2019年8月20日火曜日

21世紀最後のテクノポップ:Covin*Kestner

池田拓実を知ったのは、実は今は無きSNS『MySpace』だった。






一瞬だけ流行ったSNSである。
自作の音源をUP出来る、と言う事でミュージシャンには好評だった。

自作の音源をUPする方法は、まだ良くわからなかったし(OSによっては対応していなかったり)YOUTUBEは当時は確か3分程度の動画だけだった。
しかもUP方法が難しかった。


ただ、他の人達がどんな音楽をやっているのか?と言う事では良いサービスだったと思う。


私は杉並区高円寺に住んでおり『60〜70年代ロック』や古い音楽、PUNK以外は余り聴けない街だった。そう言う意味で高円寺は非常に閉鎖的で特種な街だったと思う。


2007年だったと思うのだが、その『MySpace』で


『Covin*Kestner』


を知った。









初めて聴いた時はビックリした。数曲だけがUPされていたのだが、余りの出来の素晴らしさ・・・クオリティの高さに唖然とした。


4回ほど『ミュージシャン自身』を紹介していたが、今回は『Covin*Kestner』と言う音源を紹介したい。


余り語られていないユニットだし。


ただ、此れを書くに当たって調べてみたのだが余りにも情報がない。00年代のアンダーグラウンド・シーンなんて、そんなモンのような気がする。

SDLXで行われていた伝説的イベント『TESTTONE』もgoogleに情報が豊富か?と言えば、そうでもない。



インターネットと言うモノがgoogleの事を指すことになり、其処から『古い情報』とされる情報は「なかった」とされる。
「なかった」とされる情報は、アルタミラ洞窟の絵よりも価値がなく、誰にも発見されずにHTMLの海に消えていく。




MySpaceで『Covin*Kestner』を知った時。

上記の通り、桁外れのクオリティに愕然とした。ミュージシャン達が漸くCD-Rで作品を発表していた頃である。
録音機はHDDのMTRであり、中にはライブ一発録り、と言うモノも多く、意思や音楽性と反して音楽的クオリティは低かった・・・と思う。

其処に『Covin*Kestner』は圧倒的な楽曲と、音圧、音質で登場した。

初音ミクがブレイクする前で、余りの凄さに恐怖を感じた。

「この曲を作った人は、どこかオカシイのでは・・・」

と思った。

自分が知らない処で、こう言う曲を作っている人がいる・・・と言うのは何故か怖い感じがした。

何故か恐怖や闇を感じた。

怖がりならも聴いていた。ドキドキしながら聴いていた。







「音源が欲しい」

と思った。ただ、『Covin*Kestner』を何と読めば良いのか分からない。記号のような名前である。ユニット名に『*』が入っているのである。

発音することを拒むようなユニット名である。

だから、読み方すら分からないし、どう言うユニットなのかも分からない。『MySpace』は、そう言う情報が少ないSNSで音源だけがあり、あとは勝手にして・・・と言うか。
だから、消えたSNSになったのだろうが。


音源の入手方法は分からない。インディーズなので大手CDショップなどに置いているか怪しい。
じゃあ、手売りや物販か?って言えばライブの情報も分からない。


00年代って、そう言う事は多かった。


00年か01年に、新宿のシアターPOOと言うハコで偶然、観た女性一人のNOISEミュージシャンがいて。凄くカッコ良かったのだが、音源は貧乏過ぎて買えなかった。
だが、凄く印象に残っていて、一年に一度ほど思い出していた。

その20数年後に再会した時は『山安籠』と言うユニットになっており(当時は違うユニット名だった)、結婚して、お子様もいた。

だが、ビックリだった。

インターネット元年と言っても、PCは高かったし情報は多くなかった。だから、一回一回の偶然が大事だった。



『Covin*Kestner』を知って、漸く『ユニット名の読み方』を知ったのは西麻布のクラブだった。


『西麻布BULLETS』と言う相当に尖ったクラブに出演した。私は『KO.DO.NA』で出演。その時のオーガナイザーに

「コビンケスナーの池田さん」

と紹介された。


其れが、池田拓実氏との初対面だった。


「あ!あれが『Covin*Kestner』の人か!!!」


と質問攻めにしたい衝動を抑えて恐縮した覚えがある。

音源は手に入らなかったがリスペクトどころか畏怖、憧憬の存在だったから。


何故なら、フランス印象派のようなサウンドのレイヤーによる音列、音質は私が「こう言う音楽を作りたい!」と思った音だったからである。

ツンのめっているリズム。

有機的な音色。

ヘンテコな歌声。


歌に関しては、まさか人間が歌っている、とは思えない歌だった。それこそ『一音、一音、サンプリングして並べた』のではないか?と思った程である。

当時、池田拓実氏は『ToneBlues』と言うユニットをやっており、そのギャップに驚いた。

『ToneBlues』は・・・POPとは到底、呼べない音楽であり、その構造や仕組みは『不思議』としか言いようがなかった。

その時に池田拓実氏から「最後の曲に参加してほしい」と言われて、下手糞なトランペットを吹いた
(その時、池田拓実氏はウクレレとバンブーサックスを吹いていた)。

憧憬と畏怖の人の依頼なのである。断るはずがない。正直、凄く嬉しかった。






『Covin*Kestner』は過去に知人がオーガナイズするイベントに出演していた。


「ライブは良くなかったけどボーカルのテロンテロンした歌い方が凄く面白かった」


らしい。私が池田拓実氏と知り合った頃には既に解散しており、ボーカルの女性はアニソンを歌ったり、コスプレをする女性だったらしいのだが、MIXIで見つけたときには

「音楽活動は、もうやりません」

と記載していた。そのMIXIも早くに辞めていたようだった。




池田拓実氏から聴いた話では当初、YMOの『ジャム』と言う曲『だけ』を演奏するテクノポップ・・・なのか?・・・出身らしい。

氏が所有していたシンセサイザーは『EOS』と言う、当時としても低スペックなシンセサイザーだった。

「YMOのジャムだけで、シンセのメモリを全部使った」

と言う。その後、女性ボーカルが加入・・・スカウトしたらしいのだが・・・Covin*Kestnerとなったらしい。

「秋葉原でアニソン大会と言うか、アニソンを歌うイベントがあった。その際に最も歌が下手だった女性をスカウトした」

と言っていた。

その後の活動は、調べてみるとテクノポップ系のイベントに出演していたらしい。






先日、水道橋futariに池田拓実氏のイベントを観に行ったのだが、その際に「Covin*Kestnerの音源ってありますか?」と尋ねると

「いや・・・自宅にあるけども・・・」

「あ、ないんですか・・・」

「黒歴史ですからねぇ・・」

と言う。


確かに現在の氏の音楽と、Covin*Kestnerは『電子音』以外の共通項はない。だが、『黒歴史』にしては、余りにも美しい『黒歴史』ではないか。

私の黒歴史なんて、人に話せるようなモノではない。
墓場まで持っていきたい位、恥ずかしいモノばかりである。



然し、不思議だ。



フランス印象派のようなレイヤーと旋律。

ツンノメッた、妙なリズム。

人間が歌っているとは思えい不思議な歌。


このサウンドが、どうやって出来上がったのか。



テクノポップと言うジャンルがあり、其れは今でも行っている人はいる。

その『テクノポップ』と言うジャンルの

『極北』
『究極』
『彼岸』
『最果て』

と言う気がする。




それは、後に電子音楽家、現代音楽家として名を馳せる池田拓実氏の『置土産』だったのだろうか。


音源は手に入らなかったが、ふと、ストリーミング・サービスで探したら出てきた。どう言う流通になっているのか分からないが、漸く全曲を望むリスニング状態で聴ける、と言うのは嬉しい。


実は私は、YMOのマニアであり、シンセサイザーを購入したらテクノポップをやりたかった人間である。
紆余曲折あって、トランペットとエフェクターと言うスタイルになったが、元々は中古LP屋でテクノポップやNWばかりを買うので『テクノポップ少年』と呼ばれていた程である。


この超絶名盤を聞くことが出来る、と言うだけでスマートフォンを契約しただけの価値がある。


兎に角、嬉しい。

私は、この音源を自由に聴ける事が出来て、兎に角、嬉しいのである。昨夜から何回、聴き直しているか!!!

