspot.com/2019/08/blog-post.html






311の直後の脱原発デモの事を思い出した。
場所は渋谷で、高円寺界隈の人達も多く参加していた。

その時に、ある『右翼団体』が参加を表明した。ネトウヨとか保守系じゃなくて、純粋に『右翼』の人達である。

「国を憂う気持ちは同じ」

と言う事での参加表明だった。

私は

「あ、これで市民運動と言うのは一歩どころか大きな前進になるのではないか?。左翼or右翼ではなく、ある目的に向かって全てが一緒になれるチャンスなのかも?」

と胸を踊らせた。




だが、参加している他の団体や個人が、『愛知トリエンナーレ』と同じように

「参加したら殺す」
「一緒に歩いている奴がいたら殴る」

と物騒な事を言って大反対となった。それで、未参加(主宰者側が右翼団体に不参加を申し入れた)となった。
そんな事、おかしいじゃないか。脱原発は左翼、新左翼だけが言える事柄なのかよ?と思う。

それをデモの前に

「おかしいじゃないか!。同じ国を憂う者同士が協力出来なくて何がデモだ!?だから、俺は此処に国旗を立てる!」
と言って国旗を掲げた人がいたが、国旗を掲げた1秒後に殴られていた。


デモの終盤に「何故、国旗が駄目なのか?」と聞いたが「国旗は駄目でしょ。やっぱ」と曖昧な返事だった。
一企業が日本の国土を大幅に奪ったワケで、これに関して右翼も左翼も無いし、国旗を掲げる自由もあったはずだが駄目らしい。
未だに理解が出来ない。



あと『ろくでなし子』さんが自身のツイッターで記載していたが、反レイシスト団体から何故か脅迫を受けたことがあった。
ろくでなし子さんはレイシストではない、にも関わらず。



あと、極端かも知れないけども『はしすみとしこ』って言う保守系のイラスト屋がいるのだけど。
この人の最初の画集が意外な事に売れた。
それでサイン会兼講演会が催されたのだが、これも『反レイシスト団体』の猛烈な脅迫とクレームで中止させられた。


『表現の自由』と血相を変えて激怒する一方。
その『表現の自由を侵害された』と言う人達も『表現の自由』を侵害している。



「いや、表現の自由と言ってもレイシズムとか弱者を貶めるとかは駄目でしょ」
と言う意見もOKなんだけども『制限付きの自由』は『自由』と言えるのか。
『はしすみとしこ』はレイシストだが、「だから、なに?」と私は思うんだよな。だって、イラストとしては平凡な出来だし、要するに『面白くない』作品なのに、何を血相を変えているんだろう・・・と思った。
(レイシズムや弱者を貶める、民族差別、職業差別、障害者差別は手塚治虫がタブーとしていたが、その手塚治虫も、そのポリシーを遵守出来たとは言い難い)
(同時に手塚治虫がアチチュードとしたタブーを、叩き壊す、と言うアチチュードも有りだとは思う)



『自由』って何なのさ?と思う。誰も定義出来ないし、定義した処で守れない。
女子高生とSEXするのは条例違反だが、山羊や犬とSEXする自由はある。それを『性の自由』とも言えるわけでさ。




随分、前の話だけども。

国分寺の『フリー・即興ジャム・セッション』に呼ばれたので演奏した。
その頃、私はトランペットを演奏する事にウンザリしていた。
もっと、メチャクチャで、もっと電力を使った音楽をやりたい、と思っていた。
真面目に吹いてもトランペットと言う楽器は『即興演奏』と言うか、デレク・ベイリーみたいな演奏は不可能である。
それで、自作のピック・アップをトランペットに装着して、ループマシンでトランペットを殴る音でノイズを作る。
延々とハウリングさせた。
トランペットを吹いたのは1分程度だったと思う。
最後はアンプにトランペットを投げ付けて終わり・・・と言うモノで個人的には満足が行くものだった。
共演者を徹底的に無視したい。
無視した処で、無視は出来ない。
だから、やりたい。
と思った。



後日、怒られた。

「ちゃんと共演者の音を聴きながら演奏しなきゃ駄目だ」

と言う。

「ほな、ブルースのセッションでエエやんけ!。フリーなんだろ?。合唱団体じゃねーんだろ!?」

と言い返したが

「音量は共演者の音量に合わせ、演奏は共演者と共に作れ」

と一点張り。

そんな演奏の、何処が『フリー・インプロージョン』なのか理解に苦しんだ。



坂口安吾の『天皇論』と同じで

『思想の自由』
『宗教の自由』
『表現の自由』

を高らかに、血相を変え、仰け反りながら、雄鶏さながらコケコッコー!と叫ぶ人ほど、その都度、『自由』の定義を変えながら『自由』を奪っていくんではないか?って気がする。



あと、『愛知トリエンナーレ』の企画者が「日本から自由が遠ざかった」みたいな事を言っていたんだけど、あれは負け犬の遠吠えなんだよな。
『自由』って生きるうえで大前提だけども、旧約聖書の頃から『自由』を奪われて、『自由』を武力なり、何なりの力で奪還している。

もう、これは源平合戦だろうと、桶狭間の戦いだろうと、島原の乱だろうと、同じなワケで。
だから、『表現の自由』を訴える人が、それを『許さない』と言う人達に惨めに、無様に屈服したんだよな。
マヌケだよな、と思う。

あんな屈服をしておきながら「自由」を謳うなんて、ヘソで茶を沸かせられるよな、と思う。