高校時代に好きだった女性とデートをしているような恍惚感である。

音楽は・・・いつだって素晴らしい・・・。




2019年8月10日土曜日

表現の不自由

あいちトリエンナーレの『少女像』について、ツラツラと書いてみたのだが。
書き終わって思うのは

「考えてみれば『左』と呼ばれる人達も『表現の自由』『多様性』を否定してきたじゃん」

と思った。

https://kodona.blogspot.com/2019/08/blog-post.html






311の直後の脱原発デモの事を思い出した。
場所は渋谷で、高円寺界隈の人達も多く参加していた。

その時に、ある『右翼団体』が参加を表明した。ネトウヨとか保守系じゃなくて、純粋に『右翼』の人達である。

「国を憂う気持ちは同じ」

と言う事での参加表明だった。

私は

「あ、これで市民運動と言うのは一歩どころか大きな前進になるのではないか?。左翼or右翼ではなく、ある目的に向かって全てが一緒になれるチャンスなのかも?」

と胸を踊らせた。




だが、参加している他の団体や個人が、『愛知トリエンナーレ』と同じように

「参加したら殺す」
「一緒に歩いている奴がいたら殴る」

と物騒な事を言って大反対となった。それで、未参加(主宰者側が右翼団体に不参加を申し入れた)となった。
そんな事、おかしいじゃないか。脱原発は左翼、新左翼だけが言える事柄なのかよ?と思う。

それをデモの前に

「おかしいじゃないか!。同じ国を憂う者同士が協力出来なくて何がデモだ!?だから、俺は此処に国旗を立てる!」
と言って国旗を掲げた人がいたが、国旗を掲げた1秒後に殴られていた。


デモの終盤に「何故、国旗が駄目なのか?」と聞いたが「国旗は駄目でしょ。やっぱ」と曖昧な返事だった。
一企業が日本の国土を大幅に奪ったワケで、これに関して右翼も左翼も無いし、国旗を掲げる自由もあったはずだが駄目らしい。
未だに理解が出来ない。



あと『ろくでなし子』さんが自身のツイッターで記載していたが、反レイシスト団体から何故か脅迫を受けたことがあった。
ろくでなし子さんはレイシストではない、にも関わらず。



あと、極端かも知れないけども『はしすみとしこ』って言う保守系のイラスト屋がいるのだけど。
この人の最初の画集が意外な事に売れた。
それでサイン会兼講演会が催されたのだが、これも『反レイシスト団体』の猛烈な脅迫とクレームで中止させられた。


『表現の自由』と血相を変えて激怒する一方。
その『表現の自由を侵害された』と言う人達も『表現の自由』を侵害している。



「いや、表現の自由と言ってもレイシズムとか弱者を貶めるとかは駄目でしょ」
と言う意見もOKなんだけども『制限付きの自由』は『自由』と言えるのか。
『はしすみとしこ』はレイシストだが、「だから、なに?」と私は思うんだよな。だって、イラストとしては平凡な出来だし、要するに『面白くない』作品なのに、何を血相を変えているんだろう・・・と思った。
(レイシズムや弱者を貶める、民族差別、職業差別、障害者差別は手塚治虫がタブーとしていたが、その手塚治虫も、そのポリシーを遵守出来たとは言い難い)
(同時に手塚治虫がアチチュードとしたタブーを、叩き壊す、と言うアチチュードも有りだとは思う)



『自由』って何なのさ?と思う。誰も定義出来ないし、定義した処で守れない。
女子高生とSEXするのは条例違反だが、山羊や犬とSEXする自由はある。それを『性の自由』とも言えるわけでさ。




随分、前の話だけども。

国分寺の『フリー・即興ジャム・セッション』に呼ばれたので演奏した。
その頃、私はトランペットを演奏する事にウンザリしていた。
もっと、メチャクチャで、もっと電力を使った音楽をやりたい、と思っていた。
真面目に吹いてもトランペットと言う楽器は『即興演奏』と言うか、デレク・ベイリーみたいな演奏は不可能である。
それで、自作のピック・アップをトランペットに装着して、ループマシンでトランペットを殴る音でノイズを作る。
延々とハウリングさせた。
トランペットを吹いたのは1分程度だったと思う。
最後はアンプにトランペットを投げ付けて終わり・・・と言うモノで個人的には満足が行くものだった。
共演者を徹底的に無視したい。
無視した処で、無視は出来ない。
だから、やりたい。
と思った。



後日、怒られた。

「ちゃんと共演者の音を聴きながら演奏しなきゃ駄目だ」

と言う。

「ほな、ブルースのセッションでエエやんけ!。フリーなんだろ?。合唱団体じゃねーんだろ!?」

と言い返したが

「音量は共演者の音量に合わせ、演奏は共演者と共に作れ」

と一点張り。

そんな演奏の、何処が『フリー・インプロージョン』なのか理解に苦しんだ。



坂口安吾の『天皇論』と同じで

『思想の自由』
『宗教の自由』
『表現の自由』

を高らかに、血相を変え、仰け反りながら、雄鶏さながらコケコッコー!と叫ぶ人ほど、その都度、『自由』の定義を変えながら『自由』を奪っていくんではないか?って気がする。



あと、『愛知トリエンナーレ』の企画者が「日本から自由が遠ざかった」みたいな事を言っていたんだけど、あれは負け犬の遠吠えなんだよな。
『自由』って生きるうえで大前提だけども、旧約聖書の頃から『自由』を奪われて、『自由』を武力なり、何なりの力で奪還している。

もう、これは源平合戦だろうと、桶狭間の戦いだろうと、島原の乱だろうと、同じなワケで。
だから、『表現の自由』を訴える人が、それを『許さない』と言う人達に惨めに、無様に屈服したんだよな。
マヌケだよな、と思う。

あんな屈服をしておきながら「自由」を謳うなんて、ヘソで茶を沸かせられるよな、と思う。

真夜、木霊する鉄パイプ:橋本孝之

あの頃、誰もが『サクソフォン』と言う楽器にウンザリしていた。


多くの可能性を秘めながら、誰も楽器の可能性を追求しているとは思えなかった。
サクソフォンを抱えた人々は誰もが似たような風貌で、似たような音を出す。

何かの模倣である事は明白で、此方が驚かされる事は皆無であり、彼等が演奏している時間と言うのは苦行のような『退屈』と言う時間だった。


『退屈』と言う名の楽器になっていた。


多くの苦悩を救いあげた楽器は、既に『苦悩』其のものとなり、あのリード楽器を見るとウンザリするようになっていた。


チャーリー・パーカーには誰もが驚き、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィーにゾクゾクし、そして阿部薫は伝説と神話の人だった。

つまり、私達とは「全く無関係」の人々がサクソフォンと言う楽器をクリエイトしていた 。
それは伝説や神話の話であり、私達の活動や思想、思念、演奏方法やサウンドの『向こう側』には全く無関係な話だった。

会社を設立しようとする人は旧約聖書を参考にはしない。

そう言うモノだ。






ある初夏の日。

スウェーデンから来た現代音楽家であり、トランペッターの女性とスタジオで2時間ほどセッションした。
高円寺駅で待ち合わせをしたのだが案の定、1時間の遅刻をしてきた。


スタジオでの演奏はトランペットが二人、と言う編成に不安を覚えたが、実り多きモノだった。

終わってから高円寺駅の居酒屋で呑んだ。



前日に某ノイズ・ユニットを観に行った、と言う。それは素晴らしいモノであり、エレクトロニクスを多用しながらも有機的なサウンドは「Amazing!」と言う。

その日、出演していたサクソフォン奏者について聴いてみた。

「彼は面白くなかった。演奏は有機的ではなかったし、物語性がない。序破急と言うか展開が感じられない」

と言う。

聞いて笑いそうになった。


そのサクソフォン奏者は、有機的な物語性を否定し、長年の悪夢を断ち切ったた『破壊神』のような人であり、氏の演奏の肝だった。納豆を嫌悪する欧米人を見ているような感じがした。





そのサクソフォン奏者がこそが『橋本孝之』氏だった。




橋本孝之氏に関しては多くの記事がある。ジャズ雑誌だったり、色々。その幾つかを私は読んでいる。

橋本孝之氏の演奏も何度か目撃し、音源をも所有している。その音源にはライナーノーツが付いており、橋本孝之氏の半生も針穴から覗いたような有様だが、知っている。


だから、文筆業を本業とする人達とは私は落差がある。それでも書いてみようと思う。





橋本孝之氏を知ったのは何時だったか。




個人的な印象としては『彗星のように登場した』と言う印象がある。初めて氏の演奏を聞いた時。それは京都での演奏だったのでYOUTUBEであったが、まさに『彗星のよう』な演奏だった。

まず、驚きがある。

次に喜びがあり、

その次に嫉妬が入り混じる。



『嫉妬』に関しては、氏の容姿が大きかった。要するに『物凄く男前』なのである。京都市と言う事なので『物凄い男前』と言う言葉が似合う。


「実は公家の末裔では・・・」
「天皇家の血をひいているとか・・・」
「実家には奈良時代から続く家系図があるとか・・・」
「親族に陰陽師がいるとか・・・」
「平安貴族の末裔だったり・・・」
「祖父は若い頃にドイツに留学していたり・・・」
「茶道や華道とか毛筆で達筆だったり・・・」
「壷や茶器に詳しかったり・・・」
「実は能や狂言の跡継ぎなのに、親の反対を押し切り・・・」


と妙な事を思う。

アルト・サックス奏者と言うのは常に貧乏臭く、女っ気がない男性ばかりだった。

有り体に言えば『フリージャズ』『即興演奏』と言うのは、非モテ・非リア充が行う演奏であり、それは荻窪グッドマンや中野テレプシコール、中野富士見町のplan-Bだった。


だから、橋本孝之氏の容姿は驚きだった。


ライナーノーツにも記載があるように実は既婚者であり、子供もいて。
だから、常に異性を連れている・・・と言う人ではなかった。

初対面の時の、余りの上品な紳士っぷりに驚きを隠せなかった。





橋本孝之氏の演奏に接して見て『驚き』『喜び』の二つがある。




まず、サクソフォンと言う楽器は・・・と言うよりも『サクソフォン・ソロ』と言う演奏はフリージャズと言う前時代の音楽であり、20世紀の遺物である。
その頂点には『阿部薫』と言う人物がいる。

たった10分〜15分の演奏の為に途方もない量のドラックを服用し、伝説的な演奏をする・・・と言うモノ。

しかし、阿部薫の弟分だった、と言うトランペッター『庄田次郎』氏は

「阿部薫は素晴らしかった。でも、途中から『阿部薫』と言う人物を演じるようになった。それからの阿部薫の演奏は駄目になる一方だった」

と言う。庄田次郎氏から阿部薫の事を聞いたのは、この時だけだが『阿部薫』と言う人物を完全に言い表せている。



阿部薫の演奏は『フリー・インプロヴァイズ』と言うよりも、音源化されたモノを聴く限り

『ジャンル:阿部薫』

になっていた。其れは『阿部薫』と言うモノに本人が『所属した』ワケで、やはり退屈な事だと思う。

ジャンル分けが出来るような音楽は面白くない。

『JAZZ>free Jazz>阿部薫>阿部薫』

とCDショップにはコーナーがありそうな。それは生前からそうだたっと思う。



そして、阿部薫は呪いのようなモノだった。



アルト・サックスを抱きかかえ、其れをソロで演奏する人々は誰もが『阿部薫』と言うジャンルを演奏していた。
そのジャンルの為に「リード楽器とは飲酒である」と言った塩梅に呑みまくり、そして退屈な演奏を続ける。

ルイ・アームストロングが好きだから、と言う理由でディキシーランド・ジャズを続けても面白くはない。
だが、アルト・サックスを構える人々は生涯に渡って同じジャンルを続ける。


『アルト・サックスのソロ』


と言うのは、そう言った70年代新宿文化と言うか、泥臭く、文学崩れのマッチョイズムが背景にあった。

呪詛、呪い、怨念、執念、気合・・・。


下らない。下らない。下らない。






音楽を聴きすぎて、音楽が好き過ぎて、音楽に対して『退屈さ』を感じるようになってしまった。

音楽が好き過ぎて、演奏が楽しすぎて、演奏に対して『窮屈さ』を感じるようになってしまった。




橋本孝之氏のサクソフォンからは『退屈』と言う時間が一切、取り払われていた。深い森から一気に広い草原に出たような驚きがあった。

音楽を退屈だと感じていた。

だが、音楽は最高だと再認識させてくれる。

『音楽』『即興演奏』『フリー・インプロヴァイズ』と言う言葉から連想させる窮屈さ、退屈さ、平凡さ。

それが橋本孝之氏の演奏には一切、無かった。



初めてウェイン・ショーターの演奏を聞いた時。

その、ナイフのような鋭角なアドリブに心がブルブルと震えた。

初めてジョン・コルトレーンのアドリブを聴いた時。

延々と続く、叫びのような演奏に目眩を感じた。



随分前に感じた「初めて〜」が橋本孝之氏の演奏にはある。

切り裂くような鋭角さ、叫びのようなフリークトーン。

憧れにも似た、驚きを感じた。





橋本孝之氏の演奏を聴いて『喜び』を感じる事が出来たのは幸いだったと思う。

それは私が金管楽器奏者と言う事も関係しているのかもしれない。



和音が出せない。
リズム楽器としては線が細すぎる。
大量の音列を扱うには構造上、無理がある。
メロディーを演奏しても音色は一つしか無い。



DAWやエレキ・ギター、シンセサイザーに比べると『劣る部分』ばかりであり、こう言う楽器で『次の音』『次の音楽』が作れるのか?と。

過去の前例・・・アルバート・アイラー、ドン・チェリー、マイルス・デイビス、エリック・ドルフィーを聴いてみるが、どうも無理なようだ。

じゃあ、存命中の『近藤俊則』『ジョン・ハッセル』は?となると・・・なんと言うか『予め諦めている』と言うか、楽器の限界を痛感したうえでの演奏・・・と思う。



『管楽器によるソロ・インプロヴァイズには既に限界があります。』


と言うのが結論に近く、何かを諦めるしかない。





だが、彗星のように登場した橋本孝之氏の音は予め『限界』と言うモノが取り払われている。


そんな事を一切、感じた事がない。
そんな事を一切、考えたことがない。
そんな事があるわけがない。


女子中学生がPUNK Rockに憧れてギターを弾くようなアチチュードで、そのリード楽器を吹いている。



あ、今、『女子中学生』と書いたのだが、橋本孝之氏の演奏には『性別』と言うのが感じられない。男性的ではない。女性的でもない。少なくとも『男性』が考える『女性的』な演奏ではなく、本当に女性が演奏しているような印象がある。


嘗ては、FUNKが好きだった、と記載がある。


FUNKと言う非常にマッチョな音楽が好きだった、と言うのが信じられない程、『男性性』と言うのが薄い。

『男らしい』と言うのは、女々しく、愚痴っぽく、呪詛であり、つまり見苦しい。

橋本孝之氏はカレーライスを作るかのように、さも当然のようにフリークトーンを放出する。しかし、そこに愚痴や呪詛はない。
氏にとっては当たり前の音なのだから。


管楽器と言う不自由な楽器だが、実は『不自由さ』を感じているは私の問題であり、もっと『自由』だ、と言う事が橋本孝之氏の音からは発見される。



私がエフェクターを使わずに『トランペットのソロでインプロヴァイズ』を行ったのは氏の演奏の影響が強い。

適切な音量、間違いのない音、確信犯、美しい音を、美しい楽器で、美しく演奏する。

それは、この時代においても可能なのか!と思った。


トランペットはジョン・ハッセルのようにエフェクトを使わないと、ソロは出来ない・・・と思っていた。音色にも限界があるし、多くの音列を扱えるワケでもない。フリーキーな音を作れるワケでもない。

そうではなく、美しい音で、美しい旋律を、美しく吹けば良い。

それだけの事だった。

それだけの事に気がつくのに多くの時間が掛かったし、橋本孝之氏の登場抜きには考えれない事だった。





PSFレコードのオーナーだった生悦住英夫さんは

「アルト・サックスに関しては『阿部薫』以上、または同等じゃないとリリースしない」

と言っていた。だが、生悦住英夫さんは晩年に橋本孝之氏のソロをリリースした。阿部薫とは全く無関係であり、全く違う方法論の橋本孝之氏を、である。

生悦住英夫さんは『阿部薫』と言う呪いをリリースしていた。

それを終わらせたかったのかも知れない・・・と思ったり。



橋本孝之氏は間違いなく、21世紀のFree Jazzであり、21世紀の異形・奇形であり、現代の孤独と孤高である。







私事で恐縮だが、実はトランペットを吹きたくて、トランペットを選んだワケではなかった。

初めて買ったレコードは『アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ』だった。『ジャズ・メッセンジャーズ』と言うユニット名がカッコよかった。

其処ではウェイン・ショーターが鋭角なテナー・サックスを吹いていた。

写真も動画もない時代なので空想するしかなかったのだが、兎に角、憧れた。


その後にジョン・コルトレーンを知った。マイルス・デイビスと一緒に活動していた頃のレコードであり、10分以上のアドリブは神業だと思った。

私は、まだ高校生だった。

孤独だったり、上手く行かなかったり。

そう言う事をサクソフォンと言う楽器ならば昇華出来るのではないか?と思った。

シンセサイザーを所有していたが、当時のPCMシンセサイザーは操作は直感的とは言えず計算機のような存在だった。
ピアノが自宅にあったが、鍵盤楽器では、潤む山河に鉛の弾はぶち込めない気がした。

ギターは高校1年生の頃に挑戦して『Fのバレーコード』で挫折していた。

九州の青い空、尊く潤む山河、花々草木。

それらを何かで埋め尽くしたい、と思った。

身近な処で其れを可能にしていたのは『暴走族』のコールやエンジン音だった。闇深い九州の夜に木霊するエンジン音やコールは、それはそれは・・・美しかった。

だが、暴走族は『族』と言うだけあり、掟だとかルールだとか対人関係などが面倒臭そうだった。だから、中学生の頃は憧れるばかりで、『ヤングオート』『チャンプロード』と言った雑誌を見て溜息を付くばかりだった。


思えばサクソフォンの音は暴走族のコール音に近いモノがある。


だから、憧れたのかも知れない。
暴走族よりも優雅に、遥かに多くの音を扱える。


それで吹奏楽部に入団してサクソフォンを吹いたのだが、全く音が出ない。必死で吹くが音が出ないのである。

楽器には向き不向きがあると思うのだが、サクソフォンは向いていない気がした。

「うーん。どうしたものか」

と悩んでいたら、横に箱があり、開けてみるとトランペットだった。

「これなら、どうだろう」

と思ったら直ぐに音が出た。

それだけである。だから、憧れは暴走族であり、サクソフォンだった。

40歳になって、トランペットでもサクソフォンが真似出来ない音を作れる、と言う事を知るまで「あゝ、サクソフォンだったら・・・」と思っていたフシがある。




橋本孝之さんの演奏を聞きながら書いたのだが、思えば橋本孝之さんのサクソフォンは(菊地成孔曰く)不可逆的な音なのだが、暴走族のコール音と同じで『俺は生きている!』と言う声にも聴こえる。

音を埋め尽くすのではなく、適材適所に音を入れていく。

その音と音の間が木霊する。

多くの夜を抱きしめる。そんな感じがする。フリーキーなのに優しい音。

2019年8月8日木曜日

あいちトリエンナーレ

正直、話題としては『面白くない』部類にはいる『あいちトリエンナーレ』。
皆がツイッターやfacebookで書いている。妄想、被害妄想、色々と。
流行に敏感な私も書いてみようと思う



まず、大前提として『少女像』『昭和天皇の写真を焼く』と言う作品は面白くない。
作品の発想として安易過ぎるし、昭和天皇の写真を焼くことが『作品』になったのって、頑張ってもハイレッド・センターの頃までだろ。
『少女像』の持つ意味合いを勘違いしているアホの言い分も分かるんだけど、その政治的意図よりも以前に「面白くない」なんだよな。



ただ、『少女像』や『昭和天皇の写真を焼く』と言う事が、メディアや役人が

「反日」

と表現したのは驚いた。「反日」ってネットスラングみたいなモンである。基本的にBBSやタブロイド記事でしか使われない。
市長が

「そのような主張はテラワロスで御座います!」
「本議決への反対は草不可避。『こいつ、マジ?』『お兄ちゃん、こいつ殺せない』である」

と言っていたら「あ、この市は死んだな」と思うだろうに。



『少女像』に関しては、あの作品を作った人は、どう言う意図で作ったんだろう?と思う。

韓国では10代、20代の女の子が少女像を守るテントとか作っているんだけども、彼女達は

「これは経済、武力、紛争から女性の権利を守るためのイコンだ」

と言っている。

私達の多くが第二次世界大戦について、余り詳しいとは言えない。リアルタイム世代でもないし。
同じように韓国の女の子達も「従軍慰安婦」と言ってもリアルタイム世代ではない。

だが、韓国は80年代から女性の権利を儒教と父長制の国から自分達で掴み取った経緯がある。
だからこそ、『少女像』と言うのは『従軍慰安婦反対で、反日勢力」ではなく、

『女性の権利を守るため』

のモノ。

この辺が『女性の権利を蔑ろにする』って言う国民性である日本人には、理解が出来ない処なのかも知れない。
日本人にとって女性と言うのは『淑女』と『売女』しか居ないのである。
それが幼女だろうと、10代だろうと『淑女』&『売女』
要するに、終わっている。

少なくとも『少女像』を従軍慰安婦としてしか観ることが出来ない人は、性的なトラウマでも抱えているんだろうか。または『少女像』に性欲をイタズラに刺激されているのだろうか。





『昭和天皇の写真を焼く』って言う作品が面白いのか、否か。

其れはサテオキ。

ツイッターやFB、メディアでは


『日本人の心を踏みにじる行為』


らしい。

「え?そうなの?」

と驚いてしまう。


私は、その行為によって心が踏み躙られた、とは思わない。
だが、パスポートは『日本国』と書いているので、恐らく日本人なのだろう。
然し、有識者曰く

「日本人の心を踏み躙る行為であり、精神的にズタズタにする反日」

らしい。
そうは思えない俺は「日本人」では「ない」のだろうか。



以前、ツイッターで殺害予告を送ってきた男性は私について

「九州地方出身で、目が細く、名前に『黒』が付く。恐らく彼は日本人ではないだろう」

と描いていた。

親戚に『パラオ人のハーフ』はいるが、祖父は大日本帝国陸軍の軍曹で、大陸で大暴れした人である(尋常小学校卒で、二等兵から軍曹まで行くのだから凄かったんだと思う)。
母方の祖父も大日本帝国陸軍の二等兵で、南方戦線の生き残り。
多分、日本人なんだろうけども、長い歴史で考えると

『九州地方』
『中国地方』
『四国地方』
『本州』
『北海道』

は民族的には皆、全く違う。顔立ち、身体つき、方言から食い物まで何もかも違う。

『日本人』

と括るには大雑把過ぎる。

九州大陸は嘗ては大陸と繋がっていたし、渡来人も多かった。


私の祖父は大日本帝国陸軍だったが、天皇誕生日に何かしていたか?って言えば何もしていなかった。国旗も掲げてなかったし。


そもそも、昭和天皇に限らず『天皇』と言う存在は、ただ只管に「燃やされる為」だけに居る、と言っても過言ではない。

岡田斗司夫は

「天皇ほどコスパが良くて、しかも最強のコンテンツは無い。匹敵するモノはディズニーの『ミッキーマウス』だけ。だが、ディズニー社は途方もないカネを掛けて『ミッキーマウス』と言うコンテンツを維持している。其れに対して天皇は微々たるカネで維持出来ているのが凄い」

と言う。

天皇陛下自身の年収は3億円である。
これは全盛期のジャイアント馬場の年収よりも遥かに安い金額である。

まさしく、『天皇』と言うのは天孫降臨だとか、そう言うバックボーンではなく、『安くて良質なコンテンツ』である。

だから、アメリカで『ミッキーマウス』を焼く、とかでも良いんだよな。ミッキーマウスも戦中はプロバガンダ映画に登場しているので政治的な気質は皆無ではない。
ただ、激怒するアメリカ人は多くはないと思う。



坂口安吾が物凄く上手く言っている。長くなるけど引用しよう。

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『藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒涜の限りをつくしていた。現代に至るまで、そして、現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又、概ねそれを支持している。
                             
 昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。
                                 
 たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕(ちん)の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!』
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昭和天皇の写真を焼く事で、脊髄反射で激怒している人達こそが、最も国体を軽蔑し、冒涜し、『愛国オナニー』と言う言葉があるが、自慰の道具にしている。
これに異論がある人がいるだろうか?。

明治維新は西郷隆盛達が『天皇に洋服を着せる』事から始まっている。

武装、戦争、内乱、経済ではなく「天皇に洋服」なのである。
その西郷隆盛が天皇を崇拝していたか?って言えば違う。
やはり、利用したに過ぎない。



『昭和天皇の写真を焼く』と言う作家。
それに対しての激怒派。
強いて言えば『写真を焼いた』奴の方が天皇と言う存在を、理解している(と思う)。
激怒している人は、その激怒やクレーム、犯行予告と同じように天皇を殺したい。皇居にガソリンを持参し、彼等の行事は全て『日本人の心を踏み躙る』と言える。



しっかしなぁ。
『昭和天皇の写真を焼く』程度で、何が激怒なのか分からん。
あのトッチャン坊やが、生前、一度でも国体維持、国民の為に何かをやった事は一度もない。
WW2の『御聖断』って言うのもあるけど、御聖断がなくても戦争は終わったんだよな。天皇がシャチハタ印鑑を押しただけだしな。
国民に寄り添い・・・と言うが、いつ寄り添ったんだよ。
『歩きタバコ禁止条例』
『未成年者はSEXしちゃ駄目な条例』
みたいなモンで「不敬禁止条例」でも施行されたのだろうか。
理解が出来ない。

2019年7月31日水曜日

サウンド・ピクニック:金子 由布樹

私達がいる音楽界隈は色々な事を言われる(複数形にするな!とお叱りを受けそうだが)。
曰く

『音響系』
『ポスト音響系』
『ポスト・ノイズ』
『前衛』
『オルタナティブ』
『現代音楽』
『アンビエント』
『電子音楽』

等など。『ポスト』という人もいるが何がポストなのか分からない。
『音響系』と言っても青山オフサイトには年齢的に行けなかったので分からない。
ノイズ・ミュージックには敬意は払えど、彼等・彼女達と共に歩けない。
『現代音楽』と言うのはアカデミックであり、私達は『野良犬』みたいなモノである。

であれば、前衛だろうか。


『前衛』は戦場用語であり、その戦場の最前線を『前衛』と言う。私達の『後衛』が何処にあるのか分からないが、少なくとも『何処かの戦場』の『前衛』に居続けている。

前衛だから二等兵、または一般兵である。
そして歩兵である。

何処まで行っても歩兵でしかなく、将軍や少佐と言ったポジションではない。

ただ、一点。

その戦場の最前衛で戦っている、と事。その戦場の激しさを知っており、同時にそのスリルや興奮、アドレナリン・ジャンキーである。



金子 由布樹氏について書いてみようと思う。



どうしても氏については書いておきたい、と思うから(削除しろ、と言われたら削除するしかないが)。



フリージャズ、シカゴ音響系、クラブ、アヴァンギャルド、現代音楽と言った音楽の先を考えていた。
既に音源化されているミュージシャン達は『前衛』から降りていた。

何故か、此方も最前戦に行こうと思った。

だが、どう言う手段を選択するのか難しかった。だから、色々な手法を講じた。



金子 由布樹氏との初対面は2009年である。


その頃、六本木Super Deluxeと言うイベント・スペースで『TESTOTONE』と言うイベントが開催されていた。

私も似たような企画をしていた事もあり、オーガナイザーのキャル・ライアル氏と親しくなった。

その際に酒の勢いなのか、話の流れだったのか分からないが

「一度、セッションしませんか?」

となった。それで高円寺『円盤』でイベントを主催する事となった。



その時にキャル氏が紹介してくれたのが初対面である。




腰が低くて、やんわりとした口調。



事前情報がなかったのだが、直ぐに親しくなった。氏は素晴らしい音楽を出す可能性の塊であり、他の共演者の演奏に左右されない強さがあった。

その時はカセット・テープ(ループ式のカセット・テープだったと思う)と水中マイクをエフェクターで加工していた。

後に、氏はPCを使う音楽家だ、と言う事を知った。





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其処からの思い出をツラツラと書いても仕方がない。

だが、それが縁で、金子氏が梅原 貴久氏と組んでいる『polyphonic parachute』のライブを何度も見る事になった。

金子 由布樹氏のdreamyな音、そして梅原氏の戦前カントリーのようなギターは、其れは素晴らしい体験だった。

上手く言葉に出来ないのだが、アンビエントともエレクトロニカとも違う

『何処にも所属しない音』

が転がっていた。


『何処にも所属しない音』は、デレク・ベイリーを誰もが研究したし、ジョン・ケージを誰もが研究し、エリック・サティも研究した。

それは「何処にも所属しない音」の研究だった。


前世代には「フリージャズ」「ロック」と言った前世代には自由な音楽が合ったかも知れないが、そうではなく

『何処にも所属しない』

と言う事が目的だったと思う。


『所属』『ジャンル』になってしまうと、それは死ぬ事と同じような気がした。

少なくとも音は死んでしまう。なんとか砂粒のような音を積み重ねてサウンドを構築しているのだが、所詮は砂山であり、気をつけないと直ぐに崩れる。

『音楽』でありながら、『何処にも所属しない』と言うのは『ジャンル・レス』と言えば聴こえは良いが、子ウサギのように直ぐに死んでしまう、繊細な場所だった。


当時、金子 由布樹氏がどんな事を考えていたのか分からない。だが、金子 由布樹氏、同時代の音楽家は同じことを考えていた気がする。

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私がpolyphonic parachuteのライブを観に行ったりしていた頃から金子氏はレーベルを運営し始めた。

そして、自身のpolyphonic parachuteも音源を出す・・・!と言う。

レーベル運営なんて、誰も行っていなかった。そして、そのオカネにせよ、流通にせよ、何もかも不透明だった。

穏やかで、腰が低く、やんわりとした男性が、その修羅場に行く・・・と言うのは想像が付かなかった。
まだ、CD-Rで作品を出すのが精一杯だった頃なのである。

金子氏のレーベルは順調そうに見えた。だが、物凄くギリギリの路線を狙っていた。金子氏は何処から見つけてくるのか素晴らしい、そして『何処にも所属しない』ミュージシャンを浮上させていた。

その目利き(と言うと失礼な気もするが)は不思議で仕方がなかった。

だが、肝心のpolyphonic parachuteの音源は出来ていなかった。音自体は出来上がっていたが、ミックスダウンやマスタリングを自分たちでやっていたので、完成形が先になった。


そして、漸く発表された『polyphonic parachute』の音源は、長い時間を潜り抜けて、そして『再生可能なメディア』であるにも関わらず、何度、聴いても違う音に聴こえる、と言う偉業を達成した。

あの頃、最高に最強だった音源はpolyphonic parachuteのCDだった。これは間違いない。

サンプリングしようか?と思ったが、何処もサンプリング出来ない程、音に深みがあり、誰も真似が出来ないモノだった。




何処かで聴いた事がある音。

いつか観た風景。

何処かで匂いだ香り。

だが、それは何処か分からない。何処でもない場所。観たことがない風景。

しかし、行った事があり、観たことがある場所。

何時だったのか分からない。

産まれる前かもしれない。

死んだ後かも知れない。



金子氏は自身のレーベルを「POPSだ」と言っていた。確かにPOPSだった。



私事で恐縮だが、幼い頃の話である。

夜が怖かった。本当に恐ろしかった。寝ていたら死んでしまうのではないか?と意味不明な恐怖があった。
だから、眠れなかった。

それが解決されるのは、両親から貰ったカセット・デッキだった。一緒に貰った『ゴールデン・エイジ・ポップス』と言うテープには50〜60年代のPOPSが収録されていた。

九州の山深い、闇の中で小さなボリュームで再生されるオールディーズは、絹のように柔らかく、羽毛のように心を包み込んでくれた。


それがPOPSだった。


それが金子氏の言う『POPS』だった。


オールディーズが元々はロカビリーやロックだったのかも知れないが時間の経過と共に、熟成に熟成を重ねたウィスキーのように柔らかくなった。

「もしも、子供の頃に金子氏が音源をリリースしていたら、俺はもっと長く眠れたかも知れないな」

と思った。

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しかし、不思議だった。

金子氏は、やんわり、穏やかな風貌であるにも関わらず、どうして返す刀で尋常ではないアグレッシブさがあるのか。

普通に仕事をしながら、何処から見つけるのかトンでもないミュージシャンを発見したり、自身でも物凄い熱量でサウンドを構築していた。
同時に、イベントを主催したり。

一体、氏の何処にどんなヴァイタリティがあるのか・・・。

要するに私も含めて誰もが自分の事だけで精一杯だったのである。誰かを浮上させたり、熟成させたり出来なかった。

金子氏は関係がない話だが、嘗てRANKIN TAXIと言うレゲエDJ兼シンガーは、会社帰りにDJをしていた為、スーツでレゲエDJを朝までやっていた。そして、出社。

「そんな真似は出来ない」

と思っていたのだが、金子氏は涼しい顔で行っていた。氏の内心が涼しかったかは分からない。
逆にサハラ砂漠の熱風のような内面なのかもしれない。


金子氏の企画イベントで千駄ヶ谷に『LOOPLINE Cafe』と言うハコで演奏した。


其処には氏の『POPS』感とは程遠いミュージシャンも多く出演していた。勿論、集客は少ない。自分たちの熱意や熱狂と、他者が違う事は理解していたから、客数はどうでも良かった。
ただ、必死で素晴らしい演奏を目指していた。
それは金子氏の企画では何故か達成される事が多かった。

其処で初めて出会う人、素晴らしい音楽家と出会えた。

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此処まで書いて思ったのは「あれ?私は金子氏と一緒に演奏した事がない・・・」と思ったのだが、違った。

一度だけ一緒に演奏している。

それは『polyphonic parachute』で六本木スーパーデラックスに出演した時の事である。

確か20人近い人数で出演した。

音楽家ではない人も多く、普段は漫才をやっている・・・と言う人もいた。彼等・彼女達にピアニカや何かしら楽器を持たせた。


私は、その頃、あるバンドを脱退していた。脱退と言うよりも自然消滅だったのだが。
それにより、そのバンド・メンバー達とは決して良い仲ではなかった。

だが、集められたので、集まった。数年ぶりの再会だった。

リハーサルではピリピリしていたのだが(私と、元メンバー達)、本番が始まると何もかもを忘れた。

簡単なスコアと言うか指示表があった気がする。

音が始まると

『金子 由布樹』

『梅原 貴久』

と言う巨人に抱かれる形となった。


自分の音がモニタリング出来ていたのか分からない。誰が、誰の音か分からない。だが、演奏中は此れまでにない体験だった。


何処に連れて行かれたのか分からない。

何処に行くのか分からない。



幼稚園や小学校低学年の時の『遠足』『ピクニック』のようだった。誰かが軸をとって演奏するのではなく、両人による『サウンド・ピクニック』だった。


あれほど幸せな音楽体験は一生、忘れることは出来ない。


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実は氏が、現在進行形でやっている『鳴らした場合』に関しては実は聴いていない。色々と生活が変化したり、仕事などで聴くタイミングを逃したからである。

今回、こうやって書こうと思ったのは理由がある。



数ヶ月前。


江古田フライング・ティーポットで金子氏がベース、ギター、氏と言うセッティングで演奏をした。

1stは探り合いだった。


だが、2setである。


金子氏が何気なく『サイン波』を出した。


ピー・・・・


椅子から転げ落ちそうな程、驚いた。サイン波なんて誰でも出せる。取り立て難しいサウンドではないし、DAWだとプリセット音として入っている。

だが、氏が出したサイン波は途方もなく美しかったのである。

理由は分からない。


サイン波は誰が出しても『サイン波』である。シンセサイズで作れる音と言うモノではなく『音の元素記号』みたいな音なのに、途方もなく美しい!。

『ファウスト』ではないが「時よ止まれ・・・」とさえ思った。


演奏終了後に、サイン波について聴いた。


「やっぱり、出す人によって違ってくるんかも知れないですね」


と涼しげに言う。


話が前後してしまうが、金子氏は本を数冊書ける程のグルメでもある。料理の達人が『米』を炊くのと、素人が炊くのでは違ってくる。


あゝ、この人が作る音と言うのは『自画像』なんだな、と思った。


寝ても、覚めても、夢の中でも、胃袋でも音楽家。

だから、レーベルでも自分の企画でも、何でも彼の音になってしまう。彼は自主企画をやろうと、呼ばれて演奏しようと、何もかもを料理してしまう。


其れが『金子 由布樹』と言う巨人なのだと思う。

その真髄が、あの日の江古田フライング・ティーポットで見せた『珠玉のサイン波』だった。







2019年7月6日土曜日

世界をチューニングする男/直江 実樹

ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで『星条旗よ永遠なれ』を見る。




この映像は映画『ウッドストック』でも最高のシーンだが、不思議な感覚を覚える。


演奏者はジミ・ヘンドリックスと言う20代後半の青年のはずなのだが「演奏をしている」と言うよりも
「淡々とチューニングをしている」と言う印象も受ける。

湯浅学氏は嘗て、ジミ・ヘンドリックスのギターを「ギターが勝手に鳴っている。」と表したが、まさしく、である。

そう言う事はジミ・ヘンドリックス以外だと余り見当たらない。ジョン・コルトレーンは素晴らしいサックスを吹いたが「ソプラノ・サックスが勝手に鳴っている」と言う感じはしない。





色々な処で散々、紹介されている気がするが直江 実樹』氏を書いてみたい。



私の稚拙な文章で氏が気を悪くしなければ良いのだが、指先が思うように書いてみよう。




『直江 実樹』と言う存在を知ったのは何時だったのだろうか。2005年よりも前だった気がする。
まだインターネット環境は全体的に貧弱だったので『口コミ』『評判』等が強かった。その中で

『ラジオ選曲家』を名乗る人物が登場した。短波ラジオ選曲家だったかも知れないが、『選曲家』と言うのはDJであり、ラジオを選曲?と言う事で驚いた。

今は無い『マイスペース』で直江 実樹氏が登場した時に音楽仲間の間で話題になった。

「ラジオを楽器にしているらしい」
「ラジオ選曲家って、なんだ?」
「ジョン・ケージみたいな人なの?」
「現代音楽の生き残り・・・みたいな?」

YOUTUBEは無かった。YOUTUBE自体、出来上がったばかりで動画のUPの方法も分からなかったし、何よりも動画の長さは3~5分が限界だった。

だから、会う、または彼の演奏に接する事でしか音楽を体験する事は出来なかった。



其処で「直江 実樹と何処で、どう出会ったのか?」と言うのを思い出そうとするのだが、全く思い出せない。



まるで小学生からの同級生や幼馴染のような感じもする。



その頃、渋谷系から始まり、現代音楽、HIPHOP、ブルース、音響系、シカゴ系、フリージャズの再構築と再考、ジャズ、1969年前後の世界各地のロック、オルタネイティヴ、クラブ系。

雑多な音楽を浴びるように聴き、「どうやったら、次の音楽を作れるのか?」と言うのが私がウロウロしていたシーンの課題だった。

「次の音楽」ってなんやねん、と言う気もするが、そう言う気分だったのである。

音、サウンド、その彼方。

コードやリズム、ハーモニーではない音、サウンド、その向こう、彼岸の音を目指していた人達は場所や時間を問わずに出会っていた気がする。


そこに直江 実樹氏がいた。




初対面の直江 実樹氏の音は、友人から聴いていた評判を遥かに上回る素晴らしさだった。氏が抱きかかえている古いラジオは『名機』らしいのだが、私には分からない。
音も素晴らしかった。


何より印象的だったのは、氏が演奏すると、必ず素晴らしい音、サウンド、声、台詞・・・その他、全てが彼を媒介に飛び込んでくるのである。

ラジオにはアンテナが必須だが、そのアンテナが『直江 実樹』氏であり、ラジオは勝手に鳴っているだけであり、直江氏は、その媒介になっているだけのような印象を受けた。


直江 実樹氏がチューニングしているワケではない。

電波が直江氏をチューニングしている。

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演奏以外での直江 実樹氏は穏やかな人である。紳士な人である。

一度だけ「何処から演奏を始めたのか?」を尋ねた事がある。
氏は「演劇の音響」と答えた。

『演劇の音響』と言うが実際に演奏するワケではない。指定された場所で指定された音をCDやカセットテープで流すのである。

私もやっていた事があるのだが、あれはクラブDJの頭出しよりもシビアであり、キマった時の快感は中々、乙なものである。

舞台と言う1時間半から2時間のリズムの中で音を出すのであり、垂れ流せば良いワケではない。



ただ、『どうしてラジオを楽器として使うようになったのか?』は分からない。



直江 実樹氏と話していてNOISE系の話題が出た事は一度もない。個人的に好きなノイズ・ミュージシャン(SEED MOUTH)は居たようだが『好き』と言うよりも『師』と言うモノでもあった様子である(この辺は直江氏に直接、聞いたワケではないので憶測でしかないのだが)。

直江氏の口から出てくるミュージシャンは常にシンガー・ソングライターやファンク、それも80年代のブーツィー・コリンズだったりする。

会えば、会う程、雲を掴むような人である。

だが、演奏中はパリ万博でのニコラ・テスラのようなCOOLさ。そして他の共演者を食い散らかす凶暴さと獰猛さ。

演奏終了後の優しさ。

憑依している、としか言いようがない。『電波』と言う得体の知れないモノが氏に憑依している・・・そうとしか言いようがない。




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中学生の頃、両親が使っていたオーディオを貰って、ラジオのエアチェックに夢中になった事がある。
九州の北部だった為、チューニング中に北朝鮮や韓国、米軍の放送が何時も入った。北朝鮮の放送は常に力強く、何かをプロバガンダしていた。米軍は常にリラックスして笑い声ばかりだった。

九州の辺境であり、草深い田舎町で「素敵な音楽」と出会う為にはチューニングし続けるしかなかった。

その数年後。

「あ、ラジオは楽器になるんではないか?」

と思った事がある。福岡県の田舎町なので現代音楽なんぞは知らない。

ただ、その頃、ミニコミ、またはフリーペーパーが流行っていた。北九州市戸畑区で現代美術家にインタビューを行った。インタビューはラジカセで録音した。

帰路の駅は海沿いの静かな、人気の無い駅だった。

到着する電車20~30分後だった。

ふと、「此処でラジオを付けたら何がキャッチ出来るんだろう?」と思った。中学時代の実家では北朝鮮と米軍だったが、此処では?と思ったのである。

その時に海沿いだが、山沿いでもある妙な立地の為か、美しいサイン波が流れた。その音に感動した。

「これを楽器として使えれば面白いのでは?」

と思ったが、再現性がない、と言う問題で止めた。実にツマラナい青年である。




直江 実樹氏も、恐らく・・・全くの憶測だが・・・私と同じようにラジオから美しい音を体験したのだと思う。

それを継続するか否か。


直江 実樹氏は継続し、私は諦めた。

諦めたのではない。

直江 実樹氏は『選ばれた』

私は『選ばれなかった』


の違いである。だが、同じ経験をしている人は多いと思う。然し、『電波に選ばれた』と言う人は直江 実樹氏だけである。

選ばれし者の恍惚と不安・・・。

思えば直江 実樹氏は演奏中、非常に神経質な表情をすことが多々ある。それは『選ばれし者の不安』なのかもしれない。






先に

『COOLで凶暴な側面を持ちながらも、演奏終了後は紳士であり優しい直江 実樹氏』

と書いたが、この部分を説明する為に冒頭のジミ・ヘンドリックスがいるのである。



ジミ・ヘンドリックスも普段は礼儀正しく、腰が低い人物だったらしい。
恐らく、それは彼が長年、仕事として関わり続けたブルースやR&Bの世界では当然の事であっただけかも知れない。

もしくは、ジミ・ヘンドリックスと言う人物が『ギターを演奏している』ワケではない。彼自身は空っぽの存在であり、『エレキ・ギター』と言うモノが彼の人格だったのではないか?。


それと同じく、直江 実樹氏も、本質的には紳士であり、優しさに溢れた人物だが、そう言う人物は時折居る。
直江 実樹氏はラジオを手にした時の『直江 実樹氏』こそが氏の人格や性格、そして戦い方なのではないか。


直江氏と演奏した事は何度かあっただろうか。


考えてみると殆どない気がする。圧倒的にリスナーであり、対バンだった。



直江 実樹氏は空を飛べるのか?と思うほどフットワークが軽い。
然し、その芳醇な音のワリにはソロが余り多くはない。
過去にVELTZレーベルから音源を2作出したキリで、後は有志によるライブ録音、録画である(この2作は傑作中の傑作だった)。

だが、氏の音はマイクロフォンで増幅される音ではなく、その空間に音を紙飛行機のように柔らかく飛ばし続ける音である。

是非、氏のライブに足を運んでほしい。

50年前に作られたラジオとは思えない芳醇な音、そして柔らかく憑依した氏の姿は常に感動と共にある。

氏がチューニングしているのはラジオだけではなく、会場で場を共にしている人々の心かもしれない。



2019年6月29日土曜日

全身音楽家:米本実

物の怪、妖怪と言うモノが私達の生活から消え。
そして、00年代にアヴァンギャルドを志した人達の多くは討ち死にし。

クリアで、耳に心地よい、アイドルや往年のPOPS、BGMのような音楽がメインストリームに対しての『サブカルチャー』となった。


それは此方側の敗北なのであろうか。


敗北、勝利。それが何だ。此方は音の彼方を目指すだけであり、そうではない『あちら側』『こちら側』は何時だって存在しており、それが嘗ての同朋が『あちら側』になっただけである。


暫く「素晴らし音楽家」「素晴らしい盤」をメジャー、マイナー問わず連載してみようと思う。
月1か、週1か分からないが(長文を書くのは疲れる)。



2016年に書いた『米本実』氏について再度、書いてみたい。
http://kodona.blogspot.com/2016/08/blog-post_14.html

この『米本実論』を書いた際に、本人から追加文章の申請があったのだが、何故か今になった。



米本実氏は不思議な人である。



氏を知ったのは、私が米本実氏に出会う前だった。自分だけの音、と言うモノを作るために『自作楽器』と言うモノを考えた。
その際にシンセサイザーも検討していた。
買うと高いが、作れば安上がりじゃないのか?と言うモノだった。

其処に米本実氏が既にホームページで自作シンセサイザーを紹介していた。それを見て

「敵わない」

と思った。


実際に会ってみると、非常にフランクな人だった。だが、もう少し踏み込むと、その並外れた音楽知識、音楽理論、演奏能力に驚く。

自作モジュラーシンセサイザーを、米本実氏はまるでエキゾチック、またはメタPOPSのように演奏する。

然し、米本実氏はエキゾチカでも、POPSの人でもない。紛れもなく『現代音楽家』である。

そして、米本実氏が制作した『system Y』と言うモジュラーシンセは『現代美術作品』であり、
『サウンド・アート』でもある。



然し、『system Y』は余りにも巨大過ぎて自宅から持ち出すのに難儀するらしい。では、自作シンセサイザーだけの人なのか?と言えば違う。

米本実氏は先に書いたようにシンセサイザーだけではなく『楽器』と名が付くモノであれば全て演奏できる。

マーカス・ミラーやプリンス、スティーヴィー・ワンダーのような人でもある。


その米本実氏の素晴らしい作品が・・・恐らく5分程度で作ったと思われる・・・『彼女の家』である。
1998年に製作されたモノらしい。

YAMAHAの『PSS-110』と言う、シンセサイザーと言うよりもガジェットのようなキーボードである。

『ゴミ』として捨てられていた、と言うキーボードで、スティーヴ・ライヒも裸足で逃げ出す音を作っている。


しかも、1998年である!!!



現代音楽の音源など、非常に手に入りにくい時期だった。然し、米本実氏は野生の勘なのか、ハードコアなミニマル・サウンドをイトも簡単に作ってしまう。




facebookで米本実氏が発表した時は、主に「可愛い」「面白い」「私もPSS-110を持ってました!」と言う感想ばかりで、曲自体に何かを感じた人は少なかったようである。


なんと言う事だろうか・・・。


だが、SNSに作品を発表する、と言うのはEDMやアイドル、1分程度のラップ以外は、そんなモノである。
インスタグラムが流行っているのも、ツイッターの140文字すら読めない人が増えてきた、と言う事ではないだろうか。

インスタントな刺激。

これは米本実氏のような『現代音楽家』『現代美術家』にとって不幸な時代と言わざるを得ない。


否。


米本実氏のみならず『音楽家』にとっては苦しい時代なのかも知れない。1分、1分半と言った時間で『音楽』と言う時間芸術では届けたいサウンドの0.00000000001パーセントも伝わらない。

だから、ライブを行うしか無いのだが、嘗ては頻繁に演奏をしていた米本実氏は最近は鳴りを潜めている。

理由は分からない。

ただ、何となく分かるのは


「米本実氏と言う人物が何者か分からない」

「米本実氏の音楽は耳障りが良いワケではない」


と言う事が、令和時代のオーガナイザーには警戒されるのかも知れない。耳障りと言うが、PUNKやPOPS、HIPHOP、フォークやEDM、テクノのように

『一般的に認知された音楽』

ではないからである。


米本実氏はEDMだろうと、PUNK的な音だろうと何でも作れる。だが、そうしない。


それは『鬼才』『異才』として産まれた人物の宿命なのだろうか。


米本実氏の『PUNK解釈』は、実はある。正直、既存のPUNKよりも米本実氏の音の方がNYのHC、サイケデリック系よりも遥かに切実であり、肉体的である。

それが

『マン-マシン・インターフェースに関する考察Vol.1』

である。


僭越ながら、私が企画している『鳥の会議』と言うイベントに出演して頂いた。


池田 拓実氏(現代音楽家であり電子音楽家の大御所)に米本実氏との共演を打診すると、池田 拓実氏が

「米本実氏の『マン-マシン・インターフェースに関する考察Vol.1』とならばOK。何よりも私が見たい。物凄く影響を受けた作品だから」

と言う事で、実は私も良く分からない状態で、本番となった。



(鳥の会議#7~riunione dell'uccello~/ 米本実/マン-マシン・インターフェースに関する考察Vol.1)




大きな紙に『0』『1』と言う数字が書かれている。二進法の記載である。それが1m☓1mの紙に何枚もある。

「シンセサイザーは鍵盤を押すと実は二進法で音をCPUで処理して音を出しているに過ぎない。ならば、逆に二進法を人力で入力するのは、どうか?」

と言うコンセプトだったと思う(詳細を記載したサイトがあったのだが、何故か消えている)。

要するに「人間がシンセサイザーのCPUとなる」と言うモノであり、マン・マシーンと言う名前の通りクラフトワークからのオマージュだったと思うのだが、どう考えてもクラフトワークを超えている。


まるで冗談のような有様だが、米本実氏は真剣そのものだった。居合の達人のような、何かを破壊しかねない凶暴さでパッチングしていく。

観ていた人からは「物凄く野性的だった」と言う言葉があった。シンセサイザーと言うデジタル楽器を使いながら、こうも凶暴、野性的になれるものなのか、と思った。

嘗てデトロイト・テクノのミュージシャンが曲作りの際に全裸で作った、と言う話があり「なんて野性的なんだろう」と思ったが、米本実氏に比べれば可愛いモノである。

当日、PAを担当した私ですら、薄っすらと恐怖を感じた程である。



米本実氏と言うのは、そう言う人物である。



演奏中は居合の達人の前に座るような、フリージャズやオルタナティブを超えた処に居る。


「テクノポップの人?」
「シンセサイザーの人?」


ではない(『楽しい電子楽器/自作のススメ』と言う本の著作者でもあるので、あながち間違いではないが)。


『全身音楽家』と言うしかない。